あたしが弾けて分かった日

 イルキに抱きしめられた翌日からも、あたしはまだ早起きして一人で学校へ行っていた。昨日までとの気まずさとは全然違うけど、今一緒に通学してもちゃんと話せる自信がない。今までとは全然別の、どうすればいいのか分からない気まずさだ。

 イルキはあたしを恋愛的にも好きだと言った。よく分からなくて、理解できるまで少しかかった。

 全然知らなかった。イルキには、仲はいいけど手のかかる姉弟くらいに思われていると思っていた。もっと詳しく聞こうと思ったらイルキは逃げてしまって、引き止めたら転んで二人共床に倒れた。

 いつもならごめんねと言ってすぐに起き上がっていたと思う。でも、あたしの下敷きになっているイルキを、あたしを好きだと言った一人の男の子として考えたら、急に体が動かなくなった。

 イルキはあたしを姉弟としてじゃなく、女の子として見てたんだ。真っ赤な顔をしているイルキを見たらそう思ってしまって、首筋が熱くなってますます動けなくなった。

 それでも重いだろうから早くどかなくちゃと思って体をずらしたら、強く抱きしめられて変な声を上げていた。前に部屋に寝かせてもらった時と同じ匂いが、イルキのワイシャツの胸元からした。

 そこからお母さんが部屋に入ってきて、あたしは恥ずかしさとよく分からないぐちゃぐちゃの気持ちのまま部屋から外に飛び出していた。とりあえずマンションの下まで降りて、駅前の方へ走り出した。

 よく分からなかった。イルキがあたしを好きだったことも、今自分の気持ちがどうしてこんなに乱れているのかも。翼に告白された時はこんな風にならなかった。翼が女の子みたいだったから実感が沸かなかったというのもあるかもしれないけど、それとは何だか違う。

 それなら、あたしも恋愛的にイルキを好きだったんだろうか。でも好きならもっと喜びそうだし、イルキのことは本当に弟だと思っていた。

 じゃあ、今このぐちゃぐちゃになっている気持ちは何なんだろう。

 何か飲み物でも買って駅前で少し落ち着こうと思ったら、財布を持っていないことに気付いた。結局あたしは上の空で駅ビルのお店をぐるっと回ってから家へ戻った。

 そうしてイルキに告白されてから数日たって、家族全員で夕食を囲んでいる時、お父さんが言った。

「二人共、花火には行くの?」

 すっかり忘れていた。もう七月の半ばで、地元の花火大会の時期だった。

 お父さんはまだ変な雰囲気が続いたままのあたし達を気にしているようだったけど、お母さんにたしなめられてからは黙っていた。でも突然口をきかなくなったら心配するのは当たり前だと思う。数日前から気まずさの種類が変わってるのにも気付いてるのかな。

 同じ家にいると、ケンカした時とか嫌でも顔を合わせなきゃいけなくて辛いんだなあとあたしは身に染みて感じ始めていた。

 花火、今年も行こうねとイルキと約束したけど。あの時はまだ何も考えてなかったけど。

「こいつが行きたいって言ってたから一応行くつもりだけど」

 テレビの音にかき消されそうなくらいの音量でイルキが呟いた。

「まー絵美が迷子にならないように頼むわね」

 お母さんがごく当たり前のように返して、花火の話題はそれ以上続くことはなかった。

 イルキ、行ってくれるの? 行きたいと思ってくれてるの? あたしまだまともにイルキと話せてないのに?

 夕食が終わって、部屋へ戻ろうとしているイルキをあたしは廊下で呼び止めた。

「あ、あの……あのね、花火、一緒に行ってくれるの?」

 話しかけ辛かったけど、言葉にしたら意外とあっさり口にできた。イルキは一瞬気まずそうに目をそらしたけど、ぎこちないながらも目を合わせてくれた。

「行きたかったんじゃねえの」

 もちろん行きたかったけど。こんな状態で一緒に行ってイルキは大丈夫なんだろうか。

「行きたくねえの?」

 尋ねられてあたしは思い切り首を横に振った。

「行きたいよ!」

「じゃあ余計なこと心配すんなよ」

 イルキは一度言葉を切って何か言いたそうに口を動かした。

「俺と行くのやだったらちゃんと断れよ」

「やじゃないよ!」

 素直に口をついて出たように、嫌ではなかった。ただ、どうしていいかよく分からないだけで。

 するとイルキは少し困ったような表情をしてあたしから顔をそらした。

「じゃあ素直に行っとけよ……俺も花火見てーし」

 付け加えられた言葉はとても小さくて、聞き逃しそうになった。でもイルキがあたしを気遣ってくれたのと、横顔をよく見たら、いつものように少しふてくされた風に恥ずかしがっているのが分かった。

