あんたはあたしを助けられない(1)

 私が異形だろう男性に襲われてから数日後、会議で陛下は言った。

「困ったことになった」

 会議の出席者は前回とほぼ同じで、陛下、父様、ギル、シディ、それにレイジ、私、他に黒い軍服の父様と同じ年代の男性達が数人だった。肝心の陛下といえば、困ったと言った割にはむしろ楽しそうな笑みを浮かべている。

「我々はこれから本格的に異形の駆逐を始める訳だが、まず、皆知っている通り動力炉の奪還と前線での健闘により、異形の防衛線は動力炉の先にある森を抜けた街まで下がった。このまま一気に森を抜けて攻めこみたい考えだが、丁度その森の手前に障害物が現れた」

「障害物とは何ですか」

 レイジが柔らかい口調で尋ねる。陛下は吹き出したように笑って、レイジを見る。

「すまない、もったいぶりすぎた。遊牧民だ。いつも冬に来ていた一族があっただろう。あれがつい昨日森の手前に根を下ろしたと報告があった。規模は大体百人だそうだ」

 ギルとレイジが納得したように小さな声を漏らす。

「リウ族ですか」

「そうだ。あれが去ってからまだ半年くらいしかたっていない。異形との争いで進路を変えたのだろうが、このまま森の前に留まられては進攻に支障が出る。そこでブリューテ・ドウタに交渉を頼みたい」

「失礼ですが、陛下」

 ギルが怪訝な顔で切りこむ。

「なぜ私達に交渉をお任せになるのか、理由をお聞かせ願えませんか」

 陛下は鋭い笑みを浮かべて、おかしそうに笑い声を立てる。

「すまない、また試すような言い方をしてしまった。要はこういうことだ。知っているかもしれないが、我々は古くからリウ族と同盟を結んでいる。特産物をやり取りする代わりに、リウ族が異形に攻撃を受けた際、防衛に協力するという盟約がある。だが今回、一週間程前だが、我々は異形と交戦中で間に合わなかったのだ。半数以上が死傷したと聞く。今リウ族が報復か撤退かどちらを考えているか分からないが、こちらが提示する以上の対価を要求するか、最悪交渉に応じないだろう。そこでお前達に交渉を頼む」

「撤退、というか移動するようにですか」

 ギルが言うと陛下は頷く。

「なるべく穏便に事を運びたい。まあリウ族も馬鹿ではないし、むしろ賢明だと思っている。妥当なところに落ち着けて欲しい。期限は三日後の夜としたい」

「失礼ですが、陛下」

 レイジが口を開く。

「期限を急ぐ理由をお聞かせ願えませんか」

 陛下は今度は笑みを見せず、レイジを見つめた。

「端的に言う。前々から予兆はあったが、異形の王が代わった。まだ正式に表明されていないが、指揮系統が落ち着く前に進める場所まで進んでおきたい」

 出席者の間に無言の緊張が走ったように思えた。陛下は静かに息を吐き出すと、私を含むブリューテ・ドウタに視線を流した。

「もしリウ族が交渉に応じなかった場合、殲滅を許可する。それがお前達を選んだ理由だ」


 ギルが運転席で吐き捨てるように呟く。

「たく、陛下も人遣いが荒い」

「先輩、それデジャヴです」

「何? 何の話?」

 動力炉に移動する時に使った車は、今は動力炉から更に先にある地点を目指して荒野を走っている。運転席にギル、隣に私、後ろにはシディ、その隣にはレイジが座っていた。四人乗りなのでこれで定員だ。この間と走っている道は大体同じらしいが、今日は陽が高く昇っているので、まわりがよく見える。といっても荒野なので見渡す限り空しかなく、地面は黄土色の砂と岩に覆われている。

