誰がため(1)

「レイジ・アヤセの件について、処分が決定するまで陛下は面会しないとおっしゃっています。お引き取り下さい」

 陛下の執務室の前でソファに座っていた私は、側仕えの男性にそう告げられた。

 レイジが陛下に連れられてから午前の訓練はいつも通りに再開された。集中できない中、何とか午前の訓練を終えて昼休みに陛下に面会を申し入れた、のに。

 確かに何を言おうか決めていた訳ではない。陛下のやったことは手段はどうあれ、人間側の皇帝としては正しい。ただ、何かせずにはいられなかった。このまま何もせずに黙っているなんて。

「どうしても会いたいんです」

「間違ったことだと分かっていてもですか?」

 予想外の切り返しに言葉が出てこなかった。男性は言葉とは裏腹に申し訳なさそうに微笑む。

「すみません、私も全て分かっている訳ではありません。けれど陛下の行ったことは正しい。どうかお引き取り下さい」

 分かっている。けれど、そんな。

 控え室の扉がノックされて、私は振り向いた。入ってきたのはシディで、私を見とめて神妙な面持ちになる。

「アリア、何か食べないと倒れるよ」

 壁の時計を見ると十二時半だった。十三時から午後の訓練が始まってしまう。

「また、来ます」

 私は男性の方を見られずに言って、出口へ歩いた。

 悔しかった。けれど一番悔しいのは、陛下は正しいことをしたと心の中では分かっていることだった。


 シディと一緒に食堂へ行くと、時間も遅いからかいつもより席についている人は少なかった。けれど、私がその場へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 ある人はこちらを見て小声で隣に囁き、ある人は席を立ち、ある人は露骨に私の顔を眺めた。異様に静まった空気の中で、ようやく気付いた。私もこの件の当事者だったということに。

「あの子? 見た目普通っぽいけど」

「馬鹿、殺されっぞ。終わりの鳥だろ?」

「陛下の隠し子で異形って」

「お前ちょっとどこが異形なのか触って確かめてこいよ」

 下卑た笑い声が聞こえてきて、私は立ち尽くしたまま訓練着のズボンを握りしめた。

「アリア」

 隣にいるシディに小さく呼ばれて、我に返る。

 そうだ、このくらいで気にしていて、どうする。噂は真実だけれど私が認めてしまえばここにはいられなくなる。まだ離れる訳にはいかない。レイジを助けるまでは。

 ふと、この噂を流したのはレイジだということを思い出して胸が痛くなった。裏切られていたことに何も感じないかといえば、嘘だ。けれどやはり私はまだ、レイジが接してくれた今までの時間が嘘だったと思いたくないのだった。

 シディが私の手を強く引いて歩き出してくれて、胸がつまった。無理に一緒にいなくていいよと言おうとしたが、きっとシディは怒るだろうと思ってやめた。

 食堂にはブリューテ・ドウタ以外の訓練着の人達もいて、噂は既に皇舎中に広まったのだと知った。

 机の間を通り抜ける途中、硝子が割れる激しい音と、腿に広がった冷たい感触に思わず振り向いた。床には水がこぼれ硝子の破片が散らばって、訓練着のズボンの横がぐっしょり濡れていた。

「ちょ、お前何やってんだよ」

「あーごめんごめん、拭くって、お詫びに」

 私より年上の、ブリューテ・ドウタではない訓練着を着た男性達が言って、手前の男性が濡れた訓練着の上から私の腿をつかんだ。

 触れられた手の感触と共に、体中に悪寒が広がった。

「ちょっと」

 シディが叫んだのと同時に椅子を蹴り上げたような音が響いて、こちらへ足音が近付いてくる。体を引かれて、男性との間に立ちふさがるように割りこんだのは、ギルだった。

「触んな」

 ギルは憎悪の塊のような声で言って、男性と向かい合う。男性は一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに表情を薄笑いに戻した。

