あんたはあたしを助けられない(2)

 隣のテントから聞こえていたわずかな話し声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。私は寝返りを打って、まだ熱を持っていない布の上に移動する。シディは反対側を向いているので顔は見えないが、息が深いから多分寝ているのだと思う。

 目をこらして枕元の懐中時計を見たら二時前だった。毛布にくるまってからもう二時間たっている。慣れない場所で眠るというのが初めてなので、今後は慣れていかなければいけないと思うが、眠れない原因は多分それだけではなかった。

 私は起き上がって、シャツパジャマの上からショルダーホルスターをつけてガウンを羽織って靴を履いた。かなり妙な格好だがまだ真っ暗だし、これから眠くなるかもしれないので着替える気はなかった。

 シディを起こさないようになるべく静かにテントを出ると、空気は冷たくてテントの側で燃えているたいまつの炎が暖かく感じる。見上げると皇都より星が多く、月の位置がとても高くなっていた。

 私はテントから少し歩いて、草の生えている地面に腰を下ろして膝を抱えた。月が明るいけれど、炎から少し離れたから目を閉じてしまえば完全に暗闇になる。ここで寝たら風邪を引くだろうかと思ったら、草を踏む音が聞こえてきて、振り返った。

「寝れないの?」

 暗闇に浮かぶワイシャツの白と背格好で誰だか分かった。

「ごめんなさい、起こしましたか?」

 ギルは軽くうなって私の隣まで歩いてくる。

「確かに起きた、けど、元々あんまり寝ないからアリアのせいじゃないよ」

「でもまだ二時ですよ」

「いや一応心配して来たんだぞ」

「それは、ありがとうございます」

 ぶっきらぼうな物言いになってしまっただろうかと思ったが、言い直すのも変なので黙っておく。静かになってギルが動く気配がないので、どうすればいいのか少し困った。

「寝ないんですか?」

「今はいいかな。目、覚めちゃったし」

 ギルはしゃがみこんで私と同じくらいの目線になった。

「あの、さ、もし嫌じゃなかったらちょっと話さない?」

 まだ眠気もないし、断る理由もないので私は頷いて返事をした。ギルは嬉しそうに笑って草の上に腰を下ろす。

「スーツで寝てたらしわになりませんか」

 近くで見たギルの格好はワイシャツにショルダーホルスター、スラックスだった。言ってから、自分はパジャマにホルスターにガウンに革靴という妙な格好だったと思ったが、暗くてあまり見えないのがまだ救いだろう。

「予備はあるけどパジャマは持ってきてないからなあ」

 ギルはあまり気にしている様子もなく答えて、思い出したように私の方を見てためらうように口を開く。

「やっぱりパーティの時の続き聞いてもいい?」

 私は首をひねる。

「パーティの時の続きって何ですか?」

「言いかけて止めたやつ」

 私は少し考えてから思い出して相槌を打った。確かギルが言いかけて気になったけれど、シディとレイジのところに着いてしまったから聞き返す機会を逃してしまったのだ。

「答えられることだったら、どうぞ」

「ん、じゃあ単刀直入に。アリアはトリニア大将と血が繋がってるの?」

 ああ、そういうことか。暗いからはっきりと表情までは読み取られないかもしれないが、シディに言ってしまったからもう隠しておくこともないだろう。

「あの、一応内緒なんですけど、血は繋がってないです」

 ギルはばつが悪そうに髪を撫でた。

「ええと、養女ってこと?」

 私は頷く。

「いつから?」

「四年前です」

 ギルがこちらを見て草の上に手をついて、少しだけ身を乗り出してきたので、私は自然と体を引いていた。

「四年前ってさ、何かあった?」

「どうしてですか?」

「いや、記憶が曖昧なところがあって。あの頃はもうブリューテ・ドウタにいたから皇舎の近くにいたんならもしかしてアリアとも会ってるかもしれないし」

「ギルと会ったことは、ないです。私が覚えてないだけかもしれませんけど」

 ギルは低くうなって私の顔を見つめていた。

「そっか。俺も会ってたら多分覚えてると思うんだよ。まあ丁度そこの記憶が飛んでるのかもしれないけど」

 声が消えると静かになって、ギルがまた口を開いた。

「何で養女になったの?」

「シディにも同じこと聞かれました」

「ん、何だシディはもう知ってるのか」

 私は返事をして頷く。

「養女になった理由は私もよく分からないんです。ただ陛下にそうしなさいと言われたので。父様には、あ、トリニア大将には小さい頃からお世話になっていたので違和感はなかったんですけど」

「両親はいないの?」

「母親は小さい頃に亡くなってます。覚えてないんですけど、私を産んですぐだったそうなので」

 私は一度口を閉じた。多分、この場で吐き出しておいた方がすっきりするだろう。

「あの、なので、さっきの男の子に言われたことが気になって、それで余計に寝れないんだと思います」

 ギルは考えるように上を向いて、思い出したように声を上げる。

「宴会の時に言われたやつ?」

 私は頷く。

「気にするのは分かるんだけど、今の話との関係が分からない」

 私はシャツの胸元を握りしめる。

「母様は私が殺したんだって、言われることがあったんです。父様は違うって言ってたんですけど、私は、普通じゃ、ないので。だからあの子のお母さんが殺されたって聞いた時、お前が殺したんだっていうのが少し、同調してしまいました」

