第8話 免疫応答阻害剤

 瀬奈人せなとは捜査二課の中会議室で、医師の説明を聞いていた。中会議室は五十人ほどは収容できる。その広い空間がむさくるしい捜査員で埋め尽くされていた。これほどの捜査官が本庁に集まるのは、殺人を扱う捜査一課ではよく見る光景であるが、捜査二課ではめずらしい。島根県警の捜査員や、国際犯罪課の捜査員もいるようである。この事件の大きさを物語っていた。

 壇上には、国際医療癌センターの医師が、スクリーンを前に、最新のバイオテクノロジーの解説をしている。薄暗い部屋では、皆、眠気を振り払うだけで必死であった。その内容は瀬奈人には到底理解できない。敢えて彼なりに咀嚼してみるなら次のとおりである。

 通常、人間の細胞は必要なタイミングで必要な量だけコピーを作って増殖していく。そして、時間がたち不要になれば死滅する。なるほど、髪の毛なんかを例にしても容易に想像がつく。これに対し、癌細胞は遺伝子に異常をきたして発現する。一度発現すると自分のコピーを作って無限に増殖していくのである。異常な速さで。しかも死滅することはない。一度、罹患らかんすれば死に至るまで違法コピーをつづけるのである。これまでの抗がん剤は、主に、癌細胞に直接作用してこのコピーを止めるのである。その機構はさまざまにあるが、例えば、癌細胞を認識して、癌細胞のコピーを抑制するものが挙げられる。あるいは、薬剤が癌細胞に侵入し、癌細胞自身を死滅させるものもある。

 今回発明された抗がん剤はこれらとは全く違う機序をもつ。人間には免疫機構めんえききこうが備わっている。具体的には、体内に侵入したばい菌を、白血球が捕食して殺す。だから、風邪をひいても自己免疫力で治る。あれである。この免疫応答を利用して癌を治そうというのである。

 島根医科歯科大学の教授が、この発明を完成させたという。彼は、多くの癌細胞に共通のあるタンパク質を発見した。これが、白血球のある部位と結合する。そうすると、白血球の捕食作用が制限されることを見出したのである。まるで、車のエンジンを切る鍵のようなものである。癌細胞が持っている鍵で、白血球のエンジンがストップするのである。この教授は別の鍵を合成した。この鍵は白血球の鍵穴に挿さる。しかし、これが刺さっても白血球のエンジンはストップしないのである。動き続ける。そこへ、意気揚々と癌細胞が鍵を持って現れる。でも、すでに白血球の鍵穴は別の鍵で埋まっている。鍵は挿さらない。であるから、白血球は働き続ける。それで、白血球が癌細胞を捕食するというのである。紙芝居のようであるが、瀬奈人は、黒い鍵を持って暴れるバイキン男と、金色の鍵を挿した車に乗ってヒロインとともに颯爽さっそうと現れるヒーローを思い浮かべていた。思わず苦笑した。

 冗談はさておき、これは大発明である。将来、ノーベル賞に輝くかもしれない。その薬剤は免疫応答阻害剤めんえきおうとうそがいざいと名づけられた。すでに臨床試験も終了しており、厚労省の認証を待つのみになっていた。おそらく、まったくの盲点だったのだろう。抗がん剤治療は、癌細胞の遺伝子解析、あるいは自己死滅させるアポトーシス機構、さらには自己増殖を抑制するテロメアなどの研究アプローチが主体であった。まさか、古典的な免疫応答が効くとは思ってもいなかったのだろう。それが、地方大学の教授がビッグチャンスをつかんだ所以である。

 この薬剤の薬価はまだ定められていない。しかし、一本のアンプルで数百万円以上になることは必至であるという。小指の爪ほどの液体が数百万円。ダイヤモンドのようなものだ。想像もつかない。投薬の頻度にもよるが治療には一人で一年に数千万円もの費用がかかるという。三割負担としても一千万円以上になる。その余の七割は国の負担であるが、それはいうまでもなく国民の血税である。到底無視できない費用負担である。

 瀬奈人は、すでに集中力を失っていた。プロジェクターの弱い光を浴びて、入眠しかけながら、ぼんやりと以下のようなことを考えていた。

* * *

 特許法の存続期間は出願から二十年である。製薬会社は二十年で開発にかけた莫大なコストを回収しなければならない。本薬の製造と臨床試験は広島県の中堅医薬品メーカー、伊野國製薬が行ってきた。販売もそこが行うことになるのであろう。伊野國製薬いのくにせいやくにしてみれば、特特大ホームランである。本大学の基礎研究に相応の出資をしてきたに違いないが、さほど期待はしていなかったのだと思う。癌を風邪と同じように治すといういのだから、期待は薄い。そんな技術の卵を探し出し、目をつけ、億を超えるような資金をいくつもの研究機関に投入しているのだろう。それは他の製薬会社についても同様である。いつ花が開くとも分からないものにだ。創薬は、ますます困難を極めている。長期戦であり、当たる確率も僅少である。各企業にとって、まさに破産をかけたギャンブルと言える。その莫大な開発コストを、成功した薬剤ひとつですべて回収しなければならないのである。もちろん、それだけでは足らず、次の研究につぎ込むための研究開発費も生み出さなければならない。新薬の価格が高くなるはずである。こうした医薬業界の窮状を考慮すると、特許の存続期間、二十年というのはもはや短すぎるのだろう。

