黒の鳥

 朝礼が終わるやいなや、私は部屋を飛び出していた。後ろでシディだろう私を呼ぶ声が聞こえたが関係なかった。廊下を駆けて向かう先は一つしかない。私は執務室に入り、側仕えの男性を振り切って、執務室の扉を開けた。

 父様は奥の机の向こうに座っており、何事もなかったかのように顔を上げて私を見た。

「待っていた。話がある。座りなさい」

「どういうことなの」

 私は叫んで父様につめ寄った。父様が立ち上がって応接セットの方へ歩いていくのに、私は父様の腕を強く引いた。

「ギルは異形じゃない」

 証拠があった訳ではない、けれど違うと信じていた。父様は立ったまま私と向かい合った。

「ギルは異形ではない。けれどギルが異形かどうかは関係ない」

 父様はひそめるように声を落とした。

「じゃあどうして」

 私の気持ちとは裏腹に、父様は落ち着いた様子で私を見つめていた。

「少し長くなる。座りなさい」

 私は歯がみした。けれど父様が私から離れてソファに腰を下ろしたのに合わせて、私も向かいに座った。

「結論から話す」

 父様はソファから背中を浮かせた。

「ギルは金色の鳥だ」

 だから何なのだと言おうとして言い留まった。

「何を言ってるの?」

 父様の表情は変わらない。私の中の疑念が確信に変わっていく。

「ギルはお前と対になる鳥だ」

 まったく驚かなかったといえば嘘になる。けれどどこかで全てが繋がったように感じた自分がいた。

「本当なの?」

 聞かずにはいられなかった。父様が嘘をつく意味がないと分かっていても。

「本当だ」

「どうして分かるの」

 なおも食い下がると父様は一つ息を吐き出した。

「ギルは四年前、お前の暴走を止めている。お前もギルも忘れてしまったようだが」

 確かに四年前、私は一度黒の鳥に体を渡してしまった。それは覚えている。

 今度こそ私は事実を飲みこんだ。もし父様が嘘をついているとしても、ギルは端々に他の人とは違う部分があったことを思い出した。魔力抵抗力が異常に高いと言っていたこと、触れただけで私の翼を治めたこと、焼けつくように頭に直接感情が流れこんできたこと。何かしら特別なのは納得できることだった。

 けれど金色の鳥は黒の鳥と同時に存在しないものだと思っていた。今この時に鳥がそろっている意味とは何なのか。

「ギルをどうするつもりなの」

 私は手の平に嫌な汗をかいているのを感じながら、膝の上で手を握りしめた。父様はソファに背を預けて私を見た。

「落ち着いて聞いて欲しい。アリア、私はお前を黒の鳥から解放したい」

 それは以前にも言われたことがあった。私は頷く。

「金色の鳥は世界を創ると言われているが、その実黒の鳥を抑止する力を持っていることが分かっている」

 創世神話は『黒の鳥が世界を壊し、金色の鳥が世界を創る』とある。不自然だと思って左腕の魔力を感じてみるが、鳥と繋がっている左腕はいつも通り何も変わらず、答えも出ない。

「役目を邪魔し合うの?」

「金色の鳥が世界を創るということの真偽は問えない。なにしろ世界を創るところを見た者はいない。今事実としてあるのは金色の鳥は黒の鳥の力を抑止できるということだけだ」

「それとギルを投獄したことに何の関係があるの」

 父様の話は順を追っているのかもしれないが、私は苛立ちを覚え始めていた。

「単刀直入に言う」

 父様は察したのか更に事務的な口調を強めた。

「黒の鳥を消し去るためには金色の鳥と黒の鳥の魔力を繋ぐ必要がある。魔力移しと同じ原理だ。心が繋がっていなければ意味がない。だから私はお前をブリューテ・ドウタに入れる時、ギルにお前を好きになって体を繋げと命令した。先日の休暇から戻った後、ギルから報告があった」

 父様は言葉を止めた。自分から促しておいておかしかったが、私は話を理解できていなかった。

「ギル、が」

 上手く言葉を続けられなかった。認識できていなかった視界の先で、父様が私を見ていたのに気付いた。

「ギルがお前を好きになったのは最初に私の命令があったからだ」

 私が言葉にできなかった言葉が突き刺さった。

「嘘」

 出てきたのはそんな言葉だった。父様は哀れむようにわずかに瞳を細めた。

「魔力が繋がったと報告があったから、ギルがお前のことを好きなのは本当だろう」

「違う」

 叫んでいた。違う、何も違わない。頭がついていかない。

 けれどその瞬間、思い出してしまった。あの夜、ギルは何度も私に好きだと言った。何度も、何度も。

 ああ、そういう、ことだったのか。

 私は握りしめていた手をほどいた。力が抜けるように、涙が溢れてきてまばたきで目からこぼれ落ちた。

 だからギルはあんなに何度も好きだと繰り返したのだ。父様の命令を守るために。私に絶対に疑われないように。

 考えたら急に嗚咽がこみ上げてきて、私は声を噛み殺して顔を伏せた。止まらなかった。怒りなのか悲しみなのか分からない、とても、痛い。

 私が静かになるまで、父様は黙っていた。自分の息を吐き出す音が聞こえるだけになると、衣擦れの音で父様が動いたのが分かった。

「ギルはお前と同じで鳥を媒介している。今魔力が繋がっている状態でギルの体がなくなれば金色の鳥の魔力はお前に流れこむ。黒の鳥は抑止されて消えるだろう。そのためにギルを処刑する」

