約束(2)

 ベッドに横になりながら、カーテンを引いていない窓の向こうの、欠けた月を見ていた。

 昼間、話が終わってからルリオスティーゴに連れられて城の中を案内されたが、上の空でほとんど頭に入らなかった。城は広く、歩き回って疲れているはずなのに、今夜も眠気が訪れない。

 昨日までは、ここから逃げることを考えていた。どうにかしてみんなと連絡を取って、必ずやってくる機会を探して逃げようと思っていた。けれど今はきっと、逃げられたとしても体がすくむ。私があちらに戻れば、戦争は終わらない。けれど本当に、手段がないのだろうか? あちらに戻っても、戦争を終わらせることができるのではないだろうか。

 ああ、違うのだ。理由をつけても、私はただ、帰りたいだけだ。

 帰りたい。みんなに会いたい。ギルに、会いたい。

 けれど、どうすればいいのかもう、分からない。考えても思考は同じところを巡るのが分かっているのに、考えずにはいられなかった。

 ふと大きな羽音が聞こえたような気がして、窓の向こうのテラスに白い羽の人影が舞い降りてきた。広げた左腕の翼を一振りして、人影はこちらを見る。私は思わず起き上がって、窓の内鍵を外してテラスに出た。

「何、してるんですか」

 ルリオスティーゴの色素の薄い金髪は、月の光に透けて見えた。

「自殺しようとしていないか見に来た」

 私は不本意な気持ちで眉を寄せた。

「そんな、そこまでは。別に来るならドアから来ればいいじゃないですか」

「中から行ったら目立つだろうが。寝てないなら丁度いい、付き合え」

 ルリオスティーゴは有無を言わさない口調で私の前に立つと、私の腰を持って肩へ抱え上げる。驚いて息をつめていると、そのまま駆け出して、視界が、急転した。

 間違いなく、私を抱えてルリオスティーゴは中空を落ちていた。

「ちょっ、嫌、怖い、やだ」

 自分でも何を言っているのか分からない悲鳴を上げると、風の中でルリオスティーゴの怒号が聞こえる。

「騒ぐな、落とすぞ」

 今も落ちているんだから結局変わらないではないかと思って、けれど落とされるのも嫌なので歯を噛みしめる。ようやくあたりの景色が分かるくらい落ち着いてくると、私の右側で、ルリオスティーゴが白い翼を広げているのが見えた。あたりは森に囲まれた城下町で、明かりは消えているが月明かりだけで街の輪郭が分かる。

 本当に、飛んでいる。多少魔力は使っているのかもしれないが、人間はここまで自由に飛べない。本当に、鳥なのだ。

 急降下することもなくなって、耳を裂いていた風の音が弱くなっていく。

「本当はすぐにお前を身ごもらせようと思っていた」

 身もふたもない言葉に私は思わず眉をひそめる。

「何でですか」

「お前は母から黒の鳥を受け継いだ。特別に覚えがなければ遺伝の可能性もある。今まで黒の鳥が子供を産んだことなどないから確証がなかったが、お前が産めば分かると思った」

「何で、そういうことを何でもない人としようと思うんですか」

 私は半ば嫌悪にも似た感情で呟いていた。

「お前は俺の妹だ」

「だからって、あなたは私のことを知らないし、私もあなたのことを知らない」

「俺は黒い羽の人間がいると聞いて、すぐに分かった」

 私はすぐ隣にあるルリオスティーゴの横顔を見た。落ちないように、ルリオスティーゴの肩を少し強く握る。

「いつの話ですか」

「動力炉から撤退した兵士が報告した。最初、母が生きているのかと思った。けれどそうしたら兵士達が分からないはずはない。だから、娘だと、妹だと思った」

 ルリオスティーゴは私を見ずに呟く。

「よく似ている」

 皇舎には母様の写真も肖像画も一枚もなく、私は母様を見たことがない。

「写真、あったら見たいです」

「明日見せる」

 ルリオスティーゴは左腕の翼をはばたかせて上昇すると、王城の城壁すれすれを飛んで、元いたテラスにゆっくりと着地した。

 やっと地面に足をつけると、まだ足元が浮いているような感覚にとらわれる。ルリオスティーゴに腰をつかまれたままなのに気付いて、慌てて離れた。前は意識することなどなかったのに、ギルに触れられてからどうもおかしい。