「悪口じゃないからな」

 ギルに振り向かれて私は頷いた。今聞くと本気ではなく冗談だと分かるので、特に咎めるつもりはない。

「何だよ、俺だけ仲間外れにして」

 レイジが頬を膨らませる。

「つい数日前、まったく同じ言葉を聞いたってだけです」

「というか今更だけど、お前何で今回は同行してるんだ」

 ギルが前方から目を離さずに言う。

「陛下に頼みこんだんだよ。アリアちゃんと一緒にいさせて下さいって。あ、シディのことも好きだからね」

「別に無理矢理付け足さなくていいです」

「何でそれで承認されるんだ」

 ギルが苦々しそうに呟く。

「冗談だよ。もうちょい真面目に言ったって。ギルは素直だなあ」

「うわ、馬鹿にしやがって」

 私は風にあおられる髪を押さえる。ギルとレイジの会話の応酬は途切れることがない。

「俺達は何でも屋じゃないっつの」

「いや? 陛下の何でも屋だろ。別にいいじゃん、何だかんだで楽しいくせに」

 ギルは不満そうにうなりながら目を細める。

「まあ、あの親父達の下についてるのよりはな」

 多分あの親父達とは父様と同じ世代の黒軍服の人達だろう。

「運転代わりますか?」

 私はギルに尋ねた。

「あ、アリアちゃんに気遣わせてる。最悪だな」

「お前ちょっと黙れ。これ、練習しないと運転できないから気持ちだけもらっとく」

 私は意外な気持ちで頷く。

「魔力があればできるのかと思ったんですけど、駄目なんですね」

「そういえばちゅーで魔力って移せるんじゃなかったっけ」

「お前ここから飛び降りろ。今すぐに」

「ちゅーって口移しですか? 口移しすると移せるんですか?」

「アリア、無理に相手しなくていいから」

 シディが冷静に割って入り、ギルは運転席から振り返ってレイジに重い視線を向ける。

「お前がいると混沌しか生み出されない」

「失礼だな。場を和ます能力って言ってよ。あ、そういえば魔力移しといえばあれもあったな。一夜を共にす」

 ギルの拳がレイジの頭上に振り落とされて、とても痛そうな音がした。

「ったいなギル、お前本気でやっただろ」

「仮にも仕事中だ」

「とりあえず前向いて運転してください」

 シディの切りこみに二人は返事をして定位置に戻る。

「リウ族ってどんな人達なんですか?」

 ギルに尋ねると、シディも運転席の方へ身を乗り出してくる。

「私も聞きたいです」

「あれ、シディも知らないんだっけ」

「一度しか見たことがないので」

 そうかと呟きながらギルは上を向く。

「リウ族ってのは陛下が言ってた通り遊牧民で、一年に一回、大体冬に皇都に数週間滞在して交易していく。渡り鳥みたいなもんかな。でもまあ実際俺も知ってるのってそのくらいなんだよな。積極的に交流してる訳じゃないし」

「すぐにどいてくれるといいんだけどね」

 レイジが他人事のように呟く。

「いや、陛下が楽しそうだったってことは、駄目なんだろ」

 ギルは心底うんざりしたような顔で呟いた。

 確かに最近の陛下は状況が辛い時程楽しそうに笑う。異形との戦争で大敗を喫したのが六年前、それから少しずつ力の均衡を取り戻していって、この間異形の防衛線を押し下げたことによりとうとう領土占有率が逆転した。森を越えて異形の王都へ攻め入るまではまだ物理的に遠いが、陛下の中では計画通りに進んでいるのかもしれない。

「陽が暮れる前には着けるようにするぞ」

 ギルが言って、私達は返事をした。


 途中、休憩のために動力炉に立ち寄り、その景色が見えてくる頃には太陽が沈んでいた。

 まだ薄青さを残した空を背景に見えてきたのは、白い円錐形のテントのようなものだった。一つや二つではなく見える限り横に広く点在していて、間に立てられたたいまつが何本も炎を揺らしている。

「やっと降りられるよ。やっぱり長く乗るには向いてないよね。腿痛い」

 レイジが体をひねって伸びをする。

「軍用車に乗り心地を求めるな。帰りは運転お前だぞ」

「さっき練習しないとできないって言ってたじゃん」

「お前は訓練でやっただろうが。しらばっくれんな」

 段々と白いテントが近付いてきて、たいまつの炎と共にまばらに立っている人々の姿が見えてくる。ギルはテントの大分前で車を止めて、私達に降りるように言った。生活用品を入れた鞄を持ってでこぼこの地面に足を下ろすと、長く座っていたせいか立ちくらみがした。

