ごめんねって言えない(2)

 消灯後の点呼が終わってから、私は靴を手に持って廊下に出た。消灯後の出歩きは厳密には禁止されていないが、やはり後ろめたい。そう思ったが途中で人に会った時明らかに不審なので、部屋から少し歩いて靴を履いた。

 明かりの消えた廊下は暗く、月明かりだけが頼りになる。空気は重く静まり返っていて自然と足音を殺してしまうし、ショルダーホルスターの銃も思わず脇にはさんで押さえつけてしまう。いつもなら寝る前はパジャマに着替えるが、さすがにパジャマでは行けないので今はワイシャツにスラックスだった。

 これから起こるだろうことを考えると鼓動が速くなる。数回しか経験していないが、戦いに出る前の高ぶりと似ている。

 男子棟への分かれ道が見えてくると、壁に背をつけてこちらに手を振っているレイジの姿が見えた。私は足音を立てないように気を付けながら足早にレイジの元へ急ぐ。

「ちゃんと来たね。偉い偉い」

 私は小さな声で頷いた。

「じゃあ行こうか」

 レイジが歩き出したのに合わせて、私は初めて男子棟への廊下へ足を踏み入れた。

「足音消さなくて大丈夫だよ?」

 歩き始めてすぐにレイジがこちらを見る。

「え、あの、でも一応、駄目、ですよね?」

 規則では女子は男子棟に入ってはいけないことになっている。

「まあ本当は駄目だけど、意外とみんなやってるよ。俺より若い世代は特に。若いって大事だね」

 レイジは幾分声を落としながらも笑って歩いていく。

「逆もあるよね。そっちに忍びこんだりとか」

 私は驚いて小さく声を上げていたが、実際女子棟ですごすようになってからまだ数週間しかたっていないので、あまり知らないのだった。

 そういうこともあるのかと覚えておこうと思ったら、廊下に並んだ扉の前でレイジが立ち止まった。目配せするように私に微笑みかけてから扉をノックする。中から声が聞こえたような気がして、私はワイシャツの前を握りしめた。

 ゆっくりと開かれた扉の向こうには気だるそうにワイシャツを着崩したギルがいて、金色の目がレイジを見て、私を見て、止まった。

「アリアちゃん話があるんだって。後はよろしく」

 レイジは手短に言って、私は背中を軽く押されて部屋の中につんのめる。

「ちょ、レイジ、待」

 ギルが言い終わるより早く扉が閉められて、靴音が急速に遠ざかっていく。

 呆然とした空気の中でギルが私を振り返って、私は思わず身構えていた。

「ごめん、なさい、話があるのは、本当なんです」

 ギルは困ったのか呆れたのか眉を寄せる。

「大人しく戻る気はないってこと?」

「話をしに来たんだから戻ったら意味ないです」

 自然と声が強くなってしまって、自分で自分に少し驚く。ギルは困ったように口を曲げながら中空と私を交互に見た。

「それ、明日の昼とかじゃ駄目なの?」

 言われてみれば別に明日の昼でもいいが、そうするとなぜ私は今ここにいるのかということになる。

「聞くなら早い方がいいって、私もそう思ったし、ギルと気まずいままは嫌だったので」

 ギルは心底困ったように私から体をそらした。

「共用通路まで送る」

 ギルが扉に手を伸ばして、私は反射的にギルの手首をつかんでいた。

 一つだけ、あるではないか。明日の昼にはできない話が。

「噂が、流れてるそうです」

 ギルは私につかまれた手首を見て、私を見る。

「何の話?」

「最初に言っておきます。私は、ギルを信じてます。噂の内容は、私が異形で陛下の娘だっていうことです」

 やっとギルの目つきが変わった。それでも私はギルの手首を握りしめる。

「少し、話しませんか」

 ギルはようやく観念したように私を見つめた。

「分かった。から、手、いい?」

 つかんだ手を持ち上げられて、私は手を離した。

 ギルは居心地が悪そうな顔をしながら髪を撫でて、部屋の奥へ進んでいく。

 部屋は天井から吊るされたランプの光で明るく、書き物机にチェスト、小さな丸テーブルに椅子、ベッドが置かれていて、私の部屋とあまり変わらない。床に物が散らかっていることもなく、ベッドにジャケットが脱ぎ捨てられている以外は綺麗に片付いている。

