第21話 追跡
瀬奈人は即座に徳島に向かった。証拠品が逸失されてはならないからである。
徳島市に確認したところ、親族に連絡がつかず、木邑は孤独死として市が対応することになったという。通常、このような場合、市役所はあまり積極的ではないのだが、木邑の場合は十分な財産があった。銀行に百万円を超える預金があったのだ。
木邑の死亡には不審な点は特になく、検死解剖をされることはなかった。所轄の巡査による一応の捜査がされた上で、医師により自然死と判断された。遺体の火葬はすでに済んでおり、確認することはできない。遺留品はまだ市役所に保管されているという。瀬奈人はその確認のために訪れた。瀬奈人の立場で職務として捜査することはできなかったので、休暇をとり出向くこととした。徳島への日帰りである。早朝の飛行機で当地へと向かった。
* * *
市役所では仕事で関係があったことを述べて、遺留品の確認を要望した。瀬奈人の職業が警視庁の警部補ということもあり、難なく許可された。市役所の長椅子で、準備が整うのを待っていると、早苗から電話がかかってきた。
「もしもし、そっちはどう」早苗の声だ。移動のつかれが吹き飛んだ。
「うん。遺留品の確認の許可はとれたよ。今、書類が整うのを待ってる」
「そう。こっちも収穫があったわよ。二人の関係について」
早苗は裁判所に閲覧に訪れていた。早苗は、布藤と木邑、あるいは二田水と木邑に、なんらかの関係があるのではないかとにらんでいた。そこで、早苗が当たれる範囲で情報を収集していた。そうしたところ、二田水と木邑が共同で考案者となっている実用新案権があることが分かった。二人とも当時は日酸レジストに所属していた。『特許』ではなく、『実用新案』だったので見つけ出すのに手間どったという。盲点だったのと、特許庁のホームページでは、実用新案の方は古いデータが公開されていないのだ。特許庁に出向いて閲覧申請をしたという。今では不人気であるが、当時、実用新案は頻繁に利用されていた。
この技術は『
とにかく、樹脂微粒子は、微粒子を樹脂で覆たものらしい。瀬奈人は、ゆで卵のようなものだろうと思っておいた。もちろん、大きさは桁違いだが。この樹脂微粒子は当時はその用途が見出されていなかった。したがって、考案品の売り上げも残念ながら芳しくなかった。それが、時代とともに変わった。このシリカを様々な顔料に変えたものが大量に売れたのである。コピー機用のトナーである。
二田水はこの売り上げを目の当たりにして、考案の対価を会社に請求したのである。木邑は退社した後のことである。その訴訟は東京地方裁判所で争われた。早苗は、その訴訟の記録を閲覧に地裁を訪れていたのである。こちらも業務ではできないので、休暇をとっていた。その結果を伝えてきた訳である。
「結論からいうとの、日レジの勝訴。二田水と木邑の敗けね」
「どういうこと。いい考案なんだよね。しかも、その商品がたくさん売れたんだよね」
「うん。でも、時効にひっかかったのよ。時効」
時効とは殺人ドラマでいう、あれだ。時間切れという訳だ。
「実用新案権はいまでこそ存続期間が十年だけど、当時は六年だったのよ。知ってると思うけど」
瀬奈人もそれは知っていた。
「その存続期間の満了が、1992年。彼らが訴訟をおこしたのが、2005年なの」
「当時、特許権とか実用新案権の時効が何年かって争いがあったんだけど、三年という学者、五年という学者、十年という学者、二十年という学者。様々な意見があったのよ。それで、十年ということで判決が続いたのよ。本件もそう。十年にされたの。いまでは、それが定説になっているけど」
これは瀬奈人の方は知らなかった。
「だから、1992年に満了しているから、そこから十年で2002年でしょ。2002年には時効が完成しているのよ」
瀬奈人は計算が追いつかなかったが、それ以上頭をつかうのをやめた。とにかく手遅れということだ。
「2005年に裁判所に来たって、時すでに遅しってことね」
「だから、考案の対価は、ゼロ円ってこと」
瀬奈人にはなんとなく想像ができた。二人はとりっぱぐれたのだ。その不満を共有していたのだろう。それが、こんな発明どろぼうを共謀しようとした契機になったにちがいない。ありがとうと言って電話を切った。早苗はまだ判決について語りたかったようだが、時間が貴重だったので、また訊くことを約束して終わらせてもらった。
* * *
木邑の遺留品は驚くほど少なかった。これですべてですかと思わず聞いたほどである。テレビや冷蔵庫などの大きめの電気製品はまだアパートの方にあるそうだが、四畳半くらいのスペースの小部屋の隅に、数箱の段ボールがあるだけであった。
瀬奈人は箱から遺留品をひとつひとつ机の上に出して丁寧に見ていった。老人のひとりぐらしとは、こんなにも物が少ないものなのか。爪切り、髭剃り、腕時計、健康保険証、薬類。通帳と印鑑は別に保管しているらしい。この中で瀬奈人の目を引くものがあった。手のひらくらいのサイズで、カタツムリのような形をした器具。そこに印字されていた文字をスマートホンを出しウエブサイトの検索欄に入力ししてみると、ぜんそく薬だということだ。器具を手に取って、カタツムリの縁にある蓋をスライドさせると、吸引する開口部が現れた。デザインもかわいいし、巧妙な構造になっていた。少し感心した。
反対側の裏蓋をあけるとカプセルが入っていた。使用後らしい。このカプセル薬を挿入して、裏蓋を閉じると孔の開いた針が降りてきてカプセルに刺さる。この状態にして、裏蓋をしめ、スライド蓋を空けて露わになった開口部から吸引すると、カプセルの中の薬剤が出てくるらしい。
さらに段ボール箱を探ってみると、小さなカプセルを封入した二十四条つづりのシートがあった。PTP(プレス・スルー・パック)包装シートである。薬の形の凸部のあるプラスチックのシートと、アルミのシートを張り合わせたもので、そのプラスチックの凸部の部分に楕円形のカプセル薬が封入されている。一般的な薬のつまったシートだ。薬の方は、十二錠ほど使用されている。
瀬奈人も根は技術者である。こういう器具をみるとわくわくする。薬を吸引するわけにはいかないが、どういう風に針が動いて、カプセルに刺さるのか興味があった。そこで、PTPシートからカプセル薬を取り出すことにした。市役所の職員が観ていないのを確認して、プラスチックの凸部を押して裏のアルミシートから薬を取り出すことにした。そうとしようとしたとき、そのアルミシートにほんの小さな穴が開いていることに気づいた。それは、まさに針の孔ほどの大きさのもので、見落とさなかったのが奇跡といえる。中のカプセル薬を出してみると、そこにも同じ大きさの極めて微細な穴が開いていた。少し思案して、注射器を想像したがその穴は瀬奈人が知っている注射器の針よりずっと小さなものに思えた。
市役所の職員にそのPTPシートに入った薬と吸引器を拝借していいか問うと、どうせ処分するだけなので持ち帰ることが許された。職員はその旨を律儀に帳票に記載していた。
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