第1話 颯爽と、魔術師 その2

 応接室に案内してくれた女性職員の顔は少し引きつっていた。

 無理もないと笹間も思う。自分と後藤は別として、その後ろから現れたのは黒づくめの浮浪者みたいな風貌の男と周囲を常に睨み散らす東南アジア系マフィアのような男、そして蒼いローブを羽織り、いちいちブロンドの髪をかきあげてはキザに笑う自称英国貴族の男。

 彼女は案内しながらも「本当に応接室でいいのか」と笹間に目で訴えていた。残念ながら今いるのは全員参考人ですらない上に協力者なのだ。申し訳ない、と笹間は心の中で彼女に念じた。

 質素な長机を挟んで後藤とグエンが席に着いた。笹間と斧銀、シャルルはそれぞれの代表者の後ろでSPのように立っている。

「我々が派遣されたのは先日発生したS町での銀行強盗についてです」

 グエンは流暢な日本語で話していたが笹間は先程から少し違和感を覚えていた。目を凝らすと口の動きと出てくる言葉が合っていない。まるでどこかで見た腹話術の一種のようだ。

「あっちのキザ野郎のだろうな」

 笹間の思考を見透かしたように斧銀が囁いた。

「杖?」

「魔法の杖だ。さっきも見たろ?   白い棒であっという間に俺たちを動かしたやつ」

「神頼みとは違うの?」

 笹間は以前斧銀が神頼みと称し、魔法陣無しで魔術を使用していたのを見たことがあった。あの時は『マナを媒介した神との交渉だから上手くいくかどうかはわからない』と説明されたが。

「かなり違う。偏りはあれど運否天賦でしかない神頼みと違って、杖の魔術は発動すれば百パーセント成功する。予め時間と場所が指定された魔法を杖の中に仕込んでおくからな。この場合なら恐らく時間を【棒を一定の方向に振ったらn時間】、対象や場所を【棒の先端から半径nメートル以内の範囲】で発動する設定にしてるんだろう」

「……?」

 笹間の思考が説明に全く追いついてないのを把握して斧銀はため息をついた。

「今時の携帯は色んな種類のアプリケーションを入れておけるだろ?   あれと同じようなもんだよ。もっとも、杖は携帯と違って本体も魔術も自作する必要があるから何種類入れられるかは魔術師の力量にもよるがな」

「なるほど」

「だから杖の数も使い方も様々だ。今のとこあいつは一本の杖で軽々と二種類使ってるが……」

「それってすごい?」

「さあな」

「何それ。もしかして私が理解できてないからって適当に説明してない?」

 斧銀は何も返さなかった。笹間はやむなくグエンたちの話を聞くことにした。

「……ですから被害額は五千二百四十万です」

「はぁ!?」

 唐突に提示された金額に笹間は大声を上げた。後藤たちも思わず一斉に振り向く。

「笹間……お前、話聞いてたか?」

「えっ? ああ、はい。金庫が夜逃げしたところまでは」

「いや……もういい」

 後藤が何かを諦めたように向き直るとグエンが再び口を開いた。

「実はO銀行S町支店ではあの日、とある企業が大金を引き出す予定だったんです。規模の大きい取引があるので現金を用意してほしいと事前に銀行に依頼をしたそうで」

「それが五千万」

「はい。その企業の者が銀行から金を引き出そうとしているところに事件は起こりました。最初は強盗だとは思わなかったそうです。ちょっと長引いている客がいるなという認識だったと」

「柴田たちのことですね」

「そうです。その、柴田さんが窓口の向こう側に行ったのを見て嫌な予感がしたと、担当者は言っています。……そして金庫は中身を全て奪われた。ですが幸いにもその企業は二十年前から我々との契約がありました」

 グエンは煙草の箱をポケットから取り出し、後ろにも見えるよう軽く振った。それに気付いたシャルルは欠伸をしながら杖で小さく空中に円を描く。するとたちまち長机の上に白い灰皿が現れた。

「いつも悪いな。……すみません、話を続けましょう。魔術保険というものは古来より魔術により発生した被害を補填するために作られたシステムです。火災保険とそう変わりはない。もちろん今回の件も例外ではありません。ただ……」

 グエンが大きく煙を吐いた。煙は部屋中に広がるかと思われたが、空気の流れに逆らい渦を巻きながら灰皿の中に吸い込まれていく。灰皿自体にも魔術がかかっているようだった。

「ダブル」

 斧銀の小さな呟きが笹間の耳に入った。聞き返そうとしたが、そうする前にグエンが話を続けた。

「どうもタイミングが良すぎる。大金を用意してもらったその日に強盗に遭った上、それが魔術によるものというのは、少し話が出来過ぎじゃないでしょうか。協会がそうした疑念を持ったため私とシャルルが調査員としてこの国に派遣されました。つきましてはあなたたちの捜査に協力した上で我々も調査を進めたいのですが、そのあたりの許可はいただけますか?」

