第0話 その男、魔術師 後編
「あぁ、俺だ。どうした、何をそんな喚いて……わかったから落ち着いて話せ。……ふむ。……そうか、じゃあ霊安室にはガイシャの代わりに炎の化け物が居座ってたんだな。それで、警察官が一人……ああ、もちろん遺族には報告する。……二つ……霊安室にも陣が二つあったんだな?
そこから先は部下の涙声ではなく、無機質な切断音に変わっていた。余韻のように残された「通話終了」という文字列を見ながら後藤は首を傾げる。通話中に書いていたメモをしまうと、曲がっていたネクタイを直し再び作業に取り掛かった。
現場百遍という刑事の鉄則のような言葉があるが、異常事件においては通用しない場合が多い。幽世のものが現世に痕跡を残すことはそうそうなく、仮にそういった残滓が存在したとしても誰にも気付かれずに風化することの方がほとんどだからだ。今回は現場に魔法陣が残っているが、後藤自身が魔術の種類や方法にまだまだ無知である以上やはり専門家に渡すほかない。
しかしそれを踏まえてもなお、彼にはこの部屋を調べる必要があった。今回の異常事件において、本当に必要な手掛かりはここにあると確信があったからだ。
机の引き出しをガサゴソとやっている間に一枚の名刺大の紙が落ちた。汚れが付かないように丁寧に拾い上げる。ここから近いスーパーのポイントカードのようだ。裏には「シマダ ユメカズ」と名前が書かれている。これは
行方不明になった遺体──島田夢一は転生したと斧銀は言っていた。
転生とは魂を魔術によって幽世へと送り、マナで強制的に変異させ現世へと戻す魔術だ。術の方法や変異の結果は様々で、大体は人間を超えた能力が身につくらしい。受け売りによる知識なので後藤自身も詳細の理解はないが、今回の事件に関してはある程度は推測がつく。霊安室には化け物を召還する陣とは別にその場から『移動するための』魔法陣が残されていた。つまり転生によって肉体を離れた魂はそのまま任意の場所に移動することは出来ず、強制的に術者の肉体に戻されているという可能性が存在する。
そこからわざわざ魔法陣を組み別の場所へ移動しているということは、あの事件の正体は転生そのものではないのだ。まず目的があり、手段としての転生を行う必要があった。
所轄や捜一の捜査に決して穴があるわけではない。普通の事件の捜査なら彼らの仕事で十分だろうが、残念ながら今回の事件においてはある視点が抜け落ちている。死者が異形に転生し、何事かを成そうとしているという視点だ。その「何事か」には必ず島田の意思が介在している。斧銀ならば島田の魔術を追うことは容易だろう。だがやつの意思に追いつけるのは捜一でも魔術師でもない、『緊急異常事件対策係』だけだ。後藤は己の顔を叩き、気合いを入れ直した。
机には目ぼしい品が見当たらなかったため、クローゼットにあたりを付ける。扉を開くと据えた臭いとともに埃が舞った。長い間着ていないであろうスーツや、ぎゅうぎゅうに押し込まれた冬物の布団が目立つ。埃を手で払いながら色々と引っ張り出すが、十五分かけても証拠になりそうなものは見つからなかった。
時間がない、腕時計に目をやると遺体が消えてからもう五時間が経とうとしている。笹間たちにもう一度連絡を取るべきか逡巡していると、先ほどのスーツが目に入った。島田は易学者をやる前は起業していたこともある。そういった記載が捜査資料にあったことを思い出す。商売が軌道に乗ることもなく、多くのベンチャー企業と同じように時代の狭間に消えていった泡沫の夢。憐憫の情が湧かないわけでもなかったが、眺めているうちに後藤の頭にはある考えが浮かんだ。
携帯を取り出して、番号を入力する。転生により島田の身にどういう変異が起きているかはわからない。しかし根本がまだ人間であるのなら、この考えに賭ける価値は十分にある。
◇◇◇
捨てても捨ててもその本は翌日になれば机の上に戻ってきていた。職業とは裏腹にオカルトというものには懐疑的だった島田だが、ここまで露骨な現象が起きると流石に「そういうものなのだ」と思わざるを得なくなった。
「おはようございます。四月十七日、本日の天気ですが……」