 そっか。変に避けてるのはあたしだけなんだ。イルキはちゃんといつも通りに接しようとしてくれてたんだ。

「うん。分かった。じゃあ行こうね。絶対だよ」

 あたしはようやくイルキの目を見て少しだけ笑うことができた。

 返事をしなきゃいけない。だから一刻も早く、このぐちゃぐちゃの気持ちの正体をつきとめないといけない。


 翌日からあたしはイルキと同じ時間に家を出るようになって、同じ電車に乗るようになった。まだあたしがぎこちない部分はあったけど、イルキは変わらずいつも通りだった。告白の返事を迫ることもなかったし、表面上は以前と同じ関係に戻っているように見えた。

 翼の告白からは「返事は保留でいいよ」という言葉に甘えて一週間がたってしまっていた。

 あたしは本当に身を切るような気持ちで、翼にごめんなさいと言った。散々待たせてしまったのに、翼の気持ちに応えることはできなかった。それが本当に申し訳なかった。

 翼のことは恋愛として好きじゃないというのは何となく分かった。女の子の見た目が強かったというのもあったけど、翼はあたしの中で感覚的に『友達』と断言できたからだった。

 告白されたのと同じ別塔の階段で、あたしの返事を聞いた翼はいつもと同じように笑った。

「分かった。わざわざありがとう」

 あたしが悲しくなる理由はまったくないのに、何だか泣きそうな気持ちになってしまった。

「別に絵美が申し訳なさそうにすることないよ。こればっかりは気持ちの問題だからね。どうにかなるようなことじゃない」

 あたしは頷いたけど、翼の目を真っ直ぐに見られなかった。

「イルキから何か言われた?」

 急にイルキの名前が出てきて驚いて体が跳ねていた。

「な、何で?」

「いや? ちょっと前につついておいたから。別に何もなければそれでいいよ」

 翼はじゃあね、と手を振って階段の踊り場から下っていこうとする。

 あたしはとっさに翼の腕をつかんでいた。驚いたように翼があたしを振り返る。

「あの、あのね。明日からも友達だと思ってていいかな!」

 階段に声が響いた。勝手な願いだったけど、言わずにはいられなかった。断られるとしても言っておきたかった。

 翼は呆気にとられたように口を開けて、声を上げて笑い出した。

「やっぱり絵美は絵美らしいね」

 翼は微笑んで、あたしがつかんだ方と反対の手であたしの頭を撫でた。

「いいよ。君が必要だって言うんなら。僕は君のことが大好きだから」

 安堵と、申し訳ない気持ちと、感謝がごちゃ混ぜにこみ上げてきて、あたしは翼の腕をぎゅっと握りしめた。

「あたしも翼のこと好きだよ!」

「んー、何か複雑だけどそれはそれでいいことにするよ」

 頭を撫でる翼の手はお姉さんのようで、もしあたしにお姉ちゃんがいたらこんな感じだったのかなと思った。でも翼は男の子だからお兄ちゃんになるのかな? 何だか不思議な感じがした。

 そうして翼とあたしは友達に戻って、あたしはぐちゃぐちゃになった時の気持ちを紐解こうと、暇さえあればずっとそのことを考えていた。

 実際、時間がたったのとイルキと表面上は元通りに話せるようになったおかげで気持ちはほとんど落ち着いていた。けど、心の奥に引っかかりが残って取れない。思い出すと胸がざわざわし始める。だからこれが何なのか分からないとイルキに返事ができない。