「ここに兵が間に合わなかったのはアリアのせいじゃない」

 強い口調で言われて、私はギルの顔を見ずに頷いた。

「分かってます。大丈夫です」

 けれど心に引っかかる。忘れてしまおうとしても、忘れてはいけないと言われているように蘇ってくる。

「ちょっと待ってて」

 ギルは立ち上がってテントの方へ駆けていった。手持ちぶさたに黒い芝生を眺めていたら足音が戻ってきて、ギルは私の頭上で何か差し出した。

「はい」

 頭の上で受け取って見てみると、紙に包まれた小さな立方体が手の中に乗っていた。

「何ですか?」

「キャラメル」

 ギルは先より少し近い位置に腰を下ろして、口の中に何か放りこんだ。

「キャラメルって何ですか?」

「え、嘘、キャラメル知らないの?」

 あまりにも驚かれたので、私は恥ずかしくなるのと同時に少し腹が立った。

「皇舎にないものは知りません」

「いや、非常食で習わなかった?」

 キャラメルとはどうやら食べ物らしい。

「習ってません」

「あれ。キャラメルって一般的な非常食じゃないのか?」

 ギルは呟きながら首をひねる。

「まあ何でもいいや、とりあえず食べて。甘いもの食べると幸せになれるから」

「甘いんですか?」

「食べれば分かるよ」

 私は紙の包みを開いて、出てきた小さな塊を口に入れた。焼けるような甘さが舌の上に広がって、噛んだら意外と硬くて歯にくっついた。

「どう?」

 ギルが私の顔をのぞきこんでくる。

「甘いです。すごく」

「そりゃそうだ」

 ギルは嬉しそうに笑った。

「お腹空いてる時ってさ、どうしても悪い方へ考えがちで、だから美味しいものを食べてお腹いっぱいになると気にしてたことも少し軽くなるんだって」

 今特にお腹が空いている訳ではないのだが、確かに美味しいものや甘いものを食べると気持ちが満たされるというのは何となく分かる。

「まあ受け売りなんだけど」

「少し、分かりました。これ噛むんですか?」

 私は自分の口を指差す。

「噛んでもいいけど歯にくっつくから、俺は舐めてる方が好きだな。気に入ったんならもう一個あげる」

 ギルはスラックスのポケットから同じような塊を取り出して、私に差し出した。今すぐ食べるという訳ではないので私は手の平で包んでお礼を言う。

 会話がなくなってしまって、私は頭の中から言葉を探して思い出した。

「あの、そういえば夜這いって何ですか」

 ギルは怪訝な顔で表情を止めて、しばらく苦悩したようなうなり声をあげて髪を撫でた。

「あのさ、アリアって箱入り娘なの?」

「シディにも同じこと言われました」

「あー、じゃあそうなんだろうな。どこでそんな言葉をって、レイジか」

 あいつ後で鼻つまんどく、とギルが小さな声で付け足す。

「聞いたらまずかったですか」

「そうだなあ」

 ギルは頭を抱えたまま低い声でうなる。

「男の人が夜女の人に会いに行くこと、かな?」

「あんまり変な意味には聞こえないんですけど」

「いや、うん。そう思っといて」

 また言葉がなくなってしまって話題を探っていると、ギルが口を開く。

「少し落ち着いた?」

 私は少し迷って、頷いた。

「ギルの両親はどうしてるんですか」

「皇都で普通に暮らしてるよ。俺生い立ちは普通だし。魔力の兆候があったからブリューテ・ドウタに入ったけど」

 ギルが思い出したように私の顔を見つめる。

「何ですか?」

「いや、嫌だったら言わなくてもいいんだけど、アリア、本当の父親は?」

 私は一瞬言葉につまる。

「います、けど」

 ギルは言葉をつなげなかったので、更に私の言葉を待っているのが分かった。

「特別話すようなことは、ないです」

 少し間をおいてギルが言う。

「そっか」

 私は嘘をつくのが下手なので、ギルも何かしら感付いているのだろう。けれど今話すべきことは何も、ない。

 今度こそ本当に何も言葉が出なくなってしまって、一面に広がる星空を眺めていたら隣で芝を踏む音が聞こえた。

「そろそろ戻るか」

 立ち上がってスラックスについた芝をはたいているギルに合わせて、私も立ち上がる。

「今更だけど寒くなかった?」