「待って」

 私は言葉をった。ギルが処刑されていいはずがない。けれど、体が動かない。

「全部、本当なの?」

 ギルが鳥だということも、ギルを処刑する理由も、ギルが私を好きになったのは命令だったということも、全て。

「本当だ」

 私を支えていたものがなくなっていく。どこにすがればいいのか分からない。どこにもすがるところなど、ない。

 私は膝の上の手を握りしめた。

「ギルを、殺さないで」

 言葉の途中で涙が溢れて声が震えた。どうすればいいのか分からない。けれど、ギルの処刑は止めなければいけない。

 衣擦れの音が近付いてきて、顔を上げると父様が私の横に立っていた。父様はそのまましゃがみこんで私の頭に手を置いた。

「創造の理を壊すことは私の悲願であり、ジュリアータの願いでもある。鳥が消えれば争いの原因も消える」

 どうして。どうしてそこで母様が出てくるの。瞬間、分かってしまった。父様は母様が一番大事なのだと。私のことは道具としてしか見ていなかったのだと。父様も、ギルも、最初から私を人として見てなどいなかったのだ。

 ああ、何て、私は馬鹿だったんだろう。

 左腕が痛い。声が聞こえる訳でもないのに壊せばいいという意思が伝わってくる。壊せばいい。全部。

 そうか。壊したら、全部楽になれるかもしれない。

 左腕をつかまれて、私は振り向いた。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する フレイア』

 父様が険しい顔で早口に言い、左腕が白い光に包まれる。急に体が重くなるのと同時に息ができなくなって、私は視界の先で揺らめく父様の姿を見ていた。

「アリア、私はお前を」

 そこまでしか聞こえなかった。遅れてやって来た痛みでみぞおちを殴られたのだと分かって、そのまま意識が消えた。


 まぶたの裏が眩しくて目を開けた。目に見えたのは橙色の光で、うつろだった意識が覚めていく。跳ね起きるとみぞおちが痛んで、記憶が蘇ってきた。

 見渡してみると私が寝かされていたのは簡素なベッドで、部屋と呼べる程の空間にはそれ以外、調度がなかった。色あせた壁紙や毛足の短い絨毯がしきつめられているものの、一つだけある窓は天井付近の手の届かない高さにあって、顔が出せるかくらいの大きさだった。おまけに外側に格子がかかっている。橙色の光はそこからで、おそらく夕陽なのだろう。気絶させられてから半日くらいたってしまったということだろうか。

 部屋の扉は一つだけ、そこだけ無機質な金属の扉がついていた。普段なら壊せるだろうが、体の魔力は探るまでもなくほとんど残っていなかった。フレイア(封印呪文)を重ねがけされたのだろう。ジャケットの内側に手を入れてホルスターを探るが、銃も抜かれてしまっている。

 監禁されたと思うしかなかった。私がギルを助けにいかないように。

 私は急いでベッドから下りて金属の扉を叩いた。

「開けて下さい、誰か」

 叫んでも扉の向こうからは何の反応もない。扉に耳を当ててみたが、何も聞こえない。扉が分厚いのか本当に誰もいないのか。耳と指先の熱が奪われていくのと同時に絶望感がせり上がってくる。本当に父様は私を監禁したのか。本当に。

 部屋を振り返って小さな窓を見上げてみるが、硝子を壊せたとしても格子があり、人が通れる大きさでもない。見渡しても部屋にはベッド以外、本当に何もない。絶望感に包みこまれて私は扉の前で力が抜けるように膝をついた。

 逃げなければギルの処刑は止められない。けれどどうやって? ギルを失いたい訳ではない。けれどもし会えたとしてもどう接すればいいのか分からない。それに本当は会いたくない。胸が苦しくて喉がつまる。

 何もかも絡まりあって叫び出したい気分になった。私は深く息を吸って、絞り出すように吐き出した。


 陽が沈んでいき部屋が暗くなってくると、照明がないことに気付く。どんどん暗くなっていく部屋の中でベッドに座りながら中空を見つめていたら、不意に扉の方から物音がした。驚きに固まる体をよそに扉は開き、逃げるチャンスだと気付いた時にはもう扉の向こうに人影が立っていた。

「食事だ」

 人影は若い男性で、皇舎の兵士だった。レイジを救出しようとした時、離宮で見た一般兵と同じだ。男性は片手に食事の乗ったトレイ、反対の手にランタンを持っていた。扉の隙間に目をやるが、男性は私の視線の先を見やり、私を見た。

「逃げられる自信でもあるのか」

 嘲る風でもなくただ淡々と告げられた。もしそこの隙間から逃げられたとしても今の私では体力でも腕力でも負ける。逃げるのは現実的ではない。けれど。

「陛下に会わせて下さい」

 せめても私は食い下がった。男性は表情を変えずトレイとランタンを床に置くと踵を返そうとする。男性の体を越えようと無理矢理走り出すが、腕をつかまれて部屋の中へ押し戻された。

