第20話 共謀

 二田水は北海道、夕張市で生まれた。父、徳蔵とくぞうは炭鉱で働いていた。炭鉱夫といっても、つるはしをもって岩盤をくだく仕事ではない。炭鉱の坑道を設計する技師であった。炭鉱では、山に多数のトンネルを掘って、そこから石炭を採掘する。採掘した石炭はコンベアベルトやトロッコに乗せて地上へと搬送する。そのために効率のよい坑道の配置とすることが求められる。そして、なにより大切なのは、安全性である。坑道が上下に交差して、その天井が崩落ほうらくしてはならない。地層を形成する岩盤、水脈の状況、他の坑道との位置関係などを考慮しながら、十分な強度を保てるトンネルを設計していくのである。その設計技師は、当時、土木分野ではダムの設計技師と並んでエリート職であった。徳蔵も北海道の大学を卒業していた。

 しかし、徳蔵は四十五歳のとき肺を患った。当時の炭鉱では、その坑道の壁がむき出しの岩盤であった。日本にはすでに炭鉱がないので比較できないが、海外の近時の炭鉱はそのようなことはない。特殊なコンクリートや場合によっては樹脂で固めて、粉塵ふんじんが発生しないように配慮されている。防塵マスクも進歩している。当時は炭鉱に限らず、労働者の健康や衛生管理などということへの配慮はほとんどなされていなかった。徳蔵の病気も間違いなく炭鉱内における粉塵が原因であった。とはいえ、経営者を訴えることなど、およびもつかない時代である。泣き寝入りするしかなかった。ほどなくして、徳蔵は解雇された。徳蔵には巧をふくめて五人の子供がいた。巧は三男で当時高校生であった。家計は妻のセツが支えることとなった。

* * *

 高校を卒業した巧は、日酸レジストの前身となった珪酸鉱料けいさんこうりょう株式会社に入社した。珪酸塩とはケイ素酸化物、俗にいうシリカのことである。その用途はさまざまであるが、当初は、おしろいなどの化粧料の原料として販売していた。近年では、肥料や、食品、医薬の賦形剤などにも拡大している。同社は仙台に本社を有する。東北には珪酸塩の鉱山が複数あり、そこで採掘される珪酸塩を加工して販売していた。巧は高卒の技師として採用された。営業技術を主に担当した。販売員と同行する技術者だ。その職責のほとんどは、クレーム処理である。お客様からの苦情処理。来る日も、来る日も、客先である企業からの苦情をうけて、それを大卒の技術者に伝えた。やりがいを見出すのは難しかった。それでも、巧が拾い上げた苦情をもとに、改良された製品ができたときなどは心が躍った。納入先から「ありがとう」などと言われることは皆無であったが、苦情がなくなったということは満足をえられた証拠である。そんなささやかな喜びを支えに仕事をつづけていた。

 巧が営業技術職をつとめて十年がたったとき、珪酸鉱料株式会社におおきな変化が生じたのである。日本染料インキ株式会社に吸収される形で合併されたのである。日本染料インキは有機染料によるインクを得意分野としていた。これに対し、珪酸鉱料のシリカ、つまり無機顔料を加えることで、総合的なインクメーカーとして成長を遂げようとしていたのである。この吸収合併は巧にとって好都合なものではなかった。どうみても企業規模の大きい日本染料インキの方が、人事において優先していたのである。巧はとくに先端技術を身に着けているわけでもない。不利益な人事配置を受けることは間違えなかった。そこで当てられたのが、試験員である。そういえば聞こえはいいが、分析などの試験や解析自体は大卒の研究者が行った。その準備や片付け係りである。染料の粉を擦ったり、フィルムを何百片にも切り刻んだり、試験後のサンプルの廃棄処理をしたり。

 その後は知的財産部に配属された。当時の知的財産部は、端的に言えば、余剰社員のはけ口であった。『窓際族まどぎわぞく』などという言葉で呼ばれていた人間の集まりである。まだ、三十代のやる気に満ちた巧には、どうにもやるせなく、不満をため込んでいた。周りは生気を失って、定年を前にした者ばかりである。転職も考えた。しかし、リクルートなどという文化がまだ定着する前の話である。終身雇用が常識の時代に、転職に踏み切る勇気はなかった。すでに、妻と二人の子供もいた。

