金色の夢(2)

 目の前が真っ黒になった。何が起こったのか、また風景が変わったのかと呆然としていたら、視界が戻ってくる。

 それは変わらない地下牢と、倒れているアリアと、目を見開いたヴァネッサと、対面の鉄格子に黒い羽根のようなもので全身をはりつけにされた兵士がいる光景だった。兵士は目をいっぱいに見開いたまま、動かなかった。石の床には血まみれの剣が落ちている。

 ヴァネッサは夢から覚めたように体を震わせ、顔をこわばらせたまま兵士の方へ近付いていく。ヴァネッサが兵士の肩に手を伸ばした瞬間、兵士の体がかしいで床に倒れた。ヴァネッサは驚きにとびのくが、恐る恐るしゃがみこんで肩を揺さぶる。

「ねえ、どうしたの、ねえ」

 鉄格子は黒いから、分からなかったのだ。兵士の体から石の床に血だまりが広がり始めた時、ヴァネッサは短い悲鳴を上げて尻もちをついた。鉄格子から伝った血が石の床の血だまりと混ざり合っていく。迫りくる血だまりから逃れるようにヴァネッサは後ずさり、そして、振り向いた。

 倒れたまま、人形のように開いたアリアの目が、ヴァネッサを見ていた。


 泡立った景色の後、目の前が真っ白になって俺は目をつぶっていた。

 薄目を開くと、目の前には青空、眼下には見慣れた離宮の建物と芝生が広がっていた。暗闇から陽の元にさらされて目が痛い。

 それより、今のは。ここはさっきの地下牢からどれくらいの時間がたっているのだろうか?

 誰も答えてくれない疑問をめぐらせていると、向こうの林から物々しい馬車が一台やってきた。あれは、と考える前に離宮の前で馬車は止まり、中から人が降りてくる。

 まず武装した陛下、トリニア大将、黒いスーツを着た黒髪の女性、気付くのに少しかかったが、あれは数年前のガゼルだ。そして黒いスーツを着た赤い髪の。

 俺は息を飲んだ。それは数年前の自分だった。まだどことなく幼い。ガゼルが教育係だった頃だとすると、七年前から五年前、十四歳から十六歳くらいということになる。けれどその頃の俺は離宮を知らない。アリアに言われて初めてここに来たのだ。だから当時ここに来た記憶もない。これが過去だとするなら一体何なのだろう。俺は何か重大なものを見落としているのではないだろうか。

 陛下が離宮に入っていくのに合わせ、俺の体も地上に降り、奇妙なことに過去の自分の後を着いていく。陛下が武装していることからも、四人の間に流れる空気は緊迫していた。

 幾分か進んだところで、先頭の陛下が足を止めた。けれど俺の体はそのまま前へ進んでいく。過去の自分をすり抜け、ガゼル、トリニア大将、陛下の横で止まる。今更知るが、どうやら俺は実体でない扱いで、風景の中のものには触れることもできないらしい。けれどそんなことはすぐに吹っ飛んだ。

 壊された鉄柵の向こう、地下牢に続く階段のところに小さなアリアが立っていた。ドレスは裾が赤黒く染まっていた。右手には大人の手を握っていて、よく見るとメアリーが階段に伏していた。

 アリアは泣いていた。しゃくり上げることもなく、ただ目を開けて涙を流していた。そして左腕の先は、黒い魔力の翼に覆われていた。

「アリア」

 俺は呼んでいたが、アリアは反応しない。代わりに隣にいる陛下がアリアを呼んだ。見ると陛下の表情は驚愕に歪んでいた。

 ああ、そうだ。確信した。ここは先程の続きなのだ。

 アリアは静かに涙を流し、うつむきながら歩いてきた。メアリーを引きずって、血の道を作りながらやって来る。子供の腕力で軽々と大人を引きずれる訳がない。あの時と同じなのだ。

