6月21日
昼間寝華が目を覚ましたのは、『事務所』と呼ばれる、烏取電波の別荘の一つだった。とあるマンションの一室だったその部屋から言われるまま、促されるまま帰らされた昼間寝は、扉の向こう側に待機していた『雑貨屋』のメンバーだろう、一組の男女に連れ添われ(いや、連行されと言った方が適当だろうか)家まで送られたのだった。
帰宅後、昼間寝は高熱を出して倒れ、一日の間眠りこけていた。幸い彼の母親は京都へと出張へ出かけている。無駄な心配をかけずに済む、と昼間寝は安堵した。
そして。
およそ三日間の空白を経て昼間寝が学校へと向かうと、思いがけない事実を知らされることとなった。
「あひるちゃん、学校を休んでるんだ」
「うん。今日で二日目だね」
「あっそうなの。初耳だ......」
「君だって休んでただろう? 昼間寝?」
隣に立つ
「僕としては、君がここ最近連続して欠席していることが一番心配なんだが......まあ仕方もないことか。あんな事件が現在進行形で起こっているんだから」
昼間寝は今鶯谷が放った何気ない一言に、何気ないまでの違和感を感じ取った。
「あんな事件、って何だ?」
気がつけば、昼間寝は鶯谷に問いを投げかけていた。条件反射のように。
「は? 何......って、昼間寝、君、さては自分以外には興味を示さない
「いや、そんなことはないけど」
「そうかい。......『
まるで鳩が豆鉄砲を食ったような、隙を突かれたような表情の昼間寝。彼は半ば事件の当事者なのだ。遠巻きに眺め、やじを飛ばす傍観者ではなく、だ。
『最近、あまりに身近な出来事だったから気がつかなかった......。慣れたくないものだけれど』
「一昨日の事件で既に犠牲者は二桁になったよ」
「二桁?」
「ああ。......これだけ犠牲者を出しておきながら未だに犯人の尻尾をつかめていない警察をマスコミは面白半分に報道し、市民からは抗議の嵐。地域によってはデモもどきの活動も行われているみたい」
鶯谷は
昼間寝は教室中を見回す。言われてみれば確かに空席が目立つ。皆、少なからず事件に怯えているのだろうか。もしかすると、隣にいる人間が、仮面を被った殺人鬼かもしれない。そんな可能性を密かに恐れているのだろうか。
「そんな拮抗した状況なのに、学校は休校にならないんだな」
「学校はブラックだからね。自らに損害が及ぶぎりぎりまでは退きはしないさ」
腕を組んだ鶯谷は、ニヒルな笑みを浮かべてそう毒づいた。
*
z市内、そのほぼ中心に位置するz警察署。その中の刑事課は騒然としていた。
彼らの机に置かれたA4サイズのプリントの束......ざっと見積もっても三十枚は優に超えているだろう。それらには文字や写真が印刷されている。とある殺人事件の現場写真だ。
無造作に並べられたオフィスデスクの隙間隙間を、何人ものスーツ姿が行き交い、せわしなく動いていた。設置されたいくつもの固定電話からは度々音が鳴っている。
「しかし......。こんなに騒がしい職場があって良いのか」
部屋の入り口に立つ男......