 でもあんまり待たせても駄目だ。今週末までに分からなかったら、ごめんなさいと言おうと思っていた。

 けど、あたしは分からない気持ちを抱えたまま週末の土曜日を迎え、イルキと約束していた花火大会に出かけることになった。


 慣れない浴衣と下駄で外に出ると、思ったよりまだ空は明るかった。こんなに明るくて大丈夫なのかな? 去年もこうだったっけ? と考えながら、イルキの隣を歩く。

 去年は浴衣じゃなかったので、今年は浴衣で行きたくて、お母さんに着付けてもらった。白地に薄紫色のスズランの柄だ。けど髪の毛は自分でやったので思ったより時間がかかってしまった。編みこみにして横でくるんと留めただけだけど、初めてやったので何回かやり直した。普段は下ろしていることが多いけど、浴衣なんだからアップにしたい! と思ったんだけど。

 外は思ったより暑くなくて、でも浴衣って洋服より暑いんだなと思った。長袖と帯があるからかな?

 去年は焼きそばやらじゃがバターを買っている間に花火が始まってしまったので、来年は一時間ちょっと前に来ないと駄目だね! とイルキと話した気がする。イルキは「別に並んでる間に上がってもいいじゃん」と言っていたけど。

 かごバッグの中から携帯を出して時間を確認すると、十七時五十五分だった。打ち上げは十八時四十五分だから、ギリギリ間に合うか間に合わないか、かな?

「もうちょっと早く準備すればよかったね。ごめんね」

「今何時?」

 イルキが隣から携帯をのぞきこんでくる。あたしは反射で体を硬くしていた。

「えと、五時五十五分」

「普通に間に合うだろ。別に並んでる間に上がってもいいし」

 あ、去年と同じこと言ってる。あたしは少しおかしくなった。けど、この前までのあたしだったらリビングでイルキに浴衣を見せた時、真っ先に「似合う?」と駆け寄っていただろうし、今だってちょっと近付かれたくらいで構えたりしない。やっぱりまだ元通りじゃない。でも喋りたくない訳じゃなくて、喋りたいことはむしろたくさんある。

「イルキ、浴衣着ないの?」

 イルキはあたしの方を向いて眉根を寄せた。

「着ねーよ。めんどくせえ」

 今日のイルキは黒のTシャツにカーキのハーフパンツにスニーカーでかなり楽ちんそうな格好だった。

「でも、浴衣でおそろいにしたら楽しそうなのに。あ、じゃあ」

 来年は二人で浴衣で来ようね。そう言おうとしてとっさに口をつぐんだ。

 言わなくてよかった。明日までにあたしは自分の気持ちが何なのか分からないとイルキにごめんなさいと言わないといけないんだ。もしそうなったら、いくらイルキでも来年一緒に花火に来てくれることはないと思う。

 でも、もし姉弟に戻れたら、また何も考えずに楽しく来られるのかな。

「何?」

 変なところで言葉を切ったあたしを、イルキがいぶかしげに見つめている。

「あ、や、えっと、何食べようか? 何食べたい?」

 変なのはあたしだけだ。イルキはもう前と同じように戻っているのに。しっかりしなきゃとあたしは心の中で自分を叱って、何でもないように話を続けた。


 川原に続く道へ出ると、一気に人通りが増えた。電車に乗って来ている地元以外の人達がここから合流するからだと思う。

 いつも車が通っている道も今日は歩行者天国になっていて、道の真ん中を歩ける。道の両脇にあるコンビニ、スーパー、パン屋さんも、ここぞとばかりに路上で食べ物飲み物を売っていて、お客さんが集まっている。

「あ、イルキ、つくね食べたい! 去年のとこの!」

 あたしは道の先を指差した。去年この道で個人経営の居酒屋さんが路上でつくねを焼いていて美味しかったのだ。「来年はやらないから今食べとかないと食べられないよー」とおじさんが叫びながら焼いていたけど、今年は本当にやってないのかな?