軽快に予報を始めた画面越しのキャスターをBGMに、泡立つほど混ぜた納豆をかき込む。あの客は結局もう島田の前に現れることはなかった。ただあの時渡された本だけが今日も不気味に机の上に乗っている。新聞は取っていなかったので代わりのつもりで表紙を捲ったが、相変わらず読めない文字が奇妙な絵とともに書かれているだけだった。
「午後からの天気ですが、雲の動きがこのようになりまして、三時頃から夜に書けて雨が降る場合が……」
「雨か」
思わず呟いていた。客足が鈍るな、と直後に考える。経験則だが占いに来る客は往々にして雨を嫌う。雨は運気を下げるといった思い込みがあるらしく、自分の思い通りの答えが出ないと雨のせいにした上でこちらにまで八つ当たりをするものまでいる。朝食を終えて食器を雑に重ねる。テレビを消して支度を始めようとした時だった。
「本日の特集は『多様化するSNSの行方』です。まずはゲストの方のご紹介から……」
リモコンを持つ手が止まった。ゲストとして番組に出演していた顔ぶれの中に見知った顔があったからだ。かつて島田が興した会社で副社長として働いていた男だった。風の噂でまだ業界に残っているとは聞いていたが、こんな一方的な再会を果たすとは思わなかった。
「……そういうことですから、今後我々の方も更に視野を広げることで」
島田の耳に男の話している内容はほとんど届いていなかった。ただ、確固たる地位を得て今も画面の中で生き生きとしている彼の動き、口ぶり、態度が、消えてしまった情熱を島田の中に呼び起こした。
俺の夢はどこにいった。俺が本当に望んでいたのは今の生活なのか。去来する想いを自覚すればするほど、握った拳が熱を帯びた。未練の重さに堪えかねて俯いた時、島田の目の前で何かが光った。顔を上げると、あの本が、紫色の妖しい光を放っていた。虚ろな目で、引き寄せられるように手を伸ばして本を開く。そこにはもう彼の読めない文字はなかった。
『深淵の魔術』と書かれた表紙を閉じた時、島田の心はもう一度夢を追うことで固まっていた。しかし、その目が未だに虚ろのままであることには彼は最期まで気付けなかった。
◇◇◇
後藤から連絡が来たのは唐突に電話を切って三十分ほど経った頃だった。
「さっきはすいません! ちょっと気が動転してたもので」
笹間は助手席で携帯を片手に繰り返し謝罪する。
『今は電話大丈夫なのか?』
「あ、はい。署の方に運転お願いしてます。それでですね、あの、ウチの
『聞かなくても何となくわかる。……とりあえず今は事件だ。それが終わるまで免責にしといてやる』
「マジですか!? ありがとうございます!」
この通話しながらひっきりなしにオーバーリアクションを繰り返す女刑事に運転手が少したじろいでいると、後部座席から
「すいませんね、この人ちょっと仕事のストレスで心の方が」
と斧銀が余計なことを吹き込む。
パトカーはサイレンを鳴らしながら管轄を次々と跨いで移動している。気がつけば周りは高層ビルに囲まれていた。すると笹間も少し不安になったのか、
「本当に方向こっちで合ってるわけ?」
と小声で後部座席に訊いた。
「こういう場合の方向指定ってのはめんどくさいんだよ。マナにもマナの緯度経度ってもんがあってだな」
「大雑把な場所しかわからないのはもう聞いたわ。転生して強大な力を得た元人間が本当にこんなオフィス街に用があるのかってことよ」
『その方向ならやつの目標に成りうる場所はある』
後藤が携帯越しに口を挟む。
『島田が会社をやっていた頃の同僚だ。現在はH区にある××ビルの一角にオフィスを構えている。鑑識に問い合わせたら証拠品の中に当時の名刺が残っていたよ。移動先の方向が間違いなければほぼ確実にやつはビル付近に現れる』
「現れて何しようってんですか? 爆破?」
『わからん……だが、転生してしまった以上それもあり得るな。ともかくだ、俺も今からそっちに向かう。ビルに着いたら斧銀にマナの気配を探るよう言ってくれ』
そう言い残して電話は切れた。笹間は少し不安そうな顔で斧銀を見る。