 私は首を振って、自分が変な格好をしていたことを思い出した。

「変な格好ですみません」

「いや、暗くてよく見えない」

「ならいいんですけど」

 言った途端、ギルが首を傾けて私をのぞきこんでくる。

「何で言ったそばから見るんですか」

 私は思わず声を強くしてガウンを胸の前で握りしめる。

「言われたら気になるのが人ってもんだろ。気になるなら言わないのが一番だぞ」

 ギルはおかしそうに笑ってテントの方へ歩き出した。

「そういえばギルは何でネクタイしてないんですか?」

「んん、反抗期の名残、かな? これは俺の趣味」

 ギルは首元の黒いチョーカーを指す。

「入った当時が、ええと、十四か。丁度反抗してみたい年頃だろ。さすがに軍服のネクタイ外して行ったら殴られた」

 思い出したのか、ギルの頬に笑みが浮かぶ。

「殴った人今度紹介するよ。俺とレイジの教育係だったんだけど。二人共面倒な子供だったから今考えるとすごいなあと思うよ。俺だったら絶対やりたくないもん」

 想像ができないが、そんなに酷かったのだろうか。話している内にもうテントの前まで着いて、足を止める。

「まあ軍服は軍服で赤いから嫌いなんだけどさ。全身真っ赤になるから」

 頭の中に思い浮かべてみると、確かにギルは髪が赤いから全身赤になるのだった。

「でも別に変じゃなかったですよ」

「む。じゃあ言わない方がよかったな」

 言われたらさっきのアリアみたいに気になるだろとギルが付け加えて、私は笑った。

「じゃあゆっくり寝ろよ」

 頭を撫でられて、反射で体がすくんだ。手を振ってテントの中へ入っていくギルに、私は少し名残惜しい気持ちで手を振り返した。


 何度か夢と現実を行き来して毛布の中で目が覚めると、シディが隣で既に着替えを終えていた。枕元の懐中時計を引き寄せて開くと八時五分くらいで、昨日朝食は九時だと言われていたので体を起こした。やっぱり夜更かしをしていたからもう一度毛布に倒れこみたいくらい、体が重い。

「後三十分くらい寝ててもいいけど」

 私は首を振る。

「せっかく起きたから、起きる」

「水は貴重品みたいだから顔洗うならこれにオスタ(水呪文)で水ためて使って」

 シディは顔が丸ごと入りそうな大きな鍋を私の前へ引きずり出した。

「これどうしたの?」

「水ためるものが欲しいって言って貸してもらった」

「オスタ(水呪文)って水ためるとかできるの?」

「魔力を絞って指先から出すように、ってあんたそういう訓練はやったことないの?」

 私は頷いた。

「まあ前線とサバイバルは違うけど、これは必須よ、必須」

 私は急に危機感にさいなまれて鍋の上に手をかざす。

「練習するなら外でやって。後、鍋も壊しそうだから地面で」

 すかさず飛んだ物言いに、あまりにも信用されていないことに私は少しむくれた顔をしてみせたが、確かに成功する自信もない。

 パジャマのまま靴を履いて外に出たら、晴れているが空気は冷たかった。地面に手を向けると、またシディの声が飛んでくる。

「もうちょっと離れて」

「さっきから心配しすぎ」

「成功しなくて全力で撃たれたらテント吹っ飛ぶでしょ」

 もうこれは意地でも成功させなければいけない。言われた通り距離をとって、地面に左手を向けて意識を指先に移す。手に伝う魔力を絞って、詠唱を破棄する。詠唱がない方が呪文の威力は弱まるからだ。

『オスタ』

 指先全てから滴がしたたり落ちて、砂に覆われた地面に吸いこまれていく。これでは絞りすぎかと思って魔力を少しずつ戻していくと、蛇口をひねるように指先から水が流れ出す。

 できたとシディを振り返ろうとしたら、隣のテントから出てきたギルと、目が合った。

「おはよ。何してんの?」

「あれ、アリアちゃん何してるの?」

 水を出す練習をと言おうとした時には既に遅く、意識をそらしてしまった左手は抑えていた水を全て放ってしまって、地面をえぐる大きな音と共に私は背中から地面に滑っていた。


 魔力が強すぎるのも考えものだとシディに言われ、結局水は出してもらって、汚れてしまったパジャマも洗って干した。何事かと駆けつけてきた人達に事情を説明して、今はテントに運んでもらった朝食を四人で囲んでいる。