 イルキは思い出したように「あー」と言って道の先を見た。

「美味かったもんな」

「左の方じゃなかったっけ」

 道なりに歩いていくと、左手側に去年見たつくね売場が見えてきた。

「あ、やっぱり今年もやってたね!」

 横長のテーブルと並んで、網の上でつくねを焼くおじさんの姿が目に入った。おじさんは嘘つきだったけど、それはそれで嬉しい。

「何本食べる?」

 お会計をするテーブルの上に出ている値札は、つくねとしては結構高い。お祭り価格なんだろう。でも去年食べて美味しいのは知っているから、一本は食べたい。

「三本で半分にすればいいんじゃねえの」

 一本の串に刺さっているつくねは二個だから、一人三個で分けられる。

「あ、うん。じゃあ三本で」

 丁度誰も並んでいなかったので行こうとしたら、イルキの方が早かった。あたしはイルキの後をついていく形になる。

 テーブルにはおじさんの娘なのか、あたしより年下そうな中学生くらいの女の子が立っていた。去年も接客していたのはこの子だった気がする。

「三本で」

 イルキが言うと、女の子は「はい。三本ですねー」と元気よく笑顔を見せて、トレイの上から焼けたつくねを取ってタレにつけてパックに入れた。隣では炭火の網の上でおじさんがつくねを転がしていて、つくねの焼ける香ばしい煙が漂ってくる。

「去年も食べました。美味しかったです」

 あたしがおじさんと女の子を交互に見ると、女の子ははにかんだように笑って「ありがとうございます」と言ってくれた。

「おー毎度毎度! 今年も彼氏と来てくれたの?」

 おじさんが邪気のない笑顔であたしを見て、一瞬言葉につまった。

「あ、えっと」

姉弟きょうだいです」

 横からイルキが言葉を滑りこませてくる。イルキはちょっと笑っていた。よそゆきの顔してる! と内心少し驚く。

「ああ、そうなんだ? あんま似てないね? でも仲良いんだね」

「はい! 仲良しなんです!」

 なぜかあたしは力説していた。

 おじさんと女の子に多少不思議な顔をされながら、あたしとイルキは買ったつくねのパックを受け取って人の流れに戻った。

 何か、今のくだり、前にもあったような。でもその時あたし特に何も感じなかったよね? 多分普通に「姉弟です」って言ってたよね?

 でも、イルキがいるのにあっさり「姉弟です」って言うのは申し訳ない気がして言葉につまってしまった。やっぱり、イルキがあたしのこと好きだって今は知ってるからかな。

 一人気まずい気持ちになっていると、イルキは隣で歩きながらパックを開けてつくねを一本取ってから、パックをあたしに差し出した。

「こぼすなよ」

 あ、パック使っていいんだ。あたしはお礼を言って、二本つくねの入ったパックを受け取った。確かに浴衣が白いからタレをこぼすと残念なことになる。

 気を付けてつくねを一口頬張ると、ほろほろお肉の食感と炭火の香りが口の中に広がった。

「美味しい! やっぱり」

 イルキも口をもぐもぐさせながら頷く。

「美味いな」

 できたてだからというのもあるだろうけど、一年ぶりに食べるつくねはとても美味しかった。軟骨が入っているのか時々こりこりする歯ごたえも楽しい。噛めば噛む程うまみが出てくる。

 少しもやもやしていた気持ちも、美味しいものを食べた幸せで満たされていく。三本目のつくねはイルキに先に一個食べてもらい、タレをこぼすこともなくあっという間に食べ終えた。

「うーもっと食べたかったけど、他にも色々食べるもんね」

 つくねのパックをタレがつかないように持参してきたゴミ袋に入れる。花火大会も二回目なので、持ってきた方がいいものは去年学習した。水筒もちゃんと持ってきている。ティッシュはもちろん必需品だ。

 ゴミ袋はイルキが持ってくれたので、手が空いたあたしはイルキの二の腕に手を伸ばしていた。ということに触れる前に気付いて手を止めた。

 普段、割と何気なしにイルキの腕をつかんでしまい、よく「つかむな!」と怒られていた。あたし自身は特に深い意味はなくて、ただ隣にいるからつかんでしまうのだけど、今の状態だとさすがにつかむのはどうなんだろう。

