一番最初に会える(2)
俺は足早に皇舎の廊下を歩んでいた。外に出られる程度に身なりを整え、可能な限り急いで離宮から皇舎へ入った。途中、自分の部屋に向かい、訓練着から赤い軍服に着替えて大会議室へ向かう。着替える途中に見た壁かけ時計は午前十時をさしていた。
先程ガゼルから電信機を通じて伝えられたことの意図はまったく分からなかった。けれど断る訳にもいかないし、真意を知りたくもあった。
俺は扉の前に立つ兵士に敬礼して、ガゼルの話を伝える。兵士はノブにかかっていた金色の紐を外しノックすると、扉を開いた。
開いた扉から一歩入り、俺は敬礼した。
「ブリューテ・ドウタ、ギル・ライオネルまいりました」
きらびやかなシャンデリアの光に彩られた長机には一般兵部隊長、ブリューテ・ドウタ部隊長、ガゼル、トリニア大将が座っており、上座には部下だろう数人と共に主賓がゆったりと座っていた。
色素の薄いくせのある金色の髪、薄い布を何枚も重ねた服に何本も重なった金色の腕輪、何より左腕の途中からは白い翼が生えている。
ルリオスティーゴ、忘れもしない、異形の王だった。
先程ガゼルから電信機で伝えられた内容はこうだった。
『異形、いや零間の王がお前を呼べと言っている。説明は後だ。すぐ来てくれ』
異形との会談の日程は報告で知っていたが、日付感覚があやふやになっていて今日だということを忘れていた。けれど休戦交渉の席に俺が名指して呼ばれる理由が分からない。
「ギル、ひとまず席へ」
ガゼルに促され、俺は末席に座った。見計らったようにルリオスティーゴがトリニア大将へ視線を戻す。
「わがままを聞いていただき感謝します。更にお願いなのですが、ギル・ライオネルと二人で話をしたい」
場の雰囲気が一瞬張りつめたのがわかった。俺も自分の耳を疑った。
「失礼ですが、なぜ。彼と交渉をなさるおつもりですか」
トリニア大将が口を開く。
「いくつか確認したいことがあるのです」
ルリオスティーゴは何事もなかったかのように言ってのける。
「私達がいては不都合でも?」
ガゼルが剣呑な表情を見せると、ルリオスティーゴは優美に微笑んだ。
「不都合がないとは言いませんが、会談条件をそろえられなかったあなた方に断る権利はないはずだ」
一気に口調が攻撃的になる。
俺は遅まきながらやっと悟った。ルリオスティーゴが今の皇舎の違和感に気付かないはずがない。誰かを即位させることができず陛下が不在のまま会談を受けたのだ。この交渉で休戦に持ちこまなければ確実に攻めこまれる。仮に付け焼き刃で誰かを即位させていたとしても皇舎内で異常事態が起こったのは明白だ。
だから最初から、この交渉はこちらに拒否権などないのだ。要求をはねつければ交渉は決裂するかもしれない。要求を飲んでもルリオスティーゴの返事次第なのだ。
首をしめられているような感覚に俺は眉をひそめた。
「話し合いは二人でします。私の部下も下がらせます」
「王、しかし」
ルリオスティーゴの隣に座っていた異形が声を上げる。けれどルリオスティーゴが有無を言わせない目で異形を見つめると、異形は決まり悪そうに「失礼致しました」と顔をうつむけた。
「終わりましたらギル・ライオネルをそちらへよこします。それまで退屈でしょうが私の部下とでもご歓談下さい」
まるで自分の城にいるかのようにルリオスティーゴは言って、部下に目で合図する。部下達が席を立つのに合わせてトリニア大将達も席を立たざるをえなくなる。ガゼルがすがるような目をして部屋を出ていった後、俺は通りすぎるトリニア大将に肩を叩かれた。
「お前に任せる」
俺はすぐにトリニア大将を仰いだが、トリニア大将は何も言わず部屋を出ていってしまう。