 扉が閉ざされて静寂が戻った部屋の中は、ランタンの光でぼんやりと明るくなっていた。変わったのはただ、それだけだ。今のままでは逃げられない。揺れるランタンの炎を眺めていると、火事をおこせば逃げられるのではないかと考えついたが、危険な賭けだった。それは最後の手段だ。その前にやはりすることがある。

 私は少しだけ食事に手をつけた。こんな時でもまだ空腹を感じていて、やるせない気持ちになる。水差しの水を飲むと私はベッドに腰かけた。

 体の中の魔力を感じると、やはりほぼ抑えられていた。左腕を感じると鳥も一緒に抑えられている。ここから出るには魔力を呼び出すしかない。だから、あの時我を忘れかけた時のこと、異形の王城で思い出したことをもう一度思い出せばいい。

 そこまでやっと考えて、急激な眠気に襲われていることに気付いた。おかしい、まだ夜中でもないはずだし、こんな状況でここまで眠くなることはないはずなのに。歪んだ視界の中で床に置かれた食事のトレイと水差しがかろうじて見えた。ああ、そうか、さっき水を。

 父様が私を大人しく閉じこめておくはずがない。薬が入っていたのだと思い至った後、私は考えられなくなって眠りに落ちた。


 意識が戻ったのが分かると、まず胃のあたりが気持ち悪かった。しばらく起き上がれず目を閉じて深呼吸を繰り返す。

 少し落ち着いてきて、ベッドに寝転がったまま部屋の中を見渡すと、室内はぼんやり明るくなっていた。首を上げて窓の方を見上げてみれば、光はあまり入ってきていないものの空は白くなっている。少なくとも朝か昼だった。おそらく一晩眠ってしまったのだろう。気持ちが悪いのは薬のせいかもしれない。のろのろとどうにか上体を起こし、ベッドに座った。

 昨夜できなかったこと、鳥を呼ばなければいけない。左腕に意識を集中しようとするが、気持ちの悪さが勝って集中が途切れてしまう。耐えられず倒れこむように横になると、集中しなくてもあの時のことを思い出せばいいのだと思い至って自分に少し呆れた。手順も忘れてしまう程朦朧としているのだろうか。目を閉じて、黒い風景を思い浮かべた。

 そこは暗く冷たい石壁に囲まれた場所で、今なら牢屋だと分かるが、あの頃、四年前の六歳程度の自分はまだ分かっていなかった。

 既にその時私は体中が痛くて、かたわらには剣を持った男性と、男性をけしかける女性がいた。振り下ろされた剣に私は死を確信したのだろう、気付けば男性は床に倒れて動かなくなっていた。床に伏した男性を女性が揺さぶって、引きつった顔で私の方を見たのを覚えている。何をしたのかは覚えていない。けれどその後、私は男性と女性を『消して』しまった。その後のことも、覚えていない。

 この出来事を思い出すと決まって気分が悪くなるか、左腕が痛み始める。異形の王城でもそうだった。けれど今は腹のあたりが気持ち悪いばかりで左腕が反応しない。私は歯を噛みしめた。

「どうして」

 絞り出すように吐き捨てるが変わらない。

 どうしてだろう。前もそうだ。私は世界にとって最悪の力を持っているのに、この部屋から出ることすらできない。肝心な時、何の役にも立たない。何度か気分の悪い映像を頭の中で繰り返してみるが変わらず、私はベッドのシーツを思い切り引っかいて握りしめた。

 外はどうなっているのだろう。もしかして眠っていたのは一晩ではなかったかもしれない。処刑は?

 途中で気持ちが悪くなって、私は力なくベッドに仰向けになる。いっそ本当に火事を起こすしかないかもしれないとランタンに視線だけ投げると、火は消えていた。燃料切れだろう。やるならおそらく燃料をつぎ足しにくる今夜になるだろうが。

 そこまで考えて、ふと耳が雑音を捉えた気がした。幻聴かと思って耳をすませるが、やはり何か聞こえる。静かだった空間に段々音が広がってきて、それが人の声だと気付いた時、私は跳ね起きていた。気持ち悪さに倒れこみそうになるのを押さえて扉の方を見つめると、やはり声が聞こえた。

「開けるぞ」

 内側からは開かない扉が引かれていく。明るい光の溢れる向こう側に立っていたのは、赤い軍服を着て黒い髪を後ろで結んだ女性、ガゼルだった。

 たった一晩閉じこめられていただけなのに、知っている顔を見ただけで安堵で全身の力が抜けていくのを感じた。厳しい表情をしたガゼルの後ろから、シディが部屋へ駆けこんで来た。