「何か飲む?」

 言いつつギルは部屋の台所の方へ歩いていってしまう。

「え、と、お酒じゃなければ」

「この状況で酒出すわけないだろ」

 ギルは呆れたように呟いた。何となく、怒っている気がする。やはり告白の返事を保留にしてしまったせいだろうか。

 ギルは台所からグラスと赤ワインのような色をした瓶を持ってきて丸テーブルに置いた。お酒は出さないと言ったから、赤ワインではないと思うの、だが。栓が抜かれてグラスに液体が注がれると、ぶどうの香りがした。おそらくぶどうジュースなのだろう。ギルが丸テーブルの椅子に座ったのに合わせて、私も向かいに座った。

 重苦しくなってしまった空気の中、グラスを手元に引き寄せて、ギルを見る。

「怒って、ます?」

 ギルは一瞬私と目を合わせて視線をさまよわせる。

「別に、怒ってはないけど」

 そう言われてしまうと深く追求することもできず、私は簡潔に陛下の話をギルに伝えた。

「一応、信じてもらえないかもしれないけど、俺は言ってない」

 ギルの表情は真剣で、嘘を言っているようには見えず、嘘を言っていると思いたくもなかった。

「私も、ギルが言ったとは思ってません」

「内通者、かな。この時期にか」

「ルリと繋がっている人がいるってことですか」

「だろうな。今まで異形のスパイがいないってことになってたのがそもそもおかしいんだ」

 ギルはグラスの中身を一口飲んで、「ようやく尻尾を出したって言うべきか」と呟く。

「ギルは、今の噂は知らなかったんですよね?」

 ギルは頷く。噂自体はまだあまり広まっていないということだろうか。けれどよく考えれば噂が広まって一番困るのは私ではなくて陛下のはずだ。

「まあでも今の時期に感付かせたってことは、王が変わったからか、そいつが切り捨てられたかってことかな」

 それ以上は推測でしか話せないので、私は黙っていた。

 話が途切れてそれ以上続かなくなると、ギルが静かに立ち上がる。

「とりあえず話は分かったから。ありがと。共用通路まで送る」

 ギルが歩き出そうとするのに、私は立ち上がって腕を引いていた。金色の目が丸くなって私を見つめる。

 考えて引き留めた訳ではなかった。ただ、このまま帰ったら駄目だと思っただけだ。何か言わなければと思ってとっさに言葉を探す。

「あの、ギル今欲しいものって何ですか?」

 ギルの頭上に完全に疑問符が浮かんだ。ああ、違う、そうではない。そういうことが言いたいのではなくて。

「あの、ごめんなさい、怒ってないって言われても、ギルやっぱり変です。私がはっきりしないのがいけないんですけど」

 一旦言葉を切って、シディの言葉を思い出した。

『あたしが今まさに先輩のこと好きって言ったらどうする?』

 私は、やっぱり素直に喜べないし、応援できない。

 どこか戸惑っているギルの目を私はまっすぐ見つめる。

「ギルが他の人に好きって言ったり、他の人と、その、キ、キスしたりするのは嫌です」

 ギルは戸惑いから苦悩するように眉を寄せる。

「それって、好きではないの?」

 直球の返しに思わず喉がつまる。

「ええと、ギルがそう思うんだったら、そう、かもしれません」

 というか好きと言ってしまっているではないか。パニックになりかけた頭の中を整理して、ゆっくりと言葉を組み立てる。

「あの、ギルのことは好きです。でもギルの好きと私の好きは違うかもしれません。だから変に期待させてギルをがっかりさせるのが怖いから、だから言えなかったんです」

 少し、沈黙が長く感じた。勇気を出してギルの目を見ると、ギルは呆れたように微笑んで私の頭に手を置いた。

「いいよ、それで」

 頭を撫でられて、ギルがこちらに来る。ほぼ同時に、背中をきつく抱きしめられていた。

 何が起きたのか分からなくて、やっと状況を認識すると、一気に鼓動が速くなった。体と頬が急速に熱を持つ。

「ちっこいな、アリアは」

 ギルがとても嬉しそうな声で言うのに、私はとても恥ずかしくなる。

「た、確かに小さいです、けど」

 かろうじて聞こえるくらいの声で返事をする。私の髪を撫でる指がとても優しくて、とてもくすぐったい。

「俺の好きとアリアの好き、多分似てると思うよ」

 見上げたギルの表情はとても柔らかくて、とても、暖かかった。胸の奥が締め付けられるように少し苦しくなって、暖かい流れが広がっていく。