この状況で最善の交渉をしろということか。訳も分からず呼ばれた俺に無茶を言うものだ。けれど俺は選ばれた。やってやろうじゃないか。皇舎を、ひいては人間を守ることが俺の仕事なのだから。
大会議室から人が出ていき、残ったのは上座に座るルリオスティーゴと末席に座る俺だけになった。
「お茶を運ばせればよかったか」
静まった空間でルリオスティーゴがまったく関係のないことを呟いた。確かに長机には人数分のカップが置かれていて俺の前には何もなかったが。
「必要ありません」
先程までの重苦しい気持ちは消え去り、今はただまっすぐ前を向いていられる。
「敬語を使うな、気持ちが悪い。普通に話せ。俺も普通に話す」
ルリオスティーゴはいくらかくだけた口調で机の上に右手を投げ出す。
「それでいいならそうするよ。久しぶりだな。そっちの城でやり合って以来か」
ルリオスティーゴは乾いた笑いをもらした。
「そうだな。では早速話し合いを始めよう。何度も言うが俺はお前達を滅ぼしたい訳じゃない。これは休戦交渉だ。真実によっては争う必要などまったくなくなる。皇帝は病気で伏せっていると聞いたが、本当か?」
俺はルリオスティーゴをまっすぐに見据えた。
「その前に何で俺を呼んだ?」
ルリオスティーゴは冷ややかな目をして、机を一つ指で叩いた。
「城にわずかに残ったお前の魔力を調べさせた。魔力の量が少なすぎて断定はできなかったが、黒の鳥に近いパターンが出た。ここからは俺の仮説だが、今回の会談にはアリアの出席も条件に入れていた。けれど皇帝と同じく病気で伏せっているとのことだ。そこで俺は黒の鳥に関する何らかの実験が失敗して会談に出席できない状態になったと考えた。重体か、精神崩壊したか、死んだかだ。もし黒の鳥であるアリアが死んだのなら、次の黒の鳥が現れるサイクルの数十年後まで休戦協定を結んでもいい。ただしお前は真実を話せ」
俺はルリオスティーゴを睨みつけた。
「どうして俺を呼んだのかの理由になってない」
ルリオスティーゴは面倒そうに眉を寄せた。
「黒の鳥に似た魔力のパターンが出たということはそれに近い特別なもの、もう一人黒の鳥がいるか金色の鳥だ。皇帝が行う実験はおそらく黒の鳥を消すもの、金色の鳥を使って黒の鳥を消す仮説はこちらに存在している。それが成功していれば黒の鳥は消えているはず。そうすれば争う理由もなくなる。だから鳥の可能性があるお前を呼んだ。これで満足か?」
最後が言いくるめられたようでいらついたが、そんな挑発に乗っている場合ではない。ルリオスティーゴの仮説はほぼ合っている。
「休戦交渉を進めずに話すことはない」
ルリオスティーゴの目が険しくなる。
「俺も休戦したいのは山々だが、黒の鳥の存在を確認しない限り休戦はできない。それに俺の仮説では皇帝は復帰できる状態じゃない。今俺に背いて休戦協定が反故になれば困るのはそちらだ。士気の下がった敵軍に攻めこまない馬鹿はいないだろう。最初からお前に断る権利はない。理解しろ」
理解などとっくにしている。これは体のいい脅迫だ。けれど話しても話さなくても結果が変わらないのなら、無条件に全てを話す訳にはいかない。
「じゃあ逆に聞く。お前が休戦しないのはどんな場合だ?」
ルリオスティーゴはわずかに目を見張って、鋭い目つきで俺を見た。
「聞いてどうする」
「会談だからだ。話し合って妥協点を見つけるのが目的だろ。一方的な押しつけは宣戦布告と同じだ」
ルリオスティーゴはあからさまに冷笑した。
「立場を分かってるのか。皇帝とアリアが不在の時点で会談の前提条件をそろえられなかったお前達に拒否権はない。それこそ宣戦布告されても文句は言えないレベルだ」