「アリア」

 シディは駆け寄ってくるなり私の両肩をつかんで顔を寄せてくる。

「怪我は」

 私が首を横に振ると今度は泣きそうな顔になって、崩れるようにその場にしゃがみこんだ。

「お願い、先輩を助けて」

 状況がよく分からなかった。けれど先輩ということはギルの。私はガゼルを仰ぐ。

「ギルは」

 ガゼルは険しい顔をしたまま私を見つめる。

「時間がない。来てくれ。話しながら行く」

 ガゼルが扉の方を振り返ると、シディも唇を引き結んで立ち上がった。私もベッドから立ち上がるが、思ったより気持ちが悪く足元がふらついた。

「大丈夫?」

 シディが私の腕を取る。

「水に薬が入ってたみたいでちょっと、気持ち悪い」

 扉を押さえていたガゼルが舌打ちしたのが聞こえた。

「どこまでふざけた真似する気だ、あの若造が」

 かなり過激な発言だったが、父様のことだろう。シディの手を借りて部屋の外へ出ると、赤い軍服を着たブリューテ・ドウタの面々が数十名待機していて、そのうちの数人が扉の見張りだっただろう床に倒れた兵士に銃を向けていた。ぎょっとしたが、ただ気絶させられただけだろう。やはり私がここから出られたのは父様の命令ではない。反逆という言葉が頭をかすめた。

 ガゼルが手に持った銃を構えて周囲を見渡してから歩き出す。数人のブリューテ・ドウタがそれを追いかけ、私とシディもそれに続く。すぐに気付くが、見覚えのある廊下は離宮のものだった。父様は私を離宮を監禁していたらしい。

「アリア、お前がいなくなってから大体丸一日がたってる」

 ガゼルはわずかに振り返って言葉を投げた。やはり眠っていたのは一晩で合っているようだ。

「陛下は今日の正午ギルを処刑すると発表した」

 私は耳を疑った。スラックスのポケットから懐中時計を出して見ると、午前十一時をすぎている。あまりにも突拍子がなさすぎて現実味がない。けれど正午まであと一時間もないのだ。

「ブリューテ・ドウタ以外には投獄と同時に処刑が知らせてあったらしい。けどそれにしても急すぎるし、何よりギルが異形だという証拠が出されてない」

 廊下の端々に兵士が倒れている。来る時に気絶させたのだろう。

「レイジの時は」

 言って、ガゼルは一瞬言いよどんだ。私の胸の内も重く沈む。

「まだ、異形だからと自分を納得させた。けれど今度は証拠も出されない、こんな理不尽な状況で教え子を処刑される訳にはいかん。交渉役も置いてきたがおそらくそんなことで陛下は考えを変えないだろう。だからアリア、お前に切り札になってもらいたい」

「切り札?」

 思わずおうむ返しに尋ねてしまう。思考力も低下しているのかもしれない。

「監禁された理由は処刑の障害になるからだろう。陛下から何を聞いた?」

 確かに監禁される前、私はあのまま放っておけばギルを探しに行ったか、感情にまかせて鳥に飲みこまれていたかだろう。けれど私が知った真実では処刑を止める切り札にはならない。父様の願いはギルを処刑することでしか叶わない。

「知っていることは、お話し、します。けど陛下が私を閉じこめたのは単純に処刑を邪魔されないようにだと思います」

 ガゼルは一瞬憂いを帯びた目で私を振り返った。

「一応話してくれ」

 私はシディの横をすり抜けガゼルに近付いて、耳打ちするように、ギルが金色の鳥であること、父様が戦争を終わらせるために私の魔力とギルの魔力を結果的に繋いだこと、ギルを殺せば黒の鳥が消えるだろうということを話した。

 ガゼルは忌々しそうな顔をして舌打ちする。

「仮にギルを犠牲にしたとして成功する確証はあるのか」

「仮説では成功すると言っていた気がします。誰も試したことがないから分からないですけど」

 ガゼルは嘲るように短い笑い声をもらす。

「目先の利益にとらわれてとうとう自分を見失ったか。何ならアリア、お前が処刑場の全員を吹き飛ばしてくれても構わないぞ」

 全く冗談のない顔付きのガゼルに、私はフレイア(封印呪文)で魔力をほとんど制限されていることを告げた。ガゼルは一瞬だけ迷うような表情を見せてから、厳しい目つきに戻った。

「それなら申し訳ないが、人質として従ってもらう。良くも悪くも陛下を止められるのはお前しかいない。これは反逆ではなく抗議デモだ。ブリューテ・ドウタの三分の二以上が参加している。戦力の過半数を切り捨てる程陛下も馬鹿ではない。と思いたいところだが、どうだろうな」

 ガゼルは自嘲した。私に人質としての価値があるのかは分からなかったが、可能性があるなら利用するべきだと思って頷いた。

 離宮の廊下を抜けて外へ出る。状況とは裏腹に空は澄み切っていて明るかった。

「ここから走るぞ」

 ガゼルが走り出したのにブリューテ・ドウタ達が後を追う。離宮から皇舎まで肉体強化を使って走ればおおよそ三十分だ。正午まで後一時間を切っている。

「走れる?」

 シディがあまりよくない顔色で私の隣に並んだ。シディもギルを助けて、最悪自分がどうなってもいいという覚悟があるのだ。私は頷いた。少し歩いたからか気持ち悪さは幾分ましになってきている。肉体強化は魔力がなく使えないが、だてに普段訓練を受けている訳ではない。

 私とシディは並んで走り出した。

「そういえばどうして私がここにいるって分かったの?」

 シディは走りながら私を見る。

「発信器。と、ガゼルが陛下が何かを隠す時はここだろうって。あたしはここのこと知らなかったんだけど」

 こことは離宮のことだろう。ガゼルはなぜ離宮のことを知っていたのだろうか。

 私は訓練用のシャツにズボンという軽装だったが、発信器は中の下着に留めていた。ブリューテ・ドウタには発信器は常に身につけておくことという通達があったからだ。それにしても監禁された時に身体検査を忘れたのか、わざとかどちらだろうか。