「もう、怒ってないですか?」

 ギルは不思議そうな顔をして、思い出したようにばつの悪そうな顔になる。

「いや、あれは怒ってたんじゃなくて」

「じゃなくて?」

 私は首を傾げる。

「この時間に一人で部屋に来るのとかどうなんだって思っただけ」

 よく分からなくて、やはり私は首をひねる。

「ごめんなさい、よく分からないです」

 ギルは心底困ったように低くうなり声を上げる。

「例えばだけど。俺が二人なのをいいことにアリアに手出したらどうするんだよ」

 理解するのにやはり時間がかかった。何となくギルの言おうとしているところが分かって、更に頬が熱くなる。

「あの、手を出すっていうのはその、服を脱がしたり」

「いや、分かったんなら言わなくていいから」

 ギルに大声で遮られて私は頷いた。目が合って、何だかおかしくなって、自然に笑い合っていた。

「途中まで送るよ。本当は、もうちょっといたいけど」

 私は引き留めるようにギルの肩をつかんでいた。

「あの、じゃあギルが今一番欲しいものって何ですか?」

 気付いて、「できれば目に見えるものがいいんですけど」と付け足す。ギルは不思議そうな顔で私を見て、頭をかく。

「欲しいもの、ねえ。特にないけど、何で?」

 私は言葉につまった。誕生日のことは内緒だったはずだ。

「いえ、なければ、いいんですけど」

 ギルは更に考えるようにうなる。

「まあ、何か考えとくよ。思いついたら言う」

 ギルは抱きしめていた手を解いて歩き出す。もう少し一緒にいたい、そう思ったらギルが扉の前でこちらを振り返る。

 自然に、引き合うように、ギルの手が頬に触れて、唇が合わさった。驚きの方が勝っていたけれど、ギルの腕をつかんだら背中を抱き寄せられて鼓動が速くなる。

 顔が離れてすぐに、ギルが脱力したようにため息をつきながら私の肩に頭を落とす。

「ど、どうしたんですか」

「いや、一緒にいたいのは山々なんだけど。また今度ゆっくりな。休みの時とかに」

 一応、同じ気持ちを感じていてくれたのだと思って、嬉しさに似た感情が胸を締め付ける。

「また来ていいんですか?」

「いや、来てくれてもいいけど、休みだったら外に一緒に行くとかさ」

 ギルは顔を上げて言った。

 外に。ああ、なるほど。理解した途端、胸が高鳴った。

「行きたいです、外」

 皇舎の外はきっと楽しいことがたくさんあるに違いない。ギルと一緒ならもっと楽しいはずだ。ギルは微笑んで私の頭を撫でた。

「じゃあ来週とか休みとって外行こう」

 私は力いっぱい返事をしていた。

「じゃあ送る」

 私は名残惜しい気持ちでギルの部屋を出た。

 歩き出してからギルは私の手をとって、私はぎこちないながらもギルの手を握り返した。本当は何か喋りたかったが、声が響くので黙っていた。

 共用通路まで数分とかからずに着いて、私は手を離す。

「ありがとうございました。じゃあ、お休みなさい」

 女子棟の方へ歩き出そうとする前にギルに顔を近付けられて、触れるだけのキスをされた。

「お休み」

 恥ずかしい気持ちと淋しい気持ちが混ざり合って、私はかろうじて返事をして女子棟の方へ歩き出した。一度だけ振り返ると、ギルはまだそこにいて、手を振ってくれた。

 廊下が暗くてよかったと思う。本当に、私は真っ赤な顔をしていたと思うから。


 それから数日間は陛下から聞いた話が嘘のように、静かな日々がすぎていった。異形の襲撃もなく、こちらから攻撃をしかけることもない。私はシディ、レイジとギルの誕生パーティの相談をしたり、シディが気を回してくれたのかギルと二人で昼食をとったりしていた。

 不気味な程の静寂が破られたのは、ギルの誕生日の一週間前だった。

 朝、訓練場へ集まったブリューテ・ドウタに会議室へ移動するよう命令が下された。

 机のない会議室へ入ると、正面に陛下、父様であるエルドイ・トリニア、三人の白衣の男性が並んで立っていた。入口で携行している武器を出すように言われ、これから起こることに嫌な予感を覚えながら銃を出した。

 私はシディ、ギルと共に十名程の一番小さな部隊に所属しており、会議室の右端から横一列に並んで立った。その後続々と会議室に人が集まってきて、訓練着で他の訓練場にいたブリューテ・ドウタだと分かった。