「その通りだ。でもお前は宣戦布告しなかったし会談に来た」
ルリオスティーゴのまとう雰囲気が敵意を含んだ張りつめたものに変わる。
「何が言いたい」
「要は何でお前が陛下とアリアが不在の会談にわざわざ来たかってことだ。さっきから言われてる通り、お前は何より二人が不在の理由を知りたがってる」
「当たり前だろう。敵の重要人物が会談の前に病気で伏せったと聞いて探りに来ない馬鹿はいない」
「いちいち的確だな。だからこそお前は知る必要がある。むしろ知らないと帰れない」
ルリオスティーゴの放つ威圧感が増す。
「問答はもういい。話す気がないなら他の者に聞くだけだ」
俺は口の端に笑みを浮かべた。笑える余裕も少しは出てきたらしい。
「話さないとは言ってないし、第一仮にもここは俺達の陣地だ。実力行使に出たらお前相手でも容赦しない。それくらい分かってるだろ」
ルリオスティーゴの表情がどんどん険しくなっていく。並の精神状態なら放たれる殺気に冷や汗の一つでもかいたかもしれないが、あいにく今の俺は疲弊していて感覚が鈍い。そのかわり頭は妙に冴えていて、驚く程素直に思考が言葉になっていく。
「俺から真実を聞くまでお前は宣戦布告も休戦もできない」
「今すぐ宣戦布告しても構わないが?」
いくら感覚が鈍っていても分かる程緊張した空気だった。こんな状況だというのに、いや、こんな状況だからこそ久しぶりに血が騒ぐ。
「それはない。可能性だけで言ったら陛下が病気で不在っていうのはお前を油断させる罠かもしれないからだ」
ルリオスティーゴは声を上げて笑った。
「大層なことだな。会談の場でだまし討ちとは」
「可能性の話だ。お前もあらゆることを想定した上でここにいるんだろ? 逆に可能性が少しでもある限りお前は次の手を打てない。例えば陛下が実験で黒の鳥を超える存在を生み出していたとしたら? 可能性全てを確定して勝算がない限りお前は兵を動かせない。常識的な考えならな。たまに突拍子もない理由で兵を動かす陛下みたいな人種もいるけど」
けれどルリオスティーゴはそういうタイプではないと思っていた。だからこの綱渡りのような話も意味がある。
ルリオスティーゴはこった腕をほぐすような仕草で左腕の白い翼を一振りした。
「それで結局お前は何が言いたい?」
「休戦協定を結んで欲しい。そうしたら黒の鳥について起こったことを話す。休戦しない場合、話さない」
ルリオスティーゴは見下すような目をして席から立ち上がる。
「お前でない者に聞く」
「俺を呼んでおいてか? 言っとくが他の誰も話さないぞ。それにお前の予想した通り、俺が一番真実に近い。鳥としてな」
挑発的に放った言葉には誇張も含まれていた。けれどここで引き止めなければ人間に未来はない。こちらが不利なのは依然変わらない。どこまで弁を通せるかだ。
頼む、繋がってくれ。内心で宣告を待つように祈る。
やがてルリオスティーゴはまとっていた殺気をいくらか和らげて席についた。
「一つ聞く。それに応えたら休戦協定を結ぼう。ただし、期限は五年だ」
息を吐き出したのもつかの間、俺は机へ身を乗り出す。
「いくら何でも短すぎるだろ」
「最初にお前が言ったんだろう。会談は妥協点を話し合う場だと。これが最大限の譲歩だ」
確かに圧倒的に不利な立場のこちら側からすれば休戦へこぎつけただけでも充分かもしれないが。
「聞きたいことって、何だ」
それによっては今までそれらしく道筋立てていた話が全て覆される。
ルリオスティーゴは完全に殺気を消して冷静な様子に戻った。
「黒の鳥が生きているかどうか」