 白いテントの方からやってきたのは青年で、手に持ったたいまつの炎に照らされて、焼けた肌と黒い髪がよく見えた。子供ではないけれど、私より見た目は年下に見える。嫌な匂いではないが、空気に乗って動物の脂の匂いがした。

「皇都から親書をお届けに参りました、使いの者です。族長にお取次ぎいただけますか」

 レイジが滑らかに言葉をつむぐと、青年の表情から警戒の色が少しだけ薄れた。

「不躾な質問になってしまいますがお許し下さい。その、どのようなご用件で?」

 レイジは考えるように上を向く。ギルも車から降りてきて、ようやく私の横に並ぶ。

「一応内容は親書に書いてあるので、とりあえず族長にお取次ぎいただけると嬉しいのですが。急で先触れを送る余裕もなかったので、申し訳ありません」

 レイジが笑顔で言うと、青年は恥じ入ったように下を向いて頷いた。

「申し訳ありません、皆気が立っているもので余計な詮索をしてしまいました」

「いや私達も見るからに怪しい団体なので無理もありません。軍服を着てくればよかったですね。まあ、とりあえず親書の封印とこれを確認していただければ分かると思うのですが」

 レイジは自分の黒いネクタイに刺さっている銀のタックピンを指した。確かにタックピンとカフスボタンには鳥の羽を模した国の紋章が刻まれている。レイジはギルに視線を移すと、ギルは手に持っていた親書を裏返して蝋で押された封印を青年に見せた。青年はたいまつを近付けてタックピンと封印を交互に見ると、一度うなだれて顔を上げた。

「疑ってしまって申し訳ありません。あ、いや、疑っていた訳ではないんですけど。とにかく、族長のところへご案内します。数々のご無礼、お許し下さい」

 青年は深く頭を下げた。歩き出す青年の後ろに私達はついていく。

「のっけから皮肉言ってどうすんだ」

 前を歩くギルが隣のレイジに咎めるような声で囁く。

「皮肉だなんて気付いてないよ、あの子。頭に超がつく程素直そうだもん」

 だから嫌いではないよ、とレイジは付け足す。私もどのあたりが皮肉だったのか分からなかったが、ギルは付き合いが長いから気付いたのかもしれない。

 白いテントの間を縫うように進んでいくと、青年は一つのテントの前で立ち止まった。

「こちらです」

 青年は私達に向き直って微笑む。

「あ、申し遅れました。シエンと申します。皆さんのお名前も伺っていいですか?」

 私達が順番に名乗ると、シエンは口の中で小さく復唱しながら満足そうに笑った。

「ギルさんに、レイジさんに、シディさんに、アリアさんですね。分かりました。少々お待ち下さい。族長、皇都から使者の方がお越しになりました」

 テントに声がかけられてからややあって、テントが内側から乱暴にめくれあがった。

 炎に照らされて出てきたのは、黒く長い髪を後頭部の高い位置で結った、少年のような格好をした少女だった。歓迎されていないのは明らかで、炎が移った濃い色の瞳は、私達をまっすぐ睨んでいた。

「どういったご用でお越しになったのですか」

 言葉遣いこそ丁寧だが、口調には押し殺したような感情がにじみ出ている。

「皇都オウヴァから、皇帝ラルゴ・エイム・オウヴァの命を受けて、リウ族のリタ族長に親書をお届けするために参りました」

 ギルが丁寧な口調で言うと、少女の表情に一瞬の驚きと激しい感情の波が広がった。怒りよりも激しい、叫び出さない方がおかしいような表情だった。

「これはまあ、大層なお客人ですな」

 声のした方を振り向くと、テントをめくり上げて、中年の男性が笑みを浮かべながらこちらを見ていた。少女の鋭い視線が男性へ向かう。男性は気にも留めていないようで、テントから出てきて少女の隣に立った。

