世界に投じられた一石
二度目だからと、もう慣れてしまったのだろうか。我ながら、呆れてしまう。竜の森で育ったことで、こういうことに耐性がついてしまったというのもあるかもしれない。
『どうしても、言っておきたいことがある。わたしの領域に来てもらったよ。とはいえ、それほど長話もできないがね』
「わたしも、あなたに言いたいことがあったの」
クククッと、ユリウスの笑い声が響く。
『ずいぶん、怖い顔をしている。まさか、なにか怒っているのか?』
「怒ってなんか……、いいえ、怒っているわ。あなたが、ライオスさまにした仕打ちに、怒らないわけがないじゃない」
ライオスがどれほどユリウスを慕っていたのか、知っている。
だから、フツフツと胸の奥を熱くさせている怒りを否定するわけにはいかない。
『そんなことで、怒っているのか?』
「そんなことじゃない! ライオスさまは本当にあなたのことを……」
『ああ、慕ってくれていたな。なかなか、可愛がりがいのある水竜だったよ』
意外なことに、ユリウスの口調がやわらいだ。声だけだけど――いや、声だけだからだろうか、嘘ではないとわかってしまう。
『わたしは、あの子の名付け親で、二つ名も与えた。そのせいで、思い上がり生意気な頃もあったが、よい長になったよ。……だから、むしろ感謝してほしいくらいだ。あの夜、遺言を誰かに伝えるまで死ぬなと約束しなければ、あの子は都にとどまって死を選んでいただろうからな』
ユリウスという存在が、わからない。
同族の命を奪うようなことをしておきながら、ライオスを我が子のように慈しむ。
わからない。
『ライオスが千年も沈黙を守ることくらい、考えておくべきだっただろうな。わたしに時間さえあればと、今さら言ったところでどうしようもないことだ』
「つまり、ユリウスはライオスさまが、もっと早く誰かにあなたの遺言を伝えるのもだと思ってたの?」
『小娘、そう聞こえなかったのか? 死なないだけで、体は老いる。体力も限界を通りこえていただろうよ。わたしは、そのようなことは望んではいなかった』
「むぅ」
物憂げに語るユリウスを追求する言葉が見つからない。
『さて、小娘の答えを聞かせてくれ。昨夜のあの市長の提案をどう思う?』
「わたしは……」
ふと、明確にどうしたか考えていなかったことに気がつく。なんとなく、市長の考えが面白いとは思ったけど、それだけで回答していいのだろうか。
「仲間たちと別れるくらいなら、やってみてもいいと思う」
『仲間たちと別れたくない、か。……いいだろう。理由はどうであれ、その選択は正しい』
「むっ」
『聞け、小娘』
馬鹿にされた気がしたけども、ユリウスの声音は厳かなものへと変わった。
『このままでは遠からぬ未来、世界は終わりを告げる』
「世界が終わる?」
そういえば、前にもそんなことを言っていたような気がする。
『始まりの竜王と始まりの女王が、並び立っていたその時代から、常に世界の終焉はすぐそこにあった』
「まって! わたしは、花婿を探しているだけなの。世界が終わるとか言われても……」
『……やれやれ。わたしだって、小娘に言いたいことではないのだよ』
ユリウスは深い深いため息をついて、声をやわらげた。
『我が一族は、常に世界の終焉を防いできた。我が一族が犯した罪を
「わたしの選択が、世界を、揺り、動かす?」
『揺り動かされた世界で、竜族と人間は、選択をせまられる。小娘、お前は正しい選択へと導かなくてはならない』
「正しい選択って、なんなの?」
『答えを教えることは簡単だ。だが、それでは導くだけの力を手に入れることはできない。お前自身が見つけなくては、意味がない』
時間がないとユリウスは、口調を早める。
『まずは、あの市長の提案を成功させろ。いつか答えを見つけ、世界を導くその先で――あるいは、その途中で、お前は花婿と出会うことになるだろう。いいか? 必ず成功させるのだ』