「というか何でサバイバル訓練受けてないの」

「サバイバルさせるとは思ってなかったんじゃないの」

 シディが言うのに、ギルがライ麦パンをかじりながら答える。

「でもあれはギルが来なかったらできてました」

「ギル、いけないなあ。練習の邪魔しちゃ」

「あれくらいで暴発するのはできてるって言わないの」

 もっともな言葉に私は残りの言い訳を飲みこんだ。体はある程度の魔力で覆っているから怪我はないが、確かに毎回あれでは安心して水が出せない。

「あ、凹ませた」

 レイジの言葉でギルの表情がわずかに狼狽するのに、私は慌てて首を振る。

「凹んでません、大丈夫です」

「ギルは素直だなあ」

 笑い声をたてるレイジをギルは横目で睨みつける。

「それで、そんな素直なギルは昨夜アリアちゃんと外で何してたのかな」

 ギルが弾かれたようにレイジを見て目を丸くする。

「お前、どこから起きてた、っていうか言うなよこの場で」

 ギルが叫ぶ。

「私も気付いてました」

 シディが言うのに私もギルと同じように振り向いた。

「ごめん、うるさかっ、た?」

「心配するのそこなのアリア。別にうるさくはなかったけど、外で話してるの聞こえたから」

「俺には夜這いするなみたいに言っておいて、自分はしてるとかないよなあ」

「ってか夜這いじゃねえ」

 昨日聞いた定義だと夜這いになるのではないかと思ったが、話がややこしくなりそうなので言わないでおく。帰ったら自分で調べてみよう。

 ギルは先程洗ったばかりでまっすぐになった髪をかき回して、覚悟を決めたようにレイジを睨む。頬が赤いのは多分気のせいではないだろう。

「というかやましいことはない。何も」

「動揺しないギルなんてつまんないよ」

「お前、人を何だと思ってんだ」

 確かに話をしただけだから変なことは何もないのに、改めて言われると少し居心地が悪いのはなぜだろう。

「まあギルをからかうのはこのくらいにしておいて、食べ終わったら今後の予定を話そうか」

「お前が振ったんだろうが」

 ギルは叫んだが、それ以上何も言わなかったのでお互い言いたいことは言い終わったようだ。

 昨夜も出されたヨーグルトジュースを飲み終わったあたりで、レイジが話し始めた。

「で、期限は三日後の夜な訳だけど、昨日言われた通り三日後、昼の一時から会議がある」

 昨夜、宴の席でローに出席を頼まれたのである。リタは反論したが、聞かれたらまずい話でもするのかという意見をくつがえせずに要件を飲むこととなった。ローとしては援護射撃を期待してだろうが、黙っていても多数決で有利になる。ただ、撤退派が多数だというから、追い討ちをかけるための保険だろう。

「あんまり口を挟んでもこっちの問題だって逆なでしそうだから基本黙ってたい。元々撤退派の方が多いみたいだからね。意見を求められたら俺かギルに投げてくれていいよ。まあ、言ってもいいんだけど」

 レイジが視線を私に向ける。

「あの子に同情してる?」

 あの子とはリタのことだろう。

「特別そういうことはないです。私も犠牲を出すよりは撤退した方がいいと思っているので」

「それならいいんだけど。こっちで意見が割れてるのはあんまりよくないから」

 基本的には静観で、とレイジが結ぶ。

「あの、もし報復派が多数になったら、武力行使に出るんですか」

「十中八九ないと思うけど、確かに完全にないとは言い切れないね。そうしたら陛下に電信機で報告して、再交渉してそれでも駄目なら戦闘かな。令状は持ってるから。でも力の差は圧倒的だし、陛下に盾ついてまで報復にすがる理由はないと思うんだけど」

 レイジは息を吐き出す。

「そこまで分かってるはずなのに、何であの子は報復にこだわるのかなあ」

「理屈で動けるならもうとっくに撤退してるだろ」

 ギルの言葉にレイジは苦い顔をして笑った。

「理屈じゃないってこと、ね」

 納得したような間を挟んで、レイジが口を開く。

「以上。質問は?」

「三日後までは待機ですか」

 シディの言葉にレイジは頷く。

「三日後の一時前に戻ってくれれば何しててもいいよ」

 暇だなとギルが呟くと、俺は昼寝するよとレイジが応じる。

「ギルも寝とけば? 昨夜あんまり寝てないんでしょ?」

 レイジが意地悪く笑ったのに、ギルは舌打ちした。

「てめ、だから蒸し返すなっつの」

「はいはい、じゃあ解散」

 レイジが笑うのをギルは忌々しそうな目で眺め、金色の目と目が合って、私は視線をずらしていた。


 銃を分解していつもより丁寧に拭いたり、グリスを塗ったりしたが、やはり懐中時計を見ると十時四十分で、三十分しかたっていない。眠くもないし、シディは本を読んでいるので、一声かけてテントの外に出た。

 起きた時には透明だった空は、雲に覆われてまったく見えなくなっていた。吸いこんだ空気は暖かかったのでジャケットを置いてこようかと思ったが、そうすると銃が見えるのでやめた。火器は珍しいので住人を変に刺激しない方がいいだろう。

 今銃を持っているのは世界中で人間側、つまりオウヴァの軍だけで、三年前に実用化された。異形は火器の開発が遅れているらしいが、時間の問題だろうと陛下が言っていた。六年前の大敗から異形とほぼ互角にまで持ち直したのは火器のおかげといってもいいと、父様が言っていた。

 よくよく考えたら、テントから出たらまわりは同じテントしかないので離れたら一人では戻ってこられない。でも迷ったら誰かに聞けばいいかと思って歩き出したら、知っている顔が歩いているのを見つけた。