「……わかりました。ただし犯人を逮捕した場合、その身柄はこちらで預からせていただきます。また、あなた方の行動は一部こちらの法律で制限される場合がありますが、そこは大人しく呑んでいただきたい」

「はい、もちろん承知です。ありがとうございます。ミスター後藤」

 グエンはそう言って微笑んだが、誰から見てもその表情は営業用のものだと丸わかりだった。そこに至るまでの彼の瞳は狩りをする獣のように昏く冷えていたからだ。応接室を出て行く二人を見送ると後藤は大きくソファに腰掛けた。

「ありゃ保険屋というよりヤクザだな」

 斧銀がコップを片手に言った。いつの間にか勝手にコーラを精製して飲んでいる。

「ああ。特にあのグエンという男は厄介だ。スーツの内側が妙な膨らみ方をしていた。銃を持ち込んでいる証拠だ。ここが警察だとわかった上でな」

「いやいや、後ろの魔術師もなかなかだぞ。杖どころか涼しい顔でをやりやがった」

「二十も使ってたっけ?」

 笹間が神妙な面持ちで首を傾げる。

「お前それボケてるつもりなら全くウケてねーからな」

 斧銀はコーラを一気に飲み干した。

二重ダブルって意味だよ。魔術によって別の魔術を出現させる。さっきので言うと、前もって【杖に仕込んだ転送魔術】で、【煙を吸い込む魔術を仕込んだ灰皿】を顕現させるってこった。こいつはそれぞれの時間と場所の指定をシビアに組み合わせないと作れな」

 長く汚い音がした。思わず笹間は履いていたスリッパで斧銀の頭を叩く。

「お前それボケてるつもりか!?」

「いや、その、ほら炭酸一気したら大体こうなるから」

「つまり、それがやつらの手口なんだな?」

   二人に割って入った後藤が場を収めるように言う。

「そうそう。あの一連の魔術は俺を威嚇するためのパフォーマンスみたいなもんだ。こっちはこんなことも軽々できるからなー、もし余計なことしたらわかってんだろうなーって。よっぽど仕事の邪魔されたくないんだろ。グエンとかいうのがガン付けまくってたのも後藤への威嚇だろうな」

「じゃあ私に対しては?」

 笹間の問いに二人は考える素振りを見せるが、すぐに首を横に振った。

「心配するな。それは見当たらなかった」

「うはは、戦力扱いされてねーんだ」

「なっ!?」


                 ◇◇◇


「この国の警察はお人好しなのか、腑抜けなのか」

 信号待ちの最中、グエンはライターを取り出してそう言った。

「さっきの人たちかい?」

 助手席のシャルルは指揮棒を磨いている。二人は現在レンタカーでO銀行S町支店に向かっていた。

「ああ、だいぶつもりなんだがな。手応えが全くなかった」

「わからないよ。案外気付いた上でスルーしてたかも」

 シャルルが指揮棒の先端に息を吹きかけると僅かに埃が舞い上がった。

「お前の方はどうだった? この国の魔術師と会うのは初めてなんだろう?」

「うん。彼はね、わからないんだ」

「わからない?」

 グエンは前を向いたまま眉をひそめた。

「私たち魔術師は、魔術を利用する分普通の人間よりも少しだけ肉体が幽世に染まりやすい。だから魔術を使えば使うほどマナが体に付着しやすくなるんだ。静電気みたいにね。……でも彼の体にはほとんどマナがついてなかった。横の女刑事さんの方がまだ多かったよ」

「インチキ魔術師なのかもしれないな。奴らはどうやら人を見る目もないようだ」

 グエンは鼻で笑うとブレーキを踏んだ。車は銀行の駐車場に入っていた。

「そうだったら助かるよ。仕事がやりやすいからね。ところでもう三時を回ったわけだが、ティータイムはまだなのかな」

 時計を確認してグエンは舌打ちした。

「銀行の担当者と会うまで後二十分だ。それまでには終わらせろ」

「ありがとう。やはり君は最高の相棒だ」

 シャルルは懐から緑色の指揮棒を取り出すと、四拍子を振って宙空にティーセット一式を呼び寄せた。見えない水面に浮かんでいるような動きをする陶製のポットやソーサーの中で、ほのかに甘ったるい香りを帯びた茶色の液体だけが重力に従ってカップの中に注がれていく。