 今のアリアは、鳥と同化している。

 アリアは陛下の前で止まった。陛下は気圧されたように立ちつくしていたが、気付いたように慌ててしゃがみこむ。

「アリア、怪我は。何があった」

 アリアは顔を上げて、うつろな目で陛下を見た。緑と青の目が涙で濡れていた。

「メアリー、ころされちゃった」

 アリアは陛下の顔を見て安心したのか、しゃくり上げ始めた。陛下はアリアの左腕の翼に視線を走らせながらもアリアを抱きしめる。

「どこか痛くないか?」

 アリアは泣くばかりで答えない。この状態で質問しても無駄だと思ったのか、陛下はアリアの背中を叩きながら、トリニア大将を振り返る。

「下を」

 トリニア大将は頷くと、地下牢の方へ走っていった。ガゼルと過去の俺も続く。

 アリアが泣きやんでくると、陛下はアリアの顔をのぞきこんだ。

「誰か来ただろう。女と、男か? 何があったか話せるか?」

 アリアはしゃくり上げながらも陛下を見つめて頷く。

「いつもきてたおんなのひとと、しらないおとこのひと。わたしとメアリーをあそこにつれていって、メアリーはさされちゃって」

 アリアは地下への階段を指差した。陛下は険しい表情をしながら、泣き声混じりで話すアリアの背中をさする。

「それででも、わたしはおとこのひとをころしちゃって、おんなのひともころしちゃって、だから、けしたの」

 胸の中を嫌な予感がよぎった。陛下は怪訝な顔をしてアリアを見つめる。

「どういうことだ?」

 アリアは顔を上げた。その目にあるのは純粋な悲しみだった。

「だからメアリーもけしてあげるの。とうさまも、みんなも。そしたらもうかなしくないよ」

 アリアは左腕の黒い翼を、引きずってきたメアリーにかざした。黒い羽根がこぼれ、メアリーの全身を包むと、音もなく収縮していく。黒色が消えると、その後には人を一人引きずってきた血の痕しか残っていなかった。

 陛下が息を飲んだのが分かった。陛下はアリアの両肩をつかんで血相を変える。

「やめるんだ、アリア」

 アリアはまた泣き出しそうに瞳を歪めた。

「どうして? こうすればとうさまもずっといっしょにいられるよ。もうさみしくないよ」

 アリアは左腕の翼を広げる。陛下は反射的にだろう、アリアからとびのいた。

 アリアの表情が崩れ、涙が上気した頬を流れ落ちる。

「どうして? とうさまはわたしといっしょにいたくないの? だからあいにきてくれなかったの?」

 空気が、肌で感じる程張りつめていく。陛下は一瞬迷うようにアリアから目をそらした。

「違う。一緒にいよう。だから消すのは駄目だ」

 アリアがしゃくり上げるのと、地下牢からトリニア大将達が上がってくるのは、同時だった。

「うそつき」

 アリアは叫ぶと、体から四方に黒い魔力の羽根を飛ばした。陛下は後方に飛んで避け、トリニア大将達はとっさに階段へ伏せた。羽根が触れた壁も床も、溶けたようにえぐられて消える。

「アリア」

 陛下が叫ぶがアリアは泣き叫んでいた。羽根をまき散らし、近付ける状態ではない。陛下ははるか後方から地下牢の方へ叫ぶ。

「作戦を変更する。アリアの確保が最優先だ」

 アリアは自分の名前に反応したのか、息をつめて陛下を見た。アリアの体から放たれる羽根が消えた隙に、陛下がアリアに向かって踏みこむ。けれどアリアが左腕の翼を振るう方が早い。陛下は飛んできた羽根をぎりぎりのところでかわして、壁に体を打ちつける。アリアは泣き声を噛み殺しながら、赤くなった目で陛下を睨みつけた。

「うそつきなとうさまはきらい、だいっきらい」

 アリアは叫ぶと、陛下の方へ駆け出した。子供の足だ、それほど速くない。けれどアリアは左腕の翼を振るった。何本もの黒い羽根が陛下に向かい、陛下は後退しながら羽根を避ける。

「どうしてにげるの、とうさま」

 アリアはまた泣き出しながら黒い羽根を飛ばす。陛下の表情が痛みを感じたかのように歪んだ。

「アリア」

 叫び声にアリアが振り返る。地下牢の方からガゼルが走ってきていた。アリアは一瞬気を取られたように固まったが、すぐにガゼルを睨んで、左腕の翼を横に振るった。

 ガゼルは飛んできた羽根を前に減速することなく、ジャケットを脱ぎ、目の前へ投げつけた。羽根はジャケットをかき消して消える。アリアが表情を険しくしてもう一度腕を振りかぶった時、その目がガゼルの頭上に止まって、見開かれた。