「リタさん」

 横顔が確認できてから呼ぶと、リタは弾かれたように私の方へ振り向いて、私を見とめて幾分落ち着いた顔に戻る。

「どこか行くんですか?」

 リタは一瞬迷うような顔をした。

「シエンと稽古をします」

「稽古って何の稽古ですか?」

「剣の」

 気付いてよく見ると、リタの腰には長い剣とナイフが下がっていた。

「それ、一緒に行ったら駄目ですか?」

 言ってから、シエンはリタが好きだったと思い出して、言うべきではなかったかと思った。けれど剣の稽古など見たことがないし、シエンには悪いが見たい気持ちのほうが勝っている。

「そんなに面白いものでもないですけど」

「いえ、きっと見たことがないんで、面白いと思うんです」

 ものすごく嫌がられている訳ではなさそうなので、押してみた。リタは困ったように眉を寄せたが、「分かりました」と頷く。私はお礼を言って、歩き出したリタについていく。

 目的の場所は意外と近く、テントがなく開けた場所でシエンが立っているのが見えた。

「あれ、アリアさんも一緒?」

 シエンが駆け寄ってきて、リタと私を代わる代わる見る。

「すみません。剣の稽古見たかったので」

 二人きりになる機会を潰してしまって申し訳ないという意味もこめたのだが、シエンは邪気のない顔で笑った。

「いいえ。でも思ってるのと違うかもしれませんよ。リタ、強いから」

 リタを見ると、先程とは違う沈鬱な顔をしていて、私が見ていることに気付くと顔をそらして表情を消した。

「具合悪い?」

 シエンが心配そうな顔でリタをのぞきこむと、リタは火のついたような目をしてシエンを怒鳴りつけた。

「うるさい」

 シエンは不服そうな顔をする。

「うるさくない。具合悪いなら休んだ方がいいよ。最近ばたばたしてたし。明後日会議も」

 シエンの言葉の途中でリタは剣を抜いた。シエンはあまり納得のいかなさそうな顔をしてから、私に「離れていて下さい」と言った。

 シエンが長い剣を抜くと、すぐにリタの方から踏みこんでいった。刃が弾き合う度、金属と金属がこすれてぶつかる綺麗な音が響く。リタの目はずっとシエンを睨んだままで、シエンはどこか複雑な表情でリタを見つめていた。

 刃が合わさったまま拮抗していた体勢で、シエンが力を抜いたのだろう、リタがバランスを崩して前によろめいた。

 シエンの刀身の平がリタの手首に触れて、止まった。

 シエンが剣を引くと、リタは体勢を直して唇を引きしめてうつむく。

「やっぱり休んだ方がいいよ。いつものリタらしくない」

 リタは目を見開いてシエンを睨みつける。

「いつものあたしって、何」

 シエンは少し困ったような表情をして、口を開かない。

「答えられないことなら言わないで」

 言葉が終わる前に、シエンはリタの腕をつかむ。驚いた顔をしたリタに、言った。

「辛い時、辛いって言ってた」

 リタの表情から険しさが消えた。虚をつかれたように固まって、自嘲するように、歪んだ。

「辛いって、この状況で」

 黒い瞳が泣き出しそうになって、そのままシエンを強く、強く睨んだ。

「だって。あんたはあたしを助けられないでしょ?」

 耳に突き刺さるような声で叫んで、リタは駆け出していった。


 夢を見た。父も、母も、弟も生きていて、父は弟に大きくなったら族長になるんだからといかめしい声で諭している。私はそれを聞いている。

 父は私に「お前はなぜ男ではないのか」と、母には「なぜリタを男に産まなかったのか」と言い、時には母からも当たられて私は十歳まで育ち、弟が産まれてようやく重圧から解放された。

 けれど代わりに待っていたのは、父の異常なまでの喜びようと、母の肩の荷が下りたような顔だった。父が喜べば喜ぶ程、私の中に疑問が降り積もる。何で私では駄目なのか、何で女だからというだけで私は必要がないのか。

 弟は歳が離れているせいもあって、辛くあたったりすることはできなかった。この子はまだ何も知らないし、何も悪くない。いっそのこと私がもっと幼かったら、八つ当たりすることも泣きわめくこともできたのにと、無邪気に私に懐く弟を見て余計に胸が苦しくなった。

 私はその日、シエンと日課の剣の稽古をしていた。剣の稽古をすること自体は自衛が必要な民族柄、文句は言われなかったが、最近は年頃になるのだから女らしくしろと言われることが多くなり、私の尊敬の対象から父は完全に外れていた。あれだけ男に産まれてくればと言っておいて、後継ぎ問題が解決したから今度は女らしくしろとは一体何様のつもりなのか。

 首の横に刃の平を突きつけられて、私はシエンを見上げた。

「俺の勝ち」

 その顔があまりにも無邪気だったので、私は腹が立って顔をそむけた。

「何かあった?」

 シエンは剣を収めると、私の顔をのぞきこんでくる。

「別に、何も」

「嘘だ。だって負けたじゃん」

 私は気持ちが乱れていると必ず負ける。さすがに昔から一緒にいる手前、ごまかしがきかない。

「ちょっと、嫌なこと思い出しながらだったから」

 シエンは一瞬不安そうな顔になって、すぐに柔らかく微笑んだ。

「今日うちにご飯食べにおいでよ」

 シエンの家族は両親と妹がいて、とても居心地のいい家だった。小さい頃から世話になっていて、優しくしてもらえるのはもしかしたら族長の娘だからかもしれないが、シエンの性格を考えるとあの家族にはそうした打算は似合わないように思えた。

