第23話 インジェクション・モールド

 早苗は白鳳はくほう工業の工場内にいた。

 モールドの前には、早苗を含めて十人ほどの技術者が取り巻いている。社長以下、白鳳の技術者。モールド加工の技術者。

 白鳳の件は三枝に引き継ぐことになった。なので三枝も同行していた。皆、『白鳳』のロゴの入った帽子をかぶって、作業着を着用していた。耳にはワイヤレスイヤホンをつけている。そこからは、白井のマイクからの声が聞こえてくる。三枝が、「ゴムの臭い。きついっすよね」と早苗の耳元でいった。

 白井が、「それでは、生ゴムを注入します」と言って手を上げた。白鳳の技術者が操作パネルのスイッチを押す。生ゴムがモールドに注入される音がした。しばらくたって、ガツンという音を立てて止まった。注入が終わった。加熱をしながら十分ほど待つ。熱を与えることで加硫するのだ。生ゴムを硬くする工程である。

 加熱が終わると、モールドを開くように白井が指示をだした。操作パネルのスイッチを押すと、まず、円筒形で縦長のモールドの上の部分が開いた。ボトルのキャップを開けるような感じだ。次に、その下の部分が開いた。こちらは下向きのキャップといったところだ。最期は手作業だ。外モールドの下の方に姿を出したジャバラ管の下の部分を、技術者が両手で押さえた。熱が伝わらない特別な皮手袋をしている。右手を手前に、左手を奥の方へ動かす。するとジャバラ管は回転し、ねじが出てくるように、下に移動していった。少しずつジャバラ管の全貌があらわになる。すべて取り出したところで、技術者はそれを白井社長に手渡した。

 そのジャバラ管には螺旋状のひだが形成されていた。しかし、残念ながら、その螺旋のひだは完全な形状とはなっていなかった。ところどころひだの形状がつぶれているのである。白井はその部分を見つめていた。眼鏡をはずして、鼻先にまでもってきて凝視している。その目は不満そうでもあり、満足そうでもあった。

「こんな具合でして、まだ改善が必要なんです。ですが手ごたえはありますよ」白井がそういって、モールド技術者に試作品をわたした。彼も、試作のレベルとしてはいい方じゃないかと言った。

* * *

「こんな感じで、どうですか。土井先生」

 先生?いま、白井はそういったのか。驚いて一瞬戸惑ったが、何を訊かれているのかはすぐに分かった。これで、三精の特許を回避できるかという意味だ。円筒ゴムの予備加熱もしない。外モールドの縦の分割もしていない。問題ない。

「これなら、大丈夫です。本当にお疲れ様でした」

 白井は満足そうにうなずいた。

「それとですね」白井が試作品を再度受け取って、その一部を指さした。

「この上の部分と、それから下の部分」

「この上下の部分に小さな螺旋のひだをつけることも考えているんですよ」

 早苗と三枝は、ほおっといってうなずいた。

「朝倉さんからこのジャバラ管を連結できないかと言われているんです。ですから、上下の管の径を変えて嵌めあうようにする。それをねじのように回して連結する、といった具合です」

「そこまで行くには、まだまだかかりますけどね」白井はさも楽しそうである。

 一拍おいて、白井は早苗の方に向き直った。厳しいまなざしを向けて、きっぱりと断言した。

「先生、この技術の出願をお願いできますか。今度は敵に遅れないように。我々は、我々自身で、我々の技術を守らなければならない」

 早苗は帽子をかぶったまま大きくうなずいてから、三枝の方をみた。

 三枝はすぐに明細書の作成に取り掛かることを約束した。製品の完成と同時に、即座に出願できるようにする提案である。そして三枝が質問した。

「今回も実用新案でよろしいですよね」

「いえ、特許出願でお願いします。アジア向けの出願も特許でそろえてください」白井の目は真剣そのものだった。弊社の方は佐々木が特許を担当しますと言って、横にいる上背のある若者の背中をたたいた。彼は帽子をとって、「よろしくおねがいします」と遠くにまで響く声でいい、早苗たちにお辞儀をした。

* * *

 開いたモールドからは焼けたゴムのにおいがまだ漂っていた。あれだけ嫌悪したあの匂いが、今の早苗にはどこか心地よく、なぜか学生のときに走ったグラウンドの土の香りを思い出した。

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