6月15日(2)
首に突きつけられたサバイバルナイフ。四肢は男達によって押さえつけられてしまっている。
「......ッ」
覚悟を決める昼間寝。この状況、助かる道はどうやら無いようだと察する。泣き寝入りも考えたが、そんなものが通じる連中でも無い。その様子を見た烏取は、不敵に微笑んで。
「っていう、冗談でしたー‼︎」
その一言で、身体中の拘束が同時に解かれ、良い意味でも悪い意味でも支えを失った昼間寝は地面に前から転倒した。
「いっッ......!」
すんでのところで両手を使って地面に手をつき、重心をずらす。あえてバランスを崩して仰向きに倒れ、受け身をとった。
背中をさすりながらゆっくりと立ち上がる。
「......一体何の真似ですか。烏取さん」
「おいおい。それはこっちの台詞だよ、華クン。一体何の真似だい? 特に用心もしなく、完全無警戒で真っ暗な部屋に入るなんて」
烏取はやれやれ、という様子だ。一拍置くと、
「そろそろ意識してもらわなくちゃ困る。いいかい華君。君が殺すのは『そういう相手』だ。君が今まで生きてきて培った常識なんて、ほんの数秒で崩れ去るくらいの相手なんだよ」
いつになく険しい表情で言う。怒鳴り散らしたかった昼間寝も、この剣幕には息を呑んだ。
その代わり、小さく舌打ちをすると、
「それで? この事を忠告する為だけに僕をこんな場違いな場所へ呼び出したんですか」
「いやいや、さっきのは直前に思いついて実行したまでだよ。本題はこれからさ」
今度は普段通り、昼間寝の知る烏取の口調だった。言うと、部屋の奥へと歩いて行ってしまった。
昼間寝も黙ってそれに続く。
部屋には、庶民ならば一生お目にかかれないような煌びやかな家具が並んでいた。ベッドやソファーには金色の装飾が施され、備え付けられているテレビは、家庭に置かれているようなサイズではなかった。パッと見積もって七十五インチくらいだろうか。
一面ガラス張りの窓からは、z市の夜景が一望できる。ドラマでしか見たことのない景色。昼間寝は圧倒されるばかりである。
「ではでは早速本題に入ろうか。華クン」
ソファーに腰掛けた烏取は昼間寝を見上げて言った。昼間寝の言葉を待たずに烏取はズボンのポケットから紙を取り出し、投げた。瞬間戸惑ったが、手を伸ばして紙を取る。
「......また個人情報とかの類じゃありませんよね」
「まさか。僕は脅すけれど、約束は守る人間だからね。その辺は気にしなくても平気さ」
いまいち信用ならないといった目で、烏取を見ながら、紙を開く。
「............? これは?」
「そこに住所が書いてあるだろう? キミには今後、授業が終わり次第そこに向かって欲しい。いや、むしろ義務としようか」
紙を何度も見直す。そこには昼間寝の家からさほど遠くない場所の住所が書かれていた。徒歩で十分もかからないだろう。
「行く事自体は問題ないですけど、一体ここで何をすれば良いんですか。それを聞かない限り頷けません」
なに、と烏取は繋いで、
「ただ若い女がいるだけだよ。事については彼女に任せている。詳細は彼女に聞けばいいさ。期間は一週間、この程度ならキミの生活にも支障は出ない筈だ」
昼間寝は怪訝な表情を見せながらも、小さく頷いた。
「よろしい。じゃあ華クン、善は急げ、早速明日からよろしくね」
ひらひらと手を振っている。......一体どれが『本物』の彼なのだろうと、昼間寝は考える。
今自分の目の前にいるへらへらとした掴み所のない雲のような男か、それとも先程ちらりと垣間見た狩人のような目をした男か。
あるいは怪人二十面相の変装のように、まだ新しい姿を隠し持っていて、それこそが『本物』なのか。
......別の人格、ペルソナ。
......コンプレックス、古傷。
部屋の中を歩き、ガラス張りの窓に手をそっと押し当てる。ビルだらけの夜景を写すガラス窓に、ぼんやりと自分の姿が反射して写り込んでいる。
では、自分はどうだろう。今こうして自分の意思で体を動かしている。しかし、心の中にはもう一つ隠れた人格が存在していて、例えば自分が眠っている間だけ外に現れて行動をしている。
この人格が、もしとんでもない悪党で、夜な夜な殺人を犯していたり、強盗を繰り返していたとしたら。
それは、自分......昼間寝華の望みなのだろうか。光によって生まれる影のように、気持ちの裏に潜んでいる密かな願い、願望なのか。
「......じゃあ華クン。今日はわざわざありがとう。もう要件は伝え終わったから帰ってもらって構わないよ」
「ッ............‼︎」
昼間寝は大きく肩を震わせた。突然の声に体だけが反応してしまったようだ。
「......何? どうしたの? 僕の声ってそんなに驚く程ヘン⁉︎ 酷い!」
烏取は顔を手で覆い、ヨ、ヨ、ヨ、と泣く真似をした。
「......すいません、そういうつもりは無かったんです。ただ驚いただけで」
告げると、烏取の言う通り部屋の出口方向へと向かう。烏取や他の男達はそれを黙って見送った。
と、靴を履き替えた所で昼間寝は振り返った。烏取と目が合う。
「一つ聞きたい事があるんですけど」
「何だい?」
「今日の招集場所......。どうしてこの『帝都リゾートホテル』に設定したんですか。もしかして『帝都財閥』とも協力関係にあるとか?」
烏取は微笑して言った。
「フフっ、むしろ逆。『帝都財閥』は、これから敵になる可能性が極めて高いということさ」
「......」
昼間寝は振り返った。そこには誰もいない。ただ閑静な住宅街があるだけである。
思わず喉を鳴らした。あの日の記憶が、今もまた昼間寝の恐怖心を駆り立てている。
『帝都リゾートホテル』からの帰宅都中、昼間寝は『
脳では理解していても身体が本能的に拒否反応を示している。ゴキブリを見た時と似たようなものと捉えてもらえれば良い。
「......僕は、そんな奴を殺さなければならない......のか」
昼間寝は一人呟く。いや、口からこぼれてしまった、といった所か。
自然と拳を握る力が強くなる。手のひらに汗が滲んで垂れ、よく見ると小刻みに腕全体が震えていた。この震えは恐怖心から来るものだろうか。それとも......。
「............」
昼間寝は駆け出した。まるでその場から一刻も早く逃げ出したいかのように。同時に、「『
人一人通らない住宅街に足音だけが響き、気味の悪い静寂がその足音すら呑み込んでいった。
「あッ......‼︎ 痛イ......! やめ......ッ!」
断末魔にも、
「が..................ッ、ぶ、ボ」
判別出来ない言葉を血と共に吐き出し、その人物はピクリとも動かなくなった。どうやら死んだようだ。
『彼』は相変わらず無表情のまま包丁を人間だった肉の塊から引き抜いた。気がつくと、辺りは血溜まりとなっていた。それを見ても尚、動揺の一つすら見せない。
包丁に付着した血を振り払うと、死体を見下ろす。その『仮面』には、何の表情も無かった。
『彼』は静かに
夜が明ける。
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