第5話

大広間の方では宴会が始まっているらしく、楽し気な声が聞こえてくる。

一方、凪斗は奥の続き間でまだごねていた。

「親父たち、正気かよ?マジで急に結婚なんて出来るわけないだろう?」

「お前がいつまでも先延ばしにするからだろが。こっちだっていつまでも悠長に待っていられないんだ」

「うぐっ……」

痛いところを突かれて凪斗が口ごもる。

「それにこの話はそんなに悪い事じゃない。お前のにわか仕込みの風水師ではなく「本物」の風水師になれるんだ。つまり戸隠のおっちゃんと同じになれるんだよ」

ぼそっと父が凪斗に耳打ちする。

「は?それ電話でも言ってたよな。どういう事なんだよ」

「いいからいいから。俺に任せておけって。それよりお前、実印持って来たよな?」

「い…いや」

どうやら本格的な窮地に追い込まれたようだ。

ここで実印なんて出したものならどんな恐ろしい事になるやら。凪斗は首を高速で横に振った。

「あ、お父さん。ありましたわよ」

「……って、母さん。何勝手に荷物漁ってるんですかっ」

いつの間にか母はおっとりした笑顔で印鑑の入った封筒を手にしていた。

「よし。いいぞ」

そう言って父は部屋の隅にある棚の引き出しを開け、大きな封筒を取り出した。

「さぁ、黙ってここに印鑑を押せ」

「押せと言われて押す間抜けがどこにいるんだよ。これ婚姻届けじゃねぇの?」

目の前に出された書類は白紙で、一部分だけ四角くくり抜かれている。

そのくり抜かれた部分に印鑑を押せという事なのだろうが、父の魂胆は分かり切ったものだ。

「お前の幸せの為だ」

「本気で息子の幸せを考えてるなら。こんな馬鹿馬鹿しい真似するなよ」

父は無骨な手で凪斗の手を掴かみ、力ずくで印鑑を押そうとする。

必死で抗おうとするが、父の怪力には敵いそうもない。

「凪ちゃん。大丈夫よ。結婚なんて「慣れ」よ。それに凪ちゃんのお嫁さん、とても可愛いのよ」

「そうそう。凪斗幸せよね~。あたしが貰いたいくらい」

急に今まで口を挟まず父子の攻防を傍観していた二人が援護射撃を撃ってきた。

「そうだぞ。凪斗。お前の方が相応しいか不安なくらいだ」

「あら。凪ちゃんなら大丈夫よ。きっと気に入られるわ。それに「眼鏡」だし」

「そうよ。お父さん。凪斗を気に入らない女の子なんていないわ。何といっても「眼鏡」だしね」


(………その眼鏡最強説どこから来てるんだよ)


「そうだぞ。凪斗」

「とにかくいや………」

渾身の力で父の手を退けようとしたところで突然隣の襖が開いた。

それと同時にふわりと甘い香りが漂う。

「え………?」

中から霧矢と一緒に真っ白な千早を着た少女が姿を現した。

雪石膏のように白い肌、長い睫毛に縁どられた瞳はやや色素が薄く飴色をしている。長い髪は後ろでまとめられていて、後れ毛までもが煌めいている。

その息を呑む美しさに気を取られた凪斗はいつの間にか自らの力で印鑑を押していた事にすら気付かない。

やがて霧矢が凪斗の目の前までやって来た。

「やぁ、遅くなったけど娘を連れて来ましたよ。さぁ柚希羽。ご挨拶して」

柚希羽と呼ばれた少女はゆっくりとした動作で凪斗たちの前までやって来た。

間近で見るとかなり若い。もしかするとまだ十代なのかもしれない。

霧矢の推定年齢からすると一体いくつの時の子供なのかと思うくらいだ。

凪斗たち親子が緊張で固まっている中、彼女は深々と頭を下げた。

「初めまして。旦那さま。戸隠の五女、柚希羽と申します」

「は…はぁ、これはどうも……」

折り目正しい挨拶に対し、随分と頼りない声が出てしまった。

すぐに父の手に押さえつけられる。

「あたたたたっ」

「済みませんねぇ。こんなだらしのない男で、これがうちの跡取り息子の凪斗です」

「おいおいおいっ……」

柚希羽は黙ってじっと凪斗を見つめていた。

吸い込まれそうな瞳は自分に何か訴えかけているようで戸惑う。

「あの…何か?」

だから思わずそう聞いていた。

すると彼女は我に返ったかのように瞬きをすると、少し表情を曇らせた。

「何も……言っては下さらないのですね」

「はぁ?」

それはどういう事なのだろう。

この少女とは初対面のはずだ。それに彼女の方も「初めまして」と言っていたはずだ。

「いえ。忘れて下さい」

彼女は短くそう言うと、霧矢の後ろに引っ込んでしまった。

「あははは。うちの末娘は恥ずかしがりやでね。でもいいだね。柚希羽?」

「はい」

最後に確認するように霧矢が娘の顔を見ると、柚希羽は小さく頷いた。

「では、これで決まりですね。早く契約の儀式を始めましょう」

「ああ。そうですな」

そう言って父は机の上に出しっぱなしになっていた書類を小脇に抱えると、部屋を出て行った。

「お…おいっ、ちょっ、その書類っ」

慌てて父を追おうとする凪斗の襟を母が掴む。

「駄目よ。凪ちゃん。これから大切な儀式が始まるんだから」

「だから儀式ってなんなんだよ。披露宴の事か?」

姉は首を振った。

「違うわよ。正式な夫婦になるための儀式よ」

「はぁぁぁ?」

「凄く「痛い」って言ってたけど、みんなが付いているから大丈夫よ」

「ちょ、それって……」

姉は何でもない事のように軽く言っているが、何やらとんでもない事が起こりそうなのは確かだ。

そうこうしている内に家に見知らぬ黒いスーツ姿の男たち三人がやってきて、てきぱきと何かの準備を始めている。

その中になぜか布団一式が置かれていた。

「なぁ、なんで布団があるんだよ」

それとなく何か知っているらしい姉に探りを入れてみる。

「さぁ。でも手順とかは全部柚希羽ちゃんが教え込まれているっていうから、あんたは何もせず身を任せているだけでいいんだって言ってたわよ」

「手順?」


(おいおい。まさかその儀式って「初夜」的なものを指す隠語かなんかなのか?まずいだろう。あの子、どう見ても学生だろう…。それに姉さんさっき「みんなが付いてる」て言ってたよな。みんな見てる前でやる気なのか?)


「どうしたの?凪ちゃん。初めてだから緊張する?」

「いや…初めてって。いやいやそれより何かおかしいだろう。どうかしてるよみんな……」

だがいつの間にかすべての準備が整ったらしく、やがて大広間の客人たちまでもがこちらに移動してきた。

「じゃあそろそろ始めようか」

「えっ……えぇ~っ」

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