「へぇ」

 携帯でニュースを見ていたグエンが小さく声をあげた。

「どうしたんだい?」

「M町という場所で空から大量の蛸が降ってきたそうだ」

「それはおぞましい」

 言葉の割には興味がなさそうにシャルルは紅茶を口にする。

「まずいな……ここから近いぞ」

 嫌な予感がすると言わんばかりのグエンの横顔を見てシャルルはクスッと笑った。

「まぁ、明日からは忙しくなるかもしれないね。スコーン食べるかい?」

「いいよ。俺はこれで十分だ」

 グエンはダッシュボードから未開封の煙草を取り出してフィルムを破いた。


                 ◇◇◇


 先日までとはうってかわって緊急異常事件対策係は朝から目が回りそうなほど慌ただしくなっていた。

「H橋付近で人食いネコジャラシが発生したそうです!」

「今度はそっちか! 被害者は?」

 後藤はクラウンを急いでUターンさせ現場へと走らせる。助手席には各所に無線を飛ばす笹間、後部座席には寝転がってソーシャルゲームに興じる斧銀がいた。

「蛸の群れが空から降ってきたと思ったら、鋼鉄洗濯バサミと巨大モグラが大喧嘩。手足が計二十四本生えた冷蔵庫が独立国家宣言して、次は人食いヒマワリか」

「ヒマワリじゃなくてネコジャラシですね。あと無限に増え続けるカブトムシゼリーが抜けてます」

 後藤も笹間も一晩中走り回っていたせいか声がほとんど無機質になっている。これらの怪異は昨日の昼から立て続けに発生していた。他の対策係も矢野の命により機敏に動いてはいるが、元々の頭数が少ないせいもあって対応がどうしても後手後手にならざるを得ない状況である。

「斧銀。どうだ、いけそうか?」

「あとこのボス倒したらぁ—」

 斧銀もまた一晩中働かされていた。係室内で様々な魔法陣を作り上げ、朝方からは八つ当たりのように「俺の時間を返せ」と移動時間を利用しては無理矢理ゲームに没頭していた。

 笹間たちがH橋に到着すると、橋の中央付近ではアフリカ象ほどの体長がある植物が触手を伸ばして暴れ回っていた。よく見ると穂から人の腕のような物体がはみ出ている。

「……遅かったか!」

 クラウンを降りた後藤が悔しそうに屋根を叩くと、すぐ横で小太りの男が泣きながら跪いていた。

「ああぁぁ! 僕のルナリスがぁぁ!」

「ル、ルナリス?」

 笹間が思わず問いかけると男は様々な体液で顔を濡らしながら、

「僕の大事なドールなんです。生身の人間と同じくらい大きいから衣装も特注で、五十万もかけたのに……」

 五十万か。焼き肉何回行けるんだろう。久々にエステに行ってフルコース頼んでもいいかもしれない。徹夜明けのせいで思考のベクトルが現実逃避にしか向かない笹間を押し退けて斧銀がメモ用紙を数枚、手裏剣のように弾く。

 するとネコジャラシは見えない何かに殴られたように苦しみ出した。やがて一回大きくうねった直後、穂の部分が縦に開いて大量の涎とともに人形の上半身と思わしきものを吐き出した。衣装や毛髪はほとんど溶けている。

「わあああぁぁぁ!」

 男は半狂乱になって吐き出された上半身を回収に走る。

「残念だが御愁傷様だ」

 斧銀が更に一枚メモ用紙を弾くとネコジャラシはあっという間に燃え出し、しばらくは沼地の泡沫のような悲鳴を上げていたが、炎天下のせいもあってか三十秒も経たずに動かなくなってしまった。

「あの、それ一応器物損壊で被害届申請できますんで」

 笹間は咽び泣く男の背中に小声でそう言うと、気まずそうにクラウンに乗り込んだ。現地の警察が到着したのを確認すると、後藤はエンジンをかけた。

「もうそろそろか?」

「ああ、あいつは出てきてすぐだったからな」

 後藤の問いに答えると、斧銀は再び後部座席に寝転がった。

「やっと帰れる!」

 笹間は大きく伸びをする。後藤は斧銀にマナの軌道を追うよう予め指示を出していた。多くの怪異は発生から到着までに時間がかかっていたため軌道が所々消えていたが、それらを何とか地図上に写し取って魔術の出所を探っていたのであった。

「まさかと言うか、やはりと言うか……こいつら全部一カ所から飛んできてるぞ」

「わかった。場所はどこだ」

「えーと、A公園だな」

「そんなところから」

 予想外の場所に笹間は目を白黒させる。A公園と言えば運動公園として人気で、平日週末問わず人通りの多い場所だ。そこからこんな大騒動を引き起こしているからには犯人は相当大胆な人物なのだろうか。

「今までのものが全て時限装置という可能性もあるな。現地にトラップがあるかもしれない。警戒を怠るなよ」

 そう言って後藤は強くアクセルを踏んだ。

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魔術師 オノガネタケヒト @nanome

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