「というかお前、飛べないのか?」

 今更何を言っているんだと思って私はルリオスティーゴを睨みつける。

「飛べません」

「スイル(飛行呪文)もか?」

「できません」

「羽はあるのに不便だな。まあこれで飛び降りようなんて気はなくなっただろ」

「最初から飛び降りる気なんてありません」

 私が叫ぶと、ルリオスティーゴは微笑んだ。初めて普通に笑ったのを見て、少し驚いた。

「今は少しお前を理解しようという気がある」

 微笑はもう消えて、ルリオスティーゴは元の表情に戻っていた。

「どうして、ですか」

「俺も母に一度だけ言われたことがある。子供の頃、誕生日の時に何か欲しいものはないか尋ねたら、言われた。『零間と人間がもう争わないように』」

 私はルリオスティーゴの若葉色の瞳を仰いだ。ああ、そうか、この色は私の左目と同じ緑なのだ。

「俺とお前は間違いなく兄妹だ」

 ルリオスティーゴの言葉は重く、私は顔を伏せて、月明かりに浮かぶ白い翼を見ていた。


 理屈に合わない夢を何度も見るのは、熱がある時と決まっている。俺は自分のうめき声で目が覚めたのだと、目を開けた後に分かった。混濁していた意識が現実に戻っていって、頭ははっきりしたがベッドに触れている背中が熱かった。寝返りを打ったら右腿が重く痛んで、完全に目が覚めた。

 落ち着いて見ると皇舎の中の重傷者が運ばれる部屋で、引かれたカーテンがほんのり明るくなっていた。上体を起こすと、ゆっくり起きたつもりだったのに軽くめまいがして元のように倒れこむ。歯を食いしばったらやがて力が抜けて、自嘲の笑いがこみ上げてきた。

 俺は負けた。一番守りたいものを、守れなかった。

「アリア」

 呼んだら急に自分を殴りたくなって、今度こそ体を起こしてベッドを降りた。まだ世界が回っているようだったが、行き倒れてもここで寝ているよりはいい。靴がなかったので棚にしまってあったスリッパを取って履いた。診察着のままだが格好を気にしている場合ではない。

 壁掛け時計を見上げると八時で、俺は会議室に向けて歩き出した。

 両開きの扉にはノブに金色の紐がかかっていて使用中であることが分かる。俺は三回ノックをして扉を引いた。

 円卓の上座には陛下、隣にはトリニア大将といつもの将校達、その向かいに見知った顔のブリューテ・ドウタ数人とレイジ、シディが座っている。将校達は驚いたように、あるいはあからさまな嫌悪の視線を送ってきたが、真正面の陛下は驚いた様子もなく俺を見つめていた。

「ブリューテ・ドウタ、ギル・ライオネル、参りました。このような格好で無礼は承知しています。遅れたことをお許し下さい。同席を許可していただけますか」

「ライオネル、非常識にも程がある」

 叫んだ将校を陛下が手でいさめる。

「レイジ」

 陛下に呼ばれてレイジが返事をする。

「ギルを食堂へ連れて行ってくれ。それだけ元気なら食欲もあるだろう。議事録は後で渡す」

 レイジが返事をして立ち上がると、よく見知った赤い軍服の女性が手を上げる。

「陛下、私もよろしいでしょうか。ギルと少し話をしたいのですが」

 将校達があからさまに顔をしかめたが、いさめられたからなのか今度は何も言わない。

「分かった。ギルが倒れたら手と足を抱えて運んでやれ」

 女性は笑って席を立つ。

「感謝致します」

 会議室を出てから女性とレイジに本当に両脇を抱えられそうになって、俺は本気で振り払った。


 起床の時間はすぎているので、食堂には誰もおらず、白い布のかかった机がいつもより多く感じられた。レイジが配膳係を呼びに行っている間、俺は女性と二人で向かい合わせに座った。

 席につくなり、ずっと黙っていた女性は笑顔で言った。

「大きくなったな」

 俺はおそらく、自分がものすごく嫌な顔をしているだろうと思った。

 ガゼル・エリオン、最後にちゃんと話をしたのは一年程前だが、数年前までは毎日顔を合わせていた。確か三十代半ばだが、顔は変わらず、後ろで一つにまとめられた巻き毛も白髪などなく黒い。もしかして染めているのかもしれない。