それもこれも、z市を脅かす『
そのまま棒立ちで呆気にとられていると、課内の刑事が彼の訪問に気がつき、部屋の中央へと誘導した。ほんの一分も経たぬうちに先程の喧騒はどこへ行ったのか、全員が篠原へと視線を向けた。
「本日付でこちらへ派遣となりました、篠原です。事件解決のため、死力を尽くす所存であります。短い間ではありますが、何卒よろしくお願いします」
「篠原刑事」
「はい?」
ふと声をかけられ、振り返る篠原。そこには彼と大体同年代だろう、二十代後半くらいの刑事が立っていた。
「山下です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「篠原刑事はおいくつですか。見たところ、僕と同年代といったところですか」
篠原より少し背の小さい山下という刑事は言った。両手には缶コーヒーが一つずつ握られていた。
「今年で三十一歳になりました」
「おぉう......。まさか三つも年上とは、失礼しました、出過ぎたことを」
面食らった表情をする山下。彼の中で篠原は同い年か、あるいは年下という認識だったのだろう。しかして仕方のないことだと篠原は思った。何せ、篠原は年齢の割に若く見られがちなのだ。それが災いして気苦労もそれなりに多いが、今では長所と捉え、『新米刑事役』として犯人を油断させる武器として昇華させたのだ。
「いえいえ、そんなにかしこまらないで下さい。年上と言ってもたかが三つ、同年代ですよ」
そうですか、と山下。するとおもむろに両手に持った缶コーヒーのうち、片方を篠原へと差し出した。
「ありがとうございます。......あっ、微糖」
受け取った缶には微糖の文字。一方、山下の持つコーヒーには無糖と書かれたブラックコーヒーが。
「微糖が好きと伺いました。もし違っていたらすみません」
「いえ、正解です。ありがとうございます。好きなんですよ、微糖」
篠原は小さく笑うと、缶のタブに指をかけて封を開ける。ぷしゅ、と心地の良い、わくわくする音が飛び出し、その直後に香ばしい匂いが鼻を通って体へ吸い込まれていく。流れに乗るように、勢いをつけて缶の中にあるものを口へと運んだ。
「ふぅ......」
息をつく。喉を通って胃へと流れていくコーヒーは、緊張や不安など、篠原の中にわだかまっていたものを全て溶かし、流してしまえるほどの安堵感を彼に与えた。
*
「なあ、今日来た篠原って刑事。何でも怪異刑事なんて呼ばれてるらしいぜ」
「知ってる知ってる。怪死変死異常死、出来ることなら避けて通りたい事件ばかり担当してるってな」
「彼が身近にいると変な事件を担当するから疫病神なんて呼んで煙たがっている奴もいるみたいだな」
「馬鹿。......もし近くにいて聞かれていたらどうするんだ」
「大丈夫だ。今は『
「そ......そうか」
「にしても......今の話の流れからすると、件の事件もいわくつきに含まれるのかねぇ」
「まあ俺たち警察がこれだけ血眼になって探しても見つからないんだから妥当な判断だと思うがな」
「そんなものか......世知辛いモンだ」
*
「おい、昼間寝」
「っあ? は、はい。何でしょうか先生」
意識が急速に覚醒する。言葉として成立していないような、曖昧な言葉を口にする昼間寝を見て、教壇に手を置く教師は心底呆れた表情をした。
「三行目の英文の訳せと言ったんだ」
昼間寝が見回すと、どうやら授業中のようだった。寝てしまったのだろうかと狼狽してしまう。
「は......はい。えっと......」
「ふぅ......。もういい、それでは代わりに田島」
「はぁい。『彼は彼女のことを一つも理解出来ていませんでした』です」
田島という女子生徒が代わりに翻訳した。翻訳したのち、ちらりと昼間寝へと目を向けた。「ごめん」と昼間寝は謝る仕草をする。
その後、授業は滞りなく進んだが、昼間寝はその内容を一切耳に入れていなかった。
「昼間寝。お前大丈夫か?」
授業後、英語教師に昼間寝は声をかけられた。
「大丈夫......だと思いますけど」
「嘘を言え。少なくとも俺から見たら大丈夫な要素が何一つ見つからないんだが」
英語教師は顎にわずかに生えた髭をいじりながら言う。訝しげな表情で、疑いを交えたような目で昼間寝を見ていた。
「顔色が悪い。授業中に寝る。何より声に覇気が感じられない」