 ガゼルの頭上を、過去の自分が跳び越えていた。普通の脚力で跳べる高さを超えているから、スイル(飛行呪文)を使っているのだろう。

 やはりこの記憶も俺にはない。けれどスローモーションのようにゆっくりと、過去の自分がアリアの方へ向かって落ちていく。

「大人しくしろ悪ガキが」

 過去の自分が叫ぶ。人のことを言えた義理ではないと思ってしまうが、過去の自分はアリアの目前まで迫っていた。

 このままアリアを確保して気絶させてしまえばひとまず終わる。そのはずだった。

 アリアは驚きから覚めたように背後を振り返った。そのまま過去の俺に背を向けて駆け出して、背後ではなく自分の目の前へ左腕の翼を振るった。

 過去の自分も、俺も目を見開いた。並の反射神経で反応できる秒間ではない。ましてや子供になど。

 それより、アリアの走った先、羽根を撃った先には、アリアの確保のため近付いていた陛下が、目前に迫る羽根を前に立ち尽くしていた。

「陛下」

 誰からともなく叫び声が上がった。過去の自分はほんのわずかばかりの差でアリアがいたはずの床に着地すると、すぐに床を蹴った。スイル(飛行呪文)を最大にして、アリアの頭上を跳び越え、羽根を越え、陛下の前へ。

 黒い羽根は陛下の前に転がり落ちた過去の自分へ、音もなく突き刺さった。

 俺は、ただ見つめることしかできなかった。口の中が乾いていた。俺は今ここにいる。これが過去ならば分かっている、けれど。

「どうして」

 小さな声が響いた。アリアは陛下と、その間に転がり落ちている過去の俺を見ていた。

「きんいろの、とりなの?」

 アリアの声は震えていた。

 過去の俺に突き刺さった羽根は、刺さった瞬間、氷が溶けるように消えていた。

 倒れていた過去の俺が上体を起こす。アリアは身を震わせて体を引いたが、遅い。

「ふざけんのは終わりだ」

 過去の俺は床を蹴り、飛びかかるようにアリアの腕をつかんだ。


 瞬間、頭の中に光が弾けた。訳が分からなかった。頭の中を光が暴れ回り、音を立てて弾けていく。

 頭が内側から殴られているように痛い。けれど引き替えに、開いた視界の先は、真っ白だった。

 その時、俺は全てを理解した。文字通り、全てだった。この頭で追いつかないこともある、この頭に収められないこともある、けれど、全てを知った。

 白かった景色ににじむように色が戻っていく。けれど俺は何が映るのかを、もう知っていた。

 そこには先程の続きが、倒れている小さなアリアと過去の自分、まだ驚愕に包まれている陛下とトリニア大将とガゼルがいた。

 幼いアリアの腕をつかんだ瞬間、今のように頭の中で光が弾けて、過去の俺は気を失った。次に目覚めた時、俺は最近の記憶をなくしていた。もちろん離宮に行ってアリアを止めたことも忘れていた。アリアの暴走は止まったが、アリアも同じように最近の記憶をなくしていた。そうしてお互いにお互いの存在を忘れた。

 景色が泡のように変わる。そこは目を細めてしまう程眩しい、真っ赤な夕焼けが射しこむ部屋だった。部屋の中央には陛下と、陛下の膝の上に向かい合わせに座った小さなアリアがいた。二人の姿は橙色に染まっていた。

「母様のお願いを叶えたい?」

 陛下は小さなアリアに問いかけた。アリアは少し戸惑ったような顔をしながらも、頷いた。陛下は目を細めてアリアの髪に指を通した。

「じゃあ、そうしよう。私とアリアで母様のお願いを叶えよう」

 陛下はアリアの小さな背を抱きしめた。アリアは身をよじって陛下を見上げる。

「かあさまのおねがいって、なに?」

 陛下は橙色の光の中で、瞳にわずかに悲しげな色を乗せた。

「人間と異形いけいが、もう争わないように」

 アリアは何も言わず小さく頷いた。

「戦いの訓練を受けなさい。トリニアのおじさんが一緒にいてくれるから」

 アリアはトリニアのおじさん、と繰り返して頷いた。

「そうしたらその内、アリアの前に男の人が来て、全部願いを叶えてくれるから」

 アリアは分からないなりに頷いているようだった。陛下の目が愛おしいものを見るように細められた。

「だから、父様と約束だ」

 アリアははっとしたように陛下の目を見つめて、深く頷いた。

「やくそく、する」

 景色がにじんで変わっていく。

 陛下の執務室で、過去の俺が陛下と向かい合っている。

 アリアの暴走を止めてから二年後、俺は陛下から極秘任務を受けた。これからブリューテ・ドウタに入る一人の女の子を好きになって、体を繋ぐ。意味が分からなかったし眉をひそめた。いくらなんでも私情に立ち入りすぎるし、言葉につまっていたら陛下は怒りと悔しさを押し殺したような表情で言った。