「一年でそんな大きくなるか」

「甘い。お前も子供か後輩を持てば分かるようになる。気付けば初等学校に通ってた子が高等学校生になってる時の衝撃ったらない」

「言ってることがレイジと一緒で年寄りくさい」

「何だ、レイジも私に似てきたか。教育の賜物だな」

 ああ、そういえばアリアに今度俺とレイジの教育係を紹介すると言ったっけなと思いながら、俺は目の前のガゼルを見た。

 けれどそのアリアは今、いないのだ。

「大きくなったっていうのは雰囲気も含まれるんだぞ、覚えとけ。仲間を守ろうとして名誉の負傷なんて大人になった証拠だ」

 俺は机の上に置いた手を握りしめた。

「ふざけてる場合か。状況を話せ」

 ガゼルは水色の目を細くして、立ち上がった。何をするのかと思ったら、机を挟んだまま拳が頭の上に落ちてきて、俺は痛みで机につっぷした。

「焦るな馬鹿が。腹減ってる時に考えてもいいことなんかあるか。食いながら話す」

「殴んな、これ以上馬鹿になる」

 叫ぶと、ガゼルは俺を見て笑い出した。

「思ったより元気だな。こりゃ明日にでも出発できるか」

 ガゼルが席につくと、レイジが新人だろう配膳係を一人連れて戻ってきた。配膳係が厨房に入ると、レイジはガゼルの隣に座った。

「感動の再会できました?」

「ああうん、したした」

 合いの手を入れる気力もなく、俺は椅子の背にもたれかかる。

「で、ギル、今の状況だけど」

 口を開いたレイジに俺は手を振る。

「いい。ガゼルが飯が来てからだと」

「腹が減ってる時に話してもマイナス思考になるだけだ。特にギルは根暗だからな」

「うっせ」

 昔なら本気で噛み付いていたが、今はさすがに冗談で流せるようになっている。

「あー根暗ねー。そんな時期もあったね、忘れてたけど」

 レイジは何やら納得したような声を上げて頷く。

「一言目には切れ、二言目にもやっぱり切れ、更には発砲されそうになる私の身にもなってみろ。ストレスで禿げそうだったぞ」

 ガゼルが大げさにため息をついてみせる。

「よく言う。殴って黙らせてただろ」

「立派な正当防衛だ。殺されるだろ。分かるか?」

「まあ最近はアリアちゃんにでれでれだったしね」

「てめ」

 俺は舌打ちしてレイジを睨んだ。

「アリアちゃん、ああ、アリア・トリニアか」

「アリアちゃんの前だとギル気持ち悪くて。別人かっていうくらい。というかもう別人」

「ふーん、気持ち悪いギルか。数分は笑えそうだな」

「お前ら二人共フォークで喉を突け。今すぐに」

 いい香りがしてきたのに気が付いて、見ると配膳係が皿を持ってやって来るところだった。

「ありがと」

 俺は言って、配膳係を見上げる。

「ごめんねー、時間外なのに」

 言いつつレイジは皿を受け取る代わりに配膳係に硬貨を握らせていた。細かいところまで抜かりがない。

 机に並べられたのはトーストしたクロワッサン、生野菜サラダ、半熟卵のオムレツにオレンジジュースと、完全な朝食メニューだが好きなものが揃っていた。今では料理もそこそこできるようになったが、新人の頃は配膳係が回ってきて、よく卵を焼きすぎてぼそぼそにしてしまったことを思い出した。

 バターの香りをかいだら急に胃が縮まったような気がして、意外と空腹だったのだと思った。ナイフとフォークを取ろうとして、向かいの二人を見る。

「一人分しか、って、そっか。もう食べたか」

「そうだね。気兼ねなくどうぞ」

「食え食え」

「じゃあいただきます」

 俺は既に出て行った配膳係に心の中で礼を言って、オムレツにナイフを入れた。中身はひき肉とみじん切りの玉ねぎで、料理センスのよさに感謝する。何しろ俺の好みぴったりで味も申し分なく、俺は早々にオムレツを平らげた。

「で、ギル、状況だが」

 ガゼルが口を開く。

「レイジがお前を逃がそうとしたところまでは聞いた。先にそっちの状況を教えてくれ」

 俺はサラダを口に入れながら、明るいとは言えない気分で頷いた。

「レイジがあいつ、ルリオスティーゴを足止めしてる間に森に逃げた。追手はあいつ以外アリアが倒したから、森に入った時にはもう追われてなかったんだけど、俺が弾にかすってて少し休もうってことになった」

