第2話 境界
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全ての物事を論理的に考えようとしなくたっていいじゃないか。
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「見えてきたよ」
暗闇を引き裂いてバスが行き着いたのは、冷たくその身を横たえる一棟の白い建物だった。
バスのライトで浮かび上がったそれはひどく無機質で、突然の来訪者を拒んでさえいるみたいに感じられる。
「……」
バスはボク達が濡れないように建物から張り出している屋根の下に停車した。その天井に埋め込まれているライトが舞台照明さながらにバスを照らす。周辺にも外灯が複数設けられていたので、視界はこの悪天候の割には良好な方だった。
「到着だよ。順番に降りてね。電池もなくなったから、ここで充電していこう」
「あ……空っぽになっちゃったんですか、電池」
「ちょうどいいタイミングだったね! でもわたし、ずっとバスに乗ってたから体がカチコチになっちゃった!」
サーバルちゃんは背伸びをしながらバスを降り、ボクもその後に続く。ラッキーさんから電池を受け取り、カバンの中へ。そして手近にあった柱に近づき、しげしげと観察した。
「……結構きれいだな」
さっき通ってきた巨大な壁は劣化が目立っていたけど、反面、目の前にある建物はざっと見る限りそれほど傷んでいない。まるで誰かが今もここを使っているかのような。
「……」
フレンズさんだろうか。
例えばジャパリカフェのように、誰かフレンズさんがこの建物で生活しているのだろうか。
でも、フレンズさんが寝床にしているだけだというのなら、どうしてボクの胸はこんなにもざわついているんだ。
「……」
ボクは悪い予感を拭えない。
直感がキリキリと警告してくるのがわかる。
こっちには来ない方がいい。
お前が踏み越えた境界線が見えなかったのか。
ここから先は
全ての意味が入れ替わり、彼方の意図が支配する。
このまま進めばお前の秒針は穿たれ、囚われた箱庭で楽園の終焉を迎えることになる。
引き返すなら今のうちだと、そう告げているのだ、ボクの第六感が。
「足元に注意してね。それじゃあ僕についてきて」
「うん!」
「……あ」
ラッキーさんとサーバルちゃんが先へ進んでいく。
境界のさらに向こう側へ。
引き止めなければ。
そうしないと、かけがえのないものが壊れて消えてしまう。
もう二度と戻らなくなる。
「……っ」
でも、ボクの口は話し方を忘れてしまったかの如く、何の言葉も発することはなかった。
息が詰まる。
喉が締め付けられて、上手く呼吸できない。
どうしてボクはただ黙って、サーバルちゃん達の後ろ姿を見つめているのだろう。
今ならまだ間に合うのに。
今なら。
「……」
そこでボクは大きく息を吐いた。緊張していた筋肉が幾分か弛緩し、新しい空気を肺が貪欲に取り入れようとする。
「……違う」
ボクの第六感も随分とズレた警告をしてくれる。
今ならじゃない。
何がまだ間に合うというのだろう。
物語は。
全ては。
既に、引き返せないところまで進んでいるのだ。
それはいつの間にか体の自由を奪うクモの糸のように、ボクの内側から絡みついて行動を制限する。
気づいた時にはもう遅い。
見据えた先にも届かない。
加えて、バスの電池は底をついている。
これではそもそもどこに引き返すこともできない。まさかこの雨の中を歩いて、なんてわけにもいかないだろう。
「……参ったな、どうも」
ボクはわざと軽い調子で呟き、慣れない動作で肩をすくめる。
そうしないと押し潰されそうだったから。
目に見えない恐怖に。
でもボクの言葉は、寒々とした暗闇に吸い込まれていっただけだった。
後に何も残すことをしないで。
「……」
その空気に耐えかねて、ボクは逃げるようにサーバルちゃん達を足早に追いかけた。
「……どこにも逃げ場なんてないのにね」
「みゃ?」
サーバルちゃんの背中に向かってそんな独り言をのたまってみると、彼女は不思議そうに振り返った。ボクは首を振りながら取り繕って応じる。