「大丈夫だ。転生したやつが今どうなってるかは知らんが、仕掛けはきっちり済ませてるからな。お前らがよっぽどヘマしない限りはまず勝てる」
斧銀はもう仕事は終わったと言わんばかりに大きな欠伸をした。
「その仕掛けが心配なんでしょうが。上手くいっても下手すりゃ始末書もんよ。要は最悪」
パトカーのテールランプを見送ると、笹間はビルのエントランスへ向かった。しかし斧銀はひょいひょいと軽い足取りでビルの脇へと入っていく。
「ちょっと、そっちは入口じゃ……」
「看板にマナの軌道が残ってる」
それだけ言うと斧銀は早足で階段を下りて行ってしまった。笹間は地下を指している駐車場の看板を半信半疑でしばらく見つめていたが、やがて意を決したように後を追いかけた。
駐車場は初夏とは思えない熱気で包まれていた。今ここに温度計があれば水銀は四十度近くまで伸びるかもしれない。そう感じた笹間は柱の陰に隠れながら慎重に移動する。中央に向かえば向かうほど熱気は強さを増していた。
明らかに異常なのは熱気だけではなかった。ほんの一時間近く前に遭遇した
走り抜ける途中、それが五十メートルほど先に立っているのが笹間の目に映った。轟々と燃え盛る鬼のような異形が仁王立ちで熱気を放っている。
「ば、爆破なんてもんじゃないでしょあれは」
車の陰に滑り込み、落ち着くため自分に言い聞かせるが震えと動悸が止まらない。懐から銃を取り出し強く握る。火蛇竜の時にはどこか鈍かった「死の気配」が今は熱気を通してビリビリと伝わってくる。
十分……十五分……息を深く吸い込み銃を構えて飛び出そうとした時、誰かが笹間の肩を叩いた。
「後藤さん!」
後藤はトーンダウンするようにと指で合図する。表情こそは変えないものの、流石に暑いらしく上着はどこかにやったようだ。
「どうしてここが?」
「結界で上手く隠したつもりだろうがな、マナの軌道が僅かに残っていた」
そういえばそういうものが見える人だった。
「あれが島田か?」
確認するように後藤が顎で中央を指す。
「おそらく。まだこの場にいるかわからないですけど」
そう言って笹間は時計に目をやったが、意外にもまだ彼女が駐車場に侵入して三分程度しか経っていなかった。
「まだ向こうにいるな。接触はしたのか」
「するわけないじゃないですか!」
「懸命な判断だ」
そう言うと後藤は銃を構えて素早く中央の通路に飛び出す。呆気に取られた笹間が少し遅れて続こうとした瞬間、駐車場内に二発の銃声が響いた。交戦が始まったのだ。もう後には退けない。そう思った笹間も車の陰から出ようとすると、駆け足で後藤が戻ってきた。
「倒したんですか?」
「そんなわけないだろ。通常弾じゃダメだな、死角から撃ったが着弾前に弾が焼かれる」
「通常弾……?」
「とりあえずここから離れるぞ、隠れるとこを見られた」
「はぁ!?」
促されるまま走り出すと、すぐに車が爆発した。更に休む間もなく笹間の後方で次々と爆発音が響く。走りながら横目でうかがうと、そこには無差別に飛んでくる火球が映っていた。
「いいい!?」
火球の群れを辛うじてくぐり抜け、大型車の下に潜り込む。ボロボロになっていたスーツが更にダメージを受けたがそんなことを気にしている余裕はない。後藤とは完全にはぐれてしまったが、無事だろうかなどと考えていると再び銃声が聞こえてきた。思ったより元気なようだ。
〈効かないな〉
突然の声、それもスピーカーで流したような大音量に笹間は思わず耳を塞ぐ。
〈今度は魔術弾ってやつか。警察程度が火蛇竜を倒せたのは不思議だったがそんなものがあったとはな〉
音量は耳を塞ぐ前と変わっていない。信じ難いことだがどうやら脳に直接音声を送っているようだ。魔術弾って何。警察だけじゃ無理に決まってるでしょあんなの、とつい口走ってしまい慌てて口も塞ぐ。
〈生身の人間が陣の痕跡からここまで辿り着いたことは褒めてやる。しかし残念だがこの体はマナ製だ。銃弾にちょっと細工したところで俺は傷一つ負わない〉
笹間は爆発音がいつの間にか止んでいることに気がついた。音を立てないように車の下から這い出ると、再び隠れながら島田がいる場所へと進む。後藤が来てくれたからか、それとも島田にまだ理性が残っていたせいかわからないが先ほどよりも恐怖心は薄れている。
