あたしがあの子に言ったこと
四月になり、あたしとイルキは高校生になった。
高校は家から徒歩+電車で三十分くらいのところで、赤いチェックのスカートが可愛いから! という理由で選んだ。
とっても嬉しいことに、イルキも同じ学校だった。
去年の秋冬くらいに志望校の話を聞いた時、イルキの志望校はあたしと同じところに変わっていて、「何で何で?」と思わずつめ寄った。だってあんなに「お前と同じ学校はやだ」って言ってたのに! ものすごくしつこく「何で何で何で?」と聞いたけど、「しつけーな! どこ受けようが俺の勝手だろ!」と結局教えてもらえなかった。
何かやましいことでもあるのかな? 好きな子と同じ学校に行きたいとか?
でも何にせよあたしはイルキと同じ学校でとても、とっても嬉しかった。今まで学校が別々だったから、一緒に通学できるだけでも既に嬉しい。
クラスは分かれてしまったけど、部活は同じ吹奏楽部に入った。イルキは中学から吹奏楽部でユーフォニウムをやっていて、あたしはトランペットをやっていた。吹奏楽部が超強豪! という学校ではなかったので、二人共希望の楽器を取ることができた。
「やっぱりイルキはユーフォって感じだよね」と言ったら、「意味分かんねえ」と返された。何か楽器が人柄を表してるっていうか。これで一緒に合奏したい! という夢も叶った。
中学の時は面倒だからと『
入野さん、って呼ばれるのにはまだ慣れない。でもイルキはクラス違うからあたししかいないんだけど。部活の子達は名前呼びだし。でもイルキと顔が似ている訳ではないので、苗字同じなんだねーくらいにしか言われなかった。一応、親しくなった友達や部活仲間には
と思っていたら、ある日ふとひらめいてしまって、部活の時真っ先にイルキに駆け寄った。
「気付いたんだけど、あたしとイルキが結婚しても苗字変わらないんだね!」
イルキは時が止まってしまったように固まって、段々顔を赤くしていった。
あれ、何で? 息止めてる? そうだなって言って欲しかっただけなんだけどな。
「あ、もしかして義理の姉弟って結婚できないんだっけ?」
あたしの早とちりだったのかな? 苗字変わらないって便利そうだよねと思ったのに。
イルキは赤い顔のまま何だか震えながら、「知らねーよ馬鹿!」と叫びながら走り去っていった。
「早まるな!」とか「泣いてた? 泣いてたよな?」とかまわりの部員からちらちら声が聞こえてきたけど、「イルキ? さぼりはよくないよー!」と叫んでおいた。合奏までには戻ってきてくれるかな。
結局イルキはすぐ引き返してきたけど、あたしはなぜか後で部員の子達に「親が養子縁組してなきゃできるらしいよー。でもイルキ頑張……あ、ううん、何でもないー」と言われた。やっぱりできるんだね。後で教えてあげよう。
そうして入学式から一ヶ月くらいたつと、学校生活にも段々慣れてきた。満を持して、あたしは高校に入ったら絶対やろうと思っていたことを実現させるため、イルキを外へ引っ張り出した。
美容院であたしは迷わず髪色のサンプルがくっついたカラーリストの中からミルクティー色を選んだ。中学は髪染め禁止だったので、高校に入ったら絶対染める! と決めていた。
明るい色は脱色してからじゃないと綺麗に入らないと担当のお姉さんに言われたけど、最初から脱色するのは何だか痛みそうなのでそのまま入れてもらうことにした。
ついでに肩下だった髪の長さは変えずにすいてもらい、毛先に緩くパーマもかけてもらって、フルコースでやると長いんだなーと思いながら三時間後くらいにようやく全部終わった。
解放されたあたしは待合用のソファに走る。イルキは結構前に終わっていて、先に帰ってもよかったのに、「お連れ様待っててくれるそうです」と担当のお姉さんに伝言してくれた。こういうところが優しいなあと思う。
「お待たせ! じゃーん、どうかな? ……あ」