とっさに理解できなかった。それを聞いてどうするのかと考える前にルリオスティーゴが口を開く。
「念のため言う。アリアではなく、黒の鳥が生きているかどうかだ。十中八九俺は自分の予想が当たっていると思っている。けれど実験が失敗したにしろ黒の鳥『そのもの』が消えているなら休戦に意義はない。ただし生きていた場合の保険をかけて、五年と言った」
「もし黒の鳥が消えてたら休戦は延びるのか?」
「そちらに休戦の意思があるならな」
ここが落とし所か。俺は頭の中で慎重に言葉を組み立てた。
「分かった。答える。黒の鳥が生きてるかは正直言って、分からない」
ややあってルリオスティーゴは眉をひそめた。
「貴様、俺が答えによって休戦を取り下げるとでも思ってるのか?」
もはや怒りを通りこして呆れたらしい。ルリオスティーゴから殺伐とした空気は感じられなかった。
「そうじゃない、ここまで来てそんなことするか。本当に分からないんだ。私的な意見で言うなら今黒の鳥が出てくる可能性は低いと思う。消えたかどうかは、よく分からない」
ルリオスティーゴは静かに息を吐き出した。
「お前が金色の鳥だと仮定して実験に参加したのなら黒の鳥と魔力を繋いだはずだ。それをたどればすむ話じゃないのか」
確かにその通りなのだが。俺は言いかけた言葉を飲みこんだ。
「質問には答えた。後は協定を結んでからだ」
ルリオスティーゴが冷ややかな目を向けるが、そこに反発の色はなかった。
「立会人が必要だからお前が追い出した人達を呼んでくるよ」
俺は席を立つと、すぐにルリオスティーゴに呼び止められた。
「協定を結んだ後アリアに会わせろ。見たら何か分かるかもしれない」
先程の話でアリアが生きていると分かったのだろう。確かにアリアが死んでいたとしたら、俺は『黒の鳥が出てくる可能性は低い』とは言わない。
あの状態のアリアを人目にさらすのは抵抗があったが、確かにルリオスティーゴなら俺達とは別の視点を持っているかもしれない。俺はためらいつつも頷いた。
扉の外に立っている兵士に皆を呼びに行かせ、大会議室に先程と同じ面々がそろった。休戦協定を結ぶにあたっての条件を俺が説明すると、少なからずもめるかと思ったがあっさりと話が進む。トリニア大将が反対しなかったのが大きかったのだろう。任された役目はまず第一段階だが果たすことができたようだ。
こうして様々な思いが交錯する中、トリニア大将とルリオスティーゴは黒の鳥についての事柄を話すことを条件に、書面で正式に五年間の休戦を交わした。歴史に残るだろう瞬間に、俺は胸に満ちた思いを吐き出すように息をついた。
その後は昼食会が開かれ、出席する予定ではなかった俺も強制的に出席させられた。公の食事会になど出たことがなく、変な緊張感に体を硬くしていたが、ふと旅行先でアリアが食事の時緊張していたのを思い出して、心が重く沈んだ。
昼食会の後、引き続き同じ面々でルリオスティーゴに対する説明会議が開かれた。
黒の鳥を消すという実験を行ったこと、実験の途中でアリアの翼が現れ、消えたことを大まかに話した。大分おおざっぱに説明したが、ルリオスティーゴはあまり口をはさまず、最後に俺へ視線を向けた。後でもっと詳しく説明しろということかもしれない。
その後、現状黒の鳥がどうなっているかを説明するため、俺が離宮への案内役に選ばれた。さすがに賓客を一時間歩かせる訳にはいかないので、馬車を出すことにした。俺とトリニア大将が先発の馬車に乗り、ルリオスティーゴと従者が後発の馬車に乗ることになった。馬車なら離宮まで十五分程度で着く。
馬車に乗りこみ、俺は自分の指先が冷たくなっているのに気付いて、手を握った。