「私も好きでこんな無茶苦茶なことを頼んでいるのではない。けれどお前でなければ意味がない。それしか方法がない。私は絶対に彼女を救いたい。絶対にだ」

 今思えば、陛下の表情の意味も分かる。娘を救いたいがためによく知りもしない男に下世話なことを命令する憤りと悔しさ。陛下はアリアを想っていた。

 また景色がにじんで切り替わる。そこには廊下に立つ俺とシディ、向かいに陛下と、よく知っている姿の成長したアリアがいた。

「こんな場所ですまないが、今日から作戦に入るアリアだ」

 戦闘衣に身を包んだ陛下が言うと、アリアは「よろしくお願いします」と目線を下げた。あの時は分からなかったが、緊張していたのだろう。

「ギル・ライオネル。よろしく。もう行かないとだから詳しいことは後でな」

 この後はアリアの初任務となる動力炉制圧の会議が入っていた。景色の中の俺がアリアに手を差し出す。アリアは怯えたように、ほんのわずかに肩を震わせて、俺の手を取った。

 そこで景色がかき消えた。また真っ白になって、俺は自分の体が吸いこまれるようにどこかへ引っ張られているのを感じた。

 ここが何なのか、もう分かっていた。ここは金色の鳥が記憶していた記憶の中だ。俺は確かに金色の鳥と繋がっていた。

 金色の鳥は創った世界の全ての事象を記憶していた。俺が黒の鳥に支配された幼いアリアの腕を取った時、同じように頭の中で光が弾けて、俺は金色の鳥だったこと、金色の鳥と繋がっていたことを知った。けれど金色の鳥が記憶していた膨大な記憶が頭と体に流れこみ、俺は最近の記憶を失って金色の鳥であるということも忘れた。アリアが記憶を失ったのも、触れた時金色の鳥の記憶が流れこんだからだろう。世界を創ってからの全ての記憶など、人の頭で処理できるものではない。だから記憶を失ったのだ。けれど今、俺は確かに知っていた。見たもの、聞いたもの、この世界で起こったこと、全て。

 浅い夢から覚めるように体が浮き上がっていくのを感じた。ここがアリアの夢ではなく、金色の鳥の記憶だったということの意味も、今なら分かる。

 ふと耳に流れるような囁きが聞こえた。

「私は間違っていたとは思わない。ただ、伝えられなかった。こんなことを言うのもおこがましいが、伝えてくれないか」

 別の流れが俺の耳に入りこむ。

「さあ幸せになりに行こうか? もう分かってるよね?」

 聞こえてくる声を選り分けて俺は一つ一つ頷いた。やがて聞こえてくる声が重なり、意味を持たない音の塊になって、いっぱいになり、飽和して、そして。

 俺は目を開いた。


 真っ白い景色の中に、白い肌をさらして黒い翼で膝を抱えこんだアリアがいた。俺はアリアに近付いて、目の前で膝をついた。

 金色の鳥の記憶は終わった。目の前で、何もまとわずに膝を抱えて座っているアリアは、夢の中のアリアだ。

 アリアの目はまっすぐに、中空を見つめていた。夢の外側と同じ。けれど。

「やっと会えた」

 俺はアリアの頬を包むように触れた。すると今まで動かなかったアリアの顔が動いて、俺を見た。アリアは翼ではない方、右手を俺の顔へ伸ばした。

 二度目の暴走の時、アリアは陛下を『消して』しまったのをきっかけに黒の鳥と混ざり合った。だからあれはアリアであり、アリアでなかった。そしてアリアは黒の鳥の『消す』という力を自分の内側、自分自身に使い、混ざり合った自分の精神ごと消した。俺が知っているのはこれだけで、今のアリアの気持ちがどうなっているのかは分からない。

