第16話 発熱-1

ぼやっとした意識の中で低くて心地よい声が俺の名前を呼んでる気がした。


「須永」


そう、その人は俺の名前を呼んで、そして…

あれ、どんどん顔が近づいてくる。そうして先輩の綺麗な唇が俺の…



「…っは!!」




なんて、夢を見たんだ、俺は。

そんなバカみたいな夢で目が覚めた。昨日はあれから自室に帰ってベッドに横になるなりすぐに寝入ってしまったらしい。

起き上がろうとすると、体の怠さに驚くとともに、ぶるりと身が震えた。


「…まさか」


引き出しにある体温計で熱を測ると、驚いた。38.5度だった。

そりゃあ寒気も怠さも出るわ。俺は怠い身体を起こしてリビングに向かった。



「おはよ、恭弥。…なんか元気ない?」

「おはよ、陵介兄ちゃん」



この家の家主である陵介兄ちゃんはパリッとしたダークスーツに身を包み、まさに出勤準備をしていた。

おいしそうな朝食がすでに並んでいるが、まだパジャマ姿の俺に訝しげな視線を送っている。

そうだよなあ、いつもなら兄ちゃんと一緒に朝ごはんを作るし家を出るために制服は来ているだろうし、兄ちゃんに笑顔満面で挨拶する俺だから。


「うー、ちょっと熱あるみたい」

「なんだって?!熱は何度だ?インフルエンザじゃないのか!?今から医者に行くか?」

「いや、そんな大事じゃないって。まあ、38度くらいだから」

「はあ?!兄ちゃん会社なんかいってられねえな」


出た、いつもの過保護っぷりが。親友の太一にも散々言われているが、俺はブラコンだ。

だがそれ以上に陵介兄ちゃんの方が大概ブラコンだと思う。まあ、愛されてるのは嬉しいんだけど。


俺の体調が悪いことを知るや否や会社に休むと連絡を入れようとしている兄ちゃんを慌てて止める。


「いやいやいや!会社には行ってね?俺もう高校生だから一人で寝てたら治るって」

「そんな潤んだ目で…しんどいんだろ?お兄ちゃんがいてやるからな」

「大丈夫だって!そんな理由で休んだらだめだって、もう」

「…でもな」

「寝てたら治るから、早く会社に行ってきてね?俺、帰り待ってるよ」

「…わかった…恭弥も大きくなったな、こんなに立派に…」


ようやく会社に行くことにはなったらしい。さっきの会話にどこに感動する点があったのかはいささか疑問であるが、どうにか高校生の弟が発熱したから休むというとんでもない事態だけは避けられたらしい。我がままな弟がいるから優秀な兄の評価が下がるのだけは絶対に嫌だ。


「何かあったら俺の携帯にすぐ連絡するんだぞ。また仕事の合間にメールするからな。あと知らない人が来ても絶対に扉を開けるなよ、あと、」

「あーーー!もう!恥ずかしいから!早くいってらっしゃい」

「…ごめん、心配で。いってきます」


ったく…俺のことを5歳児とかだと思ってるのだろうか。家を出る前にも俺に口酸っぱく言葉を投げながら兄は出勤していった。


その心配性の兄がせっかく作ってくれた朝食だったが、今は、食欲がないな。静かになったリビングにある食事をラップにかけて冷蔵庫にしまう。食べれるようになったら、後で食べよう。

とにかく今は家にある市販の風邪薬を飲んで寝ることが一番だろう。

俺は学校に休むという連絡を入れた後、すぐに自室のベッドに潜りこんだ。

風邪という正当な理由があるのだが、平日の、みんなが登校して席に着いているであろうこの時間に、自分はまだ寝間着でベッドに寝ているという非日常が楽しいなと思いつつ、体の怠さと火照りに眠気は勝てなかった。






俺が意識を呼び戻されたのは、玄関のチャイムの音だった。何度となく鳴るその音は、「お前がいるのは分かってんだよ、早く出ろ」と言いたげで、俺を玄関まで向かわせたのだった。

時間をみると夕方の4時過ぎ。兄は当然鍵を持っているし、そもそもこんな明るい時間に退勤はしてこない。最も、弟が重病で!とかなんとか言って早退してくるならまだしも…

例によって俺の携帯を見ると何件もメールが来ていた。心配してくれるのは嬉しいけど、俺病人だし寝てるから。返信は後でいいかな。


だとしたら太一だろうか。はいはい、今出ますよ。

玄関のチャイムで返答すると…びっくりした、その画面に映し出されたのは。


「た、崇先輩…!?」



そう、あの強面な先輩だったのだ。

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