 と、考えたところでイルキがこっちを見た。変な位置で固まっている手も見られてしまい、素早く手を下ろす。

「な、何でもないよ!」

 えっと、何であたしこういうの下手なんだろう。いくら何でも不自然すぎるよね。絶対変って思われたよね。

 案の定、イルキは怪訝な顔で眉をひそめて、でもそれからなぜかふてくされたような変な顔をしてあたしから目をそらした。

「つかみたきゃつかんどけよ。気ィ遣われると調子狂う」

「え、でも何か悪いなと思って」

「やだったらつかめとか言わねーよ」

 よく分からなくてあたしはイルキを見つめた。もしかして照れてる? でも今回ばっかりは読み取れなかった。

 あたしはよく分からなくて前みたいに接せないのに、イルキはそれもいいって思ってるのかな。

 イルキの言葉を無視することもできず、あたしはイルキのTシャツの半袖を指先でつかんだ。振りほどかれたらすぐに離れてしまう程の力で、弱く。


 川原に着いて土手を下りると、川沿いに並んだ屋台と人の波で熱気に溢れていた。あたしは弱々しくイルキの袖をつかんだまま、はぐれないように気を付けながら一緒にじゃがバターとたこ焼きを買った。人が多かったからか、並んでいる間も何となく話しかけるのをためらってしまった。

 嫌だな。普通にしなきゃと思えば思う程ぎこちなくなっていく。イルキも元々話す方じゃないし、いつも何を話してたっけと思う程、言葉がつまって出てこない。

 ほとんど喋らないまま、あたしとイルキはじゃがバターとたこ焼きを持って土手から車道に上がる。確か去年は車道の端に立ち止まって見ていたから、今年もそうしようかということになった。

 空いている場所を見つけて、立ち止まってじゃがバターとたこ焼きを黙々と消化する。携帯を出して見てみると、十八時四十分だった。

「何時?」

 イルキがたこ焼きを頬張りながらあたしを見る。今度はのぞきこまれない。

「四十分。あと五分。今年は間に合ったね」

 イルキはたこ焼きを食べながら頷く。

 そうしてじゃがバターもたこ焼きも食べ終わってゴミを袋に入れている最中に、盛大な火薬の音と共に花火が打ち上がった。あたしは急いで袋にパックを入れて空を仰ぐ。

「うわ、近いね!」

 前にいた浴衣のカップルが顔を合わせて驚いている。今年が初めてなのかな? 楽しそうに笑い合っているのを見て、あたしは空に視線を戻した。

 一発、一発と最初だからかゆっくりなペースで花火は上がっていく。

 綺麗だけど、何だか少し淋しくなる。隣にはイルキがいるけど、「綺麗だね」って話しかけられない。

 結局、あたしはどうしたいんだろう? 翼のことは友達だって思って断ったのに、このままだと分からないままイルキのことも断ることになってしまう。無意識に隣にある腕をつかんでしまいそうになるのに、つかめない。だって、分からないままつかんじゃ駄目だ。

 あたしはイルキとどうありたいんだろう。

 打ち上げの音が立て続けに聞こえて、お腹に響く音と共に、大きな花火が空を埋めつくすように一斉に花開いた。

 目の前が昼間のように輝いた。歓声と拍手が次々と上がって、あたしはイルキを振り向いていた。

「すごい! 綺麗だね!」

 反射で、せっかく無意識に話しかけていたのに気まずかったんだと思い出してしまって、何で思い出すのあたしの馬鹿! と思った。せっかく、せっかく構えずに普通に話せたのに。