「申し遅れました。私、ローと申しまして、こちらのリタ様のサポート役を務めております」

 少女の目が細められる。

「申し遅れました。族長のリタです」

 やはりこの少女が族長なのだ。リタは何か考えているのか、私達を睨んだまま口を開かない。

「リタ」

 シエンが心配そうな声で呟く。

「こちらへ、どうぞ」

 抑揚をなくした声で言って、リタはテントの中へ入っていく。

「リタ、俺も同席しても」

「戻れ」

 シエンが言い終わるより前に、テントの中から低い声が返ってくる。激情を押さえつけた表情をそのまま表しているようだった。シエンは怒られた犬のように頭をたれると、私の方を見て恥ずかしそうに笑った。

「それでは、私はこれで」

 シエンが歩き出す後ろ姿を見てから、私達はローに促されてテントの中に入った。


 テントの中は外と同じくらいの明るさで、背の低いチェストがいくつかと、ランタンが数個置かれている。リタが地面に敷かれた毛織物に腰を下ろしたのにならって腰を下ろすと、ローは当然のようにリタの隣に座った。

 ギルが親書をリタに渡すと、リタは封を綺麗に切って読み始めた。字面を追う表情に先程までの感情の揺れはなく、冷静だった。

「ご用件は理解しました」

 リタは親書を封筒に戻して口を開く。

「ですがここから移動することはできません」

「なぜですか。対価が足りないのなら交渉には応じますが」

 レイジが刺すような速さで問う。

「ここから森を越えて異形の領土へ攻め入るつもりだからです」

「いつ発たれるご予定ですか」

 レイジの言葉にリタは喉をつかまれたように黙って、虚空を睨んだ。

「我々はリウ族が異形に戦いを挑むのを止めている訳ではありません。乱暴な言い方になりますが、森の前から移動していただければどんな形であれ構わないのです」

「失礼致します、リタ様」

 ローが笑みを浮かべながらリタの手の中から親書を取り上げる。リタは驚いたように親書を見送り、眉を吊り上げて何か叫びかけるが、既に字面に目を落としているローを見て唇を噛みしめた。

「即時移動に応じる場合、皇都への一年間保護、三年間の食料保障、充分すぎる条件ではないですか」

「我々はこのまま森を越えると何度も言っているだろう」

 言い終わらない内にリタは噛み付くように叫ぶ。ローは慣れているのか意にも介さず続ける。

「ですが現実問題として内部の意見がまとまっていないまま出発するのは危険です。お恥ずかしい話ですが」

 ローの最後の言葉は私達に向けられた。

「申し訳ありませんが、三日後までにお返事をいただけますか。それをすぎるとこちらは武力行使も辞さない考えです。私達としても望んでいないことですので」

 ギルは気が進まなさそうに言った。

「分かりました。善処しましょう」

 ローは頷いたが、リタはうつむいて宙を睨んだままだった。

「遠路はるばるお疲れでしょう。ささやかながら宴の準備をさせますので、少々お待ち下さい。今案内の者を呼びますので」

 ローは立ち上がってテントの出口へ歩いていった。

「おお、シエン、丁度いいところに。お客様を宿までご案内して差し上げなさい」

 リタの目線が出口に少しだけ向けられる。シエンとは先程案内してくれた青年だろう。上ずった声が聞こえて、もしかしてずっとテントの側にいたのだろうかと思ってしまった。

「それでは、よいお返事を期待しています」

 レイジが立ち上がってリタに微笑みかけると、リタはレイジを睨みながらも押し殺した声で「はい」と言った。

 皆立ち上がるのに合わせてテントの外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていて、たいまつを持ったシエンが飼い主を見つけた犬のように人懐こい笑みを浮かべていた。