 異形が火器を導入したのは陛下にもう伝わっているだろう。

「弾に塗ってあったのは神経毒だとよ」

 俺は吐き捨てた。

「で、横穴が見つかったからそこで休んで、アリアに回復と浄化かけてもらったんだけど効かなくて」

 少し眠った後に体調が悪化して魔力移しをされた。思い出して今更体が熱くなった。魔力移しの行為自体もそうだが、その後自分がしてしまったこともだ。熱に浮かされていたのもあっただろうが、気付いたら考えるより先に手が出ていた。

「薬は?」

 ガゼルが尋ねる。

「飲んだ。無効を打ち消すやつと、解毒剤。でも多分効かなかった」

 アリアが呪文を繰り返しかけてくれていたのをおぼろげながら覚えている。薬が効いていたらもう少し魔法が効いていたはずだ。

 魔力移しのことは言うのを少しためらった。けれど報告に私情を挟んでいる場合ではない。

「魔法が効かなかったから、魔力移しされて少し楽になった。で、そこにあいつが来て戦闘になって、俺は右腿を撃たれて、俺はあいつの腕を撃った。多分右に当たったと思う。俺が動けなくなってる間にあいつはアリアに封印をかけて、連れて行った」

 そこから先は気を失ったのだろう、気付いたのは先程の医務室だ。

「ルリオスティーゴ一人だったのか?」

 俺は頷く。

「どうやって場所が分かったんだ?」

「アリアの夢に入ったんだ。前もそういうことがあって、陛下に報告を上げたはずだけど」

 アリアに対してしかできないのか、やらないのか知らないが夢に繋がれば森の魔力が狂っていようとアリア本人の居場所が分かるのだろう。

 ガゼルは頷いて机を指で叩いた。

「大体分かった。食べていいぞ」

 勧められて、俺は食べかけだったサラダにフォークを刺した。

「こっちの状況だが、私達がお前を見つけたのが昨日の午前一時、右腿の出血で大分危ない状態だったが、リウ族のところで応急処置をして戻ってきたのが昼、解毒やら回復やらで夜になって、お前が会議に乱入したのが今日の朝って訳だ。超人的な回復力だな」