ソファで退屈そうに雑誌をめくっていたイルキがあたしを見上げて、びっくりした。
イルキの髪の毛はワインレッドと茶色の中間くらいの暗い赤茶になっていた。髪型も何だか色々なところに跳ねた形にセットされていて格好いい。
高校入ったら絶対染めようね! 何色がいいかな! と話していて、「あたしはミルクティー色で、イルキは赤ね!」と言ったら「ねーよ!」と言われたのに。「じゃあ青?」と聞いたら「原色しかねーのかよ!」と返されたけど。
あたしは思わずイルキの方に身を乗り出していた。
「イルキ、赤にしてくれたんだ!」
イルキは目を見開いて思い切り体を引く。
「ちけーよ! 離れろ!」
「あ、ごめんね」
あたしは気付いて体を離した。
でも、イルキが本当に赤にしてくれた。それだけで嬉しくてたまらなかった。イルキがあたしのことを思ってこの色にしてくれたんだっていうのは分かる。
――毎日一緒にいるからもうそれくらいなら通じるよ。辛抱強くあたしに付き合ってくれて、色々なことを教えてくれる。それくらい優しいんだって知ってるよ。
すごく心が弾んでイルキに飛びつきたい気分になったけど、さすがに暑苦しそうなのでやめておいた。くっついたら「馬鹿! くっつくな!」って言われそうだし。
あたしの髪色は少し暗めのミルクティー色で、自分でも大満足なくらい綺麗な色に染まっていた。毛先もふわふわにしてもらって軽くなったし、今の気持ちにぴったりだ。
「彼氏さんですか?」
担当してくれたお姉さんがあたしの横にやって来て、無邪気な笑顔を浮かべる。
「っえ、ちょ、違っ」
「弟です」
イルキが変な声を上げて勢いよくソファから立ち上がったけど、あたしの言葉を聞いてまた大人しく元の位置に座り直す。
「あ、そうなんですか。ごめんなさい。でも仲良しなんですねー。うらやましい」
「そうなんです。仲良しなんです」
イルキは優しくて大好きな自慢の弟だ。お姉さんにもこのぱちぱち弾ける気持ちを分けてあげたくて、あたしは心の底から笑顔を見せた。
お会計を済ませて美容院から出ると三時すぎになっていて、あたしとイルキは頼まれていた夕食の買い出しのためにスーパーへ向かって歩き出した。五月になってから陽射しは段々強くなってきているけど、まだ風もあるしすごしやすい気温だった。
あたしは隣で歩くイルキを見上げながら、笑顔になるのを止められなかった。
「何笑ってんだよ。気持ちわりいな」
イルキが嫌そうに眉をひそめる。でも、笑ってしまう。
「だって嬉しくて。あんなに赤やだって言ってたのに、ちゃんとしてくれたんだね」
「いやこれ茶色だし。赤じゃねえし」
イルキは前を向いて、何だか不機嫌そうに目を伏せた。あ、照れてると思って、あたしはやっぱり笑ってしまった。イルキはいっつも素直じゃなくて、でもそういうところが可愛いなと思う。
「そういうのツンデレって言うんだよね?」
悪気はなかったんだけど、イルキはこっちを向いて、ひそめていた眉を更にひそめた。
「どこで覚えたんだよ。そんな言葉」
「
イルキは舌打ちして、「あいつ……」と宙を睨みつけた。
翼はあたしと同じクラスの女の子で、
翼は茶色い髪を横で結んでいることが多くて、いつも青いカラーコンタクトをしている。あたしより背が高くて、細くて、堂々としている綺麗な子だ。吹奏楽部でフルートをやっているからイルキも知っている。
吹奏楽部のメンバーは、あたしがイルキをイルキと呼んでいたものだから、みんなイルキと呼んでいる。イルキはとっても嫌がっていたけど、何だかんだで受け入れているところがやっぱり優しいんだなあと思う。
「でも似合ってるよ、赤茶! かっこいい」
あたしはとにかく嬉しくて、イルキの前に出て、向かい合いながら後ろ向きに歩いた。
「ちょ、馬鹿、転ぶぞ! ちゃんと歩け!」
イルキは怒ったように言って、あたしは笑いながら返事をしてイルキの隣に戻った。