「こちらになります」

 リタは最後までこらえるようにこちらを睨みつけたままだった。

 テントの外で見送るリタとローに挨拶をして、私達はシエンについて歩き出した。

「相当面倒くさいところに来ちゃったなあ」

 前を歩くレイジが声をひそめて呟く。

「族長が女の子だったからお前なら逆に喜ぶと思ったんだけど」

 レイジの隣でギルが囁くと、レイジは眉をひそめて苦い顔をする。

「ああいうタイプは苦手、っていうかこれ以上は暴言になるから言わないけど」

 ふと一番前を歩いていたシエンが振り返って、申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。

「すみません、リタが、あ、族長がご迷惑をおかけしたみたいで。やっぱり、苦手、ですよね」

 ギルとレイジは驚いたような顔をして、居心地が悪そうに顔を見合わせる。レイジは早々に観念したようで息を吐き出した。

「まあいいや、隠すことでもないし。君、相当耳がいいんだね。全部聞こえてた?」

 レイジが言うと、シエンは困ったように笑った。

「はい。皮肉だったのは気付きませんでしたけど。すみません、俺鈍くて」

 ここに来た時の会話もしっかり聞き取られていたようだ。

「いや、こっちこそ申し訳ない。君のことは嫌いじゃないから、こんな汚い大人になっちゃ駄目だよってことで受け取っておいて」

「まあその人が見えるところで暴言吐いたら駄目ですよね」

 シディが言うと、ギルは痛いところをつかれたような顔をしてシエンに謝った。強い言葉を使っていたのはレイジだが、会話に加わっていたということで気にしているのかもしれない。

「いえ、それよりリタの方が。失礼なことを言ってませんでしたか」

 シエンは気にしていないようで、眉を下げたまま尋ねる。

「別に失礼ではなかったけど」

 レイジは考えるように上を向く。

「現状は君に聞くのが一番早いのかな。ちょっと夕食が始まるまで質問に付き合って欲しいんだけど」

 シエンは一瞬悩むようなそぶりを見せたが、頷いた。

「本当は手伝いをしに行かなきゃいけないんですけど、お客さんの相手をしてたってことにするので大丈夫です」

「怒られないんですか?」

 私が尋ねると、シエンは笑って首を振る。

「お客さんの相手をするのは本当じゃないですか。あ、あそこです。ちょっと待っててください。ランプをつけてきますんで」

 いくつも立ち並んでいるテントはどれも同じに見えるのだが、シエンには分かるのだろう。こちらを振り返って、たいまつを持ったまま小走りにテントの中へ入っていった。

 明かりがテントの側で燃えるたいまつだけになって、炎に慣れた目には急に暗く感じられた。

「いい子だね。清々しいくらい」

 レイジが微笑みながら呟く。

「皮肉か?」

「んーん。本心」

 シエンがテントの中から出てきて、子犬のような笑顔を見せた。

「どうぞ。ちょっと狭いですけど」

 中はリタのテントとほとんど変わらず、ランタンとチェストと毛織物の絨毯がしかれているだけだった。多分床で生活する様式なのだろう。

「本当は女性のテントは隣なんですけど、今は話し合いだからいいですよね」

「あ、何だ。同じ部屋じゃないんだ。残念」

「お前この期におよんでまだ言うか」

 ギルが言うとレイジは楽しそうに笑った。

「でもこんな鍵のかかってないところだったら夜這いし放題だね」

 言い終わらない内にギルがレイジの頭を音がするくらいはたくと、レイジは叩かれた箇所をなでつけた。

「うう、今日はギルが容赦ない」

「自業自得だ」

 シディはいつも通りの冷ややかな目で、シエンは困った顔で微笑んでいて、全員が円くなるように腰を下ろした。

「では、何なりと聞いてください」

「じゃあ遠慮なく。異形に襲われた時のこと、詳しく教えてもらえるかな」

 レイジの表情が一変して真剣になり、シエンは唇を引きしめてうつむいた。

「異形に襲われたのは一週間くらい前で、ここよりもっと西のところでした。でもやっぱり森には近くて、もしかしたら異形の領土内に入ってしまっていたのかもしれません。最初は爆発が聞こえて、あたり一面が燃やされていて、それで、剣を持った異形が、いて」

 シエンは言葉を切って眉を寄せた。

「すみません、必死であんまり覚えてないんですけど、まだ異形の数が少なかったのが救いでした。多分、五人くらいで。でも、たった五人に、俺達は半数以上が殺されました。それから異形を二人殺して、三人は逃げられてしまったんですけど、全部終わった頃に皇都の兵士の方々がやってきました」