「何でもない、ただの独白だよ。ただの空白で、ただの束縛。気にしないで」
「なーに、かばんちゃん、声が小さくて聞こえないよ!」
ボクの声は依然として降り続いている大雨にかき消されてしまっていた。
リンクが欲しい。
繋がりを。
繋がりを持たなければ。
そうしなければ、ボクは拠り所をなくして漂流してしまう。
「ううん、ちょっと起こり得る可能性と起こり得ない仮想性と起こらざるを得ない過小性について考えてただけだから! 大丈夫だよ!」
ボクは雨音に負けないよう声を張り上げてサーバルちゃんに答えることで、思考の世界から現実に意識をフォーカスする。あたかも失いつつある輝きに手を伸ばす盲目の旅人みたいに。
「? んー、よくわかんないけど、わかったよ!」
彼女はあるがまま見たまま感じたままに受け取る。
ボクはあくまでも心配事なんて何もない風を装う。
そう、これでいい。
サーバルちゃんは何の心配もしなくていいんだ。
キミはただ笑っていてくれるだけでいい。
ボクの隣で。
みんなの世界で。
「入り口はあそこだね」
先頭を歩くラッキーさんがボク達に呼びかけた。
行く先を見やると、まるで氷を思わせる透き通ったガラスの扉が黙したまま佇んでいた。その奥から薄ぼんやりと屋内の明かりが外に漏れているけど、中の様子ははっきりとわからない。扉の形状と、目立つ取っ手がついてないことから、ボクはそれが自動ドアだと判断する。
しかし。
「……」
今更だけど、電源は生きているんだな。
その事実が示すものは。
「わーい! わたしいっちばーん!」
と、今まで溜め込んでいた力を解放させるかのように、何の前触れもなく唐突にサーバルちゃんが走り出した。ビュッと風を切る音が聞こえてきそうな見事なスタートダッシュだ。実際には雨音の方が大きくてそんなものは聞こえなかったけど。
「……」
それにしても全力疾走しているところを見ると、サーバルちゃんにはドアのガラスが認識できていないのだろうか。確かに透明度が高いし、見る角度によっては入り口にドアも何もないと錯覚してしまうかもしれない。それにこんな天気だ、いつもなら見えるものも見えにくくなっている。しかもサーバルちゃんはさっきバスの中で目の調子が優れないと言っていたっけ。だったらなおさら、
「みゃぐぅ!?」
そんな分析をしていると、ゴッという鈍い音とサーバルちゃんの叫び声が同時にボクの耳に届いた。視界にはガラスに弾き飛ばされて地面を転げ回っている彼女の姿が映し出される。
「サ、サーバルちゃん、大丈夫……!?」
「えぅぅ……見えない壁があるよぉ……!」
分析より先にサーバルちゃんに注意を促すべきだったかもしれない。
ボクは彼女のところに駆け寄り、今更言っても仕方ないことを伝える。
「サーバルちゃん、そこ自動ドアがあるから気をつけてね!」
「じどーどあ……!?」
サーバルちゃんは言葉の意味がわからないらしく、ぶつけた額を押さえながら涙目でボクの方を上目遣いで見つめてくる。かわいい。
「ええと、つまりこうやって……!」
ボクはサーバルちゃんの脇を通り、ドアの前に立つ。すると、ガラス製のドアはボクを避けるように左右へと開いた。
「ほら、こんな風にドアの前に立つと入り口が開くんだ!」
「わー、なにこれなにこれ!?」
ボクが説明すると、今さっきまでベソをかいていたサーバルちゃんは一転して耳をピンと立て、好奇心を抑え切れない様子でドアの前に立ったり離れたりを繰り返し始めた。それにつれてドアも開いたり閉じたりを強いられる。
「すごーい! おもしろーい! あはははは!」
サーバルちゃんはコロコロと表情を変える。感情を何のわだかまりもなく表現する純真無垢な子供みたいに。
それは一種の才能だ。何も気負わず思いのままに自分を表現できるというのは。
「……」
こんな状況であっても、サーバルちゃんの笑顔を見ているとボクの緊張した心も少し穏やかになる。
そして決意を抱かせる。
守らなくちゃ。
ボクが。
この不確かな場所で、何が起こるかわからないけれど。
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