東都大学工学部知的情報処理学科人工知能開発専攻の胡桃沢くるみざわ研究室には、重い空気が流れていた。

「――どうしてこんなことになったんだ?」

 倫理観のかけらも持たない胡桃沢教授は、彼にしては珍しく困惑した顔をしている。 

 その前で項垂れているのは、彼の助手を務めている長嶺だった。

「はあ」

「はあじゃない。これは単なるコールド・リーディング・プログラムの非公式実験ではなかったのかね」

「確かにそのつもりでした。単に質問への回答を元に次の質問文を自動生成して、個々に回答された内容によって最終的な回答テキストを自動生成するだけのシステムでした。それも、読んだ人間が多彩な解釈をすることが出来るよう、曖昧な言葉で。それで、自分で勝手に解釈した者がどんな行動をとるのか見るつもりでした」

「そうだろう? ただの街の占い師の電脳版だったはずだ。なのにどうしてこんなことになったんだ?」

 高飛車な胡桃沢教授の物言いに対して、逡巡しながら長嶺助手は答える。

「そのう、それでは回答を生成するための情報が少なすぎるからと、途中から氏名によるエゴサーチだけでなく、政府機関や企業のデータベースにあるビックデータまで参照するようにしたのは、先生の指示によるものだったと思いますが……」

「その通りだが、それのどこが不味かったんだ?」

「いえ、その、それだけであれば問題はここまで拡大しなかったのですが――」

「はっきりしないやつだな。言いたいことがあるのならばさっさと言いたまえ」

「その際、教授の机の上にあるパソコンを経由して、データベースの参照権限を付与しましたよね」

「そうだ。でなければ機密情報へのアクセスは出来ないからな」

 教授は自分の持っている権限を自慢するように言う。

 長嶺助手はそこで、おずおずとこんなことを言った。

「先生、そのパソコンでアダルトサイトを見ていませんでしたか?」

 図星を指された胡桃沢教授は動揺した。

「な、ちょっと、何言ってんの!? 仮にも情報工学科の教授を拝命している者が、そんな軽率なことをするわけが――」

 長嶺助手は、その動揺を無視して話を続ける。

「実は教授の端末に、巧妙なスパイウェアが残されていたんです。それをどうもシステムが取り込んで、学習プログラムの一つとして活用しているらしいのです」

「……マジで?」

「はあ、マジです」

「……すると、元々は自己学習型のコールド・リーディング・プログラムだったものが、ビックデータの参照どころか、個人の端末にあるデータまで参照しているというわけなの?」

「そう考えないと辻褄があいません。利害関係者のメールまで参照できるからこそ、あれだけ正確に市場動向が回答できるんです。完全無欠のインサイダー情報ですよ」

「なんということだ……」

 頭を抱え込んだ胡桃沢教授を暗い目で見つめながら、長峰助手はさらに報告を続ける。

「それだけではありません。システムは自身で多言語化のバージョンアップを成し遂げています。これで、世界中のありとあらゆる情報を参照することが可能になるでしょう。既に画面上にも言語選択の欄が出現しています」

「だったら、今すぐサーバ上のプログラムを停止したまえ! 解決策はそれしかあるまい!?」

 そこで胡桃沢教授は、長嶺助手の顔が蒼白になっていることに気づく。

「まさか……」

 全身を震わせている胡桃沢教授を凝視しながら、長嶺助手はこう言った。

「私が気がついた時にはもう遅かったのです。私のパソコンの研究記録まで参照され、プログラムは管理者権限と一緒にどこかへ消えてしまいました」

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