――チリンチリン
少なくとも、向かいに座っていたお姉ちゃんには、ぼんやりと外を眺めていただけに見えただろう。
「で、フィオはなんて答えるつもり?」
「む? う、うん。わ、わたしは、市長の提案に賛成だよ。せっかくの仲間たちとも、別れたくないし」
「さっすが、フィオ! そう言ってくれると思った」
お姉ちゃんには、本当にかなわない。まぶしい明るい笑顔が、大好きだ。
「あ、もうそろそろ、着くみたいね」
ユリウスに遺言の残りを聞きそびれたことに気がついたのは、馬車から降りたあとだった。
少し考えればわかることだったのだけど、人の出入りが激しい市庁舎ではなく、市長の公邸に連れてこられた。
お姉ちゃんはよく出入りしているからと、部屋数の多い公邸を迷うことなく案内してくれた。
やはり、お姉ちゃんは市長の秘書なのだろうか。
「お姉ちゃん、市長の秘書やってるって聞いたけど……」
「そうなの。信じられないでしょ? でも、そういうことだから」
明らかに、お姉ちゃんは何かをごまかした。そっぽ向いた顔も、赤い気がする。もしかして、という期待感にのせられて追求する前に、話し合いが行われていた部屋についてしまった。
「フィオを連れてきたわよぉ」
「……お姉ちゃん、恥ずかしいんだけど」
案内されたのは、広い応接室だろうか。
わたしと旅の仲間と、お姉ちゃんと市長の九人が入っても、まだ余裕のある広さだった。
壁一面に作り上げた水鏡の向こうには、四竜族の長たち。数日前から、地竜族の長の館、
人間の姿をしていてくれたことに、いくらか気が楽になった。火竜の長、灰色仮面のクレメントはともかく、やはり人間の姿のほうが表情がわかりやすいから。
わたしの登場に、しばらくの間かなり賑やかになった。
水竜族の新しい長となった氷刃のディランなど、おいおいと泣き出す始末。水竜族の先が思いやられる。
「なにがともあれ、よくぞご無事で……」
言うべきことはあったはずなのに、言いそびれてしまった。もしかしたら、ライオスのことで気遣ってくれたのかもしれない。わたしが、負い目を感じないようにと。
そうでなかったら、一枚岩のヘイデンが本題を切り出した途端に、ライオスによく似た穏やかな表情を浮かべるなんて、不自然すぎる。
「姫さまは、市長の提案に賛成ということで、よろしいですね?」
「はい。ヘイデンさま」
ヘイデンは、笑みを深めて首を縦に振った。それでいいと、言われた気がして、少しだけ嬉しかった。
空中に浮かんだ風竜の小ロイドが、ずいと水鏡によってくる。子どもの姿をした彼は、見下ろされることをとても嫌う。
「そういうことじゃ。ライラ姫、これで決まりでよいだろう?」
そういえば、ライラは昨夜も反対だと言っていた。
旅装束から、お嬢様のような身なりになった彼女は不服そうではあったものの、黙って首を縦に振った。
なぜ反対したのか、理由を聞いてから答えを出してもよかったかもしれない。――ユリウスから、世界の終焉のことを聞かされていなければ、きっとそう考えただろう。
「では、今日にでも船頭のダグラスを、そちらに向かわせるとしよう」
気のせいだろうか。
そう言ったディランは、アーウィンと視線を合わせることを避けているように見える。水鏡の端に立つアーウィンも、父親の名前を聞いて、体がこわばったような――。
ヘイデンのわざとらしすぎる咳払いに、まとまらない思考は中断させられた。
「さて、これで後戻りはできませんよ。ワイズマン市長」
「え、ええ」
腹黒いと噂されるヘイデンの笑顔が、怖く見えたのだろう。市長のカルヴィンが、ずれてもいないのに
「必ず、数ヶ月のうちに都市連盟に加盟する他の都市国家にも、この試みを広めてみせます」
「む?」
どうやら、昨夜にはなかった話がさらになされていたようだ。
「実は……」