そういえばイルキ、背伸びたなあと思った。毎日一緒にいるからあんまり気付かないけど。でも最初に会った時より、見上げる角度が急になってる。あたし中三はほとんど身長伸びなかったしなあ。イルキはまだ伸びるのかなあ、高一だし。いいなあ。
「あ、そういえば今年も花火行こうね! 空けといてね」
「いや突然すぎんだろ。何で今なんだよ」
「でも思い出したの! 行こうね!」
「いやちょっとは人の話聞けよ!」
イルキはこう言っているけど、行きたかった。
七月になると家から徒歩十五分くらいの川原で花火大会が行われる。去年引っ越してきた時、イルキは嫌々ながらも一緒に行ってくれたので、今年も行きたかった。多分今年も文句言いながら結局行ってくれるんだろうなあと思って、やっぱりおかしくなった。
もうすぐ駅前の大通りに出るというところで、イルキが唐突に声を発した。
「お、お前も……その……」
その後に何か言われたけど、小さくてよく聞き取れなかった。首を
「ごめんね? よく聞こえなかった。もう一回」
「な、何でもねえ」
イルキは露骨にあたしから顔をそむけた。
「『似合ってる』?」
「聞こえてんじゃねーかよ!」
別にはっきりと聞こえていた訳じゃなかったんだけど、そう聞こえたような気がした。けど、当たったみたい?
急に目の前に色とりどりの電飾が灯ったように気持ちが高揚した。
イルキが褒めてくれた! しかも自分から!
「これツンデレの『デレ』だよね? ありがとう! 嬉しい」
あたしはイルキの手を両手で握って上下に揺さぶっていた。
イルキは目を見開いてあたしを見ていたけど、我に返ったように手を振りほどいた。
「つかむな馬鹿! っていうかツンデレから離れろ!」
でもイルキの頬は赤かった。あ、やっぱり照れてると思って、あたしは顔が笑ってしまうのを抑えられなかった。
いつも素直じゃないけど、思い出したようにぽろっと本当の気持ちを言ってくれる、そんなイルキが大好きだった。ずっとこういう風でいたい、絶対いられるよね。そう思っていた。
けど、あたしとイルキの関係はひょんな出来事から転機を迎えることとなる。
それは梅雨が明けて急に夏がやって来た七月の初旬、その日は期末試験の最終日で、午後家に帰ってきて真っ先に、あたしはイルキの部屋のドアをノックした。イルキは寄り道せずに帰ってきていたようで、すんなりドアを開けてくれた。
「どうしよう、イルキ、どうしたらいい?」
あたしの第一声にイルキはまず眉をひそめた。
「何がだよ」
「えっと、あの、その」
「長くなんだったら入れよ」
イルキは半ば呆れ気味に言って、あたしを部屋に入れてくれた。
「あ、ご、ごめんね。お邪魔します」
駄目だな、ちょっと落ち着かなきゃと思った。
イルキはTシャツにジーンズの部屋着、あたしは制服のまま向かい合わせに床に座った。
まだ上手く整理できていない、つい数十分前に起きた出来事を思い出して言葉を組み立てる。
「あの……あのね。告白されたの。翼に」
イルキの顔を見て思い切って言葉にすると、イルキは少しだけ眉をひそめた。
「何をだよ?」
「告白は告白だよ! 好きって!」
自分で言っていて不思議な気分になってくるけど、でも、確かに言われたのだ。試験が終わった後、あまり人の来ない別搭の階段のところで。
イルキは眉をひそめたまま頭に手をやった。
「よく分かんねえんだけど。何か問題あんのかよ?」
「あるよ! だって好きって言われたんだよ?」
「友達として好きってことだろ?」
「違うよ!」
思い出したら急に恥ずかしさがこみ上げてきて、首筋が熱くなった。
「あたしも好きだよって言ったら、そうじゃなくて、絵美のことが恋愛的に好きだよって」
その後何と続けていいのか分からなくてイルキを見ると、イルキは目を
「それって女同士でってことか?」
そこで、あたしは一つ重要なことを伝え忘れていることに気が付いた。
「あっあのね、言うの忘れてたけど、翼、男の子なんだって」