* * *

 日本染料インキはその後、自前の色素に関する技術を応用して、感光色素の分野に進出した。感光色素とは、光を受けて反応に活性な物質を放出する色素のことである。これを利用したのが感光性樹脂である。フォトレジストとも呼ばれる。これが、会社の基幹商品にまで成長し、社名も、日酸レジストと改称した。『日』の字は日本染料インキの『日』をとり、『酸』の字は珪酸鉱料の『酸』の字を取ったものである。

 巧は日酸レジストで三十年近く、知的財産部で過ごした。この三十年で『知財』というものも大きく様変わりした。それまで日陰の存在であった知財部も、脚光を浴びるようになった。弁理士、丸山准一まるやまじゅんいち氏の功績が大きい。彼が担当した特許を武器に、アメリカ企業をなぎ倒していった。町工場だったカンノン株式会社を世界一の複写機のメーカーにまで成長させたのである。彼の半生を描いた国営放送のドキュメンタリー番組も評判となった。知財部は、いまでは新入社員の配属希望先としても人気の部署になっている。

 巧が知財部に在籍していたときの功績といえば、なんといっても、積層基板用樹脂せきそうきばんようじゅし職務発明対価訴訟しょくむはつめいたいかそしょう事件である。この事件は話題になり経済新聞の紙面にも取り上げられた。この発明は半導体の積層基板用の絶縁樹脂の発明である。その社員は、この発明をもとにすでに数百万円の報奨金を得ていた。しかし、この発明の商業価値からすれば少なすぎるということで訴訟を起こしたのである。巧は社員側の対応を担当した。結果は巧の勝利である。一億二千万円の対価を勝ち取った。それはちょうど、ノーベル賞に輝いた中居賢治なかいけんじ博士が青色ダイオードレザー訴訟で数百億円の判決を受けたすぐあとのことである。追い風が吹いていた。

 巧は五十四歳のとき早期退職制度を利用することにした。高卒の巧は、どんなに頑張っても主任以上の役職に上がることはできない。三十年近く従事した知財部でも部下はいない。新入社員と同じ、出願処理を連綿と行っていた。新入社員は五年もすれば、係長になり、巧を抜いていった。熱意も愛社精神も失っていた。

* * *

 布藤と二田水は、布藤の事務所で会っていた。大安生命ビルの十五階。

「さすがに今回はまとまった主張をしてきたね。弁護士まで使って」副島たちが提出した準備書面を手に、二田水が吐き捨てるようにいった。

「そうですね。でも、まあ、技術的なことはどうにかなると思うんですよ。明細書に記載のレジストでは効果がないはずだと言ってるんですよね。ご丁寧に再現実験までして」布藤も同じ書面のコピーをみていた。

「これは、どうにかなると思うんですよ。ていうか、するんですけど。心当たりの准教授じゅんきょうじゅがいるんで。私立大学に。彼に同じ実験をしてもらって、それなりには効果があるって書かせる。嘘は言ってないんだから。少し色を着けるってことですよ」布藤にはお金でかなり融通が利くコネクションがあった。

「たださ、二田水さん」布藤が書類をおいて向き直った。「おたくが、尻尾しっぽをつかまれたんじゃね。想定外だよ。社内の機密情報にアクセスした足跡もしっかりつかまれちゃってるじゃない」

「ふん。先方に勘がいい奴がいるんだろうな。香西あたりがやってるんだろ。あいつは俺が指導したから」

「それよりも、こっちの誤記の方がまずいんじゃないの。炭素数はまだしもさ、要約書に別の件のものを着けちゃまずいでしょ。布藤ベンリシさん」二田水は嫌味たっぷりにいった。

「そちらが、出すだけでいいっていたからでしょ。明細書を作ったのはあんただよ……」布藤も反論した。

「まあ、言い争っても仕方ないよ。次のことを考えなきゃ」布藤が気を取り直していう。

「二田水さん。おたくの証人尋問は大丈夫なんだろうね」

「それは、なんとでもするよ。知らぬ存ぜぬで通せばいいんだから。誤記なんて、ああそうですか、そんなこともあるでしょって、かわせばいい」二田水は、右手で蚊でも払うような手振りをしていう。

「じゃあ、あとの問題は、木邑きむらさんの件だ。これは頭が痛いよ。どうするね。質問されたら、あのじいさん、何にも答えられないだろ。いまから勉強しろったって、あの歳じゃな」布藤が後頭部を二、三度強めにたたいていう。