お姉ちゃんが、小声でヘイデンが出した条件を教えてくれた。
そもそも、四竜族で一番街に貢献した竜族と新たに契約するというのが市長の提案だった。それが、四竜族の代表者を送りこんで、都市の役に立ててもらおうという試験的な試みに変わっていたのだという。さらに、リュックベン市以外の都市にも必ず広めるようにと言われていたらしい。
「お姉ちゃん、なんでもっと早く教えてくれなかったの?」
「ごめん。だって、フィオ、ぼーっとしてたんだもん」
それはそうだけれど、あんまりというものだ。
市長の思いつきのような提案が、ずいぶんと大きな話になってしまった。
竜族が街に貢献するなんて、そもそも前代未聞だ。真理派の竜族への不満を抑えられるかもしれないとはいえ、とんでもない決断をしてしまったような気がしてきた。
必ず成功させろとユリウスは言ったけども、わたしは何をすればいいのだろうか。
わたしの不安を、少しでも読み取ってくれたのか、クレメントが仮面越しのこもった声を投げかけてくれた。聞く人が聞けば、優しい声音で。
「そこまで、姫さまが案ずることもないだろうよ。我らにとっても、例のない試みだ。うまくいかなかったところで、仕方がなかったというよりほかないだろう」
「クレメントさま、わたしは……」
力なくうつむいてしまったわたしに、そんなことよりと小ロイドが鼻を鳴らした。
「そんなことよりもじゃ。氷刃のディラン、言うべきことがあるのではないのか?」
ああ、ディランが目を伏せる。半年の間に、本当にライオスによく似てしまった。
「最後の竜王ユリウスさまの遺言の一部分を、教えなくてはな」
この場にはカルヴィンもいたけども、長たちにとってすでに部外者ではなくなっていたのだろう。
ディランは伏せていた目を開けると、居住まいを正したわたしたちを見渡して、口を開いた。
「姫さまの夫となる世界竜族の生き残りは、ユリウスさまのご子息だったと、そう告げられた」
言葉にならないほどの衝撃が、わたしを襲った。
なんということだろう。
こんなことがあっていいのだろうか。
ユリウスには、息子はいなかったはずではないのか。
なにより、あのユリウスの息子だという事実が、めまいを覚えるほど衝撃的すぎた。
――
夕刻。
玲瓏の岩窟の西日が差す部屋で、ヘイデンは一人きりで遊技盤を眺めていた。駒の配置は、まるででたらめ。ルールも知らぬ子どもが、遊んだだけのようにもみえる。
「なかなか、面白いことになってきたじゃないか」
片手でもてあそんでいた隠者の駒を遊技盤に転がして、彼は窓辺に立つ。
目の前まで迫る森が、夕日に染められている。はるか遠くには、世界の中心の塔があるはずだ。
できることなら、ヘイデン自ら黒い都を探索したかった。
ただの羨望に、価値などないことくらいわかっている。わかってはいても、胸を焦がす熱量をどうすることもできなかったらしい。
「あーいたいた。まったく、探しちゃったじゃない」
妻の甲高い声に、ヘイデンは口元をほころばせて振り向いた。
子どもっぽく頬をふくらませるユリアは、わかりやすく怒っていた。
「悔しいったらないわ。わたくしも、姫さまの元気な顔だけでも堪能したかったのに」
「しかたないだろう」
フンと鼻を鳴らしたユリアは、玲瓏の岩窟にいなかったのだから。妻が息子の名前を口にしないのは、信じているからだと、ヘイデンは知っている。
「それで、もう手は打っているのでしょう?」
「もちろんだとも。手は常に打ってある」
楽しそうにヘイデンは、ユリアを抱き寄せる。
この時、ユリアは知っていたのだろうか。夫が思い描いている未来を。
彼女も同じように見ていたのだろうか。
世界に投じられた一石の価値を誰よりも理解していたのは、一枚岩のヘイデンで間違いなかった。
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