イルキはすぐに反応しなかった。扇風機の首が動く音が続いてから、顔を上げた。
「は?」
「えっと、だから翼、男の子なんだって。だから女同士ではないんだけど」
イルキがあたしを凝視している。当たり前だと思う。いくらイルキでもこんな話をされたらびっくりする。あたしも最初は信じられなかった。翼はあたしより背が高いけど、華奢で、男の子には見えなかったから。
「いや、問題そこじゃねーだろ! 男って……は?」
「何かそういう病気なんだって。女の子になりたくて女の子の格好してないと駄目なんだって。ちゃんと診断書も出てて、だから特例で認められてるって言ってた。でも好きになるのは女の子なんだって」
イルキが信じられないものを見るような目であたしを見ている。
「ちょ、待て、お前いつから翼が男だって知ってたんだよ」
「え、ついさっき、告白されたのと一緒に説明されて」
イルキは険しい目つきをしてあたしから目をそらした。あたしは何となく口を開き辛くなってしまい、イルキから視線を外して手持ちぶさたに宙を見つめていた。
「お前さ、ほんとは男だった奴と一緒に着替えてたりしたって考えて気持ち悪くねえのかよ」
イルキはあたしの方を見ないまま吐き捨てるように呟いた。確かに体育の授業の時は着替えていたけど、人の着替えをまじまじと見ることなんてないし、最近始まった水泳の授業は翼は事情があってずっと見学する予定だと言っていた。
「別に……だって友達だし」
「そうだったな。お前は普通にバスタオル一枚で歩き回る奴だったな。聞いた俺が馬鹿だった」
イルキの声はいつもの冗談めかした声ではなくて、低く押し殺したようだった。
どうしてそんな態度を取られるのか分からなかった。もっとちゃんと聞いて欲しいのに。
「もうしてないよ、最初だけでしょ。それより」
「どうでもいいんだよそんなこと!」
聞いたこともないくらい大きな声で怒鳴られて、反射的に体がすくみ上がった。
イルキがあたしの方を見る。雰囲気だけで、喉が締められたようになった。初めて、イルキを怖いと思った。
「お前さ、何で俺に話したんだよ」
何を、と尋ねそうになって、翼のことしかないと言葉を飲みこんだ。
何でだろう。けど、翼に告白されてから、足が真っ先にイルキの部屋に向かっていた。イルキに話したかった。どうすればいいのか分からなかったから。イルキならきっと聞いてくれるし、どうすればいいのか分かる気がした。
だって、イルキは。
「弟、だから」
イルキは弾かれたように立ち上がって、あたしの腕を引っ張り上げた。痛かったけど、無理矢理立ち上がらせられる。
「俺はお前の弟じゃねえ!」
目の前で暴力的なまでの怒声を浴びせられて、体が固まった。そのまま腕を引っ張られて、開かれた部屋のドアから廊下へ放り出された。
よろけた先でドアは閉まり、そのまま開くことはなかった。
声をかけてノックすることもできた。開けてくれなかったかもしれないけど、それすらもできなかった。体が動かなかったし、声が出なかった。
廊下にしばらく立ち尽くして、あたしはようやく向かいにある自分の部屋のドアを開いた。部屋に入ってドアを閉めて、床に座りこんで膝を抱えた。
何がいけなかったんだろう。頭の中を同じことがぐるぐる回っていた。
『俺はお前の弟じゃねえ!』
痛かった。胸がえぐられたように、大切なものが持っていかれてしまったように、痛かった。
イルキのことは大切な弟だと思っていた。大好きな弟だった。一番近くにいて、大切な家族になれたと思っていた。それなのに。
大好きだったのは、家族だと思っていたのはあたしだけだったんだ。
涙と嗚咽が一緒にこみ上げてきて、あたしは膝を抱えたまま部屋の中で声を殺して泣いた。
あたしとイルキは、もう姉弟じゃない。
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