「そりゃどうも」

 喜ぶ気にはなれず、オレンジジュースを一気に飲む。どうやら喉も渇いていたらしい。

「というか今更だが体調はどうだ」

「相当今更だな。右腿は痛いけど後は普通。手がちょっと痺れてるくらい」

 俺は気付いてレイジの方を見る。

「お前は? 大丈夫だったのか?」

「撃たれたよ、ギルと同じく右脚。でも対応が早かったから今はもう普通」

「まあその分ならお前も来れるだろ。止めても聞かないと思うけどな」

 俺はガゼルを半ば睨むように見つめる。

「アリアの奪還だろ」

「そうだ」

 俺は机を叩きそうになって、握りしめた手の平に爪を立てた。

「そもそも何でアリアに護衛をつけなかった? 援軍が早かったのはあいつが来るのを予想してた証拠だ。アリアをおとりとして使うつもりだったのか?」

 自分の叫び声が食堂に響いて、俺は握りしめた手に視線を落とした。

「ガゼルに言っても仕方ないのは分かってる、けどさ」

「分かってるならいい。私は知らん。ただ私を含む援軍が集落の側で待機していたのは事実だ。後は陛下に直接聞けばいい」

 違うのだ。ここまで苛立っているのはアリアを守れなかった自分自身への怒りも含まれている。

「まあ何にせよ、食わないならもらうぞ」

 ガゼルの手が伸びてきて、クロワッサンをつかんでいくと俺は反射でガゼルの手首をつかんでいた。

「ふざけんな。食う」

 ガゼルは渋々といった様子でクロワッサンを皿の上に離した。

「ちょっと聞いてもいい?」

 クロワッサンをちぎるのが面倒で、この面子だからいいだろうと思って直接かじっていると、レイジが口を開く。

「何?」

「いや単なる好奇心なんだけど。魔力移しって、ちゅーしたの?」

 クロワッサンが気管に入りそうになってむせた。

「レイジ、私がわざわざ避けてやったところを」

「避けたら意味ないでしょう。ここで聞かなくてどうするんですか」

 レイジが俺の方を見つめているのに気付いて、俺は息を整えながらレイジを睨み返した。

「答える必要がない」

「報告に黙秘とかありえないでしょ」

「結果としてそうなったってだけでそこを詳しく説明する必要はないだろ」

 噛み付くように言うと、レイジは不満そうな顔ながら机に乗り出していた身を引く。

「まあいいや。ちゅーしたって分かったから」

「何でそうなるんだよ」

 叫ぶと、レイジは腕を組んだ。

「だってしてなかったらしてないって言うじゃん。ギルなら。まさかあの状態でその他の行為ができるとは思わないし」

 畜生、思ったより読まれていてこんなところでレイジとの付き合いの長さを呪った。

「まあ、してないって言われても分かるけどね。ギルやましー、っていうかやらしー」

 レイジはようやくいつもの人をからかう顔になって笑い出した。

 これ以上反論しても更に追いつめられるだけだろう。俺は首が熱いのを感じながら、黙ってクロワッサンを食べることに専念した。

「ていうかギル、ファーストキスじゃないのか」

「うっせえ、お前もか」

 ガゼルが何気なしに言って、俺は叫んでいた。


 遅い朝食を終えた後、食堂にシディがやって来て小さな会議室に移動した。こんな格好で何だから着替えてこようかとガゼルに言ったら、「堅苦しい会議じゃないからいい」と言われた。一応シディに気を使ったのだが、俺はそのまま診察着で参加することになった。

「お二人が出て行った後、特に私達に関する作戦に変更はありません」

 シディはガゼルに議事録を渡して席につく。ガゼルを向かいにして俺とレイジもシディの隣に並んで座った。

「ん。じゃあ主にギルに説明する。会議の内容はさっきも言ったが、アリア・トリニアの奪還だ。それでアリアの居場所だが、ほぼ異形の王城だろうと特定されている」

「曖昧だな」

「発信機が若干魔力妨害にあっているそうだが、割り出した位置に目ぼしい建物は王城しかない」

 平服のネクタイについているタックピンには発信機が埋めこまれており、皇舎にある受信機から大体の位置が分かるようになっている。

「ルリオスティーゴの目的はアリアそのものだった。だからどこか得体の知れない道中に放り出したりはしないだろうってことだ」

 俺は眉を寄せていた。それが不幸中の幸いということなのかもしれない。

「作戦は至ってシンプル、今ここにいるメンバーが森を越えて異形の領土に入って、王城に潜入する」

「聞くだけならシンプルだけどな」

「まあよく聞け。王城は森から歩いて半日、普通に着ける距離だ。途中で馬車を拾えばもう少し早い。軍の兵士達と森から異形の領土へ攻め入るふりをして、交戦中のどさくさに紛れて王城へ向かう」

「抜けた直後はいいとして、絶対見つかるだろ、それ」

 体のどこかしらが異形の特徴を持っていなければ、まず一般市民に見咎められる。

「そこで、変装だ。シディ」

 ガゼルに目を向けられてシディは机の上に何か置いた。カチューシャ、のようだが両端に狼のような耳がついている。あえて聞かない方がいいのか迷ったが、結局尋ねる。

「つけるってことか?」

「その通り。これをつけて服装と髪色を変えて紛れる」

 何だか嘘のような作戦だが、こんなことで本当に異形をあざむけるのだろうか。

「狼の異形なんていたか?」

「いる。階級は下の方で、主に一般市民だ。だから紛れやすい」

 異形は王族や前線で戦う騎士団のように鳥の翼を持った者、馬の脚や尾を持つ者なら見たことがあるが、正確にはどのくらい種類があるのか知らない。

「別に王族をだまそうってんじゃない。道中ばれなきゃいいだけだ。一般市民が私達を注意深く見てるとは思えんからな」

「髪色は?」

「肉体強化の魔力の一部を髪色の変化にまわしてもらう。お前はピンクとかでいいんじゃないか」

 異形の髪の色は人間とは違い、色素が薄く鮮やかな色が多い。言われた通りのピンクや水色、黄緑、金、白などだ。

「いやまあもうピンクでも何でもいいけど。で、作戦決行時間は?」

「決行時間は明日の午前四時、出発時間は逆算して今日の二十三時だ。一般兵はもう少し先に出る。王城潜入のタイミングは見計らうが、成功、失敗に関わらず潜入二時間後に離脱する」

