贈り物
@sakurasky
第1話 君の瞳
これからだった。今まで描いてきた作品がようやく賞をとり始め、これからが楽しみだと言われてきた。
「余命一年」
医者からあっけなく、口に出された言葉に耳を疑った。
「うそでしょ、冗談だって言ってよ」
「残念ですが、事実です。末期の癌です。まずは、落ち着いて」
落ち着いていられるわけがなかった。
耳から入ってくる言葉は、ただの文字の羅列にしか聞こえなかった。
治療はしないと選択した。よくなる見込みもなかった。待っている人も、持っている金もなかった。親は、大学生のころ亡くし、頼る親戚もいなかった。それでもよかった。絵を描くことしか、頭になかった。
それで、やっていけると思っていた。馬鹿だった。若気の至りだと言えるくらいの笑い話になればいいのに。
黒く埋まったスケッチブック。
やけくそになって呑んだ酒も尽きた時、近所で評判のお化け屋敷に行った。
興味本位だ。いつ死ぬかも、分からぬ身など、どうにでもなれと思っていた。
お化け屋敷といっても、ただの空き家で、空き家にしては、立派すぎる建物だった。
覆いかぶさるように、茂っている木々が、人々をその場所から遠ざけた。
静かすぎる林の中を一人、青年は歩いていた。
コツン、コツン。
屋敷の中は、足音が響くくらい静かだった。
もう、帰ろう。そう思った時だった。
「誰かいるの?」
凛と響く、女性の声。
人は、異常事態になると思考が停止するらしい。
思考が停止した彼を独特な空間が包んだ。
お化け屋敷と呼ばれている館。
不思議な時間を流れているような館。
目の前に現れた少女。
「幽霊なの?」
馬鹿な質問だとは思ったが、聞きたくなるような展開で、独特な空間だった。
「生きているわ」
当たり前のように、でも少しおびえを含んだ声が返ってきた。
窓から差し込む月の光が、二人の姿を優しく照らす。
目の前の少女の表情がひどくおびえていた。
向こうも人が来ることは、予想していなかったのだろう。
冷静さを取り戻した彼は、彼女に問いかけた。
「君は、なんでここにいるの?」
「それは、私も聞きたいわ。あなた、だれなの?」
少しの沈黙が二人を包んだ後、彼は気付いた。
彼女の瞳は、何も映していないことを。
「私は、この家に住んでいるの。生まれつき、目が見えないの」
彼女と話してわかったのは、幽霊ではないこと。
目が見えないため、昼間来る親戚と二人で暮らしていること。
親戚は、夜になると帰ること。
家は亡くなった両親の形見だということ。
「あなたは?」
「画家なんだけど、末期癌で余命一年。やけになって、酒飲んで、どうでもいいやって気分でこの屋敷を訪れて、君に出会った」
「辛かったわね」
「信じるの?嘘かもしれないよ」
「温かさを感じる。あなたの言葉には、温度があるわ。きっと、優しいけれど、繊細な人なのね」
絶望で塗りつぶした心に、その言葉はあたたかく沁み込んだ。
「ありがとう」
その日から青年は、彼女の館を訪れるようになった。
「春は桜が好きだ。柔らかい花びらが風に舞う。夏は花火かな。一瞬で儚く、消えてしまうけど、大勢の人を楽しませるもの。ドーンと大きい音がして」
楽しそうに頷く彼女。
「好きなものは、透明なものかな。水とか」
「ひんやりしていて、気持ちがいいよね」
「透明水彩は、紙の白さを使って描くんだ。水をたっぷり含んで、色を乗せる。」
「見てみたい。あなたが、描いた作品を」
閉じ込められたような窮屈な狭い館。
「君は、どうしてここにいるの?」
「聞いちゃったの、私の存在、おもいんだって」
幼い子供が抱えるには、大きすぎる闇だった。
孤独と孤独が出会った必然。
君にあるこれからを見届けることはできないけど、今、自分ができること。
描きたい。
君の笑った顔を、泣いた顔を、怒った顔、拗ねてる顔も、強がっている顔も、照れている顔も、寂しそうな横顔も、嬉しそうな顔も、澄んだ瞳も。優しくて、温かい、僕を何度も救ったその微笑みを。
描きたい。
もし、君の瞳が様々な世界を映した時、君がいつか、自分で世界を見つめることができた時、残しておけるように。君のコロコロ変わる表情は、その時だけのものだと思うから。
その時、たとえ僕が、この世界から消えていたとしても。
「僕が、君の瞳になる」
いつの日か、来なくなった彼に、寂しさを募らせた私の元に、いつもの親戚が慌ててやってきた。
「病院に、入院しようか?手術が決まったの。なんでも、資金提供してくれる人が来たみたいで」
焦った声、慌てているのが伝わって来る。予想していなかった展開についていけない様子が声から滲む。
私自身も、予想していなかった。資金提供をしてくれる人がいるだなんて。
「目が見えるようになるかもしれないわ。リハビリもしなければいけないけど。まだ、若いうちの方がやり直せるわ」
厄介者を面倒見たくない。そんな思いもあるかもしれない。
でも、せっかく与えられた機会だ。
見てみたい。
この世界がどうなっているのか。
外に出て、自分の目で見てみたい。
自由に生きたい。
そして、彼に会いに行きたい。
「透明感あふれる画風で、綺麗だよね」
「儚いっていうか、作者の繊細さというか、暖かさが伝わってくるよね」
「若くして、亡くなったなんてもったいない」
「個展、生きているうちに見たかったな」
「でも、亡くなる前に、大きい賞を取ってたよね、確か」
「そこから、海外で売れだして」
ざわめく空気。
たくさんの人が見に来ている。
あったかい絵の数々。光の差し方が心地いい。木々の木漏れ日のように、優しく照らす。
月からこぼれた光のように、神秘的だ。
「ねぇ、お母さん、この絵、だれの絵?」
「私に世界を教えてくれた人だよ」
贈り物 @sakurasky
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