〈ここまで相手しといてあれだが、あんたらもう帰ってくれないか。今俺は夢のことだけ考えていたいんだ〉
「そんな体になってまで追いかける夢があるのか」
後藤の声が右から聞こえた。島田の視線もそちらの方を向いている。笹間は気付かれぬようその視線の反対側、島田の背後へ回り込むように歩を進めた。
〈こんな体だからこそだろう? もう俺は人間を超えたんだ。金も、名誉も、全てが手に入る。ガキの頃から描いた夢が全て叶うんだ!〉
「火達磨の化け物に叶えられる夢があるのか!」
再び銃声。笹間は柱の陰で息を殺す。声はずっと脳内に送られてきているが、彼女の動きを気に留める様子はない。火蛇竜についての勘違いや先ほどまでの動きを見るにどうやら島田の感知能力は普通の人間と同程度のようだ。五感以外の知覚はないと考えるべきか。
しかし、どうやって近づく。銃が効かないだけでなく恐らく物理的な干渉は一切受けないのだろう。拙い思考を巡らせていると、爆発音が続けざまに起きた。
〈てめぇらはわかんねぇよなぁ! 警官なんざなりたいやつがなるもんだ。これまで何の夢も叶わなかった俺の気持ちが夢叶ってお仕事してるてめぇらなんざにわかってたまるかぁ!!〉
「わかんねぇよそんなの!」
売り言葉に買い言葉だったが言い終わらぬうちに笹間は後悔した。島田の視線はもうこちらに向けてロックされている。生き残る道は二つ。逃げるか、続けるかだ。
「あんたの夢が何なのかは知らないけどね、今の自分を鏡で見たことあんの? そんな体で真っ当な夢なんて叶うはずないだろ!」
笹間は話し続けることを選んだ。説得できることを期待したわけではない。少しでも時間を稼ぐことで次の選択肢を後藤に任せたのだ。
「あんたがそこに突っ立ってるだけでこっちは死ぬほど暑いんだよ! 人間関係舐めんな! 握手するだけで燃やされそうなやつに皆優しくできるわけないだろ!」
口調とは裏腹に「こっちの言い分も出鱈目だな」と冷静に考える。後藤はまだ動かない……或いは既に動けないのか。冷や汗が頬を伝った。
〈……それもそうだな〉
声が響くと同時に周囲の温度が下がり始めたように感じた。慌てて柱の陰から顔を覗かせると、辺りを覆うような熱気は静かに霧散し、化け物はみるみるうちに人の形へと変貌していく。おそらく生前の時と思われる姿に戻ると島田はコキンと首の骨を鳴らした。
「見たか! この体に不可能はないんだよ! 表でも裏でもやっていける。計画は変更だな。最初はあいつの会社をビルごと全部燃やしてやろうかと思ったが、一旦銀行でも襲って金を手に入れたら改めて買収を……」
独り言はそこで途切れた。後藤が再三の発砲、だが放った弾は島田の体を霧のように抜けていく。彼もまた爆発に紛れて相手の隙を伺っていた。
「おいおい、だから俺の体にそういうことしても」
島田がまた後藤の方に向き直ったその瞬間だった。全力で走り込んできた笹間が、がら空きの背中にメモ用紙を投げつける。紙にはボールペンで書かれた魔法陣、そして不恰好な三角形が燃えカスで書き足されていた。
島田は振り向きざまに笹間を裏拳で殴り飛ばす。眼鏡は割れ、体はコンクリートの上を二、三度転がっていったが、彼女は中指を突き立てたままニヤリと笑った。
「があぁぁ!!」
瞬間、鋭い音とともに衝撃が島田の体を貫く。マナ製の体も直接魔術を行使されればダメージになるようだ。
しかし誤算もあった。与えたダメージは決して大きいものではなかったことだ。
〈畜生……! ぶち殺してやる〉
島田の体は再び炎に包まれ、それに呼応するように周囲の空気も熱を帯びていく。笹間も逃げようとしたが、足がふらついて思うように動かせない。しばらく遠ざかっていた死の気配が一気に彼女を飲み込もうとする。
膨れ上がった炎の化け物をそれ以上に大きいエンジン音が思い切り吹き飛ばした。一瞬目の前で何が起こったか笹間には理解出来なかったが、数秒経って一番近い現象を記憶から導き出した。交通事故だ。
島田は事故実験で使われるダミー人形のように地面へと落下した。先ほどとは比べ物にならない衝撃が彼の全身を襲う。