 シエンは思い出したように顔の前で手を振る。

「あの、でもあなた方を恨んでるとか、そういうことではなくて。皆さん埋葬を手伝ってくれましたし。分かってる人は分かってます。でも、一部の人は」

「あの族長の子とか?」

 レイジが言うとシエンは迷うように目を泳がせる。

「リタの家族は殺されました。父親が族長で、それで親族もみんないなくなってしまったので、リタが族長を務めることになったんです」

「あの人は? サポート役の」

 ギルが言う。

「ローさんはリタの親族ではなくて、有力者で族長の座を狙ってるって囁かれてた人でした。あ、族長は世襲制なんですけど」

 レイジは目を細めて口を開く。

「あの子放っておいて平気なの? 真面目な話、脅されて襲われるかもよ? あのおじさんに。世襲制なら既成事実を作って結婚すればいい訳だし」

 まあ襲うか襲わないかはあのおじさんの好みだけど、と付け加えて言うと、シエンの顔色がみるみる内に変わる。

「それは、考えなかった訳じゃありませんでした。でもリタは戦闘訓練を受けてるし、俺と俺の仲間が注意してあの人を監視しようってことになってます」

「まあ深くはつっこまないけど。それで、今リウ族は報復と撤退、どっちに動こうとしてるの?」

「リタは、報復です。ローさんは撤退。リウ族の中でも意見が割れていて、でも撤退の方が多いです」

「まあ賢明だろうね」

 レイジは言って息を吐き出した。

「事情は大体分かったよ、ありがとう。君の仲間があのおじさん側に寝返らないように気を付けなよ」

 シエンはあまりよくない顔色で返事をする。

「ちなみに君は報復と撤退どっちがいいと思ってるの」

「撤退です」

 シエンはまったく迷わなかった。

「異形五人にあの様じゃ、勝ち目なんかない。でもリタも馬鹿じゃないんです、ちゃんと分かってます。でも報復しないと怒りを向ける場所がない。亡くなった人達に申し訳が立たないと思ってるんです」

 レイジはあまり興味がなさそうに相槌を打つ。

「面倒くさい相手を好きだねえ、君も」

 途端に、血の気がなかったシエンの顔が赤くなった。

「ええと、いや、まあ、そうですね。はい」

「素直なのはいいことだよ、少年」

「あの、でもリタには言わないで下さいね。リタにとってはただの友達だと思うので」

「まあ話す機会もないと思うけどね」

「シエン」

 怒鳴るのを抑えたような声が明後日の方から聞こえて、私は体を跳び上がらせていた。シエンが驚いた顔をしてテントの入口まで転がるように移動すると、テントの入口をめくった先にはたいまつを持ったリタが立っていた。