「てめえか。赤髪の異形。異形は異形同士仲良くってか」

「黙れよ、一生黒服が」

 ギルは叫ばなかった。けれどその声は食堂によく響いた。

「何、だと」

 男性が声を震わせて立ち上がる。ギルの胸倉をつかもうとした手を、それより早くギルがつかむ。

 やはり『血まみれの犬』と揶揄されてもブリューテ・ドウタはエリートなのだ。魔力は先天的なものだから、黒い軍服の一般兵はどんなに努力してもたどりつけない。

 力を入れているのだろう、ギルが握った男性の手は小さく震えていた。

「取り消せ」

 男性の顔は怒りのせいですっかりひきつっていた。

「事実だろ」

「犬が。てめえらみたいな化け物とは違うんだよ」

「お前らいい加減にしろ。飯がまずくなる」

 別の方向から靴音が近付いてくる。振り向くと訓練着のガゼルが立っていた。

「女がしゃしゃり出てくんな」

 男性が叫んで、ガゼルは冷ややかな目を向ける。

「手ぇもぐぞ。ガキが。ブリューテ・ドウタに対する暴言は陛下への暴言だと思え」

 男性の顔が歪む。おそらく、男性は陛下にも反感を持っている。けれどここで暴言を吐けば不敬罪で牢に入れられる。仮に陛下が例の噂で不信感を持たれていたとしても、陛下が今の立場である限りは、だ。

 ギルはつかんでいた男性の手を振り落として、私の手を引いて歩き出す。

「ふざ、けんな」

 男性の叫び声に振り返ると、男性が拳を振りかぶって迫ってくる様子がゆっくりと見えた。避けるより前に、私はこめかみに衝撃を受けて視界がぶれて倒れていた。

 時間感覚が分からない、けれど多分一瞬だったのだろう。ぐらぐら揺れる世界の耳鳴りの音の中でギルが何か叫んだのが聞こえて、おそらく男性を殴り倒した音が、聞こえた。私を呼ぶ色々な高さの声を聞きながら、ああ、そういえばまだ昼食をとっていなかったと、ふと思い出した。


 結局、私はまた見慣れた医務室に戻ることになった。肉体強化がかかっていたから、殴られた部分は少しこぶができたくらいですんだ。けれど念のため安静ということと、自分でも分かる程気持ちが暗く淀んでいて午後の訓練に出ることはできなかった。

 夕食前、シディがお皿を持って医務室を訪れた。

「寝てた?」

 私はベッドの中で上体を起こしていたので、首を横に振った。具合が悪くないのに大人しくしているというのは案外苦痛なもので、余計なことを考えないようにするためにも医務室にある大衆小説を読んでいた。レースのカーテンの向こうの空はもうすっかり暗くなっている。

「それ何?」

 私がシディの持っているお皿を指すと、シディはサイドテーブルにお皿を置いた。

「サンドイッチ。あんた昼から食べてないでしょ。少しでもいいから食べな」

 薄い布のかかったお皿を見て、食べてお腹がいっぱいになったら心配事も少しは軽くなると言われたことを思い出した。

「ギルは」

 シディはお皿の布を取ってサンドイッチをこちらに一つさし出した。断る理由もなく受け取って、私は薫製肉のサンドイッチを一口かじった。

「先輩は謹慎三日、あんたを殴った奴は治療も含めて謹慎一週間。本当はあんたを殴るつもりじゃなかったらしいけど、頭に血の上ってる奴の言うことだから分かんないね。って、いらない情報だったか」

 サンドイッチを噛んでいたら急にお腹が空いているのが分かって、私は早くも二個目のサンドイッチに手を伸ばした。

「おかわりいるなら持ってくるけど」

「おかわりはいらない、けど。甘いものが食べたい」

「じゃあケーキでももらってくる」

 甘いものが食べたいなんて私もまだ大丈夫かと思っていると、シディが出口の方へ歩き出した。

「シディ」

 思わず呼び止めてしまった。振り返ったシディに私は言葉を探す。

「あの、ありがとう」

 私の様子が移ったからだろうか、シディは複雑な顔付きになった。

「大人しくしてなよ」

 シディが出ていって、急に耳に静けさが戻ってくる。私はサンドイッチを食べながら手持ちぶさたになって、脇に置いていた大衆小説を片手で開いた。内容は恋愛小説で、男性が女性に手紙を書いていた。