そりゃそうだと言葉に出さずとも納得する昼間寝。仮面で顔を隠した殺人鬼に襲われ、助かったと思えば『雑貨屋』なんて得体の知れない連中に脅され、殺しの手伝いをさせられている。加えて金髪の美女とナイフ一本を手に決闘まがいの殺し合いもした。
これらを、ほんのわずか十日程度の間に行ったのだ。打ち切りが確定して急展開を迎える漫画よりも、めくるめく速度で加速する世界。その中心に昼間寝はいた。
「深く考え過ぎではありませんか。僕はこの通りしぶとく生きてますのでね」
「その辺がおかしいと俺は言っているんだがなぁ......悟っているみたいだ」
まあいいかと言うと、英語教師は授業で使った教科書を脇に抱えて去って行った。その際に「何かあるなら言え。相談に乗る」と、半ば社交辞令のような言葉を受け、昼間寝はそれを愛想笑いで返した。
廊下に一人残された昼間寝は立ち尽くし、俯いた。周りに誰もいないのをいいことに、自分の中で意識を泳がせていた。
『僕はどうすればいい。どんな選択肢を選べば正解なんだ』
英語教師に言われた通り、一連の出来事の前と比べれば、今の昼間寝はかなり衰弱しているように思える。精神的にも身体的にも参っているのだろう。
人の命に触れる機会が多くなっている。それは昼間寝本人も自覚していること。そして徐々にその感覚が緩く、麻痺していることにもどことなく察しはついていた。
『
気がつけば踏み込んでいて、戻れなくなっている。戻りたくても道が分からない。結果更に深みへとはまっていく。命を弄ぶという禁忌を犯してしまう犯罪者の心理を、昼間寝はほんの断片だけ理解したような気がした。
『僕は......』
「ごめん。よく聞き取れなかった。もう一度言ってもらえるかい、華クン」
「僕は殺したくありません。『
帝都リゾートホテル。七〇五号室。話があると言った昼間寝に、数日前に呼び出された場所を烏取は再び指定していた。
ソファーへは腰かけず、立って昼間寝の目を見る烏取。その表情は、昼間寝の言っていることが本当に理解できない、ないしは理解はできるが賛成はできないと、如実に語っていた。
「一応、どうしてその結論に至ったか、理由を聞かせてもらえるかな」
「いくら非人道な殺人鬼でも、当然ながら殺せば罪に問われます。僕は犯罪者にはなりたくありません」
「犯罪云々の話なら僕たちが全部請け負ってもみ消すから心配はいらない」
「それに......罪になるか否かだけではないんです」
烏取は眉をひそめた。訝しんだ目つきで昼間寝を見る。辺りが一層静まり返った。
「保科さんとの一件以来、僕の中で......何かが
そう言った昼間寝の声は、確かに震えていた。考えるのもおぞましく、声に出すことすらはばかられるといった風である。今にも戻してしまいそうな、真っ青な顔色を貼り付けたまま、未知の恐怖に怯えきった目で烏取へと訴えかける。
わずかの沈黙の末、ついに烏取は口を開いた。
「わかった」
「えっ......?」
烏取の口から発されたのは、昼間寝の想像の裏をかくような答えだった。昼間寝自ら提案したことだが、ほとんど望みの薄い......言わばダメ元だった。
助けられ、病院で目が覚めたときも、烏取は完全な私怨のために『
そんな人物が、そう簡単に折れて良いのだろうか。と、懐疑的な思考が昼間寝の頭の中を飛び回る。
「結局のところ、最終的に奴に手を下すのは華クンだからね。君の意思を尊重したい。だから、君がイヤだと言ったら僕らはそれに従わざるをえないわけだ」
昼間寝は面食らってしまう。烏取の反応があまりにきっぱりとしすぎている。そう、それはまるで。
『僕の言っていること全てが、烏取にとってただの冗談で、虚言だと思われているみたいだ......』
幼い子供がよく言う「大きくなったらお父さんのお嫁さんになる!」とよく似ている。とんでもないことを言っているが、それは虚言だと最初から全て知っているからうろたえない。冗談を冗談で返せる。烏取からはそんな余裕を感じられた。
「了解した。......要件はそれだけかな。なら僕はこれで失礼するよ」
ごく普通の平坦な口調で告げると、それ以降は一切口を開かず、押し黙ったまま部屋から出て行った。
ホテルの一室に残された昼間寝は、呆然と立ち尽くしたままだった。
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