馬車を降りると、雲のない青い空に離宮の白い建物が目に痛かった。最近アリアの側に一日中つきっきりで訓練にも出ていなかったせいかもしれない。陽の下にいると軍服では汗ばむくらい暖かかった。
ルリオスティーゴ、従者、トリニア大将と共に俺はアリアがいる部屋へと向かった。決められた通りに扉をノックすると、中からシディが出てきて敬礼した。顔色は悪かったが、連絡したからだろう、表情は緊張に満ちていた。部屋に入るのはアリアの容態を考えてルリオスティーゴと俺だけだ。
トリニア大将に一礼してからシディと入れ違いに中へ入ると、眩しい陽差しを浴びながらアリアは窓の方を向いていた。髪の毛がシーツの上で金糸のようにきらめいている。アリアは寝返りも自分で打てない。けれど窓の方を向いていることが多いので、俺は側に寄って名前を呼んでからアリアの体を動かした。丁度、緑と青の瞳が部屋の入り口にいるルリオスティーゴの方を向く。振り返って見てみるとルリオスティーゴは動揺した様子もなく、ただ静かにアリアを見つめていた。
「座るか?」
俺はベッドの側にあった椅子をさす。今日も変わらないアリアの様子を見てもまだ取り乱さないでいられるのは、ルリオスティーゴの前では弱い姿を見せたくないからかもしれない。ルリオスティーゴは手ぶりで断ると、ベッドの方へ歩んできた。
「精神がなくて体だけ生きてる状態らしい。喋らないし、動かない」
ルリオスティーゴは答えず、アリアの肩に指を伸ばしかけ、「触っても?」と俺に尋ねた。俺は頷いた。ルリオスティーゴは壊れ物を扱うようにほんの少しだけアリアの肩に触れて、指を離した。
「魔力がないな」
「そうみたいだ」
「お前はどう思う」
重ねられた問いかけに俺はすぐに反応できなかった。
「どうって?」
「アリアがなぜこんな状態になったのかだ」
俺は喉がつまるのを感じた。あの時、ああしておけばよかった、こうすればよかったのではないかと後悔しかなく、考えることから自然に逃げていた。
俺がアリアに嘘をつかなければ今は変わっていたかもしれない。
「翼が出た時と消えた時のことをもう少し詳しく話せ。らちがあかない」
ルリオスティーゴの言い分ももっともだった。起こったことを知っていても分からないのに、断片的な情報で分かるはずがない。俺は痛みの伴う記憶を呼び起こす。
「俺は金色の鳥として実験に参加して、まず、アリアと魔力を繋いだ」
魔力を繋ぐのは魔力移しの応用だ。体を繋ぐ時、相手の魔力を自分に取りこむようにすると繋がると陛下に言われた。ただし魔力移しと同じで、お互い心も通っていなければ成功しない。
旅行の後、俺は自分の魔力に自分のものではない魔力が混じっていることに気付いた。痛む心を無理矢理押さえこんで陛下に報告すると、それでいいと言われた。
ルリオスティーゴは思い出したように舌打ちして俺を見た。
「そうだったな。もっと早く言え。今繋がった魔力はどうなってる」
俺は自然と眉を寄せていた。
「分からない」
「繋がってるんじゃないのか」
ルリオスティーゴの表情がますます険しくなる。
「確かに最初は繋がってた。けど、アリアがこの状態になってから分からなくなった」
元々魔力を感じるのは得意ではなかったが、目覚めてから最初に自分の魔力を探った時、それが自分のものなのか分からなくなっていた。例えるなら鏡に映った自分を自分と認識できないような。
そう説明するとルリオスティーゴは呆れたのか失望したのか息を吐き出した。
「つまり分からないということか。けれどお前には魔力はあると。まあいい。それで?」