 肉体強化を使っていない時より体が重いのを感じて、深く息を吐き出して吸った。考えるのは後だ。私は遅れないように皇舎までの道のりを走り続けた。


 皇舎の敷地内に入り、数十名のブリューテ・ドウタ達と合流した。向かっているのは広場で、前の処刑場所と同じだ。素早く懐中時計に目をやると、時刻は十一時四十五分だった。

 見晴らしのよい庭で次々と一般兵がこちらに槍や剣を構えて向かってくる。ブリューテ・ドウタを反逆者として扱う通達があったに違いない。けれどさすがにブリューテ・ドウタの面々は一般兵に引けをとることはなく、当て身や軽い魔法で一般兵を沈めていく。今の体調では足手まといになってしまう自分に歯がみしながら、邪魔にならない場所を見つけて走っていると、前方から赤い色が迫ってくるのが見えた。

 整えられた石畳の上を、澄み切った青空を背景にこちらに向かってきたのは、赤い軍服を着た紛れもないブリューテ・ドウタだった。数はおおよそ三十名。向かってくる赤い軍服を捉えてガゼルが舌打ちする。赤い軍服の集団は私達の前に立ちはだかるように止まり、一人の中年男性が歩み出てきた。ブリューテ・ドウタの総代表にあたる男性だった。

「現時点をもって諸君らブリューテ・ドウタを反逆罪で捕縛、投獄せよと陛下からご命令があった。ただし今考えを改め、こちら側につくものは減刑の措置を与えてもよいとおっしゃっている」

 こちら側とはつまりギルの処刑に反対しなかったブリューテ・ドウタ三分の一のことだ。

「この戦況で主戦力の大半を牢にぶちこむ覚悟がおありとは、大したものだ」

 ガゼルは独り言の声量で呟いて、嘲るような笑みをにじませる。それから周囲のブリューテ・ドウタに目配せをして小さく頷くと、私の腕を取った。

「行け」

 味方の誰かが叫ぶのと私の腕を引いたガゼルが走り出すのは同時だった。反応が遅れた相手側をガゼルと数人のブリューテ・ドウタが魔法でなぎ倒していく。おおよそ五十名対三十名、数はこちらの方が有利だ。

 包囲網をくぐり抜けるが、数名それでもなお追いすがってくる。疲労で動きが鈍くなってきたところを、私は後ろから追いかけてきた男性に腕をつかまれた。悲鳴と共に倒れそうになるのをガゼルの腕に強く引かれ、ガゼルが男性に銃を向けるのを見た。銃声が響いたが銃口は足元に向いていたから、威嚇射撃だった。けれど前に『どんな理由があれ仲間に銃を向けるのはありえない』と苦しそうに語ったガゼルを思い出して、胸が苦しくなった。

 追手を振り切り、私はガゼルに腕を引かれながら必死に走り続けた。


 広場に見知った光景が近付いてきて、心臓をわしずかみにされたようになった。走り続けたせいで乱れた呼吸とは関係なく、更に心拍が増していく。

 皇舎中の人間が集まる人の輪の中、少し高く段になった天幕の中に陛下が立っており、更に中心の高みになった断頭台の前には、執行人と、後ろ手に縛られ、頭を垂れているギルの横顔が、見えた。

 一気に現実感が体を支配する。これは夢ではないのだ。レイジと同じ、もう、あんなところにギルが。

 人の輪の前にいた一般兵の集団に進路を阻まれる。ガゼルが力任せに当て身をくらわせ一般兵を沈めていくと、人の輪が騒ぎに気付いてざわめき始める。

「陛下、お待ち下さい」

 ガゼルが叫ぶと、陛下はわずかにこちらを振り向いた。けれどすぐに顔をそらし、合図のように手を振った。

「時間だ」

 遠くてあまり聞こえなかったが、そう言ったような気がした。陛下の視線の先には断頭台の前に立つ執行人、そして、ギルがいた。

 ギルと、目が合った。表情は分かるくらいの距離だった。ギルは驚いたような顔をしていた。その顔が悲痛に歪み、そのまま執行人の手によって断頭台に首が置かれる。

「処刑を続ければアリア・トリニアを撃つ、いいのか」

 ガゼルが人が変わったような剣幕で叫び、私の首に銃を押しつけると、人の輪から悲鳴が上がった。恐怖はなかった。それより目の前にある光景が信じられなかった。私が死んでギルが助かるならそれでもよかった。けれど陛下は、父様は執行人に向かってもう一度手を振り下ろした。

 心臓が強く鳴っていた。指先が冷たくて震えていた。まわりの音が何も聞こえなくなった。執行人が断頭台の鎖に手をかけた。そして。

『ごめん』

 いつしかのように、ギルの声が聞こえた気がした。

 私の中で、何かが壊れた。


 私は見ていた。黒い魔力が執行人を飲みこむのを。同時に、陛下を、父様を黒い魔力が飲みこむのを。父様は目を見開いて、黒い魔力に飲みこまれていった。あとには、その場には何も残らない。