 けれど。イルキはやや驚いたようにあたしを見てから、本当に少しだけ、口元をほころばせた。

「そうだな」

 本当に少しだけだったけど。暗いから見間違いかもしれないけど。

 イルキが素直に笑ってくれた。

 あたしは何も考えずにイルキの手を両手で取って揺さぶっていた。

「イルキ笑った!」

 イルキは数秒間唖然あぜんとしてされるがままになっていたけど、気付いたように眉をひそめた。

「は?」

 イルキはまだ思考がついてきていないみたいだけど、あたしの頭の中は今とってもすっきりしていた。それこそ本当に花火が弾けて消えたみたいに。

「何笑わないキャラみたく言ってんだよ?」

 イルキはつかまれている手に気付いていないのか怪訝な表情のままだ。あ、でも今日は腕つかんでいいって言ってたから気にしてないのかな。

 あたしは思い切り首を横に振った。

「違うよ! 照れてることはいっぱいあるけど、イルキあんまり素直に笑わないよ!」

「けなしてんのか?」

 さっきまでが嘘のように言葉が溢れてくる。

 だって、分かったのだ。イルキが笑ったら、花火が弾けたように分からなかったことが弾けたのだ。

「イルキが笑ってるとあたしも嬉しい!」

 イルキはあたしを見て、かなりぎこちなく視線をそらした。照れてる。今はちゃんと分かる。

「や……だからどうしろと」

 あたしはイルキの手をつかんだまま、分かった気持ちを言葉にしたくてやきもきした。花火の開く音がお腹に響いてくるけど、今はそれどころじゃない。

 あたしはイルキと一緒にいたい。一緒に喋って、すごして、笑い合っていたい。

 イルキのことは弟として大好きだったから、ずっとそれが続くんだと思っていた。だから好きだって、姉弟としてじゃなく一人の人として好きだと言われた時、よく分からなくなった。イルキがそういう風に考えてたんだって初めて知ったから。

 だから、ぐちゃぐちゃになった。びっくりして、どうしていいのか分からなくて、前みたいに接せなくなった。イルキはあたしを女の子として好きで、そうするとあたしとイルキの関係は今までと全然違うものになってしまうと思った。

 あたしは、変わってしまうのが怖かったんだ。

 でも、あたしの言葉にイルキが返してくれた笑顔を見たら、急に頭の中にかかっていたもやが晴れたように分かった。

 イルキがあたしを好きでも、あたしがイルキと仲良くいたいのは変わらないし、イルキもあたしと仲良くありたいと思ってくれていることを。姉弟同士と彼氏彼女では変わることもあるけど、イルキと一緒にいたくて、イルキを弟としても一人の人としても大切なのは変わらないんだと思った。

 これが一般的に言う『好き』なのかよく分からないけど、今、誰よりも一緒にいたい。

 それに、付き合うってことはきっと抱き合ったりキスしたりすると思うんだけど(イルキからそうアプローチされるのかな? あんまり想像できないけど)、前に抱きしめられた時も嫌ではなかったし、本当にどうしても駄目な時があったら、言えばイルキは待ってくれると思う。

 一緒にいたから、あたしが一番よく知ってる。イルキはちゃんとあたしのことを考えてくれる。いつも、感謝しても足りない程。

 だから、ちゃんと伝えなくちゃ。

「あのね! イルキ」

「ちょ、ちょ、待て! ちょっと待て!」

 イルキが恥ずかしそうな怒ったような表情で、あたしが握っていない方の手をあたしの目の前に出した。

「何?」

「後にしろ後に!」

 イルキが気まずそうに目をそらして、ようやくあたしはまわりの人達が一斉にこちらを見ていることに気付いた。さっきの浴衣のカップルも振り返って興味津々のまなざしをこちらに向けている。

「あ、ご、ごめんね」

 あたしはイルキの手をつかんでいた両手を離した。そりゃそうだよね。結構大きな声出しちゃったし。

「えっと、じゃあ後で話したいことあるんだけど、いい?」

 イルキは恥ずかしさを残した顔のままあたしに目を向けて、頷いた。

 打ち上げの音がして、あたしは空に目を向ける。

「じゃあ花火見よう! ね?」

 ようやくあたしは何も考えずに笑うことができた。イルキが頷いて空を見上げたのを見て、心が温かくなって自然と口元が緩んでいた。

 そうしてあたしはたくさん上がった花火に「綺麗だね」と言って、花火が終わった頃、いつの間にかイルキの腕をつかんでいた。いつつかんだのか分からないけど、いつものように、無意識に。


 電車に乗って来ている人達がはけて地元の人達しか通らない道まで来ると、人影もまばらになった。あたしとイルキは涼しくなった夜風を浴びながら家までの道を横に並んで歩く。

「あのね、さっきの話なんだけど」

 もういいかなと思ってイルキをのぞきこむと、イルキは一瞬身構えたように目をそらして、頷いた。何だかあたしも緊張してくる。

 街灯もまばらな裏道の端に寄って立ち止まると、イルキも歩くのをやめた。あたしはイルキに正面から向かい合う。

「あのね、あたしイルキのこと好きだよ」

 さっき溢れてきた気持ちを言葉にしていく。ちゃんと伝わるように、伝え忘れることのないように。

「弟としても、人としても。これが恋愛の『好き』と同じかは分かんないんだけど、でもとっても大事で、すごく一緒にいたい。だから、それでもよければお願いします!」

 まくし立てるように叫んでいた。

 あたしは最後まで恋愛の『好き』が分からなかった。でもこれがあたしの気持ち全部だった。

 けどこれでイルキが、そんなのは違う、好きじゃないと言ったら、あたしは受け入れるしかない。でも、本当はイルキと姉弟にすら戻れなくなるのは悲しくて、辛くて、嫌だった。

