第1話 颯爽と、魔術師 その1

「一課の吉山さん、所轄に異動になったってマジ?」

「なんか経験積むためだって本人言ってたけどねぇ。絶対こないだ捜車(捜査車両)の中で不倫してたせいだよ。バレてないって思ってるらしいけどもう大分前から課長にも筒抜けだからね」

 人事令が発表されればしばらくは社内がざわつく。警視庁も勿論例外ではない。発表当日は食堂においても話題がそれ一色に染まっていた。

「捜車っていったら吉乃さぁ」

「ん?」

 チキンカツを頬張りながら笹間吉乃ささま よしのは顔を上げた。向かいに座っている二人の友人がなぜか期待のまなざしを向けている。

「あんたが捜車ダメにした時の減棒、そろそろ終わったんじゃないの?」

「まぁ、一応今月で」

「じゃあ今夜は吉乃のオゴリね」

 それを聞いて笹間は大きくかぶりを振った。

「えっ! やだやだ、あのね、別に給料上がったわけじゃないんだよ」

「でもあんたが減棒の間はずっと私たちがサポートしてたじゃない」

「全部乾杯のビールだけでしょ」

「累計すれば一日分くらいにはなるわよ」

「いやあ……でも……」

 なかなか食い下がってくる友人たちに困惑していると助け舟がトレイを持って現れた。地域部所属の小島美色こじま みいろである。

「あんまりたかったらかわいそうでしょ。吉乃にだって色々苦労があるんだから」

 同期の中で一番の姉御肌である小島に言われてしまえば彼女たちも流石に引き上げざるをえない。話題がぼんやりと逸れていく間に小島は笹間の隣に座った。

「ありがとね。減棒とはいえまだ金欠が抜けなくて……」

「いいのいいの。で、相手は誰?」

「……は?」

 ベリーショートの黒髪美人が悪戯っぽく笑う。しまった。こいつ助け舟じゃなくて追撃部隊だ。笹間がそう気付いた時には再び獣のような視線が正面から突き刺さっていた。

「え、待って待ってあんたいつの間に」

「一般人? 同僚? もしかしてバンドマンとか?」

「そんな人いないから! 美色も適当なこと言わないで!」

「あはは。現職の刑事には流石にカマかかんないか」

 小島は笑って流そうとするが、今度は笹間に対する追求も止みそうにない。「じゃあなんで金欠なの」「確かに前より付き合い減ったかも」と政治家の謝罪会見のように質問が飛んでくる。

「わかった! 今から言うから」

 笹間は皿に残ったチキンカツと水を勢いよく口に入れて飲み込んだ。

「実は緊急異常事件対策係キンジョウの仕事中に……その、を拾いまして」

「動物?」

「うん。昔ほら、学校のクラスでハムスターとか飼ってたじゃない。あんな感じでね、係の皆でお金出し合って飼ってるというか養ってるというか……」

「はっきりしないわね」

「んーとですね、ちょっと倫理的な問題にも関わってくるというか」

「もしかして、一般人じゃ飼育できないようなやつ? 天然記念物のような」

 口ごもる笹間に小島がフォローを入れる。

「そうそうそう! とりあえずキンジョウで預かっててね。そいつ住んでるところもなくなっちゃって。元に戻れるまでは世話してあげるってことで」

 笹間が話し終わる頃には周囲の目は好奇心から同情へと変わっていた。

「何やってるかよくわかんない部署だけどいいとこあるのね」

「ちょっと見直した」

 友人たちは深く頷いている。小島に至っては「今夜は私がおごるよ」と肩を叩いてきた。

 嘘はついていないのだ。笹間は自分にそう言い聞かせる。嘘はついていない。ただちょっとその動物がであることを伏せてあるだけで。まさかこんな反響になるとは思っていなかったが。

 今夜の女子会場所を相談している友人たちを眺めながら、笹間は少しだけ残る罪悪感を付け合わせのキャベツと一緒に咀嚼した。


「金を出せ」

 斧銀武仁オノガネ タケヒトは緊急異常事件対策係室に入るなりそう言って左手を出した。

「今度は何だ」

 後藤円石ごとう えんじゃくは表情一つ変えずにパソコンで日報の作成を続けている。

「四十五型の4Kハイビジョンテレビというものがあってだな」

「却下」

「何だとこの野郎」

 後藤は大きくため息をつくと斧銀の方に向き直った。

「この間矢野さんに無理言ってVRだかなんだかを買ってもらったらしいじゃないか。確かに事故とはいえ笹間がお前の家を潰したのは悪いと思っているが、これは子どもの小遣いじゃないんだ。大体、最新家電は魔術捜査の研究に使えるからと言いながら全然経過を提出することもなくお前は毎日… …」