「何で」

「敵の本拠地ど真ん中だぞ。成功したって失敗したって安全な場所まで走って戻るのか? そういう訳であれを投入することに決定した」

 あれとは。考えを巡らせてみて、最近テストを繰り返していた機体の姿が浮かぶ。

「飛行船?」

「その通り。そんな訳で一度飛び立ったら細かい時間調節は無理だと仮定して、到着予定時刻の二時間前に王城に潜入する」

 ふと気が付いて、ガゼルを見た。

「アリアが連れ去られた原因は?」

 おそらくアリアが言っていたように、左腕の黒い翼が原因なのだろうが、実際に見たことがあるのは俺とシディだけのはずだった。

「どうもアリアは異形を含めても特別強い魔力を持っているらしい。一緒に戦ったから分かるんじゃないのか? その魔力欲しさにルリオスティーゴが出てきたんじゃないかと陛下は予想したが、真意はよく分からない。もしかしたらこれから交渉が入るかもしれないしな」

 アリアの今までの口ぶりから察すると、陛下はアリアの左腕のことを知っている。一種族の王が魔力が高いだけの人間のためにわざわざ動くとは思えないので、あの左腕には特別な何かがあるのだろう。

 作戦の打ち合わせ、道具の準備や細かい確認をして、出発前に仮眠を取っておくようにというガゼルの言葉で会議はしめくくられた。

「あ、あとギルは一回医務室に戻って診察を受けるように。もう先生も出勤してるだろ」

 まっすぐ陛下のところへ面会の予約を入れに行こうと思っていたので、自然と不満な表情になっていた。けれどそういえば着替えないといけないし、顔と髪だけでも洗いたいので丁度よかったか。そう思って俺は素直に返事をして席を立った。