「魔力を繋いだ俺は殺されそうになって、そこにアリアが来て翼が現れた。多分、暴走っていうのが近いんじゃないかと思う。その時少し話したけどあれはアリアじゃなかった」
「なぜ暴走した?」
俺は少し迷ってから言葉を選んだ。
「アリアが陛下を攻撃した。俺は直接見てないけどそれが引き金だったんじゃないかって聞いてる」
ルリオスティーゴは思案するように目をすがめた。
「それで黒の鳥に乗っ取られたと?」
「おそらく。けどアリアの記憶もなくなってる訳じゃなくて。でも違った。あの時アリアは飛んでた。普段は飛べないんだ」
思い当たる節があったのか、ルリオスティーゴは小さく声をもらした。けれど何も言わず、俺は言葉を続ける。
「それで俺はアリアを止めるために自分を撃とうとした。そしたら急にアリアが倒れて、起きたら、こうなってた」
俺は自然と言いよどんでいた。沈鬱な記憶の中からまだ言っていないことはないだろうかと思い返していると、ルリオスティーゴが口を開いた。
「現時点での俺の推測を言う。まず一つ目、お前が自分を殺そうとしたことに対して、黒の鳥が防衛本能で消えたとみせかけて隠れている場合。もう一つはアリアがお前を失うのを恐れて自分自身で黒の鳥を消したか抑えこんだかした場合だ。どちらにしても黒の鳥が消えていない可能性はまだ残っている」
「でももしそうだったとしても何でアリアがこういう状態になったのか分からない」
「黒の鳥に乗っ取られていたのなら、鳥と一緒に自分の精神を抑えこんだか犠牲にしたかじゃないのか。推測の域を出ないが」
俺はベッドの上のアリアを見た。こちらを見た緑と青の目がまたたいている。ただ何も映さずに。
「俺は、どうしたら」
思わず呟いてしまった言葉に、自分自身で何を言っているんだと思った。こんな言葉が出てくるなんて、どうかしている。
「お前はどうしたいんだ」
顔を上げるとルリオスティーゴが睨んでいた。当たり前だ。けれど俺はどうしたいのか、すぐに言葉に結びつかない。
「このままアリアが死んでいくのを待つか、それとも何か方法がないかとあがくのか」
「あがくさ、ふざけるな」
思わず声が強くなったが、ルリオスティーゴは冷たい目を変えなかった。
「そうか? お前は実際、現状を変えようとしてなりふり構わずあらゆる手段を試したか? こいつのために」
ルリオスティーゴがアリアに視線を投げる。俺は喉をしめられたように声が出なかった。
「生きているというのはそれだけで死んでいるのとは違う。こいつをどうにかしようという気があるんなら、本気で手段を探せ。でなければもうやめろ」
「お前にそんなこと言われる筋合いない」
言い返したが自分でも驚く程弱々しい声だった。ルリオスティーゴは興味を失ったように明後日の方を向いて、遠くを見るように目を細くした。
「確かにそうだ。だが、見ていて不幸だ」
頭に血が上るように首筋が熱くなった。俺は心に落ちた言葉を受け止めて、手を握りしめた。
ああ、そうだ。俺は嘆くばかりでアリアのために何もしようとはしなかった。本当に想っているなら、どんなことをしてでもアリアが元に戻るよう手を尽くしたはずだ。けれど俺は諦めた。目の前に突きつけられた残酷な現実から目をそらそうとしたのだ。嫌で、悔しくてしょうがなかったが、ルリオスティーゴの言っている通りだ。アリアを取り戻したいのならあがいてあがいて、あがき続けるべきだ。どんなに残酷でも、どんなに絶望的でも。
だってアリアは生きているのだから。
俺は握りしめていた手をほどいて顔を上げた。
「協力してくれないか」
ルリオスティーゴはわずかに視線をよこした。
「何をだ?」
「アリアを今の状態から少しでもよくする方法を探す。知恵を貸して欲しい」
