おまけ 行列のできる特許事務所

「ほとほと困り果てているんです。このジャバラ管というものなんですが。台湾で生産する準備も完了しているんですが。白鳳はくほう工業というところから、螺旋状らせんじょうのジャバラ管が開発されて、この旧品は朝倉電線に引き取ってもらえないんですよ」

「何か、できる対応はないですか、布藤先生」三精商事の社長、松川がまくし立てた。

「こちらが、その白鳳の螺旋ジャバラ管の公開公報ですか」布藤が訊いた。

 秘書の藤澤めぐみがコピーをとって手渡した。しばし、二人は彼女の腰つきに目を止めた。ドアを閉めて出ていく膝上二十センチメートルの裾を見送って、松川の方が口を開いた。

「そうです。出願されて一年半たってますので、公開されました。今、特許庁で審査中のようです。特許になるのを防止できないですか」

「……いや」布藤は額に手を当て、しばし思案した。

「もっと効果的にいきましょうか。アメリカに出願するんです」

「アメリカですか? でも、もう公開されてますよ」松川が訊く。

「アメリカでは、公開されてから一年以内なら特許になるんですよ。公知文献とならないんです。一年の猶予期間(Grace Period)があるんです」

「猶予期間? そうなんですか……」松川はなぜそんな法律になっているのかを訊きたかったが、それを知ったところで意味がない、むしろ理解しえない可能性が高いと思い、だまっていた。とにかく、重要なのは結論だ。今なら、先回りできるのだ。

「もちろん、最後はどちらの発明がが争いになります。その手続きを、《《インターフェアレンス》》といいます。これが、すごいお金と期間がかかります。ベルが二時間差で電話の特許に勝ったなんて話も有名ですよね。いずれにせよ、泥試合です。白鳳の規模でその経費に耐えられるとは到底思えません」

「オーエン大統領からトライアンフ大統領になって、米国の鉄道開発は加速するはずです。ジャバラ管の需要も大きく伸びますよね。朝倉電線もアメリカ市場を無視できなくなるでしょう」布藤は、一気にいい終ると腕時計を気にかけた。

 藤澤めぐみが部屋をノックし入ってきた。次のアポイントがあるという。

「松川さん、それではその方向で検討してみください。お見積りなどの詳細はメールでお送りします」

 布藤は自分の事務所だというのに松川をおいて、部屋を出ていき、別の会議室へと向かった。

* * *

「はじめまして」布藤が名刺を出した。

「はじめまして、アイケン電気の大場と申します」大場が名刺を差し出した。知的財産部 渉外課 課長とある。

「今回は、この茶色の半透明のフィルムなのですが。粘接着剤という部分に粒子が配合されています。半導体の製造で使うダイシングテープといいます。大東亜油脂で生産しています」

 布藤は、めぐみの煎れたコーヒーをすすりながら話を訊く。

「これは、そもそも弊社と大東亜油脂さんの共同開発で開発したものなのです。なのに、大東亜油脂さんは、単独で出願して特許にしています」

「そして、他のメーカーにもこの製品を卸しています。それ自体は、許せるとして、弊社になんの断りもなく、一円の見返りもないというのはどうなのでしょうか」大場は少しどもりながら言い終えた。上司にどやされているのだろう。目には狼狽が浮かんでいた。

「共同開発契約書はありますか」

「あります。これです」

 布藤は次の条文の記載に目を止めて、ゆっくりと口角を上げた。

『十条 本共同開発において生じた成果について、特許出願する際には、双方の合意のもとに行うものとする。』

「いろいろなアプローチがあります。まずは、御社に伺って関連する資料を精査しましょう。愛知県ですよね。相応の金額を受け取ることは十分に可能だと思います。最悪、この特許をつぶしてしまいましょう」

 大場は何度も頭を下げて、お願いしますと連呼した。布藤に出張に来てもらうことを恐縮しながら、訪問の日程を調整した。


              平成二十九年 四月 病室のベットにて

                     鳩尾の痛みをこらえ執筆

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