 それは、私が最初に実戦に出て、異形を黒い魔力で飲みこんで『消した』のと同じだった。


 耳にざわめきが広がり始めていく。いるべきはずの人がいない。ギルの隣に執行人がいない。天幕の中には父様が、いない。

 人の輪から悲鳴が上がる。人々の視線の先を追うと、自分の左腕にたどりついた。あんなに願っても出てこなかった黒い翼が、今現れていた。

 首元から冷たい金属の感触がなくなる。ガゼルが見開いた目で私を見つめていた。その目に映っているのは驚きと、困惑と、そして、恐れ、だった。

 ああ、私は、また。ギルを助けるにはこうするしかなかった? いや、違う。私、は人を殺した。私、は、父様を、実の父親を、存在ごと殺した。

 私、は父様を殺してしまった。

 私は、絶叫した。

 私を私たらしめていたものが、ぷつりと途切れた。


 ああ、やっと、分かった。どうして今まで気付かなかったのだろう。世界はもうとっくに終わっていたのだ。最初からみんな消してしまえば誰も苦しまずに、わたしも苦しまずに済んだ。まずわたしを苦しめた父様を消した。ああ、けれどもう順番なんて関係ないのだった。最後にはみんな消える運命なのだから。早いか遅いかはあまり関係がない。

 さあ、わたしはわたしの成すべきことをしよう。この世界を綺麗に消してみせよう。

 ああ、でもその前に。

 わたしは一様に怯えた表情でこちらを見ている人の輪を『飛び』こえて断頭台の上に立った。断頭台の後ろに回りこんで、断頭台にひざまずいたままこちらを見上げている赤髪の青年、ギルと目を合わせる。

「アリア」

 ギルはかすれた声で呟いた。

 一つだけ、聞いてみたいことがあった。

「ギル、『私』が好きだった?」

 ギルの目が見開いた。金色の目は悲痛に歪み、けれどすぐに強い光をたたえてわたしを見つめた。

「好きだ。今も、この先どんなことがあっても」

 痛々しい程真剣にわたしを見つめるギルの本心を、わたしは知らない。けれど父様が言っていたように魔力が繋がっているのは事実だ。私には分からなかったかもしれないが、わたしには分かる。ギルは本当に私が好きだったのだろう。今ではあまり意味を持たないことだけれど。いや、違うか。消す順番が変わってくるし、魔力が繋がってしまった以上、創造の循環はこれで終わる。本当に最後なのだ。

 わたしはギルを見下ろして、できるだけ分かりやすくなるよう心がけながら口を開いた。

「今から世界を消します。少し時間がかかりそうですけど、ギルは最後に消します。ギルを消したらわたしも消えてしまうので」

 ギルの体を『殺した』場合、金色の鳥がわたしの中に流れこんで、わたしも金色の鳥も消えてしまう。『消した』場合はどうなるのか分からなかったが、多分同じだろうと思って行動することにする。

 ギルは答えなかった。ただ呆然と私を見つめている。

「全部消すまで、わたしの側を離れないで下さい。最後にギルを消して、それでも金色の鳥が消えなかったら、世界を創って下さい」

 金色の鳥が黒の鳥の抑止力になると考えた異形も、父様も間違ってはいない。けれど相反する魔力が互いを打ち消し合うから抑止力のように見えるだけだ。父様は世界を創るということも疑っていたが、金色の鳥が世界を創るというのは本当だ。ただ人に体現しているのが初めてだというだけで。過去、最後に世界を壊した時、全て消し去った後、金色の鳥は確かに世界を創り出した。

 ふと、最後にギルだけを消さなかったら世界を創ってもらえるだろうかと思ったが、世界を消した時点でこの体では生きていられない。それにわたしもそんな器用なことができる仕組みにはなっていない。わたしはただ、世界を消し去るだけだ。

 ギルは唇を震わせてわたしを見上げていた。

「アリアじゃなくて、鳥、なのか?」

 金色の瞳が信じられないものを見るようにわたしを見ている。金色の鳥を体現することを表した金色の瞳が。魔力抵抗力が異常に高いと言っていたのも金色の鳥の恩恵だろう。けれどわたしと違ってギルは金色の鳥の存在を認知できていない。

 わたしは首をかしげてギルに近付く。もう一度ギルの後ろに回りこんでから、ギルの両手を戒めていた鎖を『消し』、右手でギルの腕をつかみ上げる。

「何を言ってるんですか? わたしはわたしです」

 わたしは断頭台の下で輪を作っている人々に向けて、左腕の翼を大きく広げた。魔力の黒い羽根が舞い落ちて、人々の間に不穏なざわめきが走る。やがて一人に舞い落ちた羽根が触れて、羽根は牙をむいた獣のように黒い流動体に変化し、周囲の人々を飲みこんだ。

 ざわめきが悲鳴に変わった。人を飲みこんだ黒い魔力の塊は収縮していき、あとには何も残らない。

 降り注ぐ黒い羽根が人の輪を飲みこんでいくのをわたしは断頭台の上から見下ろしていた。けれどやはり逃げる者もいる。一度で消しきれるとは思っていない。この体は制約が多く、消さなければならない対象も多い。人と異形が一番手を焼く対象だろうと思っていたら、案の定こちらに向けて銃を構える者の姿が見えた。飛んできた銃弾を、目の前でふるった左腕の黒い魔力でかき消す。そのまま黒い魔力の塊をとばし、下から銃を撃ってくる人々を消し去る。

