第19話 螺旋

「はい、白鳳はくほうゴム工業です」

「教栄特許綜合事務所の土井です。白井社長はいらっしゃいますでしょうか」少したって白井がでた。

「もしもし、白井です」低い声でいう。

「教栄の土井です。お世話になります」

「……」

「社長。あの後、当方でも検討したのですが、少しお話ししたいことがありまして」

「……」

 聞こえているのか不安になるが、早苗はつづける。「先日お話しいただいた、ジャバラ管のバリのことですが……」

 早苗が話し終わるまえに、白井がその声を遮った。「そんなことよりよ……」

「いくつか作ってみたんだよ。図面だけどな。見る気はあるか」早苗は何のことかわからなかった。

「何をでしょうか」

「何言ってんだよ」声が大きくなった。

「そっちが言ってたやつだよ。侵害にならない製品」思い出した。侵害を回避する製品のことだ。

「できたんですか。そうですか。わかりました。所長の了承をとって、伺います。何日がご都合がよろしいでしょうか」

「これからだよ」

「えっ?」

「技術会議をする。モールド屋も呼んだ。来るなら待つぞ」

 早苗はデスクに目をやった。今日中に片づけなければならない拒絶理由通知がある。これに対する補正書および意見書をクライアントに送らなければならない。それだけでなく、その返答をもらって、特許庁に提出しなければならない。クライアントを急がせたとしても、六時くらいにはなるだろう。早苗はおおいに迷った。面倒な客だ。断ってしまおうか。

「わかりました。所長の了承が必要ですが、伺えるようにします。ただ、七時ころになりますが、よろしいですか」

 少し間があって白井が答えた。「わかった。七時で準備しておく」

* * *

「まず私の方からご提案があります」早苗がいった。

「先日お話しがありました、ジャバラ管のバリを抑えるための技術についてです。モールドに工夫を凝らしているとのことでした」

 白井が若くて背が高い技術者を見て促す。『佐々木』と胸に書いたその若者がいう。「そうなんです。モールドの割面、あの……、二つのモールドが重なる面ですね。そこから、モールドの外側に向けて穴を空けてあるのです。その穴の大きさと、数、角度に最適なところがあるんです」

「そうですか。できれば、後ほど、工場内で現物を見たいのですが」

「それは可能です」佐々木が白井をみた。白井は小さくうなずいた。

「それでですね、その技術を出願したいんです」

「……」白井が露骨に怪訝な顔をする。

「あの……、費用のご心配ですよね」

「そうだよ」白井がいう。

「それにつきましては、実用新案というものがあるんです」

「実用新案。特許とは違うのか」

「違うんです。違う制度なんです」

「……」

「簡単に言えばですね、特許の簡易版です。権利を、安く早くとれるんです」

「安くて早く……」白井が繰り返す。

「そうです。一概には言えませんが、ラフにいうなら、特許は取得するまでに百万円くらいかかることが多いです。私共の手数料も含めて。それが実用新案なら三十万円くらいです」

「三分の一か」計算して白井がいう。

「あくまで、目安ですけど」

「重要なのは時間的なことです。特許は数年かかることが多いですが、実用新案は半年くらいで登録になります。今の御社にはそれこそが必要ではないでしょうか」

「ふん」白井が腕を組んだ。

「ただしデメリットもあります。存続期間が十年なんです。特許は二十年」

「それと、権利行使に制限があるんです。それは複雑なんで必要になったところで……」

「それはいいよ。うちから訴えるつもりはない」

「それとですね。台湾にも実用新案の制度があるんです。どうですか」

 白井の目が動物的な鋭さを帯びた。

「安く早くか」

「そちらも、そうです」

 白井はもう何をいっているのかが分っていた。この実用新案権をとって、三精さんせい商事の動きを止めようというのだ。この技術を押さえれば、彼らはバリの対応が極めて難しくなる。少々お金はかかるが悪くない戦略だ。

* * *

「分かった。検討する。じゃあ、こっちの話だが……」白井が佐々木に目配せする。

 佐々木が説明をはじめる。「三精の特許を回避する方法を技術者全員で検討したんです。何度もブレーンストーミングをして」ブレーンストーミングとは、制約をつけずに意見を出しあう話し合いのことである。能力の高い者が主宰すると、常識にとらわれない飛躍的なアイデアが出ることがある。

「たくさんの案が出たのですが、一つに絞りました。すべて試作している時間はないので」

「ひだを螺旋らせんにしたジャバラ管を造るんです」

「はあ」早苗が答える。

「それを、くるっと回しながら抜くんです。モールドから」

「入れるときは二つの外モールを対面させて型付けしますが、抜くときは外モールドを動かす必要がありません」

 なるほど、なんとなく想像ができる。ねじのように、回しながら長さ方向に引き抜くのだろう。これなら、先方の特許を回避ができるかもしれない。

 しかし、特許権の侵害には『均等論きんとうろん』というものがある。特許権の侵害は、基本的にクレームに書いたとおりの技術が差止の対象となる。当たり前といえば、当たり前だ。書いてないことを権利といわれたのでは、たまらない。しかし、裁判所が大岡裁きをすることがある。技術を言葉で表すには限界があるからだ。言葉の隙間を狙って迂回する輩を取り締まるのである。あるいは、出願のときにはなかった技術であるが、何年か後に似た技術が出てきた場合である。厳格にしすぎると悪質な迂回を許すことになる。いわば、相撲でいうう徳俵とくだわらを設定しているのである。

 ジャバラを螺旋にしただけでは、少し弱い気もする。

「もうすこし、対象の特許と違うと言えるところは、ありませんか」早苗が問うた。

「……」

「だめですか」佐々木が少し不満な表情で訊く。

「だめではないのですが、均等論というのがありまして、もう少し遠い技術にしたいんです」早苗は均等論の解説を皆にした。もう少し練りこんでみることになった。

* * *

 会議室 兼 控室の小部屋を出ると、技術者たちは問題の成形機の前に集まった。早苗も加わった。図面と照らし合わせて指さしながら、怒鳴りあっている。知らない人がみたら、喧嘩をしてると思うだろう。製造上の制約はなにか、可能な回避策はないか、彼らの議論はつづいた。案が出ると、都度、早苗がどう思うか意見を訊かれた。すべてが終わったときには十二時を過ぎていた。外の空気は季節が秋から冬に変わることを告げていた。早苗はマフラーに口元を埋めてタクシーを待った。

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