「それさあ……」

「それは、俺に任せてくれるかな」二田水が小さめの声でいう。

「任せるって、どうするの」

「出頭を拒否できればいいだよな。あるいは尋問不能なら。要は」二田水がいう。

「拒否するには理由がいるよ。理由なく拒否すれば裁判官の心証は良くない。これは敗訴事由になっちゃうぜ。たぶん」

* * *

 徳島県徳島市……

 鉄筋コンクリートの集合住宅。築四十年は経つだろうか。新築のころは、団塊の世代の家族たちでにぎわっていたのだろう。今ではほとんど老人ホームである。玄関を入ると、すぐの所に木のドアの手洗と、足を曲げてもきつそうな小さな風呂場がある。湯沸かし器は、手でレバーを回して火を起こすタイプ。今では資料館にありそうな品だ。その左に居間があった。右側には質素な台所がある。居間の奥にはふすまがあり、もう一部屋ある。風呂付きの2DKである。老人の独り住まいには広すぎるくらいだった。

「ニタさん」

 木邑は二田水をそう呼んでいた。うつろな目をして、よろけながら、集合住宅にありがちな金属製の重い玄関ドアを開けて現れた。二田水は、ひさしぶりですといって部屋に入り、弁当の食べかすやペットボトルなどをかき分けて、居間のちゃぶ台の前で胡坐あぐらをかいて座った。

「木邑さん。調子はどう?」

「こんな調子だよ。もうどうしようもない。どこも、ここも、悪いところばかりだ」

 ゴホ、ゴホといって、肺の中が擦り切れるような音で咳き込んだ。たんをティッシュで拭ったが、血が混じっているのだろうか。中を見られないようにして、即座にゴミ箱にほうった。

「ニタさんのおかげだよ。こうして、人並みの生活ができるのも。悪いね」

 二田水は木邑に二百万円を現金で渡していた。名義を借りる報酬である。

「なに言ってるんですか。若いころさんざん世話になったんだ。これでもまだ足りないよ」

 確かに二田水は過去、木邑の世話になった。二田水は高卒だった。木邑は当時では多くはない大学卒、エリートだ。木邑は二田水をとくに気に入ってかわいがってくれた。実用新案二田水を共同考案者として含めるほどであった。研究者と試験員という関係ではあるが、飲みに行くと、対等に技術の話を語ってくれた。エリート組は試験員を下に見て、みなぞんざいに扱った。二田水のことも顎でつかった。木邑は十歳以上年下の二田水に昔から『さん』づけで呼んでくれた。

 木邑があまりに苦しそうなので、二田水は彼の隣にいき、背中をさすった。

 木邑は上背があって、二田水より十センチメートル以上は長身である。肩幅も広く胸板も厚かった。特にしっかりと肉のついた大きなお尻が印象的であった。社内の野球チームでは、リリーフ・ピッチャーを勤めていた。得意の球種は胸元からするどく落ちるフォークボール。九回裏にでてきて、チームを勝利に導く姿は、うらやましいほど躍動的だった。高校野球では地区大会で決勝戦まで行ったらしい。プロで活躍した江口と同じ地区だったのが不運だった。彼さえいなければ、自分たちが甲子園に行っていたという。酒の席で何度もその話を訊かされた。

 上背はあのときのままだ。少し腰は曲がったが、立てば二田水を超えている。しかし、体重は四十キログラムあるのだろうか。麻痺が進んだ左手は、まるで孫の手のようだ。肩のシャツはハンガーにかかっているように厚みがない。前に傾斜した首には筋が浮き出ていて鳥類を思わせる。こめかみかは、皮の上からでもはっきりと頭骨の形が分かる。目は落ちくぼみ、本来黒くなければならない右目の中心は白く色を失っていた。

「裁判の方はどうだい」

「わしはもう十分だ……君たちがうまく使ってくれればいい」

 木邑はお金のことを言っているのだ。二田水は、ことが完了すれば木邑に相応の成功報酬を支払うことを約束している。

「わしはなあ……、あの会社を恨んじゃいない。ただ……、技術で貢献できた……その分だよ」

「君たち若い者が使ってくれればいい。……それが一番いい」

 木邑はようやく言葉を終えると、また咳き込んだ。目には常に涙がにじんでいる。

「もう楽になりたいよ……終わりにしたい……」

 二田水の知っている木邑は、決して、弱音など吐く男ではなかった。

* * *

「訴訟が長引いていてね、ダミー会社の名義なんだけど、木邑さんから私に変更しようと思うんだよ。いろいろと、書類の準備やらが面倒でね」

 木邑はかまわないと言ってうなずいた。二田水は準備していた、書面をちゃぶ台の上に出した。株式会社 木邑アラムナイ(同窓研究所)の代表者、木邑の辞任届じにんとどけと、二田水の就任承諾書しゅうにんしょうだくしょである。