「ブリューテ・ドウタ百十二名、到着いたしました」

 ブリューテ・ドウタ内での統括リーダーである男性が陛下へ告げると、陛下は会議室に集まった面々を見回した。

「忙しいところ集まってもらい感謝している。今日は重大な発表がある。皇舎内に異形のスパイがいることが判明した」

 流れる空気に少なからずざわめきが広がる。

「そこで諸君には簡単な検査を受けてもらいたい」

「私達を疑っておいでですか」

 どこからともなく声が上がる。陛下は悪びれる様子もなく真剣な青い目を向ける。

「疑っている。ブリューテ・ドウタだけでなく皇舎にいる全員をだ。手始めにブリューテ・ドウタから検査をしたい。協力して欲しい」

 広がっていたざわめきが次第に小さくなり始める。

「ご無礼を承知で申し上げます」

 別の方から上がった声は、強いながらもかすかに震えていた。

「陛下ご自身はその検査を受けられたのでしょうか」

 反射的に会議室はざわめき、怒声が飛び交った。

「無礼にも程がある」

「国賊め、自国を侮辱するか」

「いい、静まれ」

 陛下の強い声が怒号を裂いて、あたりは驚いたように静かになる。

「もっともだ。私が最初に検査を受けることとしよう」

 陛下の隣に立っていた父様が危惧するような視線を隣に向ける。

「後でトリニア大将にも受けてもらう」

 陛下は薄く微笑んで白衣の男性へ目を向ける。男性は会議室の奥にある小部屋へ入っていくと、ワゴンを二つ押して戻ってきた。一つは空で、もう一つは何か乗っている。

 無機質な白いワゴンの上には片手で包める大きさの濃灰色の石がたくさん、規則正しく置かれていた。鉱石のように見えるが、ただの石と言われても分からない。

 陛下は石の一つを手に取って、手の平に包んだ。

「これは天然の鉱石を機械で加工したものだ。体から発せられている魔力の波形は異形と人間で異なる」

 陛下が手を開くと、濃灰色だった石は不透明な青い宝石のように変化していた。

「人間は青く、異形は赤くなる。研究途中で急ごしらえしたものだから多少誤判定はあるかもしれない。あまり硬くならずに試してもらいたい」

 口調こそ穏やかだが、陛下はこれで異形のスパイをあぶり出す気に違いなかった。

 そしてこれは私の問題でもある。半分ずつの血を引いた私が石を握ったら、どうなるのか。陛下は誤判定もあると言ったが、石が赤くなれば異形と判断されるのは確実だった。

「それでは、こちらから横に一人ずつ私の前で石を握るように」

 陛下に手を向けられて、鼓動が一気に速まった。いつも厳密に整列順が決まっている訳ではない。ただその時私はたまたま右端にいたのだ。私を最初にした理由があるのかないのか分からないが、どちらにしろ順番など関係なく石を握ることになる。動かないとおかしいので私は前へ歩いて出た。