「迷惑じゃ、ないなら」

「迷惑じゃないよ。最近母さんがリタがうちの」

 シエンは思い出したように言葉を止めた。

「うちの?」

「いや、何でも、ない」

 シエンが頬を赤くして思い切りかぶりを振っているので、多分うちのお嫁さんに、とかそういう話だろうと思った。

 シエンの母親に冗談で言われることは多いが、実際シエンの気持ちはどうなのだろう。そういう話になると今みたいに言葉を濁すし、あまりにも小さい頃から一緒にいるから、恋愛対象には入っていないのかもしれない。なら、私はシエンのことをどう思っているのか。

 考えたら、振って沸いたような爆発音がして体が跳ね上がった。音のした方を振り返ると黒煙が続々と上がっている。私は考えるより先にシエンとほぼ同時に駆け出していた。

 黒煙が上がった場所は地面が焼け焦げて、テントの残骸とおそらく元は人だったものが黒くくすぶっていた。襲撃者の姿は見えず、これだけ広範囲を焼き尽くすことができるのは同盟を結ぶオウヴァの軍を除いて、異形の魔法しかない。私は焼け焦げた方向にある自分の家へ走っていった。

 無事だったテントが増えてくるにつれ、今度は赤い水たまりに倒れた人々が比例して増えていく。鼻は焼けた匂いでとっくに麻痺して、私は倒れている人に構えずに自分のテントにたどりついて、入口を乱暴にめくり上げた。

 そこには血だまりに伏せった父と、母と、尻もちをついて目の前を凝視している弟と、背中に白い翼の生えた後ろ姿、異形が、いた。弟は私に気付いて、こわばっていた顔を歪めて走り出そうとする。私は制止することも、異形に跳びかかることも、できなかった。

 異形の長い剣が、弟の体を貫いた。引き抜かれた剣と共に弟の体は崩れ落ちて、目を開いたまま、倒れた。剣は血で濡れていて、どの血が誰のものなのか、分からなかった。

 異形がゆっくりとこちらを振り返る。私は恐怖か、自分が何に捕らわれているのか分からず、まったく体に力が入らなかった。

 異形と目が合う寸前、視界に何か飛びこんできて異形の背に刃を突き立てた。シエンが叫びながら異形に刺した剣を抜いてもう一度刺すと、異形は目を見開いて、咳きこんで血を吐き出した。

 今、目の前で起こっていることが嘘のようだった。異形が地面に倒れたのを見て、私の目の前の景色は薄くなって、消えていった。


 目が覚めると全て終わっていて、シエンが経緯を説明してくれた。

 襲撃してきたのは異形で人数は五人、目的は調査中、撃退はしたが三人は取り逃がし、こちらの死傷者は二百人中約百人、皇都の応援は間に合わず、埋葬の手伝いに終始したとのことだった。

 目覚めた寝床の側でシエンが更に言い辛そうに目を伏せる。

「族長の親族がリタ一人しかいなくなったから、暫定でリタが族長っていうことに、なった」

 親戚も含めて皆殺されたのだと知ったのと同時に、運命の皮肉さに頭を殴られたようだった。あれだけ後継ぎにこだわっていた人達が全員いなくなってしまって、私だけが残った。

 まだ現実の実感がなく悲しみもやってこなかったが、悲しくて動けなくなってしまう前に、族長として今後の判断を示しておきたかった。しばらくは同盟関係にある皇都の保護下に入ることになるだろう。リウ族だけで異形に戦いを挑むのは賢明ではない。そう、言おうと思っていた。族長として出席した最初の会議で、ローに発言されるまでは。

 ローは私より先に私の考えとまったく同じことを言った。リウ族の中で既に撤退の意見が多数だったから至極当然だったが、ローが私に取り入って更に取りこもとうとしているのは明らかだった。更に、まわりの大人達が私にではなくローに同調しているということも。こんな小娘に族長を任せるくらいなら、前々から有力者の座を狙っていると噂されていたローの方がまだましということだろう。

 瞬間、私の中の熱は一気に冷めた。どうして自分達で族長を世襲制にすると決めておいて、私が子供で、女だから、いらないと言うのだろう。どうしてここまで、私はいらないものとして扱われるのだろう。どうして私はここに、いるのだろう。

「リウ族は異形に報復する」

 低い声で言うと、会議の出席者の間に無言の動揺が走り、皆怪訝な顔をした。末席で様子を見守っていたシエンも驚いた表情をしていた。

 ここまで来たら、もう引き返せない。族長の立場は誰にも渡さないし、こんな風習のある一族など滅びてしまえばいい。心の中でそれはただの身勝手だと分かっている自分を封じこむ。その身勝手で私がどれだけ苦しんだか、私以外の誰も知らない。みんな私の苦しみと一緒に、死ねばいい。

