第26話 異議申立

異議申立書いぎもうしたてしょ

特許第P2984351号に記載の特許発明は、引用文献1に記載の発明に、引用文献2に記載の発明を組み合わせることにより容易に想到できる。よって、本発明は特許されるべきものではない。以下、その理由を詳細に述べる。

……

              異議申立人  板東和幸ばんどうやかずゆき


「源さん、ちょっと所長室まで来てください」

 副島は源田のことを『源さん』と呼んでいた。元大東亜油脂の源田である。彼は、帰国し、教栄特許綜合事務所に入所した。あの後、大野は源田の申し出を断った。それもあり、中国での仕事に限界を感じた源田は帰国を考えていた。一方、もといた坂口ビニルに戻るわけにもいかない。そんな窮状を察し、笹川が動いたのである。彼からの要望をうけ、副島が源田を受け入れたのである。大口企業の社長からの申し出である。技術の知識も申し分ない。副島に断る理由はなかった。

「この件を源さんに頼むよ」

「異議申立……ですか」

「そう。あの、微粒子をちりばめたダイシングテープ」

 早苗たちが、大野のデモンストレーションでようやく特許にしたあの件である。

 異議申立とは、特許になって六カ月以内であれば、だれでも、申し立てることができる。その特許が誤ってなされたものであるとして、その理由を記載して、審査のやり直しを求める制度である。審査官の目だけではなく、公衆の厳しい目も借りて、より質の良い特許づくりを目指そうという趣旨である。

 しかしながら、特許を取った方からすれば、たまったものではない。ようやく取ったばかりの特許に、すぐさま難癖なんくせがつくのである。それにいちいち対応しなければならない。そして、さらに厄介なのは、審査する人間が変わるということである。異議申立では、『審判官』という審査官より経験値の高い人間が審理にあたるのである。副島達は、また一から説得を開始しなければならないのである。

「異議申立人は板東和幸ですか……。聞いたこともないですね」源田がいう。

「ダミーだよ、ダミー」副島が答える。

「ダミー?」

「ああ。関係ない人間を立ててるんだよ。本人が名前を明かしたくないから」

「なんのために」

「宮内は図面屋さんなんだよ。図面を書く職人。でも、こうして名前を貸して小遣いを稼いでるんだよ。昔はうちで使ってた」

「布藤っていう弁理士がいてね、そいつが今は使ってる。この書面は布藤が作ったに違いないよ。素人が作れるものでもないしね」

「それでさ、その後ろに居るのは誰かは分かるよね。源さん」副島が訊いた。

「はあ、誰でしょうか……」

「永旺塑料公司だよ。あんたが居た」

「永旺……」

「そう。彼らのフィルムは大量に港にあるよね。倉庫保管料だけでもばかにならないよな。悪くすれば、フィルムが劣化して使い物にならなくなる。焦ってるんだよ。どうしても、この特許につぶれてもらわなきゃ、困るってことだよ」

 源田は自分の責任を感じて何も言えなかった。

「こっちから見ると、全然違って見えるでしょ。特許って。発明者のころはね、事務所がやってくれるから、安心、なんて思ってたと思うけど」

「ガラスの城なんだよ」

「建てるのも大変だよ。デリケートでね。でも建ててからの方がずっと大変なんだよ。四方八方から狙われる。しかも壊れやすいときてる。こんな風に、ダミーまで立てて狙ってきやがる」

「たのむぜ、源さん」

「これを上手くはじき返せば、笹川社長への恩返しにもなるだろ」

 源田は分かりましたといって踵を返した。

 異議申立書をみると、概略、次のようなことが述べてある。主たる公知文献は審査のときと同じである。小さめの微粒子をちりばめたダイシングテープである。それに、もう一つ日本の特許公報が引用されている。布藤が探したに違いない。そこには、大きな金属微粒子きんぞく微粒子を樹脂にちりばめたテープが開示されている。これに紫外線をあてて、樹脂を固める。そこからフィルムだけ剥がすのである。そうすると樹脂で固められた大きめの金属微粒子だけが残る。これが電極になるのである。これをこの分野では『バンプ』と呼んでいる。この技術を、先の小さな微粒子の発明に組み合わせてみれば、本発明のダイシングテープと同じでしょ、というものである。

 さて、どう反論したものか。源田は頭をフル回転させた。

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