 無性にギルに会いたくなった。今日は色々なことが起こりすぎて、明日からのことも何も見えない。罵倒されるのが怖い、嘲笑されるのが怖い、ここにいられなくなるのが、怖い。底のない危機感が迫ってきて、私は左腕を握って少しだけ体を丸めた。


 それは三日後の朝、ギルの謹慎が解けた日の朝礼で告げられた。

「レイジ・アヤセの処刑が三日後に執行されることになった」

 それは、予想できていたことだった。それが一番人間側として正しい。けれど足元が一気に不安定になって、力が抜けるようだった。分かってはいる、けれど。理屈ではない、受け入れられる訳が、ない。

 色々な感情が頭の中を巡った。そのまま午前の訓練を終え、昼休みに陛下に面会を申し入れたが、やはり拒否された。

 その日の消灯後、私はギルの部屋へ向かっていた。この間行ったばかりだったのと、それほど複雑な道順ではなかったのですぐにたどり着くことができた。

 開いた扉の向こうのギルはわずかに驚いた顔をしたが、問答もなく部屋に入れてくれた。

「ごめん、なさい。こんな時に」

 部屋の奥へ歩き出していたギルは振り返って、自嘲に似た笑みを見せた。

「いいよ、俺もどうしていいか分かんなかったし」

 私は思わずギルの側へ駆け寄った。

「あの、あと謹慎のこと」

 すみませんでしたというのも変だし、ありがとうございますというのも違う気がする。何と言えばいいのか分からず言葉を探していたら、頭にギルの手が置かれた。

「あれは無意識。正直殴り足りない。だからいいんだよ」

 言葉とは裏腹にギルの声音は優しく、ギルは私が男性に殴られたこめかみのところに手の平を当てた。昼休みの時も、陛下の執務室から食堂に戻ってきた私に怪我の具合を聞いてくれた。私が頷くと、ギルは手を離して部屋の奥へ歩き出す。

「座っていいよ」

 この間も座った丸テーブルの椅子を勧められ、私は腰を下ろした。

 程なくしてギルがぶどうジュースだろう紫色の飲み物が入ったグラスを持ってきて、私の向かいに座った。

「レイジのこと?」

 先に切り出されて私は頷く。陛下の選択は正しい。けれど。

「レイジを助けたいです」

 このまま黙って何もしないなど、耐えられない。

 ギルは答えずにぶどうジュースを一口飲んだ。

「殺されはしないだろうけど。アリアなら。けど皇舎にはいられなくなるかもしれない」

 そうかもしれない。けれど違うのだ、このまま何もせずにいるなんて、私は。

「何もしない方が、辛いです。多分処罰はあります。でも何もしなかった時、その後、私」

 レイジが死んでしまった後、私は自分を責めずに生きられるだろうか?

