第10話 警告書
四宮がファイルのページをめくって一息ついた。背筋を伸ばして言葉を始めた。「実は、副島先生には申し上げていなかったことがあります」四宮は下を向いたままである。
「本件については、特許権侵害に係る警告書が送られております」
「しかも、弊社にではなく、関連各社にです。取引のあるお客様に警告書が送られているのです」
「それに対抗するために、冒認で特許をつぶしたかったんです」
「ですから無効審判を提起したんです」
調査で判明したというのはうそだったのだ。日酸レジストは布藤におどされているのである。
「こちらが、その書面の一つです」
『「警告書」
前略 貴社益々ご清祥の段、お喜び申しあげます。
さて、今般、弊所が代理しました出願が特許される運びとなりました。
特許番号P2639846号です。
弊所の調査によりますと、貴社におかれましてこの特許発明と抵触するフォトレジストが使用されている疑いがあることが判明しました。つきましては、同フォトレジストを使用した、貴社半導体製品の製造を至急中止されることを要望します。
当方としましては、本件特許発明の実施契約をさせていただく準備がございます。特許権者様との仲介をいたしますので、当方まで至急ご連絡を賜れますようお願い申し上げます。
なお、本書状に対して誠意のあるご対応がいただけない場合には、法的措置をとることはもとより、貴社製品が本件特許発明の侵害にあたる可能性が高いことをインターネット等を通じて公表させていただく予定です。
マイティ国際特許事務所
所長 弁理士 布藤 博通』
「こんなものが出されているのですか」
高橋がゆっくりと口を開いた。なら、説明の温度が違ったのに、とでもいいたい表情である。
「ええ。これと同じ書面が、株式会社
「それって……、日本の主要な半導体メーカーのすべてじゃないですか」早苗が声をしぼりだした。
「それに、この審決が送られてきたあと、布藤弁理士から弊社の特許部長あてに電話が来ました」四宮がたいぎそうに目を閉じた。どうして敗けたんだと、副島と早苗を責めるようにいう。
「本件特許を買い取ってほしいというものです」
「……三億円で……」
* * *
次回は、日酸レジストの技術者をまじえて、打ち合わせを持つことになった。四宮の顔は紅潮していた。すでに弁護士費用のことは忘れてしまっているように見えた。高橋は予想以上におおきな事件になることを予感し、お開きだというのに、ネクタイをしめるしぐさをした。弁護士報酬には時間給のほかに、十%ルールというものがある。三億円の十%、三千万円である。そこまでは数えすぎだろうか。
帰り際、気を取り直すように、四宮は高橋が書いた論文について、いくつかの質問をした。高橋は手際よく、それぞれの質問に解説を加えていった。聞いてはいるものの、早苗の脳は、その言葉から意味への変換能力を失っていた。
* * *
そのとき、布藤も教栄特許綜合事務所を辞め、マイティ国際特許事務所を開所して間もなくであった。資金繰りに苦しんでいた。
布藤と二田水は日酸レジストの出願の手続きで面識があった。そのときは、二田水が日酸レジストの担当者、布藤が教栄の弁理士という関係である。日酸レジストのフォトレジストに関する案件を二田水が依頼し、布藤が代理人として出願を行っていた。
布藤には二田水の方から声をかけた。それまでと同じ、フォトレジストに関する出願の依頼である。しかし異なっていたのは、出願人が日酸レジストではなく、木邑耕四郎が代表を勤める木邑アラムナイという会社であることである。木邑は本件の発明者でもあった。ただし、その場に木邑は来なかった。発明の内容は二田水が布藤に説明した。すでに詳しい内容まで固まっていた。
その発明のクレームは次のとおりである。
『
明細書はそれなりに揃っていればよいという。体裁が整っていればよいということである。そのための参考明細書として、八件の明細書が提示された。それらは二田水が日酸レジストを退社する前に持ち出した案件であった。それらはまだ特許庁から公開されていないものである。布藤はさすがに不穏なものを感じ取った。そこで、二田水から事情を訊くこととなった。その計略の内容を。
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