 イルキから目をそらしたくなるのをこらえて見つめていると、イルキの方が先に視線を外して険しい顔をした。

 やっぱり、駄目なのかな。こんな曖昧な返事じゃ何も伝わらないのかな。

 沈黙が長くて、静かなのに空気が刺さるように痛かった。

「なあ」

 イルキの声が場を裂いて、あたしはイルキを見つめた。イルキは真剣な顔をしていて、何を考えているのかは読み取れなかった。

「後悔すんなよ?」

 何のことだかよく分からなくて少し考えてしまった。

「えっと、何を?」

 結局分からなくて尋ねてしまう。イルキは視線をそらして、ふてくされたような顔をした。

「返事受けたの。後でやっぱなしって言っても聞かねーからな」

 イルキの言葉を頭の中で噛み砕く。イルキの顔を見て、ぱっと目の前が開けたように気付く。

 照れてる。じゃあ、イルキはあたしのこと受け入れてくれたってこと?

「そんなこと言わないよ! あたしイルキにだったらぎゅーってされたりキスされたりしても平気だもん!」

 思わずイルキの手を両手でつかんでいた。

 何だか泣きそうな気分だった。『好き』が分からないって言ったのに、それでもいいって言ってくれるイルキが優しくて、とっても大事で。でも本当に泣いたら困らせてしまうだろうから、あたしは心の中の気持ちを噛みしめてイルキを見上げた。

 イルキの見開いた目と目が合って、思い切り顔をそらされた。街灯があんまり近くなくて薄暗いのに、あれ、何だかイルキが真っ赤になっているような気がした。

「っていうか道端でそういうこと言うな! アホか!」

 あれ、怒ってる? 照れてる? 確かに勢いで言ったから道端で言うことではなかったと思うけど。

「でもちゃんと考えたんだよ。その、前にぎゅってされた時は逃げちゃったけどあれはびっくりしただけで、やではなくて、やじゃないってことはつまりぎゅってされても平気ってことで」

「あーもういい! いいから! 言うな!」

 イルキに大声で遮られて、そっちの方が道端の近所迷惑なんじゃないかと思った。

 イルキはあたしから顔をそらして、多分赤い顔で怒ったように黙りこんでいたけど、あたしに手をつかまれたまま歩き出した。

「帰るぞ」

 あたしは両手でイルキの手をつかんだまま一緒に歩き出す。

「ねえイルキ、明日からも仲良くしてくれる?」

 聞いたのは本当に念のためだった。細いけれど、確かに昨日までと違う何かがイルキとの間に繋がったような気がしていたから。

 イルキはしばらく無言で歩いて、隣のあたしを振り向いて不機嫌そうな顔をした。

「後悔すんなって言っただろうが! 聞くな!」

 噛みつくように言ってから、ものすごく納得がいかなさそうな顔をして、あたしの視線を振り切るように前を向いた。

 あたしは思わず笑ってしまっていた。素直じゃないけど、知ってる。イルキはあたしの大好きなイルキだった。

「明日から、あ、今からまたよろしくね!」

 両手で握っていたイルキの手を片手に握り直して軽く振ると、イルキは何か言いたげに横目であたしを見た。

「つーかお前さ、ほんとは……」

 最後の方がよく聞こえなくて、あたしは首を傾ける。

「ごめんね? よく聞こえなかった」

 イルキはそっぽを向く。

「何でもねえよ」

「『ほんとははくしんかん』……?」

「微妙に聞こえてんじゃねーかよ!」

 でも意味が分からないのでどういうことか尋ねたけど、教えてもらえなかった。

 あたしはんーんーうなりながらイルキから答えを聞き出そうと、手を繋いで家までの帰り道を歩いていった。

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