 私は吸いすぎてしまった息を吐き出した。

「自分の、ためなんです。何もしないで結果を受け入れたら、私は多分この先生きていくのがすごく辛いです」

 だから自分のためなんですと付け加えて、私は机の木目に視線を落とした。

「いい、俺もやるよ」

 ほぼ間をあけずギルが言って、私は顔を上げた。

「でも、ギルは」

 父様はおそらく私を殺さない。けれどギルは殺されないという保障がない。

「多分殺されない、と思ってたけど今回の件で分かんなくなった。けど黙ってるつもりはない」

 ギルは机に視線を落とす。

「上手く言えないんだけど。でも俺も自分の安全を心配するより、何かしないと駄目だって思ってる。だから一緒に行く」

 ギルは少しだけ笑顔を見せた。

「言うの先こされちゃったけど」

 私はかぶりを振る。ギルはレイジとすごしてきた時間が私よりずっとずっと長い。だからきっと、もっと色々なことを思っている。

「なるべく私に罰則が向くように、考えるので」

 言うと、ギルは考えるように目を伏せた。

「でも多分、殺されないと思う」

「何で、ですか?」

「陛下と約束があって、それが終わらないうちは多分」

「約束って何ですか?」

 答えてもらえると思った訳ではない。案の定ギルは決まりが悪そうに私の方を見なかった。

「ごめん、それは言えないんだけど」

 私は深く追求せず頷いた。陛下絡みのことだったら言えないのは何となく分かっていた。

「じゃあ、とりあえず具体的にどうするかですけど」

 ギルは任務の時の真剣な顔付きになって私を見る。

「レイジと話す」

 ギルの声は低く、小さかった。

「あとレイジが今どこにいるかだけど」

「牢の場所なら、知ってます」

「牢って捕虜が入ってるところ?」

「え、と、そっちは知らないです。皇舎から離れたところにある建物です」

 私がここに来る前にいたところですと付け加えると、ギルの表情が険しくなった。

「牢に入れられてたの?」

「いえ、そうではなくて」

 つい最近まで私の居住地だった建物は、皇舎から歩いて一時間程のところにあった。正確には皇舎の中にあるのだが、離れているのと入るのに許可がいるので、陛下と父様以外訪れた人を見たことがない。おそらく離宮のような扱いで、二、三十人は住めそうな建物と地下には牢があった。建物には住みこみで世話役の女性が一人いたが、私が大きくなるといつの間にか姿を消していた。

 ギルに話すと、ギルは考えこんだようであごに手を当てて机を見つめた。

「レイジはそこにいるんだと思ってました」

 ギルは頷いて私の方を見た。

「いいや、その前提でいこう。とりあえずそこまでの道順描いて。簡単でいいから」

 ギルは紙とペンを取ってくると、私の前に置いた。私は皇舎と建物を上から見たところを想像して描き入れる。

「捕虜がいる方にいると思うんですか?」

 私は道順の描けた紙をギルに渡した。ギルは紙を顔の高さまで持ち上げて、眺めてから机の上に置いた。

「いや、こっちのことを知らなかっただけ」

 ギルは紙を指で叩く。

「こっちの方が隔離されてるし、守りやすそうだからこっちでいいと思う。陛下がひねくれてなければ。今は誰も住んでないんだろ?」

 私は頷いた。

「で、飛んでいこうと思うんだけど」

 ギルの言葉がすぐ理解できず、私は考えを巡らせる。

「スイル(飛行呪文)でずっと飛んでいくってことですか?」

「いや、それだと魔力もたないから正確には屋根伝いに跳ねていく感じ。アリア抱えて」

 聞きたいことは色々浮かんできたのだが、すぐに私は思い至った。

「ギル、魔力は」

 その一言だけで気付いてもらえたらしい。ギルはしまったという顔をして、私から目をそらす。数日前検査の時にかけたフレイア(封印呪文)で、おそらくギルの魔力は制限がかかっているはずだった。