 その日を境に私はシエンを避けるようになった。みんなを道連れにしようとしている私は、もうシエンと口をきくのもふさわしくない。

 襲撃された場所から森に近い皇都の近くへ移動して、ローと平行線の議論をしている内、皇都から四人組の使者がやってきた。完全に旗色は私に悪くなるばかりで、それでも私は諦める訳にはいかなかった。今折れてしまったら、私がここにいる意味はなくなる。

 けれど、使者をもてなす宴の準備が整って、宴の場に案内するためにテントを訪れたら、中から声が聞こえてきた。

「ちなみに君は報復と撤退どっちがいいと思ってるの」

「撤退です」

 シエンがいたのだと思ったのと同時に、初めてはっきりとシエンの意見を聞いて、突き放された気持ちになった。こんな時でさえも、まだシエンは自分の味方をしてくれるのではないかと思っていた自分に失望する。

「異形五人にあの様じゃ、勝ち目なんかない。でもリタも馬鹿じゃないんです、ちゃんと分かってます。でも報復しないと怒りを向ける場所がない。亡くなった人達に申し訳が立たないと思ってるんです」

 まっすぐな言葉が胸に刺さった。何で、どうしてあたしを疑わないの。そんな綺麗な理由じゃなく、ただあたしは自分のためにみんなを道連れにしようとしているだけなのに。

「面倒くさい相手を好きだねえ、君も」

「ええと、いや、まあ、そうですね。はい」

 照れたように、シエンが言った。あんたが好きなあたしはそんなに綺麗な子じゃない。好かれる資格も、今のあたしにはない。

「シエン」

 テントの外から叫んだ。まだ声は震えていないはずだ。すぐに慌てたような顔のシエンが出てきて、私は用件を告げて走り去った。

 今、聞きたくなかった。もう好きと言うこともできないのだと思うと涙があふれてきて、たくさん泣けば宴の時に感付かれると分かっていても、こらえられなかった。自分で決めたことなのに、とてもとても、辛かった。

 辛い気持ちは一晩眠っても消えず、翌日も同じだった。剣の稽古だけは変わらずに続けていたが、一緒についてきた使者をシエンが親しそうに呼んだのを聞いて、胸の内が黒くなった。二人の間に特別な感情があるはずないと分かっていても、私は不相応に嫉妬しているのだと、分かった。

 当然こんな気持ちで勝てるはずもなく、すぐシエンに負けた。

「やっぱり休んだ方がいいよ。いつものリタらしくない」

「いつものあたしって、何」

 シエンは困ったような顔をした。お願いだからもう放っておいて欲しいという気持ちと、それでもまだ気にかけられたいという思いが浅ましく交錯する。

「答えられないことなら言わないで」

 言い終わる前にシエンにつかまれた腕の、力の強さに驚いてシエンを見上げる。

「辛い時、辛いって言ってた」

 ああ、どうして。シエンはどこまでもまっすぐで、綺麗だ。けれど私は私の復讐のために、このまっすぐな気持ちに返す言葉が、ない。

「辛いって、この状況で」

 言ってはいけないと分かっていても、鋭い言葉が心の中に沸き上がってくる。言えばシエンを傷付ける。ああ、でもそれで、いいのかもしれない。

 だって。あんたはあたしを助けられないでしょう?

 もう二度と話しかけられないように言葉を吐いて、駆け出した。何て悲しい、何て、無様。

 けれどそれももうすぐ終わる。会議まで後少し、さあ、殺されに行こう。元より死にそこなった身なのだから、もうどうなっても、構わない。


「アリアちゃん、行くよ」

 レイジに呼ばれ、私は返事をした。

 三日後、会議は予定通り十三時から、広いテントに案内され私とギルとシディとレイジはローの隣に座った。

 議論は平行線を辿るかと思ったが、リタについていた報復派の五人は比較的あっさりと撤退派に転じた。おそらく武力行使の件があったからだろう。このまま意見がまとまらず先に皇都に潰されれば元も子もない。私達はここまでは発言することもなく、住人達の意見が飛び交うのを聞いていた。

 リタを除く全員が撤退を表明した時、ローは私達も含めて多数決を取った。私達を含むリタ以外の全員が撤退に手を上げ、リタはただ一人報復に手を上げたが、リウ族は撤退する方針で皇都の保護下に入ることが決まった。