* * *

 著作権の存続期間は、ミッキーマウスとともに長くなってきた。当初、法律は、作品の『公表から』五十年と定めていた。しかし、ミッキーの寿命が近づくと、公表からではなく、著作者であるウォルト・ディズニーの『死後』五十年へと延長した。これにより、ミッキーの命は2003年にまで伸びたのである。しかし月日は流れる。2003年もやがて訪れた。とうとうミッキーマウスもみんなのものになると思われた、そのとき、議論は再燃した。畢竟、著作権法は改正されたのである。著作者の死後、『七十年』。2023年までミッキーの寿命は伸びた。まるで難病を克服したかのように。ところが……、気が付いてみると、2023年ももう間近だ。今、著作権の存続期間のさらなる延長が議論され始めている。次は、誰の死後、何年になるのであろうか。

* * *

 ペニシリンが発明されて八十年近くが経つ。そのころから、特許法の存続期間は実質的に変わっていない。それから、医薬の位置づけ、開発のスタイル、コスト、組織、国々のありかたは大きく様変わりした。見直してしかるべきであろう。発明によっては、二十年では短すぎるのである。少なくとも新薬については、五十年とか百年のスパンの存続期間が必要ではないだろうか。そうすれば、企業が短期に焦ってコストを回収しなくても済む。新薬の価格も常識的な範囲になるように思われる。

 説得力のある改正案だな、などと自賛しながらも、自分がそんな立場にいないことを思い出して、瀬奈人は目を覚ました。気が付くと、プレゼンテーションは、癌センターの医師から、捜査二課の伊丹警視正へと交替していた。

* * *

 最近は刑事にもプレゼンテーション能力が要求される。伊丹いたみ警視正は慣れたものであった。そのプレゼンテーションは、堂々として、滑舌もよく、抑揚もあった。壇上を左右に歩きながら手振り身振りを駆使する。ITのカリスマCEOさながらの立ち振る舞いである。着席したまま下を向いてごにょごんにょと話す、先ほどの医師とは差が明らかだった。階級への敬意ももちろん否定できないが、皆、目が覚めたようである。警視正によると、今回の事件は以下のとおりである。

 本件の免疫応答阻害剤を発明したとされる島根医科歯科大学の教授、名児耶幸則なごやゆきのり、六十二歳。その研究室には、助教、熊谷治輝くまがいはるきがいた。年齢は三十六歳。熊谷助教は二年前に退学している。その転籍先が、シンガポールにある医薬品のベンチャー企業である。ドイツの大手製薬会社の出資で設立されている。創薬を主な研究活動としていた。開発した医薬の製造・販売権、つまり特許の実施権を医薬品メーカーに付与し、そのライセンス料で利益を上げている。株式の公開も視野に入れていた。熊谷助教は、同ベンチャー企業内の研究所で、本件の免疫応答阻害剤の研究を続けている。

 さらに、熊谷助教は免疫応答阻害剤の発明をすでに完成し、ドイツの製薬メーカーを通じてドイツ特許庁に特許出願済みであるというのである。これが、名児耶教授の開発したものと同じものかどうかは判明していない。名児耶教授の方は、在籍する島根医科歯科大学と伊野國製薬を共同出願人として、本免疫応答阻害剤の発明を日本特許庁に出願している。それが昨年末のことである。特許出願は一年半後に一律で公開される。したがって、本出願が公開されるのは、まだ一年近く先である。熊谷助教の出願が昨年の中頃くらいではないかとの憶測がある。名児耶教授の出願より早いのである。

 瀬奈人は以下のようにメモをとって整理した。


 名児耶教授  日本出願 2016年11月  公開 2018年 5月

 熊谷助教  ドイツ出願 2016年 6月? 公開 2017年12月?


 このままでは半年差で名児耶教授が敗けてしまう。いや、日本が敗けてしまうのだ。なぜこんなことになったのか。瀬奈人は一連の説明をもとに以下のように推測した。

 技術開発の速度は同じようなものであった可能性が高い。むしろ名児耶教授が先行していたのだろう。しかし、国によって特許の審査の厳しさが違う。一言でいえば日本が非情に厳しいのである。日本の場合、医薬の特許をとるには、実用段階の臨床試験、つまりフェーズ・Ⅲに至る必要がある。そこまで行かなければ、発明が実施可能とはいえないというのである。医薬品の臨床試験には、フェーズ・Ⅰ、Ⅱ、Ⅲという三つの段階がある。フェーズ・Iは少数の患者で試験を行い、その薬の危険性を確認する。フェーズ・Ⅱでは少数の軽度の患者に投薬し、効能および副作用の一応の検証をする。フェーズ・Ⅲで、多数の患者に本格的な投薬を行い、効能と副作用の実用的な検証を行うのである。

 一方、ドイツなどの諸外国では、特許の審査において、フェーズ・Ⅲまでの信頼性は求めていない。イン・ビトロ、つまり試験管段階で審査が通ることさえある。極論すれば、フェーズ・Iでも十分なのである。さすがに、熊谷助教も効能確認なしに出願することは躊躇したかもしれないが、フェーズ・Ⅱの段階で出願した可能性がある。これが両者の出願日の差になって出たのである。その答えは両出願が公開されるまで闇の中である。

 三時間を超える会議は終了し、捜査員は次々に退いていった。それぞれの顔には少なからず疲れが滲んでいた。しかし、これっで開放という訳にはいかない。いくつかの集団に分かれて、先ほどより小さな会議室に向かっていた。瀬奈人もその中にいる。先の会議を受けて、各自の分担を確認していくのである。

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