 体が、震えている。私は、実の父親である陛下のことがよく分からなくなっていた。石が赤くなったら私は糾弾されるのだろうか? 陛下のかたわらに立つ義理の父様、エルドイ・トリニアの顔を見ると、少し不安そうな面持ちではあったが、小さく頷かれたような、気がした。

 私は震えている指先を感じながら、ワゴンの一番端の石をつかんだ。手は冷えているはずなのに、それでも包みこんだ石は冷たく、手の平の熱を奪い去っていくようだった。

「もう開けていい」

 陛下の優しい声音が響く。

 指を開きたくない。けれどそんな訳にもいかない。鼓動が耳の奥で鳴っているのを感じながら、指を、開いた。

 石は陛下のものより緑がかった青色で、けれど色としては間違いなく『青』だった。

「こちらに置いて戻るように」

 陛下は本当にわずかに微笑んで、空のワゴンを指した。私は治まらない鼓動を聞きながら石をワゴンの上に離した。列に戻る時、順番が次のシディと、後ろの方にいたギルと、目が合った。

 落ち着く暇もなくシディの番になる。結果は青色で、私はひとまず殺していた息を吐き出す。

 次の人も青、次の人も、青。このまま誰も赤にならなければいい。そう思わずにはいられなかった。次に前に出てきたのが、ギルだったから。

 ギルは緊張した面持ちで石を取って、握った。

 開かれた指の、手の平の上の石は、真紅、『赤』だった。

 一斉にざわめきが吹き出す。私は呆然としていたことに気付いた。心から信じていなかった。だって陛下は誤判定もあると言っていたではないか。

 ギルは目を見開いて石を見つめていて、陛下が静かに口を開く。

「ギル、ひとまず私の隣へ」

「陛下、これは、もう一度やらせて下さい」

 叫んだギルに陛下は表情一つ変えない。

「誤判定かどうかはもう一段階検査する。この検査はふるいだ。皆もあまり過敏にならなくていい」

 そんなことを言っても、誤判定であれ一度でも石が赤くなれば少なからず疑いの目で見られる。けれどきっと、陛下はそれを分かって、やっている。

 ふと気が付いた。そもそも私の石が青だったことがおかしいのではないか? 細工されている、陛下の都合のいいように。この石が何に反応するように作られたか、陛下以外知らないのだから。

 けれど混血の自分が青なのだからおかしいと言う訳にもいかず、私はただ黙ってなりゆきを見つめるしかない。

「私は、異形ではありません」

 ギルは苦しい立場と理解している顔で、言う。

「分かった。ひとまず、こちらへ」

 陛下は自分の隣に手を向ける。ギルは不服そうな表情を抑えこんで、ワゴンに赤い石を置いて陛下の隣に立った。

 小さくざわめきが続く中、検査が続けられる。青、次も青、また、青。このままだとギルが本当に異形にされかねない。陛下が何をしたいのか、分からない。私がギルに特別な想いを持っているからかもしれないが、それでもギルが異形だとは思えない。