「言い忘れた。最後に一つ」

 ガゼルは一瞬ためらうような表情をして、口を開いた。

「どんな時でも自分の命が最優先だが、おそらく失敗すれば次の機会はない。それは心しておいてくれ」

「言われなくても分かってる」

 俺はガゼルを見つめて言った。

 絶対にアリアを連れて戻ってくる。それ以外は、ない。


 医務室で診察を受け、薬をもらい、着替えて髪が乾いた頃に陛下に面会を申し入れた。待ち時間はなく、よく陛下がこもっている執務室に通される。

「ブリューテ・ドウタ、ギル・ライオネル、参りました。今朝は大変失礼致しました」

 昼の陽が射しこむ部屋で、机の向こうに座っていた陛下が顔を上げる。

「まあ、座れ」

 陛下は立ち上がって机の横にある応接セットを指す。

「いえ、すぐに済みますので」

 俺は首を振ったが、陛下は構わずにソファに腰を下ろした。

「私からも話しておきたいことがある」

 そう言われては従うしかなく、俺は小さな机を挟んで向かいのソファに腰を下ろした。

「先に聞こう」

 面会を申し入れる際、用件の概要は伝わっているはずだった。まどろっこしいのは嫌いだし、遠回しに言っても時間を食うだけだ。俺は言葉を探してから口を開いた。

「アリア・トリニアの件ですが、単刀直入に申し上げます。先日のリウ族との交渉の際、アリアをおとりに使ってルリオスティーゴと戦うつもりだったのですか」

 陛下の目がまっすぐに俺を見た。アリアの片目と同じ青色で、アリアは話さないがおそらく親族ではないだろうかと思っている。

「そうだ」

「ならせめて、なぜ、アリアか、まわりの誰かに知らせなかったんですか」

 叫びかけて俺は途中から声を落とした。

「本当にルリオスティーゴがアリアを狙ってくるのか自信がなかった。未確定の情報を入れてお前達を不安にさせない方がいいかと思ったが、逆だったな」

「未確定の割に援軍を待機させていたようですが」

 つっかかってはいけないと思っていても、言わずにはいられなかった。陛下は珍しく目を丸くして、笑い出した。

「すまない、確かに私は半分嘘をついた。アリアは、一度向こうにさらわれてもいいと思っていた。だからお前達にも、アリアにも知らせなかった」

 一体、何を。腹のあたりが熱くなるのを感じる。

「おそらくアリアはルリオスティーゴから色々な核心を聞かされる。それを異形を根絶するために利用したい。アリアは人質ではなくて向こうにとっても大切な人間だ」

「それを、アリアが聞いたら」

 必死に抑えた声でしぼり出す。

「確かに傷付くかもしれない。けれど私とアリアは約束している。異形を根絶するためと説明したら、きっと分かってくれるだろう」

 約束だからって何をしてもいい訳じゃない、俺は叫び出しそうになって息をつめてこらえた。

 俺の心情を知ってか知らずか、陛下は薄く笑って俺を見た。

「ギル、お前も私と約束していたはずだが」

 今、これ程までに忌々しい言葉はなかった。俺は歯をかみしめて、せめて少しでも平静に見えるよう陛下を見た。

「それは、まだ」

 陛下は耐えかねたように笑い出した。

「まあ、その分だと経過は順調そうだな」

 返す言葉がない。今の俺は陛下の手の上で踊らされているだけだ。

 陛下は笑みを消して、ソファに背を沈めた。

「とは言ったものの、アリアを奪還しなければ今回のことは意味がない。間違いなく私の責任だから全力を尽くすが、ギル、お前に一つ真実を教える」

「何ですか」

 陛下は微笑んで詩のような言葉を口ずさみ始めた。

 金色の鳥が世界を創る。そして世界は幾ばくか続く。そして世界が世界として壊れ始めると、黒色の鳥が世界を壊す。

「そしてまた頭に戻る。世界はそれの繰り返しだ」

「創世神話が、何か」

「アリアは黒の鳥だ」

 陛下の言葉で、俺はアリアの左腕の黒い翼を思い出した。

「それは、どういう意味ですか」

「言葉通り、アリアは黒の鳥として、世界を壊す力を持っている。正確には左腕の翼が世界を壊すという事象と繋がっているようだ。事象は世界の外側にあって、そこに世界を創るという事象、我々が通常呼んでいる金色の鳥も同時に存在している。世界の意思とでも言うのか、意思から見れば世界はもう壊す段階に入っているということだ」

 話が飛びすぎて頭がついていかないが、アリアが苦しんでいる姿を思い出した。

「それは本当ですか」

「本当だ。嘘をつく意味がない」

 それならどんなに重かっただろう。俺が見たアリアの力は表面上のものでしかなかった。世界を壊す力など、一人の人間が持っていいものではない。

「お前が約束を守れば、アリアは黒の鳥という事象から解放される」

「それは、どうして」

 本当なら尋ねるのもはばかられるが、もし約束を守ったとしてもアリアを助けられる意味が分からなかった。

「それは、自分の胸に手を当てて聞いてみればいい。私から言えるのはこれくらいだ」

 陛下の言葉が引っかかって思い当たりそうなことを探してみるが、何も浮かばない。

「他にあれば聞くが」

 陛下は薄く笑ったまま俺を見つめていた。一瞬、アリアと血が繋がっているのかと尋ねそうになって、アリアが話さないことなら聞く必要はないと思ってやめた。

「ありません」

 俺が首を振ると、陛下は立ち上がった。

「アリアは奪還する。必ず」

 言われなくても分かっている。そしてそれをあなたが言う資格はない。

 俺は手を握りしめて立ち上がった。


 薄暗い部屋の中で目が覚めて、枕元の置時計をつかんで見たら二十時すぎだった。出発まであと三時間もあると思って、一時間くらいはこのままベッドの上でだらだらしていようと思った。痛み止めが効いているのだろう、今は腿も痛まない。仰向けになって天井を仰いだら、ふと思い出して枕元の小さなランプをつけた。本棚まで歩いていって、専門書とは違う一回り小さな本を見つけ出して取り出す。

 昔、ガゼルに本を読めと言われた時、レイジに聞いたら勧められたのがこれだった。創世神話をモチーフにした恋愛物の大衆小説で、確か主人公の男が黒の鳥、世界を壊す力を持っていた。アリアと同じように。

 結末はどうだったか、後ろのページからめくっていって薄橙の光を頼りに紙面に目を落とすと、扉がノックされた。

 出発までは仮眠を取っていることは皆知っている。それでも来るのは緊急の場合を除いて一人しかいない。

 俺は本を持ったまま、薄く扉を開いた。

「寝てた?」

 予想通りの顔がのぞいて、俺は首を振った。

「起きてた。でも寝ようかと思ってた」

「でももう起きたんでしょ?」

 レイジは俺の返事を聞く前に部屋の中に入ってきた。

 昔、一人部屋になったばかりの頃、出発の前に目が冴えてしまって、どちらからともなく部屋を訪れたのが始まりだった。それ以後は何となく互いが互いの部屋を訪れるのが慣例のようになっている。絶対に寝たい時は『来るな』と言っておくが、そういえば今日は言うのを忘れていた。