 アリアの指が左目に伸びてきて、俺はアリアの右手首を取った。それでもなおアリアは嫌がるように右手を動かそうとする。

「目が欲しいの?」

 返事はない。けれど俺の手を振りほどこうとする右手が答えだった。それは黒の鳥の意思なのだろうか。アリアの意思なのだろうか。目を欲して何をする気なのか。

「きんいろ」

 アリアの唇が動いた。喋ったのだと分かるまで少し時間がかかった。

「きれい」

 アリアの緑と青の目が、俺を見ていた。久しぶりに唇が動くところを見た。久しぶりに声を聞いた。俺は熱を持った目を閉じて、アリアを抱きしめた。

 金色の目は金色の鳥を体現する証だ。アリアが欲しいというのなら、くれてやる。

 金色の鳥は世界を創る。創ったもの全てを、創ったものの記憶全てを記憶している。アリアの過去も、今も、全て。世界を創る力があるのなら、創れるはずだ。俺の知っているアリアの全てを、もう一度アリアの体に注ぎこむ。世界を創るための力を、たった一人の大切な人のために使う。

 俺はアリアを強く抱きしめて、願った。


 アリアはきっと、いつも淋しかったのだ。一度目、鳥になったアリアはまっさきに陛下を消そうとした。消えてしまえばずっと一緒にいられると言った。たじろいだ陛下に、どうして逃げるのと泣き叫んだ。

 二度目、アリアは俺に憎しみの感情すら向けながらも、一人にしないでと言った。たとえそれが嘘だったとしても、いや、嘘ではなかったのだと思う。自信過剰だと言われようとも、アリアに違うと否定されようとも、俺が自分に銃を向けた時、アリアは自分を犠牲にしてしまったのだから。何のことはない。黒の鳥と繋がった、世界を壊す力を持ってしまった少女は、とても淋しがりやで、とてもわがままな女の子だった。

 アリアの肩ごしに見る真っ白な空から、金色の粒がゆっくりと降ってきた。粒は金粉をまぶした雪のように、静かに落ちて、白い地面につもっていく。アリアはずっと、俺に取られた右手を振りほどこうとしていた。離してやると、俺の顔ではなく白い中空に手の平を差し出した。アリアの手の中に金色の粒が落ちて、消えていく。アリアは金の粒が消えた手の平を見て、俺を見つめた。

 花が開くように、アリアは顔をほころばせた。

 俺は息がつまった。溢れ出るものを抑えるようにきつく目を閉じたけれど、頬が濡れて諦めて目を開いた。揺れる視界の先でアリアが不思議そうに俺を見つめていた。

「一緒に、いるから」

 俺はアリアの左腕、黒い翼に触れた。羽根が舞い上がるようにかき消えて、現れたアリアの白い手を握る。

「一緒にいてくれ。約束だ」

 語尾がかすれた。俺はアリアの背を抱きしめて、声を噛んだ。にじんだ視界いっぱいに光の粒がきらめいていた。アリアの体温だけが溶け合うように温かかった。

 金色の雪は俺とアリアを埋めるようにいつまでも、いつまでも降り続いていた。


 目を開けると強い光が射しこんできて、目をすがめた。首だけ動かして見ると、どうやら窓のカーテンを閉め忘れたらしい。自分が寝ているベッドの横のカーテンに左手を伸ばす。腕が他人のもののように重く、力が入らなかったが、疑問は指がカーテンにたどりつく前に全て吹っ飛んだ。

 違和感に驚いて窓と反対側を振り向くと、赤い髪の青年がベッドにつっぷしていた。

 私の右手をしっかりと握ったまま。

 どうして、だろう。私の心を読んだかのように青年が身じろぎする。こちらに向けられた顔の、目が私に焦点を結んだ。金色の目、けれど左目は怪我をしたかのように白く濁っている。

 視界が揺らぐ。景色の全てが揺れる。よく見えない先で、青年が微笑んだ気がした。

「お帰り」

 目尻から溢れたしずくが、耳元まで落ちていって冷たい。青年は私の右手を握ったままベッドに腰かけると、私を抱き起こして、抱きしめた。

 どうしてだろう。私は力の入らない左手で青年の肩を取って顔を見つめた。間近で見る青年の瞳は濡れていた。私の目のせいかと思ったら、そうではなかった。青年は泣き出しそうに崩れた表情を隠すように、また私をきつく抱きしめた。

「お帰り。アリア」

 むせぶように静かな声を聞いて、私の中の疑問が溶けるように消えていった。

 もう会えないと思っていた。もう会うことはないと思っていた。けれど私は、ここにいた。

「ただいま」

 声がかすれた。嗚咽がこみ上げてきて言葉につまった。それでも。

「ギル」

 私は彼を、呼びたかった。

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