6月 日
どこまで見渡しても地平線すら見つからない完全な闇。そんな非現実的な場所に立たされた昼間寝は、まるで現実味を帯びない、虚ろな目をしていた。瞳には色が灯っておらず焦点も定まっていない。もっとも、焦点を定める場所すら存在していないのだけれど。
するとふいに、昼間寝の視線の方向から『何か』がこちらへ向かってくるのが分かった。暗闇という空間の中、唯一闇以外の色彩を捉えた昼間寝は目を見開いた。おぼつかない足取りで何かへと向かっていく。
少しずつ遥か遠くから迫ってくる『何か』の輪郭のようなものが明瞭になっていく。人の形をしているように昼間寝の目には写った。そして間もなくピントを合わせたように、『何か』の姿がはっきりと見えた。
『なっ............っ⁉︎ あッ............ああっ』
昼間寝は思わず足を止めてしまった。向かってきていたのは、能面を付けた人物。直視したのはほんの一時だったにもかかわらず、昼間寝の脳に一生消えない烙印のように焼きついた存在......『
その姿を昼間寝が認識し、恐怖を思い出した途端、今まで彩度を持たない暗闇だった風景が突然色づき、見覚えのある景色を創り出した。
黒に薄く藍色がかかった夜空。乏しい灯りの住宅街。間違いない、と昼間寝は確信した。
あの夜、『
『に......逃げなきゃ......ッ』
咄嗟に危機的状況と判断した昼間寝。いきなり暗闇から住宅街に景色が変わった、なんていう非現実的な現実よりも、目前に迫る妙に現実感の強い現実を先に対処する。しかし。
『............ッ⁉︎ 動けない......!』
何故か昼間寝の足は、地面のコンクリートと一体化したように、石のように全く微動だにしなかった。一歩も動けぬまま、『
『う......あ』
突然、腹部に激痛が走った。昼間寝に筋引きを突き立てる『
昼間寝は、失いそうな意識をなんとか覚醒させ、言葉を絞り出した。
『おまえ......は......誰なんだ............俺の知ってるヤツ......か? それとも』
『
と、筋引きを持っていた手が動いた。スローモーションな動きで、仮面に手がかかる。『
「ッ............⁉︎」
目を見開いた。そこには住宅街も『
「............夢?」
小さく呟く。
昼間寝は、真っ白な部屋に一人で寝ていた。
とはいえ、完全なる白、というわけではなく、ただ家具が白い色をしているというだけなのだが。天井、小さいタンス、冷蔵庫、そして、昼間寝自身が横たわっているベッド。目をつむりたくなるほどの白い部屋が、白という無表情で昼間寝を見下ろしていた。
ゆっくりと起き上がる。すると鈍い痛みを覚え、患部の腹に手を当てた。腹に当てた手を見るが、特に血が付いていたりすることは無かった。
「いった......。てか......ここどこだ......?」
見回すも、見慣れない白い部屋があるだけ。昼間寝の他に人はいないようだ。警戒するような目つきで自分の着ている服を見つめる。
「......病院、か? ここは」
昼間寝は小さく手を打った。よく見ると、壁には病院や診療所などによくあるスライド式のドアがあった。ゆっくりとした動作でベッドから降りると、スライド式のドアへ歩み寄る。銀色の取っ手を掴み、開けようとした時、外側からドアが開けられた。
「おっ、と」
突然の出来事に、昼間寝は思わず掴んでいた銀色の取っ手を離してしまった。ドアの向こうにいたのは、昼間寝より少し背の高い男だった。
二十代後半ぐらいだろうか、若い印象を受けるその男は、昼間寝の顔を見るとパッと目を輝かせた。
「おぉ! 目が醒めたのかい! 良かった良かった。一生目が醒めないのかと勝手ながら思ってしまったよ」
男は昼間寝の手を握ると上下に大きく振った。あまりの勢いに躊躇してしまう。
「あ......あの......?」
「あぁ、自己紹介は結構だよ。キミの事は調査済みだからね、昼間寝華クン。少し馴れ馴れしいと思うかもしれないが、ここは親しみを込めて華クンと呼ばせてもらうよ」
昼間寝は曖昧な返事を返す。そんな態度に対し男は、さて、と話を区切るように言い切ると、病室の中に設置されていた椅子を昼間寝のベッド付近に持って来て腰掛けた。そして小さく手招きし、ベッドへ戻るように促した。
促されるままにベッドに座る昼間寝。その合間にさりげなく男の姿を観察した。黒髪に薄く入った茶髪に、ポロシャツ、ジーンズと、格好だけで判断するなら特筆して怪しい人物ではなさそうだが。見かけだけでは判断材料が足りないと感じた昼間寝は何も言わず男の言葉を待った。
昼間寝が座った事を男は見届けると、口を開いた。
「キミもキミなりに混乱していると思うから、まあ事の最初から説明しようかな。僕の名前は
男......烏取の言葉に、昼間寝は表情を強張らせた。腹部に手を当てて言う。
「俺は......昨日、帰り道で......」
「うん、『
烏取は続ける。
「そして殺されかけたところで、僕たちが救い出した。約十二時間後、今に至る。ここまでは理解したかな?」
十二時間も......と昼間寝は驚きと戸惑いが混じった表情を烏取へ向けた。そうだよと相槌が返される。
「で、今話したのは何でこのような状況に置かれているのか、という点についての説明。肝心なのは『今後の事』だ」
言い終えると烏取は立ち上がり、おもむろに病室の窓やドアに近寄って鍵をかけた。その様子や微妙に変わった声色から、そこはかとなく雰囲気を感じ取った昼間寝。
改めて椅子に座りなおした烏取は、神妙な顔つきで告げた。