 いつからいたのだろうか。聞かれてはまずい話ではなかったはずだが、今更取り返すこともできない。リタは先程と変わらない、憤りを抑えこんだような目でシエンを見ていた。

「宴の準備ができたからお客様をお連れして」

 シエンの返事を待たず、リタは走って引き返していく。シエンは遠ざかっていくたいまつの炎を見たまま何か言いたそうに口を動かしていたが、やがて肩までうなだれた。

「聞こえて、たんでしょうか。いや、聞こえて、ましたよね。これって、振られたってことでしょうか」

「あ、そっちの心配なんだ。まあ他は聞かれて困る話じゃないか」

 レイジがつっこむと、ギルは曖昧な声でうなった。フォローしようとしているのかもしれない。

「恥ずかしかった、とか」

「そりゃこんな大勢の前で言われたら嫌でしょうよ」

「嫌です、よね。やっぱり」

 シエンは泣きそうな顔でますます肩を落とす。

「いや何で落ちこんでんの。さっきのは告白じゃないでしょ。ちゃんとはっきり言うんだよ、今日じゃなくてもいいから。君のいいところはその直球さなんだからね」

 レイジは立ち上がってシエンの肩を叩いた。

「まあ何はともあれご飯ご飯。お腹いっぱいになれば無条件で幸せになれるし」

「幸せになれるのは同意する」

 ギルとシディが立ち上がって、私も立ち上がった。

「難しいん、だね?」

 シディと目が合って、私は眉を寄せていた。

「まあ、難しいね。恋愛が絡んでれば尚更ね」

 私はシディの言葉を上手く飲みこめなかった。恋愛は頭では知っているけれど、経験したことはない。小さい頃父様を好きだと言ったら、それは違うと言われたのを覚えている。

 私は一番最後に外に出た。黒い空にはもう隙間もない程、星が散っていた。


 中央の大きなたき火を円く囲って、百名程が地面に敷いた毛織物の上に座っていた。多分、全てのリウ族が集まったのだろう。私達の席はリタとローの隣で、ロー、リタ、レイジ、ギル、シディ、私の順だった。

 焼き物の杯に入った飲み物が配られた後、リタの形式的な挨拶があって、戦勝パーティの時と同じように乾杯が行われた。私は少し身を乗り出してリタとロー、みんなと杯をぶつけて透明な液体を見た。ここで潰れられても困るのであまり飲まないようにと言われているが、右手の包帯も取れているので少しだけ飲んでみたいと言ったのだ。

 みんなが杯を傾けているのを横目で見て、一気に飲みこまないように口の中に入れた。冷たいのに舌をえぐられるようで、飲みこむと喉も同じように熱くなった。自然と顔をしかめて固まっていたら、シディの呆れた声が飛んできた。

「無理ならやめといた方がいいと思うけど」

「おや、お酒は苦手でしたか」

 ローが身を乗り出してきて、私は慌てて顔の前で手を振った。

「飲んだの初めてなんです。だから飲んでみたいって自分から言ったんです。ごめんなさい」

「飲めなかった?」

 ギルが私の方を見て、私は言葉につまる。

「えっと、思ってたよりその、辛かったというか、熱かったというか」

 みんな美味しそうにお酒を飲むので、お酒はもっと甘いものだと思っていたのだ。レイジが笑いながら杯を振ってこちらを見た。

「初めて飲むにはちょっと強すぎるかもね。帰ったら甘いお酒から飲んでみるといいよ」

「お酒じゃないものを用意させましょう」

 ローが近くで給仕をしていた女性を呼んで一言伝えた。

「ごめんなさい、用意していただいたのに」

「構いませんよ。リタ様もお酒ではありませんしね。私達の中ではお酒は十六歳からなので」

 ローは嫌味ではなく言って、リタに視線をやる。

「失礼ですが、おいくつですか?」

 レイジが尋ねると、リタは落ち着いた表情で少しだけレイジに顔を向けた。

「十四です。もうすぐ十五になります」

 レイジは形式的な相槌を打つ。

「そのお若さで責任のある立場とは、さぞかし大変でしょうね」

 ギルが若干渋い顔でレイジを見たのを見て、胸がざわついた。やっぱりレイジはリタと仲良くする気がないのだろうか。リタは特に感情を見せることもなく、そうですねと端的に相槌を打った。

 あまり心によくないやり取りを聞いている間に、飲み物と料理が運ばれてきた。飲み物は先程ローがお酒の代わりとして頼んだもののようで、見た目は白くて牛乳のようだったが、飲んでみると甘酸っぱかった。

 人数分それぞれの前に置かれた大皿には一枚肉と見たことのない白い塊が乗っていて、これも食べると美味しかった。飲み物はヨーグルトジュースで、白い塊はチーズと言うらしい。

 食事を終えてまわりが各々小さい塊になって騒がしくなり始めた頃、シエンがこちらにやってきた。話の場が決していい雰囲気とは言えなかったので、心の中で少しだけ安堵する。