 魔力の底がない分、肉体強化を強くかけているので銃弾にも耐えられるだろうが、この体は不死身ではない。わたしが世界を消す前に体が殺されてしまってはおしまいである。それに、ギルを狙われればやはりわたしは消えてしまう。ギルを殺せばわたしも消えるなどという馬鹿げた話を知っているのは父様だけだっただろうが、ギルも守らなくてはならない。

「アリア」

 ギルが呟いた声が聞こえて振り返った。ギルは血の気のない顔で、目を見開いて断頭台の下を見つめていた。

「ギル、あんまり離れないで下さい。撃たれます」

「アリア」

 今度は叫んで、ギルは私の左腕、翼の根元をつかんだ。魔力を送りこまれているのかもしれないが、今はわたしの魔力の方が圧倒的に強いので抑えこまれることはない。ギルはわたしの腕に爪が食いこむ程の力で腕をつかんでいた。

「鳥に操られてるのか? 目覚ませ」

 わたしは手を振りほどいて、パニックになった群衆の中からなおも飛んでくる銃弾を黒い魔力で消し去った。

「違います。わたしはわたしです。鳥と私は同じものです」

「違う、アリアはこんなことしない。目を覚ませ」

 叫ぶギルにわたしは眉を寄せた。

「ギルの知ってるわたしがわたしの全てじゃない。ギルが私に嘘をついてたみたいに」

 ギルの表情がこわばった。今となってはどうでもよい出来事だが、まだ利用価値はあるらしい。わたしは右手でギルの手を握った。

「お願い。ギルが死ねばわたしも死ぬ。最後まで一人にしないで」

 ギルが先に死んでしまえばわたしがどうなろうと分からないし、最後にはわたしがギルを消すのだが、ギルの瞳ははっきりと揺れた。

 身をていしてわたしを止めるなら、まずギル自身が死を受け入れる覚悟をしなければならない。けれど死を受け入れても、心を繋いだわたしにすがられたのだ。好きなら絶対にためらう。黒の鳥と金色の鳥の心を繋いで、魔力も繋いだと知った時にはよくもまあ考えついたものだと思ったが、父様はこの状況まで考えてはいなかっただろう。どちらにしろ父様の思惑通り創造の理が終わることに変わりはない。違うのは今の世界が続いていたか終わっているかだ。

 わたしはギルの手を離して断頭台の下を見渡した。わずかに生き残った者は方々に逃げ出しているが、まだこちらに銃を向けている者もいる。魔法も飛んでくるが、わたしの魔力より強い魔法などないので左腕でかき消す。

「ギル、下に降ります。手を」

 そう言って手を差し出そうとしたら、先にギルに左腕をつかまれた。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する フレイア』

 ギルに触れられている人の腕をした部分が淡い光に包まれる。光が収まって、ギルが射るような目でわたしを見ているのを見て、わたしは一声、笑い声をもらした。一度笑い出すと止まらなくて、飛んでくる銃弾と魔法を笑いながらかき消した。

 ようやく息を整えて、わたしはわたしの腕をつかんでいるギルの手首を右手でつかみとった。

「何のつもりですか? 鳥のことはよく知ってるんでしょう? 金色の鳥を飼ってるんだから」

 ギルが振りほどこうと手首に力を入れるが、わたしが押さえこんでいるので動かない。

「アリア、どうして」

 訴えかけるようにギルが叫ぶが逆効果だ。わたしは嘲笑していた。心の中に憎しみにも似た残虐な感情が沸き上がってくる。

「どうしてはこっちの台詞です。ああ、わたしが鳥になっていなかったら今のフレイア(封印呪文)で抑えられたかもしれないですね。でもわたしは鳥です。前に言いましたよね。ギルはわたしを全然信用してない。どうしてわたしを信じてくれないんですか?」

 瞬時に言い返すことのできなかったギルにわたしは畳みかける。

「私にずっと嘘をついてたこと、今だって何も話してくれない」

「それは」

「いいんです、でも、今は消すことが先ですから。わたしは鳥です。消すという役目が全てなんです。二人きりになった時に嫌という程聞きますから」

 わたしはつかんでいるギルの手首を折らないよう、必死に自分を抑えた。それでも力を入れすぎて指先がギルの肌に食いこんでいた。

「だからわたしのことが本当に好きなら、もう邪魔しないで」

 愛しさと、悲しみと、憎しみが混ざり合って、声が震えた。わたしはギルの手首を引き寄せて断頭台から飛んだ。着地の前に反動で地面に叩きつけられそうになるギルを手首から引き上げる。うめき声と押し殺した悲鳴が聞こえた気がしたが、手が折れても生きていてもらえれば構わない。飛べないなんて、何て不便なのだろう。

 わたしはギルの手首をつかんだまま広場の地面を蹴った。逃げる人を、剣を持って向かってくる人を、銃を向けてくる人を左腕の黒い魔力で消していく。ギルには少し魔力を伝わせて地面から浮いていてもらった。引きずり回していたら死んでしまうだろうから。