「有り体に、単刀直入に言ってしまうと、昼間寝華クン、君には我々に協力してほしいんだよ。『
「......は?」
あまりに突拍子もない話に、唖然とした表情をしてしまう昼間寝。
『何を言っている......殺害? 殺すのか、『
「とか思ってるんだろうね、キミは」
昼間寝は『ぎくり』とした。完全に、一語一句間違えずに思っている事を言い当てられた経験など無いに等しい。
「......分かりました。今のうちはあなたのことを精神に異常をきたしていないごく普通の一般人としておきましょう」
助かるよ、と烏取は言って小さく笑った。
「基本的な事柄から話していこうかな。今、世間は『
そこまで烏取が話し終えたところで、昼間寝が口を挟んだ。
「あの......さっきから話の節々で『僕たち』とか『僕ら』って言葉が出てくるんですけど、何で複数形なんですか」
昼間寝の指摘に烏取は感心したといった風に数回頷いた。
「中々良い質問だよ、実に的を射ている。僕はある小規模なグループに所属していてね、そのグループでの活動が仕事というわけさ。一部の人間からは『雑貨屋』なんて俗称がついてる」
「『雑貨屋』......」
割と聞き慣れた言葉。なのにもかかわらず、昼間寝にはどことなく不吉な言葉に感じられた。
「『雑貨屋』はその名の通り報酬さえ貰えれば何でもやる情報諜報部隊でね、誘拐も強盗も......殺人さえも」
烏取は言いながら立ち上がった。病室の中をゆっくりと、授業中の教師の様に往復しながら話を続ける。
「その活動と実力が認められたのかは分からないけれど、最近なんかじゃ有名な企業や著名人、果てには国家機関からの依頼もあった」
「......」
未だ目の前の烏取が話す事が、夢物語か妄想の類だと感じてしまう昼間寝。スクリーン越しに観る映画のように、フィクションと知っていれば楽しめるけれど、ノンフィクションと分かると反応に困る事のように思える。
「......ライトノベルのネタで僕をからかわないで下さい。話は終わりですか。終わったなら出て行って下さい」
何故か無性に腹が立った昼間寝。何より、こんな絵空事を馬鹿真面目に聞いていた自分自身にだ。この調子では、瀕死状態の昼間寝を救出したという事実も怪しくなってしまう。
少し憤りの表情を見せる昼間寝。一方対照的に平然とした表情を崩さない烏取は、小さくかすかに息を吐くと、ポロシャツの胸ポケットを弄り小さく折りたたまれた一枚の紙を取り出した。何も言わず、無言のまま昼間寝に差し出した。
「何ですか、これ」
そう言って受け取った昼間寝は、丁寧な手つきで折りたたまれた紙を開いた。
「こ......これは......ッ」
白いコピー用紙に印刷された文字列。そのほとんどがアルファベットや数字で占められていた。一見ただの英数字の羅列に見えるが、それを見て昼間寝は血相を変えた。額から大粒の汗が滴った。
「流石に分かったみたいだね。その紙は君の家のパソコンやSNSのパスワード、銀行の口座、果てにはクレジットカードの番号など......とにかく君に関する『ありとあらゆる個人情報』をかき集めたものさ」
烏取は言った。昼間寝の持つ紙には昼間寝華『個人』だけでなく、昼間寝家『全体』の秘密が記されていた。
「勿論これも全て『雑貨屋』である僕たちがやった事だよ。本来君が快く『
個人情報を自由に扱われること......それはつまり、事実上昼間寝家の崩壊に他ならない。こういった切り札を持っていたからこそ、烏取は余裕に満ちた対応をとれたのだろうか。
烏取は小さく微笑んだ。爽やかな笑みだったが、昼間寝には悪魔の様な形相にしか見えなかった。昼間寝は唇を噛むと、
「分かった......。アンタたちに協力すればいいんだろ」
そう答えた。
「おおそうかい! それは何よりだ」
立ち上がると、肩をがっしりと掴んで言った。少しうざったく感じたが、特に力を込められている訳でもなく痛みは無かったので振り払わなかった。
「それじゃあ早速だけど」
「待って下さい、その前に聞かせて下さいよ」
烏取が何か言いかけたところで、昼間寝が遮った。
烏取は何だ、という顔。
「協力はしますけど......。どうして僕なんですか。僕じゃなくても良かったんですか? それとも、僕じゃなければいけなかったんですか?」
「どちらかと言えば......前者かな。特に君でなければならない理由なんてない」
けれど、と烏取は付け足して、
「僕は君を『恨んでいる』んだ。恨んでいるから、君を選んだ。完全なる私情でね。僕は仕事に私事を持ち込む駄目人間ということさ。罵ってくれて構わない。見下してくれて構わない。けれど君には協力してもらうし、それに有無は言わせない」
つい先程まですまし顔のままだった烏取だが、少しばかり表情が険しくなったのを昼間寝は確かに見た。そして確信した。この『仮面殺害者』殺害は、この男、烏取電波の為のものなのだと。
実に馬鹿馬鹿しい。実に愚かで、しかして実に健気だ、と昼間寝は感じていた。さながら嘘の様な、虚言の様な真言。
「......あなたには協力します。僕には僕で知りたい事がありますので」
「ふふふ、好きにすれば良いさ。他人の事を僕はいつも調べているからね、調べられる覚悟が無いとフェアじゃない」
烏取は『調べられる』と言った。昼間寝はただ『知りたい事がある』としか言っていない。つまり烏取は既に昼間寝の意図を察しているのだろう。
それでも構わない。鋭い視線を目の前の男に送る昼間寝。
白で塗り固められた病室の中、二人の視線が交差した。
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