「ここと、ここに、捺印が欲しいんだ。先日、印鑑登録をしたやつ」といって、書面の一部を指さした。木邑は立たずに体をひねって後ろにある棚の引き出しをあけ、印鑑をとりだした。すべてのものが、そこから届くように配置されている。朱肉は二田水が用意していた。小刻みに手を震わせながら捺印を終えた。

「ところで」といって二田水が話を切り出した。できるだけ自然な会話の流れを装った。

「木邑さん。肺の薬は何を使っているの。口で吸うやつを使ってたよね」

「ああ、あれね」背後の棚の上の上の丸いものを指さした。手のひらに乗るくらいの円盤状のものだ。

「知人がね、薬の開発をしててね。最近、いいのができたらしいんだよ。なんでも、息が、すうっと楽になるらしいんだよ」

「ほお、それは試してみたいね……。なんていうの」咳き込みながら答えた。

「それが名前を忘れてね。横文字で覚えにくいんだよ。今、使ってるのを見せてくれるかい。名前を控えて帰る。確認して連絡するよ」

 そうかい、といって身体をひねって棚の上の箱をとり、蓋を開けた。そこから二十四錠つづりのカプセル薬を取り出した。すでに三錠ほど使用されている。それを二田水に渡した。

 それを受け取ると、二田水は喉が渇いたのでお茶が飲みたいといった。木邑はよろよろと立ち上がり、それは悪かった茶も出さんとは、と言って台所の方に消えた。それは、まるで、二田水の計画を知っているようにも見えた。

 二田水は鞄から予定のものを取り出し、予定していたとおりに行動した。

 秋風にさらされた鉄器コンクリートの部屋は寒々としていた。これから訪れる冬の厳しさを予感させる。二人はお茶をすすり、しばらく昔話しをした。二田水はその間ずっと木邑の背中をさすっていた。木邑の姿は、肺を患って亡くした炭鉱夫の父、徳蔵の背中と重なった。。

* * *

知的財産高等裁判所 第二回 弁論準備手続……

「両当事者から提出されました準備書面は確認いたしました」豊塚とよつか判事が告げる。

「二田水さんについては、尋問が要望されていますね」

 二田水についての早苗たちの主張は、『インカメラ手続(非公開手続き)』ということで、豊塚判事と高橋弁護士、布藤弁理士のみで、密室において既に議論されていた。

「その件についてですが、二田水さんの件については、本日、ご出頭いただいているんですけれども」判事が二田水に一礼をして説明をつづける。

「当裁判廷としましては、これは書面でご反論いただくのがよろしいかと思うんですね。いかがでしょうか」判事もこの争点が決定打にはならないと考えたのだろう。面倒でもあり、書面で十分とみたのである。

 高橋が承諾した方がいいという目で、四宮をみた。四宮はうなずいた。

「それで結構です」高橋が答えた。

 つづいて布藤もそれを承諾した。

「次に、本件の発明者である木邑耕四郎さんの証人尋問の件ですが……、本日ははご出頭されていないようですが。いかがされたのでしょうか」豊塚判事が布藤をみた。

 ようやくこの争点である。期待をこめて早苗たちも布藤をみた。

「ええ、そちらの方ですが……、発明者の木邑さんの方がですね……」

「先日お亡くなりになりまして……」

 早苗たちはきょかれた。皆、あんぐりと口を開けていた。

「こちらが、木邑さんの戸籍の個人事項証明書の抄本です。それと、被告、木邑アラムナイの代表者が木邑氏から二田水氏に変更されております。こちらが、その現在事項証明書です。いずれも、必要でしたら、謄本ないし全部事項証明書などを取り寄せますが」布藤が書面を豊塚判事に渡す。豊塚判示が眼鏡めがねをずらして、その下から書面を覗く。しばらくして、これで結構であり所定の書式にそって裁判書記官に提出するよう指示した。

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