 次の番はレイジだった。開いた手の中の石は、青だ。少し安心すると共に焦燥感も高まっていく。

「レイジ」

 列に戻ろうとするレイジを、陛下が鋭い声で呼び止めた。何事かと無言の緊張が走る。

「何でしょうか」

 さすがにレイジもいつものふざけた様子はなく、真剣な顔で陛下を振り返った。

「もう一度石を握れ」

 空気が張りつめた。石は青くなったのに、もう一度調べる理由が、分からない。レイジは少しだけ黙って、承諾した。

 数秒握られた新しい濃灰色の石は、開かれた手の中で、やはり鮮やかな青い石になっていた。

「ご納得いただけないなら何度でもやりますが」

 陛下は変わらず鋭い目でレイジを見据える。

「レイジ、聞いていなかったのか? 私は石を握れと言っただけだ。魔力をこめろとは言っていない」

「どういう、意味でしょうか」

 陛下は吹き出すように微笑した。

「その心意気は誉めてやろう。だがな、私は仮にもブリューテ・ドウタの統括者だ」

 陛下はレイジの手の平から石を取ると、自分の左手の上に石を置き、右手の人差し指を石につけた。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する フレイア』

 陛下の手が呪文特有の淡い光を帯びる。フレイア(封印呪文)、私もルリオスティーゴにかけられたが、対象に触れていないといけないので実戦ではあまり使えない。

 光が収まった後、陛下の手に置かれた石は、赤くなっていた。

「擬態の要領で上から魔力で青をかけたのだろう?」

 静かなざわめきが広がり始める。おそらく、皆何を信じればいいのか分からなくなっている。

「失礼を承知で申し上げますが、今陛下がまさに擬態の要領で石の色を赤く変えたという可能性はゼロではありません」

「なら別の者がフレイア(封印呪文)をかければいい。ガゼル」

 列の中から返事をして、黒髪を後ろで一つにまとめた女性が歩み出てくる。気丈に振る舞おうとしているように見えたが、表情には戸惑いがにじみ出ている。ガゼルは順番が回ってきていなかったので、その場で石を握った。結果は、青だ。最初にレイジが握って青くなった石を陛下がガゼルに渡し、ガゼルは陛下と同じように石に触れた。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する フレイア』

 光が収まった先の、ガゼルの手の中に残った石は、赤かった。ガゼルの瞳が開いて、問いかけるようにレイジを見つめる。

「まあいい。先程言った通りこれはふるいだ。レイジ、ひとまずこちらへ来なさい」

 レイジは陛下を見つめたが、特に反論もせずギルの隣へ立った。ガゼルは何か言いたそうにしていたが、言葉を押しこんだように列の中へ戻っていく。

 更に数十分かけて、ブリューテ・ドウタ全員が石を握った。最終的に石が赤くなったのはギルとレイジの二人だけだ。

 陛下は検査を終えた面々を見回す。

「最初の検査ご苦労だった。石が青くなった者は今回異形ではないと判断した。次の検査、証人として見届けてもらいたい」

 陛下は隣に立つギルとレイジを振り返る。

「今からお前達にフレイア(封印呪文)をかける」

 ギルも、レイジも、複雑な表情のまま顔色を変えない。

「人へ擬態しているなら魔力を根こそぎ抑えれば分かる。これで誤判定か、異形かはっきりするだろう」

 反論の声も上がらず、列に並ぶ面々は私も含めてただ静かに事の瞬間を見守っている。

 陛下はギルとレイジの前に立ってそれぞれの手首を握った。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する』

