逃げ道。
「仕事を手伝いたい? 何でまた」
怪訝そうな顔をしながら、仕事をさせてくれと願う人間に問いかけた。
男が目を向ける先に居るのは、真剣な顔で立つ虎少年。
種族の違いから解り難いはずの表情が、はっきりと解るほどの鋭い目をしている。
「この屋敷の生活は、とても心地良いんです。心地良すぎて、駄目になりそうなんです。あの子の傍に居ながら、自分を保つ選択肢としてお願いをしに来ました」
「・・・駄目に、ね」
虎少年の言葉に、男は少し考える素振りを見せる。
別に手伝いたいというのなら仕事を与える事に否は無い。
虎少年には実績と資産があり、であれば男としても仲間に引き込むのも悪くはない。
「悪いが、君に手伝わせる事は無いよ。人手は足りている」
だが、男の答えは否定だった。
確かに虎少年を身内に引き入れる事はプラスになるだろう。
男だってそんな事は解っている。解っているが、そういう問題ではないのだと。
「君は、俺とは違う道を行くんだろう。俺と同じ物を見てどうする」
同じ場所に居て、同じ物を見て、同じ考え方を共有する。
それはきっと人として当然の交友関係なのだろう。
だがこの二人はそれでは駄目なのだ。
虎少年は以前言った。少女に関しての考え方を、真正面から否定すると。
何が有ろうが、どうなろうが、自分は少女の味方だと。
ならば、その考え方を貫くならば、下手なしがらみは増やさない方が良い。
何よりも、自分と余り馴れ合い過ぎない方が良い。男はそう思っている。
「今更かもしれないし、もう君は屋敷の者達と距離を近くしてしまっている。だが他の者達は兎も角、俺と君は根幹が決定的に違う。君は君の答えを出せ。その苦しみは、感情は、君が答えを出すべき物だ。逃げるな。頼るな。お前はそこに甘えを見だしちゃいけないだろう、小僧」
男は屋敷では見せない威圧感を放ちながら、低い声音で虎少年に言い放つ。
今お前のとっているその選択はただの逃げだと。お前が取るべきは違うだろうと。
虎少年はその言葉に何も返せず、拳を握り込んで俯いていた。
「それでも逃げたい、というのなら、それでも構わない。啖呵を切ったのにしっぽ巻いて逃げると良いさ。未熟な小僧の啖呵だ。そういう事も有るだろう」
男は感情を感じさせない冷たい声で続け、虎少年を更に追い詰める。
それは嫌がらせのつもりではなく、逃げたいなら逃げて良いという救いの言葉。
君はまだ前途が有る。もし騒動になった時、逃げたって良いんだという優しい言葉だ。
それに大事な相手を、まだ一人に絞る必要なんてない。
人間の心なんて移り変わり行くものだ。
これからの人生の全てを決めるには、まだまだ虎少年は若すぎる。
声音とは裏腹に、男は優しく虎少年の事を案じていた。
「確かに・・・そうですね。甘えていました。結局の所、今の環境を変えずに何か気分を誤魔化したい。そういう事でしかなかったんでしょうね。情けない話です」
だが虎少年は顔を上げ、その眼は最初よりも鋭い物になっていた。
その目に宿る決意に揺らぎは無いと、男に対して告げる様に。
「そうか。なら、好きにすると良い」
「ええ、そうします。そして、ちゃんと見つめなおします。自分を」
「ああ」
虎少年は男に礼をして、男の自室から去って行った。
男はそんな虎少年を見つめて、複眼に少し申し訳ない事をしたかもしれないと悩む。
あのまま行けば、あの二人がくっついていた可能性は高いと思っていた。
だけど今回の事で、男がその可能性を薄めた事になる。
「ま、人間そんなに簡単なもんじゃない。どうなるかは、未来のみぞ知る、だ」
自分の事だって男には解らない。少女をあんなに可愛がる自分なんて想像出来なかった。
そうだ。出来なかった。だからこそ虎少年には逃げ道を選んでも良いと思ったのだ。
「殺す。その時は、俺が、殺さなきゃいけないんだ。それが、俺の、役目だ」
こうやって普段から言い聞かせないと出来る気がしない程、屋敷に連れて来た少女を可愛がるなんて、男には想像出来なかったのだから。
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