「あの、さ」

 ギルは気まずそうな顔のまま私を見る。

「正直に言う。あの時、検査でフレイア(封印呪文)かけられた時、魔力が完全にゼロにならなかった」

 私が理解できるより先にギルが続ける。

「前も言ったけど、異常に魔力抵抗が高いんだ。だから多分レイジは本当に魔力がゼロになったけど、俺はならなかった」

「でも、ギルは」

「異形ではない。信じてくれるならだけど」

 検査については私の石が青かった時点で信用していなかった。けれど私の魔力でもギルの魔力を完全に抑えられなかったというのは、信じがたかった。

「分かり、ました」

「今ここで魔力が消えるまでフレイア(封印呪文)かけられてもいいけど」

 ギルが小さな声で言って、私は首を振る。

「ギルがもし異形でも、異形じゃなくても、私にはもう変わらないです」

 ギルは呟くようにありがと、と言った。

「そういう訳で飛ぶのには支障ない」

「やっぱり飛んでいった方がいいですか?」

「網張られてたらどこから行っても変わらないけど、一般兵と鉢合わせする確率は下がると思う」

 網とは以前私の部屋に張られていた魔力の結界だろう。引っかかればおそらく陛下に行動が伝わるが、私は網を感じ取ることはできない。

「分かりました。いつ行きますか?」

 尋ねてから、時間はもうないのだということに気付く。

「明日の夜、二十四時にここ集合。仮眠はとっておくこと」

 私は頷いた。

 その後ギルと細かい打ち合わせをして、私は部屋を後にした。送ろうかと言ってくれたギルの申し出は断っておいた。多分ギルは今一人になった方がいいような気がした。


 翌日、私は昨日と同じように陛下に面会を申し入れたが、やはり拒否された。ただ、面会しても陛下を説き伏せられる自信もなかったし、陛下が譲歩するとも思えなかった。だから、処罰を受けてもいいから、実力行使に賭けるしかなかった。

 消灯の後、浅いながらもどうにか仮眠をとり、日付が変わる前にギルの部屋へ向かった。私もギルも必要な言葉しか交わさず、空気の静けさといつもより早い鼓動が耳についた。

「行こうか」

 頷くと、ギルはカーテンを開けてベランダに出た。風の音と木の葉が鳴る音が耳について、私は体に力を入れた。半分以上欠けた月が高く昇っていて、空には雲一つない。

「じゃあ、ごめん」

 ギルがやり辛そうに私の前に屈みこんで、一瞬頭が止まる。そうだった、私は飛べないから抱えてもらわないといけないのだった。動力炉の時のようにおぶられるのかと思っていたが、ギルは私の方を向いていた。私がまごついていると「肩つかんで」と言われ、あっという間に横抱きにされた。

「ごめん、なさい」

 飛べない不甲斐なさと恥ずかしさが自然と口をついて出る。

「いいよ、こんな時に何だけど役得ってことで」

 ギルもどことなく恥ずかしそうに顔をそらす。私も不謹慎だとは思いながら今までとは別の緊張を感じている。

「でもなるべくしがみついててくれた方が助かるから」

 ギルは真面目な顔をして、私は頷く。余計な考えは捨てて集中しなければ。

「行くぞ」

 ギルを取り巻く魔力の流れが変わったのが分かる。

『世界の続き 透に包まれ 鳥に願い この身の全てを飛行させる スイル』

 魔力の薄い膜に包まれたようになって、体が重さを感じなくなる。そのままギルはベランダの柵を蹴って、三階から屋根まで跳び上がった。

 まずは離宮の方に向かうことになっていて、もしレイジがいなければ皇舎の牢、そこにもいなければ、父様、エルドイ・トリニアの部屋まで行って交渉を持ちかける予定だった。離宮までの案内は私が随時行うことになっている。

「あの、走る時は下ろしてもらっても大丈夫ですけど」

 屋根を走っていくギルに声をかける。まだ今のところ誰かに気付かれている様子はない。

「いい、下ろしたり抱えたりするの面倒くさいから。それにスイル(飛行呪文)は飛び移ったりする時にしか使わないし」

 私は返事をして頷いた。せめて体が軽くなればと思うが、スイル(飛行呪文)が使えないので大人しくしていることしかできない。そもそもスイル(飛行呪文)が使えていればこんな状態にはなっていないと気付いて考えるのをやめた。

「話してもいいですか?」

 本当は黙っているべきだったが、聞きたかった。

「何?」

「レイジのこと、今どう思ってますか」

 私は目の前で知っている人が死んでしまうのが怖かった。けれどきっとギルの思いはそれだけではない。

 沈黙に耐えかねて私は口を開いてしまう。

「ごめんなさい、答えたくなかったらいいです」

「よく、分からない」

 ギルは言葉を探しているように薄く口を開く。

「怒ってるっていうか、あいつの態度が全部嘘だったのかとか、聞きたいことはいっぱいあるけど、よく分からない。ただ」

 ギルは目を細くする。

「死んでほしくない」

 きっとそれが今の一番の思いだ。私はギルの肩を握った指に力をこめて、返事をした。

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