〈あが……あ……〉
見慣れないオーラに包まれている見慣れたスカイラインから降りてきたのはようやく見慣れ始めた魔術師、オノガネタケヒトであった。
◇◇◇
「いやー間に合って良かった良かった。思ったより転生に時間かかってな。マナ製の車はやっぱり走りが違うね」
「転生? まさか俺たちの車をか!?」
叫んだのは後藤である。この戦いでもギリギリまで冷静だった男が今日初めて目を白黒させている。
「だからごめんなさいって言ったじゃないですか!」
まだふらつきは残るものの、砂埃を払いながら笹間が立ち上がる。転生を経てほとんどの物理攻撃を無効にする肉体に対抗できる武器を、予め別の転生にて作っておく。それが斧銀の用意した仕掛けだった。
「ってか笹間お前、時間だけ稼いどけばいいって言ったじゃねーか! てっきり距離とってパンパンやってるだけかと思ったらあんなことしやがって。スリル中毒かお前は」
罵倒もそこそこにして、斧銀は散歩でも行くように未だ燃え残る島田の元へと歩いていく。島田は渇いた野良犬のような呼吸で、近づいてきた魔術師を見上げた。
「現世においてマナ同士がぶつかった場合、大体の法則は物質と変わらなくなるっての、習わなかったか?」
「はあ……?」
斧銀は相手の反応を見ると、少しがっかりそうに肩を竦めた。
「じゃあ、転生陣に移動陣を重ねることで好きな場所に移動することも……知らねーんだろうな。あんな手間かかることしてんだもんな」
斧銀は勝手に結論付けると、メモ用紙を取り出してサラサラと陣を書き始めた。しばらく狐につままれたような顔をしていた島田の表情に、初めて焦りが見えた。
「そうか……こいつが試験だったのか……」
「ん? 何か言ったか?」
陣を書き終えた斧銀は島田の口をこじ開けて中にメモ用紙を押し込む。次の瞬間、島田は白目を剥いて痙攣を起こし、やがて尋常ではない様子で苦しみだした。
「何したのよ一体!?」
慌てて笹間が二人の元へ駆け寄る。
「自家製コーラを飲ましただけだよ」
「でもこれ、どう見ても毒飲まされたようにしか……」
「いや……」
と後藤が物陰から姿を見せた。笹間と同じように服はボロボロだが大きな怪我は負っていないようだった。
「コーラも元を辿れば薬草を調合したものだ。アメリカ大陸では霊薬として扱われた歴史もある。炭酸水も魔除けとして使われていた。なるほど、確かに幽世の者やマナの体に対しては毒にもなりうるな」
のたうちまわる島田の体からは白い煙が吹き出している。マナが崩壊を始めたんだ、と後藤が静かに呟いた。
「これ、逮捕とかは……」
無駄だと思いつつも笹間が尋ねる。
「俺たちの仕事は『異常事件を解明し、出来る限り元に近い状態に戻すこと』だ。彼が生者のままなら逮捕もあっただろうが……」
湿った沈黙が広がる。もう身を焼くような熱気はどこにもない。ただ在るのは夢と魔術に取り憑かれた哀しい男の末路である。
「それじゃあ、俺ぁ帰るぞ」
島田の崩壊を見届けると、斧銀はスカイラインに乗り込んだ。登場した時に纏っていたオーラは消えている。こちらも任意で現世に溶け込むことができるらしい。
「待て」
後藤が振り返らずに呼び止めた。
「車をマナ製に転生させたことはもういい。だが、どうしてお前はその車に乗れるんだ? まさかお前……」
「企業秘密」
斧銀はそう言い残してエンジン音とともに去っていった。残された二人も、どちらからともなく出口に向かって歩き出す。
「……これが、緊急異常事件対策係だ。やっていけそうか?」
ビルを出たところで後藤が訊いた。
確かに笹間にとって今日の出来事はとんでもなく不快で不可解な経験であったことは間違いない。だが不思議と仕事を投げ出す気は起きなかった。それは本当に彼女がスリル中毒の素質を持ち合わせていたせいか、それとも彼女自身も知らぬ運命の歯車がそうさせたのか。
「今日ぐらいのやつでも労災とか危険手当出るなら……」
曖昧な返事とともに笹間は曲がっていた
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