第8話 免疫応答阻害剤
壇上には、国際医療癌センターの医師が、スクリーンを前に、最新のバイオテクノロジーの解説をしている。薄暗い部屋では、皆、眠気を振り払うだけで必死であった。その内容は瀬奈人には到底理解できない。敢えて彼なりに咀嚼してみるなら次のとおりである。
通常、人間の細胞は必要なタイミングで必要な量だけコピーを作って増殖していく。そして、時間がたち不要になれば死滅する。なるほど、髪の毛なんかを例にしても容易に想像がつく。これに対し、癌細胞は遺伝子に異常をきたして発現する。一度発現すると自分のコピーを作って無限に増殖していくのである。異常な速さで。しかも死滅することはない。一度、
今回発明された抗がん剤はこれらとは全く違う機序をもつ。人間には
島根医科歯科大学の教授が、この発明を完成させたという。彼は、多くの癌細胞に共通のあるタンパク質を発見した。これが、白血球のある部位と結合する。そうすると、白血球の捕食作用が制限されることを見出したのである。まるで、車のエンジンを切る鍵のようなものである。癌細胞が持っている鍵で、白血球のエンジンがストップするのである。この教授は別の鍵を合成した。この鍵は白血球の鍵穴に挿さる。しかし、これが刺さっても白血球のエンジンはストップしないのである。動き続ける。そこへ、意気揚々と癌細胞が鍵を持って現れる。でも、すでに白血球の鍵穴は別の鍵で埋まっている。鍵は挿さらない。であるから、白血球は働き続ける。それで、白血球が癌細胞を捕食するというのである。紙芝居のようであるが、瀬奈人は、黒い鍵を持って暴れるバイキン男と、金色の鍵を挿した車に乗ってヒロインとともに
冗談はさておき、これは大発明である。将来、ノーベル賞に輝くかもしれない。その薬剤は
この薬剤の薬価はまだ定められていない。しかし、一本のアンプルで数百万円以上になることは必至であるという。小指の爪ほどの液体が数百万円。ダイヤモンドのようなものだ。想像もつかない。投薬の頻度にもよるが治療には一人で一年に数千万円もの費用がかかるという。三割負担としても一千万円以上になる。その余の七割は国の負担であるが、それはいうまでもなく国民の血税である。到底無視できない費用負担である。
瀬奈人は、すでに集中力を失っていた。プロジェクターの弱い光を浴びて、入眠しかけながら、ぼんやりと以下のようなことを考えていた。
* * *
特許法の存続期間は出願から二十年である。製薬会社は二十年で開発にかけた莫大なコストを回収しなければならない。本薬の製造と臨床試験は広島県の中堅医薬品メーカー、伊野國製薬が行ってきた。販売もそこが行うことになるのであろう。
* * *
著作権の存続期間は、ミッキーマウスとともに長くなってきた。当初、法律は、作品の『公表から』五十年と定めていた。しかし、ミッキーの寿命が近づくと、公表からではなく、著作者であるウォルト・ディズニーの『死後』五十年へと延長した。これにより、ミッキーの命は2003年にまで伸びたのである。しかし月日は流れる。2003年もやがて訪れた。とうとうミッキーマウスもみんなのものになると思われた、そのとき、議論は再燃した。畢竟、著作権法は改正されたのである。著作者の死後、『七十年』。2023年までミッキーの寿命は伸びた。まるで難病を克服したかのように。ところが……、気が付いてみると、2023年ももう間近だ。今、著作権の存続期間のさらなる延長が議論され始めている。次は、誰の死後、何年になるのであろうか。
* * *
ペニシリンが発明されて八十年近くが経つ。そのころから、特許法の存続期間は実質的に変わっていない。それから、医薬の位置づけ、開発のスタイル、コスト、組織、国々のありかたは大きく様変わりした。見直してしかるべきであろう。発明によっては、二十年では短すぎるのである。少なくとも新薬については、五十年とか百年のスパンの存続期間が必要ではないだろうか。そうすれば、企業が短期に焦ってコストを回収しなくても済む。新薬の価格も常識的な範囲になるように思われる。
説得力のある改正案だな、などと自賛しながらも、自分がそんな立場にいないことを思い出して、瀬奈人は目を覚ました。気が付くと、プレゼンテーションは、癌センターの医師から、捜査二課の伊丹警視正へと交替していた。
* * *
最近は刑事にもプレゼンテーション能力が要求される。
本件の免疫応答阻害剤を発明したとされる島根医科歯科大学の教授、
さらに、熊谷助教は免疫応答阻害剤の発明をすでに完成し、ドイツの製薬メーカーを通じてドイツ特許庁に特許出願済みであるというのである。これが、名児耶教授の開発したものと同じものかどうかは判明していない。名児耶教授の方は、在籍する島根医科歯科大学と伊野國製薬を共同出願人として、本免疫応答阻害剤の発明を日本特許庁に出願している。それが昨年末のことである。特許出願は一年半後に一律で公開される。したがって、本出願が公開されるのは、まだ一年近く先である。熊谷助教の出願が昨年の中頃くらいではないかとの憶測がある。名児耶教授の出願より早いのである。
瀬奈人は以下のようにメモをとって整理した。
名児耶教授 日本出願 2016年11月 公開 2018年 5月
熊谷助教 ドイツ出願 2016年 6月? 公開 2017年12月?
このままでは半年差で名児耶教授が敗けてしまう。いや、日本が敗けてしまうのだ。なぜこんなことになったのか。瀬奈人は一連の説明をもとに以下のように推測した。
技術開発の速度は同じようなものであった可能性が高い。むしろ名児耶教授が先行していたのだろう。しかし、国によって特許の審査の厳しさが違う。一言でいえば日本が非情に厳しいのである。日本の場合、医薬の特許をとるには、実用段階の臨床試験、つまりフェーズ・Ⅲに至る必要がある。そこまで行かなければ、発明が実施可能とはいえないというのである。医薬品の臨床試験には、フェーズ・Ⅰ、Ⅱ、Ⅲという三つの段階がある。フェーズ・Iは少数の患者で試験を行い、その薬の危険性を確認する。フェーズ・Ⅱでは少数の軽度の患者に投薬し、効能および副作用の一応の検証をする。フェーズ・Ⅲで、多数の患者に本格的な投薬を行い、効能と副作用の実用的な検証を行うのである。
一方、ドイツなどの諸外国では、特許の審査において、フェーズ・Ⅲまでの信頼性は求めていない。イン・ビトロ、つまり試験管段階で審査が通ることさえある。極論すれば、フェーズ・Iでも十分なのである。さすがに、熊谷助教も効能確認なしに出願することは躊躇したかもしれないが、フェーズ・Ⅱの段階で出願した可能性がある。これが両者の出願日の差になって出たのである。その答えは両出願が公開されるまで闇の中である。
三時間を超える会議は終了し、捜査員は次々に退いていった。それぞれの顔には少なからず疲れが滲んでいた。しかし、これっで開放という訳にはいかない。いくつかの集団に分かれて、先ほどより小さな会議室に向かっていた。瀬奈人もその中にいる。先の会議を受けて、各自の分担を確認していくのである。
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