「リタ様、ここはどうかお収めください。報復しなかったからといって、誰もあなたを責めたりしません」

 リタは暗く沈んだ目をローに向けて、糸が切れたように薄く微笑んだ。

「分かった。もういい。決定には同調する。その代わり私の命令を一つ聞け」

「何でしょうか」

「私を殺せ」

 言葉をなくした場に、ローの軽い笑い声が響く。

「ご冗談を」

「冗談はお前の方だろう。私を殺せば邪魔者はいなくなって族長の座も空く」

「何を仰ってるんですか。私は決して、そういう訳では」

「笑わせるな」

 リタの叫び声が空気を裂いて、耳が痛くなる程、静まり返る。

「決定は飲む。だが私は絶対に撤退しない。撤退したいなら私を殺せ」

「リタ様、言っていることが無茶苦茶です」

 リタは嘲る顔でローを見て、怒りよりも強い感情で黒い瞳を歪める。

「散々邪魔者扱いしておいて、殺せと言ったら殺せない。私はいらないんだろう? もうお前達の身勝手に振り回されるのはたくさんだ」

 悲鳴に近い声で叫んで、リタの黒い目は泣き崩れた。リタが左腰に手をかけて、まずいと思った時に血の気が引いた。叫び声とざわめきが混じり合い、引き抜かれた銀色のナイフはまっすぐにリタ自身の首元に向けられて、そのまま。

 電気が弾けるような音がして、リタは悲鳴を上げてナイフを取り落とした。気付けばリタに向かってレイジが歩いていっていて、落ちたナイフを拾い上げてリタを見下ろしていた。

「あのさ、そういうお芝居は俺が帰ってからやってくれる?」

 リタは涙で濡れた目を見開いて、信じられないものを見たようにレイジを睨みつける。

「レイジ」

 声に非難の色をこめて立ち上がったギルに、レイジはわずかに振り返る。その目はいつもと違って、ひとかけらも笑っていなかった。

「何、ギル」

「公私混同すんな、仕事中だぞ」

「してないよ。って、いや若干嘘か。でもさ、言わなきゃこの子分かんないよ」

「もういい、充分だ」

 レイジは不満そうに目を細める。

「だからギルは甘いんだよ」

 レイジはリタの方に向き直る。

「俺、君みたいな子嫌いなんだ。わがままで、潔癖で、自分が一番不幸だと思ってて、でもその不幸に酔ってる」

「おい」

 ギルが怒鳴ってレイジの方へ歩いていく。

「あんたにあたしの気持ちなんか分かる訳ない」

 涙混じりの叫び声を前にして、レイジは顔色一つ変えない。

「分かんないね、他人だから。でも嫌いなんだ。ただそれだけ」

「やめて下さい」

 ギルがレイジの腕を思い切り引いたのと、叫び声が割って入ったのは同時だった。シエンが駆けてきて、リタとレイジの間に立ちはだかる。

「何で分からないのにそういうことを言うんですか。分からないなら何も言わないで下さい。リタがどんな思いをしてきたか知らないのに、あなたにそんなこと言われる筋合いない」

 レイジは呆気にとられたような顔で固まって、思い出したように笑い出した。

「そう言われると辛いなあ」

 ギルがレイジの腕を引いて無理矢理こちらへつれてくる。シエンは険しい表情を崩さないままで、レイジが戻るとリタの方に振り返ってその場にしゃがみこんだ。

「リタ」

 リタはうつむいて、泣くのを我慢しているのだろう、体が震えていた。シエンは膝の上で爪を立てているリタの手を握って、顔を伏せたままのリタをまっすぐ見つめた。

「結婚しよう」

 多分、この場にいる誰もが驚きで言葉を飲みこんだ。リタでさえも顔を上げて、訳が分からないといった風にシエンを見つめている。

「俺と結婚すれば族長は多分俺になるけど、俺はリタの言うことを無視したりしない。体制上は俺が族長になっても、リタは族長らしく振る舞えばいい」

 シエンは困ったように微笑んで、もう一方の手でリタの肩を軽く叩く。

「なんて、こんなの俺の自己満足かもしれないけど、でもリタが好きなんだ。だから、リタが必要なんだよ。それだけ」

 リタの唇が開きかけて、目に涙がいっぱいにたまっていって、しゃくり上げたのと同時にこぼれ落ちた。シエンがリタの背を抱き寄せると、リタは声を上げて、泣き出した。

 リタの泣き声は積み上げられてきた事情を知らない私にも感じ取れる程痛く、同時に切なかった。けれどきっとこれからは変わっていくのだろうと、泣いているリタと、リタを抱きしめるシエンを見て思った。

「ほら、やっぱりけしかけといて正解だったじゃん」

 立ったまま不満そうに呟いたレイジをギルは冗談のない目で睨みつけた。

「ふざけんな。自重しろ」

 レイジは鬱陶しそうにギルを睨み返したが、顔をそむけながらも「はあい」と返事した。

 突然めくり上げられた入口の布の音に反射で振り返ると、私も、場の空気も凍りついたのが分かった。

 茶色いブーツが砂を踏みしめる音が大きく耳に残る。静かな場で自分の心臓の音が強く、速くなったのがはっきりと意識できた。

「失礼。ノックする場所がなかったからな、多少の無礼は許せ」

 若葉色をした鋭い目と目が合って、強く微笑まれた。

 白いタンクトップとズボン、毛先の跳ねた金髪、右腕に金色の腕輪をたくさんつけて、左腕のひじから先は白い鳥の翼を持った男性が嘲るような笑みを浮かべて、立っていた。

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