 部屋に滑りこんだレイジはなぜか手にワインのような瓶を持っていた。

「酒、じゃないよな」

「出発前にお酒飲んでどうすんの。本当はお酒がよかったんだけどね」

 ぶどうジュースだよと言ってレイジは丸テーブルの椅子に座って瓶を置いた。俺は部屋の照明をつけて、食器棚からグラスを二つ持ってくる。グラスを置くと早速レイジはぶどうジュースをつぎ始めた。

「はい、乾杯」

 向かいの椅子に座ってレイジとグラスを合わせた。濃い紫色の液体を見たら、そういえば戦勝パーティの時アリアが飲んでいたのもぶどうジュースだったなと思って、胸がざわついた。飲みこんだぶどうジュースはぶどう酒と違って辛くもなく、ただ甘い。

「ていうか、何それ」

 レイジが机の上に置いていた小説を取り上げて裏返す。

「ああ、これかあ。懐かしいね」

「それさ、最後どうなるんだっけ」

 レイジはグラスを置いて小説をめくり始める。

「んー、あんまり覚えてないんだけど。とりあえず主人公が世界を壊しちゃって、ヒロインとは次の世界でまた結ばれようみたいな感じじゃなかったっけ」

「そっか」

「何で?」

 俺はなるべく普通に首を振った。小説は小説だ、そこにアリアを救う方法が載っているかなんて。それこそアリアを救うには、俺が約束を守ればいい。

「ギルさ」

 レイジは小説を閉じて俺を見る。

「アリアちゃんのこと好きなの?」

 レイジの顔がいつもの冗談を言っている顔ではなかったので、俺も真面目に沈黙を挟んだ。

「好きだよ」

「ふうん。それならよかった」

 レイジは微笑んでグラスを持ち上げる。

「何で? あ、お前もアリアのこと好き、だった?」

 慎重に言うと、レイジは笑い出した。

「それならよくないでしょ。好きな人ができてよかったねって話」

 言われて、俺は首筋から顔が熱くなった。

「魔力移しもギルは本意だったことだし?」

 いつものようにからかわれているのが分かったので、俺はそっぽを向いた。

「否定はしない。けどアリアがどう思ってるかは、知らない」

「でもまがりなりにも失敗してないんだったら、嫌だとは思ってないと思うよ」

 嫌じゃないのかと聞いた時、嫌ではないと、俺が辛い方が嫌だと言った姿を思い出した。

「それは、アリアの技量じゃないのか」

「技量って何かえっちい」

「ふざけんな。真面目に答えろ」

 レイジはおかしそうに笑いながら「はいはい」と言う。

「技量も多少はあると思うけど、魔力移しの大部分は気持ちの問題だよ。嫌々移したら相手の魔力にはならないし、好きな人同士で移せば魔力もよく定着する」

 そういえば最近、似たようなことを聞いたのを思い出した。それもそういう意味だったのかもしれない。

「好きって言ったの?」

 レイジは俺の顔をのぞきこんでくる。なるほど、酒がよかったというのはこういう意味で、色々聞き出そうという魂胆らしい。戦いの前にあしらうのも面倒だし、雰囲気に飲まれて相談がてら話すことにする。

「言った」

「何て?」

「何てって、俺が?」

 レイジは頷く。

「そこまで言う必要ない」

 恥ずかしさもあって語気を強めると、レイジは不満そうな顔になった。

「まあいいや。で、返事は?」

「聞いてない」

「何で?」

「ルリオスティーゴが来たからそれどころじゃなかった」

 レイジは苦笑いのような複雑な顔で頬杖をつく。

「とことん邪魔者だねえ、あの人も」

 けれど返事を聞くのが怖いというのもある。断られたら、ただの仕事仲間に戻れるのだろうか。

「返事は作戦が終わってからのお楽しみだね」

 レイジがゆっくりとグラスを傾けると、濃い紫色の液体が揺れた。

 アリアの奪還に全力を尽くす。今はただ、それだけだ。俺はグラスの中身を一気に飲みこんだ。

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