「ううっ! この間の隕石で受けた傷が!」

「何を言ってるんだ、お前はあの時俺たちと一緒に」

 後藤が言い終わらない内に斧銀は胸を押さえて係室を出て行ってしまった。何て雑な逃げ出し方だ。呆れながら後藤は再び日報の作成に取り掛かる。

 二ヶ月前に発生した『N町易学者殺害事件』以来、緊急異常事件対策係は閑古鳥の合唱団ができるくらいに暇を持て余していた。そしてその空虚な期間を、外部の協力者でありながらひょんなことから自宅を失った「魔術師」の世話に費やしているというのが係全体の現状だった。

 おかげでただでさえ少ない後藤の同僚たちは公務員でありながら気紛れで出退勤を行い、係長である矢野に至っては「まぁ暇なのは平和だって証拠だから」とほとんどの業務を在宅で済ませる始末だ。

 結局定時通りに仕事をするのは後藤と新人の笹間のみであり、訪問者といえば現在都内のアパートで生活しながらたまに金をせびりに来る「魔術師」斧銀くらいであった。

「あの……」

「金は出さないと言っただろう!」

 後藤は思わず声を荒げたが、ドアに目を向けるとそこには見知らぬ男性が口を開けたまま立ち尽くしている。

「……総務課の者ですけど」

「す、すみません。先ほどまで立て込んでいたもので」

 後藤は何回も頭を下げて男性を室内に招き入れた。

「何か不備でもあったんでしょうか。先週分の書類に漏れはなかったと思いますが」

「いえ、今日は捜査一課から事件の引き継ぎを」

「事件?」

「はい。先日発生したS町での銀行強盗なんですが、かなり不可解な点があるということでこちらに回すようにと」

「わかりました。話をお聞かせください」


 女子会の翌日、第四取調室に到着した笹間が見たのは普段の事件でもなかなか見ないような荒れた取り調べだった。揺れる蛍光灯の下、刑事と被疑者が必死で言い争っている。更に悪いのはそのどちらも彼女の知人であることだった。

「だあぁぁからなんで俺がやったことになってんだこのボケ!」

「もう諦めろ。隕石で家を失ったお前の面倒を見続けて二ヶ月、あまりの堕落した生活にいつかこんなことをするんじゃないかと思っていたがまさか銀行を襲うとは……」

 椅子の上に仁王立ちで喚く斧銀と頭を押さえて落胆している後藤。ライトは床に転がり、机も大分傾いている。どうやら少し前から一悶着あったようだ。

「あの、コントでもやってるんですか」

「いや、真っ当な取調べだ。急に呼び出して済まなかったな」

「何が真っ当だ! どう見ても不当逮捕じゃねえか!」

「こちらの資料に目を通しておいてくれ。銀行強盗だが、ほぼ魔術がらみで間違いない」

「話を聞け! っていうか俺にも見せろそれ!」

 暴れる斧銀の腕を後藤が捻り上げる。そこから離れながら笹間は急ぎで資料に目を通した。

「主犯は柴田隼人……で、被害は窓口の二百四十万。特に斧銀さんが関わってるようには見えないですけど」

「最後のページだ」

「最後……? うわ、ひどいなこれ。金庫の中ボロボロじゃないですか。こんな力技って」

「なんだオイ。なんだその目はお前。俺じゃないぞ! ふざけんあいだだだだ」

「陣でも残っていれば筆跡鑑定ができたんだがな。柴田の証言によればそんな感じの紙が現場で燃えていたそうだ」

 後藤は斧銀を完全に押さえつけながら涼しい顔で説明している。

「証拠隠滅まで。確かにこの人ならそこまでやりかねないけど」

「お前まで裏切るのか! ペーペーで下っ端の笹間のくせに」

「何だとこの野郎」

 笹間が鉄拳制裁に移ろうとした時、背後でノックの音がした。三人が一斉に振り向くとそこには二つの大柄な人影が立っていた。

「これは失礼。ドアが開いていたから入らせてもらったよ。しかし日本の警察は被疑者に人権を与えないって本当だったんだな」

「あまり余計なことを言うなシャルル。そういうことは我々の仕事じゃない」

 シャルルと呼ばれた男は「はいはい」と肩まで伸びたブロンドの髪を軽くかき上げ、懐から指揮棒のようなものを取り出すと軽く三拍子を振るった。すると瞬く間にライトや机は定位置に戻り後藤と斧銀はそれぞれの椅子の上、笹間は後藤の右後ろに移動させられた。ドラマでよく見るような取り調べの配置である。

「申し遅れたようだね。私は英国王室直属高等魔術師の称号を持つシャルル・ド……」

「長い。私はグエン・ラウ。私たちは『エウルクード魔術保険協会』から派遣された特務調査員だ」

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