 次の場所からは上空で魔力の塊を作って落とすことにしよう。そうすれば無駄に抵抗されなくてすむ。最初に人と異形を消して、次に動物、植物、海、大地、空、光を消せば終わりだ。ギルの体がどこまで耐えられるか分からないが、消せるところまで消してみせる。

「アリア」

 時折風を切る音に紛れてギルが叫ぶが、わたしは返事をしなかった。

 両側をしげみに囲まれた石畳の道に入った時、不意にわたしの目の前を横切るようにして黒い軍服がとびこんできた。

 わたしの前に立っていたのは義理の父様、エルドイ・トリニアだった。

「アリア、人を傷付けるのはやめなさい」

 父様は恐れも怒りもない静かな目をしてわたしを見つめていた。わたしは首を振った。

「やめない。わたしは鳥なの。そういう風にできてるの。父様も知ってるでしょう?」

「ではギルを離しなさい」

「それもできない。ギルは最後までわたしと一緒にいないといけないから」

 父様の目に一瞬哀れみのような感情が浮かんだ。父様は軍服の内側に手を入れ、出した銃をこちらに向けた。

「では、私がお前を止めよう」

 わたしだって近しい人に手をかけることに何も感じない訳ではない。悲しいけれど、わたしの役目は消すことだ。それ以外の存在理由はない。けれど今更ためらうことはない。だって私はもう実の父様を存在ごと殺してしまったのだから。

 わたしはギルを背後にかばいながら、左腕を振るって黒い魔力の羽根を複数飛ばした。羽根に触れれば飲みこまれて消える。縦横から飛ばした羽根を、父様は石畳を転がって避けた。そのままわきのしげみの中へ姿を消す。地面に刺さった羽根が石畳をえぐって消えた。

 しげみ自体は深くなかったが、父様が逃げこんだ方には木も多く視界が悪い。

「無駄です、父様。大人しく出てきて」

 わたしは羽根を飛ばして視界を遮っている草木を消していった。その折に背後のギルを一瞬だけ見やる。ギルはうつむいていて顔色が悪く、明らかに憔悴していた。わたしが見たことにも気付いていない。

 気を引きしめ直して、わたしはしげみへ羽根を飛ばした。こんな回りくどいことをしないで、上空へ飛んで魔力の塊を撃った方が早いかと思った時、父様が消えかけたしげみから飛び出した。

 父様はこちらに銃を向けていた。わたしはギルが背後にいるのを確認して左腕を広げる。今度こそ仕留める。そう思って羽根を撃とうとした時、反対側、背後のしげみから音がした。わたしは父様に羽根を撃つと、地面を蹴って体を反転させながらギルと共に宙へ飛んだ。

 背後の人物へ羽根を撃とうとして一瞬体が固まった。銃を向けていたのが、決死の表情でわたしを見つめるガゼルと、シディだったから。二人からの容赦ない銃撃を黒い魔力でかき消して、上空へ飛ぼうとしたその時だった。

「ギル」

 背後から父様の叫び声が聞こえて振り返ると、銀色の銃がこちらに向かって飛んできていた。

 銃弾ではなく銃。そうか、父様も知っていたのだ。ギルを殺せばわたしが消えるということを。

 気付いた時にはわたしより早く手を伸ばしたギルが銃をつかんでいた。ギルはつかんだ銃を自らの喉元に押し当てて、引き金に指を添えた。

「駄目、ギル」

 全身の血の気が引いた。ギルは泣き出しそうに歪んだ金色の目でわたしを見た。

「ごめん、アリア。好きだ、今も、大好きだ」

 わたしは、震えた。自らの保身のためでなく、ギルを失ってしまうということに。おかしかった。わたしは『消す』という存在意義しかないのに。

 ああ、違う。私はギルを失いたくない。傷ついても、悲しんでも憎んでも、絶対に失いたくない。

 私は左腕の魔力を自分の中に繋がっている底なしの魔力がある場所まで流しこんでいた。ぐらりと体がかしぐのを感じる。ギルの顔を捉えて、視界が急激に黒く染まっていく。

 ギルを失いたくないのなら、私が消えるしかない。わたしの力は『消す』力だ。だから私ならわたしを消せる。これで、ギルを失わなくてすむ。

 目も、耳も、感覚も全て黒に閉ざされた。これからどうなるのか分からないけれど、怖くはなかった。もう何も見えないし何も感じないけれど、涙が溢れてきた気がした。私は、泣いていた。

 ギルが好きだった。ずっと嘘をつかれていても、何も話してくれないことに憎しみすら感じても、好きだった。だからこれでよかったのだと思ったけれど、涙が止まらなかった。

 もっとたくさん言いたいことがあった。聞きたいことがあった。こんな別れ方をしたい訳ではなかった。こんな終わり方を望んでいた訳ではなかった。ただ私がギルを好きで、ギルも私のことが好きで、一緒にいられればそれだけでよかったのに。

 けれどもう会うことも、喋ることもできない。

 黒の中で意識が薄れていく。悲しみも苦しみも全て飲みこんでいく。ああでも、一つだけ。

 あなたをもっと、好きでいたかった。

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