ルリオスティーゴは挑発的な薄い笑みを浮かべた。
「覚悟はしたのか? 一生を捧げる覚悟は」
「そんなものいらないよ。やれることをやって、そのたびにまた考える」
ルリオスティーゴは笑みを消して俺に向き直った。
「俺が何の見返りもなしに協力すると思うか?」
「見返りはあるはずだ。アリアが少しでも元の状態に近付けば黒の鳥の真実が分かる。それでも足りないなら」
俺は自然と笑っていた。
「俺とアリアの結婚式に呼んでやるよ。それでいいだろ?」
ルリオスティーゴは鼻で笑った。けれどこちらを見る目に蔑みの色はない。
「いい度胸だ。では一つ頼まれろ。アリアの夢の中に入れ」
理解した瞬間、俺はルリオスティーゴの方へ一歩踏み出していた。
「できるのか?」
「やったことはないが、まず俺がお前の夢に入って、そこからアリアの夢に入れば繋がる可能性はある。夢の中を行き来すると考えればいい」
「やる。可能性があるならどんなことだってする」
「安請け合いしていいのか? お前を裏切るかもしれないぞ」
薄く笑うルリオスティーゴに俺は眉をひそめる。
「何のための休戦協定だ。それに俺を裏切ってもメリットがないだろ。いちいち脅すな」
ルリオスティーゴはつまらなさそうに鼻を鳴らして視線をそらした。
「ただの冗談だ。まともに取るな。では今夜お前とアリアの夢を繋ぐ。時刻は午前零時。それまでに眠っておけ」
「寝てるだけでいいのか?」
「寝ていれば何でも構わない」
「アリアの側にいなくても?」
ルリオスティーゴは俺を一瞥して窓の方を向いた。
「お前の自由だ」
俺は少し逡巡してからルリオスティーゴに一歩近付いた。
「ありがとう。よろしく、お願いします」
気恥ずかしくて複雑な気持ちだったが、言っておくべきだと素直に思えた。ルリオスティーゴは奇妙なものを見る目を俺に向けてすぐにそらした。
「突然何だ、気持ち悪い。それに礼は全て済んでから言え」
「そうだな。じゃあ今のなしな」
ルリオスティーゴは反論しなかった。俺は緩く微笑んで、ベッドの上からこちらを見ているアリアと目を合わせた。
絶対、助けに行くから。
俺は不思議と凪のように静かな気持ちで、またたくアリアの瞳を見つめていた。
その後、面々は皇舎に戻り、俺は夜になって一人で離宮に向かった。葉がさざめく夜の歩道は丁度いい涼しさで、アリアと出会った頃はまだ肌寒かったのだと思い出した。一人の道のりは色々なことを思い出すのに充分だった。けれどもう悲観しない。やれることは全てやる。
離宮へ着き、アリアの部屋をノックするとシディが顔を出した。俺はシディと交代する形でアリアの部屋に入った。
部屋はぼんやりと明るく、ベッド側のサイドテーブルでランプの火が揺れていた。アリアは珍しくこちらを向いていて、ぼんやりと開いた目がゆっくりとまばたいていた。
「ごめん、寝てた?」
俺はベッドの側に寄せてある椅子に座って、毛布の中からアリアの手を取った。ぼんやりしていたアリアの目が開いたが、すぐにまた重そうにまばたきを繰り返す。やがて閉じられたまぶたが開かなくなると、深い息の音が聞こえてきた。俺はアリアの手を握ったまま、顔を伏せた。
ルリオスティーゴはどこで眠っても関係ないと言っていたけれど、俺はアリアの側にいたかった。その方が少しでも繋がる気がしたから。
握った手の体温が溶け合っていくように、眠りに落ちていく。曖昧に、分からなくなっていく。
落ちていく意識の中で、思う。
アリアが目覚めた時、こうしていれば俺が一番最初に会える。
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