「いいですか」

 リタは答えなかったが、ローが承諾したのでシエンは私達と向かい合うように座った。

「お酒ですか?」

 私がシエンの持っている杯を見ると、シエンは嬉しそうに笑った。

「お酒です」

「ということは君は十六歳以上ってことか」

「この間なったばっかりです」

「若いなあ」

 レイジがしみじみした様子で呟く。

「お前もそんなに歳取ってないだろ」

「甘いなギル。二十歳を超えてるか超えてないかは大きな差だ。二十歳すぎると自分の歳が覚えられなくなるんだぞ」

「お前まだ二十三だろ」

「だからギルも来年から同じ状態になるんだよ」

「それなら私はもう隠居ですな」

 ローが言って、レイジは笑った。

「失礼しました。ローさんには頑張っていただかないと」

「十六になったから、結婚もできるんですよ」

 自然と話の輪が二つに分かれていて、シエンは私とシディにしか聞こえないくらいの声で言った。

「男の人は十六なの?」

 シディが尋ねるとシエンは頷く。

「女の人は十四です」

「そこは皇都と一緒なんだ」

 シディは納得したように声をもらす。結婚なんて遠すぎてまったく想像ができないし、第一私はまだ恋愛もしたことがないのだった。

 横目で隣を伺うと、男性達に挟まれてリタはずっと宙を見ていた。せめてこっちの方が話しやすいのではと思ったが、上手く呼ぶ手立てが思いつかない。

「あの。シエンさん」

「何ですかアリアさん」

 名前を覚えられていたことに驚いたが、今はそこに構っている時ではない。

「リタさんが話し辛そうなので、向こうに行ってあげてくれませんか」

 リタに聞こえないよう小さな声で言うと、途端にシエンは言葉につまったように目を泳がせる。

「いや、あの、やっぱりさっきの今で行き辛いというか」

「そんなこと言ってたらずっと喋れなくなっちゃうじゃないですか」

「アリアに諭されるなんて末期ね。あたしも行ってあげた方がいいと思うけど」

 シエンはシディを見て、私を見て、苦しそうな表情でうなってから顔を上げた。

「分かりました」

 リタの方に目をやるとこちらを見ていたようで、目が合うと慌てたようにそらされてしまった。

 シエンが杯を持って立ち上がると足音が駆けてくるのが聞こえて、振り向くと少年が私達の側に立ち止まっていた。

「帰れ」

 声変わりもしていない少年の声はそれでも低く、黒い目は炎を反射して、細かった。初めて会った時のリタと同じ、怒りよりも強い感情が少年の顔にはっきりと表れている。

「間に合わなかったくせに今更来るな」

 叩きつけるような声に、誰が口を開くよりも早くリタが立ち上がった。少年の側へ歩んで、目の前でしゃがみこむ。少年は一瞬ひるんだように身構えたが、すぐにリタにも同じ顔を向けた。

「八つ当たりしても亡くなった人は帰ってこない」

 リタの声は優しくもなく、抑揚がなかった。少年は驚いたように目を見開き、眉をつり上げる。

「リタはそいつらの味方するのか」

「別に味方してる訳じゃない。皇都の人間は約束を破った訳じゃないだろう」

「でも間に合わなかったら何のための約束だよ」

「それは最初からそういうこともあると決めた上での約束だ」

 少年は言葉を飲みこんだように唇を噛んで、服の裾を握りしめて一つ大きな地団駄を踏んだ。

「何でだよ、何でリタはそんなに平気な顔してられるんだよ。族長が殺されたんだぞ」

 少年の言葉は、リタが放った少年の名前だろう単語に押さえつけられた。リタの表情を見て少年の顔に若干の怯えが浮かぶ。

「さっきも言ったけど、文句を言っても亡くなった人は帰ってこない。言いたい気持ちは分かるけど、こうやって歓迎してる場で言わないで」

 少年は完全に黙りこんだ。泣きそうな目でリタから目を離すこともできずにいると、シエンが少年の肩に手を置いて、一言謝って場を離れていった。

 リタが立ち上がると、ローが硬直から解けたように口を開く。

「申し訳ありません、大変なご無礼を。あの子は母親を亡くしていまして」

「いいえ、本当のことですから」

 レイジが微笑して言う。

「そろそろ失礼させていただきますね。酔いが覚めない内に」

 ギルはレイジの言葉に重ねるように言って、立ち上がった。

「ああ、それでは案内の者を」

「私が行くから結構です」

 リタは私達の方を見ずに体の向きを変えて、宴の炎から遠ざかっていった。

 皆それぞれにローに挨拶をして、白いテントの群れに向かって進むリタの後ろ姿を追いかけた。

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