 陛下の言葉に合わせて、陛下の握った二人の手首のあたりに淡い光が灯る。

『フレイア』

 淡い光は吸いこまれるように消えて、二人はやや苦しげに表情を曇らせる。陛下は品定めするように二人の顔を見て、手首を握っていた手を離した。

 誤判定だったのか? 心が結論を出すより先に陛下がこちらを振り向く。

「アリア」

 呼ばれて、私は体を跳び上がらせた。

「ここへ来てフレイア(封印呪文)をかけなさい」

 耳を疑った。本当に、私は陛下の考えていることが理解できなかった。

「どうして、ですか」

 かろうじて声を出すことができた。けれど声も、体も、震えている。

「私だけでは完全に魔力を抑えることができないからだ。そしてお前はこの中で一番魔力が強い」

 それ以上口にすることは許さないという雰囲気だった。というより、これは命令なのだ。私は震えている指先を握りしめて、歩き出した。

「信じているならかけられるはずだ」

 陛下が、とても小さな声で言った。信じている、信じてはいる、けれど。

 私は泣き出しそうな気持ちでギルとレイジの前に立った。力の入らない指先に力をこめて、二人の手首をとる。

『世界の終わり 透に包まれ 鳥に願い この身の先を封印する』

 言葉をつむいで、分かった。私は、怖いのだ。もし二人共、どちらか一人でも本当に異形だったら、末路はきっと、決まっている。

『フレイア』

 だからどうか、お願い、二人共違っていて。

 淡い光が二人の手首に吸いこまれたのを見て、私は見つめたまま顔を上げられなかった。恐ろしい程静かな中に、悲鳴にも似たざわめきが広がって、顔を上げた。

 本当に、魔法が解けるように、黒い髪から色が抜けていき、つややかな白色になる。霞のように頭の両端に現れた狼の耳は、白い髪より少し濃い銀色をしていた。目だけは、元の黒のままだった。ああ、最初にレイジを見て、髪も目も黒いなんて珍しいと思ったのを、覚えている。

 レイジは仕方がないといった風に、本当に柔らかく微笑んで、私がつかんでいた方の手を動かした。力の入っていない私の手はそのまま落ちて、レイジの手は私の頭の上に伸びる。

 その手首を、ギルがつかんだ。同時に私は後ろに強く腕を引かれてよろめいた。振り返ると陛下が私の腕をつかんでいる。

「別にアリアちゃんに何かしようなんて思ってないよ。ただ撫でたかっただけ」

 レイジの手首をつかんだギルはいつもと同じ赤い髪の、金色の目でレイジを凝視していた。驚きと、悲しみと、怒りと、もっとたくさんの感情が混ざった顔をしていた。

「どうしてこういう意地の悪いことさせるんですかね。たった一人の大切な娘なのに」

 レイジは私の背後に言葉を投げた。振り返ると陛下が冷ややかな目でレイジを見ている。

「何の話だ」

「最初から知ってたんでしょう? 知っていてあえて一番大げさな方法で俺の正体を暴いた。何でギルまで引っかけたのかは知りませんけど」

 レイジは私の頭の側から手を下ろした。手首をつかんでいたギルの手も、力なく落ちる。

「ギル、お前は誤判定だったと認める」

 陛下は冷たい目のまま、レイジに銃を向ける。レイジは抵抗する素振りも見せず、陛下の方を見つめていた。

「大人しいな」

「今回俺が言われたのはアリアちゃんが黒の鳥であり、ルリオスティーゴの父違いの妹で、父親は陛下だっていうことを言いふらすだけですからね」

 陛下は答えず、列の方を振り向く。

「皆ご苦労だった。それぞれの訓練へ戻るように」

 誰もが無言のまま動かない。

「レイジ、来なさい」

 陛下がレイジの背中に銃を向けたまま歩き出すと、父様がレイジの腕をつかんで部屋の出口へ連れていく。

 それが当たり前の光景なのだと分かっていても、何も考えられず私は父様の黒い軍服の腕にすがっていた。父様は決して冷たくはない目で、けれども静かに、私の手をほどいた。

 一瞬、こちらを振り返ったレイジと、目が合った。

「ごめんねって、言えないんだ。ごめんね」

 レイジは力なく微笑んだ。

 陛下と父様とレイジと白衣の男性達が出ていって、私は体の自由がきかなくなったように、膝から崩れ落ちた。

 どうすればいいのか分からなかった。そしてこれからどうすればいいのかも。ギルは床を見つめたままで、私はただずっと、音のない部屋の中で座りこんでいた。

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