第一篇 『電波人間』の虚言
6月10日
昇降口前に設置された自動販売機に体を預ける形で寄りかかっている昼間寝は、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
五時十五分。『彼女』を待ち始めて既に二十分近くが経過していたが、昼間寝は小さく苦笑いを浮かべた程度で、大仰には驚かなかった。彼はそのまま慣れた手つきでロックを解除する。ブラウザーを立ち上げると某大手検索エンジンのトップページを開き、そこに表示されている様々な分野の人気記事の中から、一番上に特集されている記事をタップした。
「仮面の......怪人? なんじゃこりゃ」
知らず知らずの内に小さく声に出していた。幸い周りの生徒達の話し声や足音でかき消され、昼間寝本人にしかその声は聞き取れなかった。
昼間寝は記事の見出しを流れるように目で追った。
どうやら仮面の怪人と言うのは巷で噂の殺人犯のようだ。特に犯行自体におかしい箇所は無く(無論、殺人行為は等しく人としておかしいのだが)、目撃者が極めて少なく、その数少ない目撃者達は皆口を揃えて仮面の様な物をつけていたと証言していることからそのような見出しが付いたのだろう。
「仮面ライダーなら良いけど仮面怪人はお断りだな......」
そう呟いた。記事を閉じた昼間寝は、そのままスマートフォンの電源を落とそうとして一瞬踏みとどまった。それは好奇心
検索欄に、『仮面 怪人』と文字を打ち込んでいく。数秒の読み込みの後、それに該当するかあるいは類似するページが一覧となって表示された。勿論一番上の記事は、件の事件についてのページ。そのまま軽くスクロールしてページの下部へ移動すると、一連のまとめ記事を掲載しているサイトを発見した。
開くと、書かれた文章の中に色付きのゴシック体で俗称の様な言葉が強調されていた。
「『
どうやらネットの中ではこの俗称で通っているようだ。昼間寝はそのままページの文章を読んだ。記事を半分程読んだ辺りで、見慣れた言葉を見つけ、スクロールする指を止めた。
「z市ってここだよ......な? 割と珍しい市名だし、他の県にも無いはずだし......」
昼間寝は眉をひそめた。今まで話題性のある格好のネタだと思っていたが、自分の住んでいる市で起きている事となるとあまり楽観視していられないと、漠然とした不安感に煽られる。
流し読みがちだった記事を、もう一度ゆっくりと読み返そうとページを上まで戻そうとしたその時。
「やっほー華!」
ポン、と肩に軽い感触。昼間寝にとって聞き覚えのある声なので、わざわざ視線をそちらへ向けなくとも声の主は分かるのだが、様式美として捉えておこうと割り切った。
「やっほ、あひるちゃん」
「へへへぇ、ゴメンね。先生に頼まれごとされちゃってさぁ、遅れちった」
屈託の無い笑顔を昼間寝に向けるポニーテールの少女、
「待った?」
「待ってないよ」
本当は三十分近く待ちぼうけだったのだが、本人の前で言うのは躊躇われたので伏せておく。今度こそスマートフォンの電源を落とした昼間寝は、校門へ向かって歩き始めた。その行動に一瞬戸惑いの表情を見せた澄輿だったが、やがてすぐに駆け足で昼間寝の横へと移動した。
「ねぇねぇ華? やっぱり怒ってる? ......私が遅れちゃったから」
「そんな理由で怒る程、僕はちっちゃい男じゃないよ。色んな意味でね」
口ではそう言うが未だに彼女である澄輿の顔をちらりとも見ない昼間寝に、澄輿は決まりの悪そうな表情を浮かべた。
「ゴメンってば〜お詫びに今からご飯でも食べに行こっか? 今夜は私が奢っちゃうゾ」
可愛く、あざとく言ってのけた彼女は肘で彼氏の腕をくいくいとこづくと、流れるように自分の腕を絡め、組んだ。その仕草にご機嫌斜めだった昼間寝も頰を緩ませて笑った。
「ねぇ、そう言えばさ」
チェーン店のファミレス。一番窓際の席に向かい合わせで座る昼間寝と澄輿。アイスコーヒーの入った透明色のコップをストローでかき混ぜながら、昼間寝は言った。一方の澄輿は先程追加で注文したサイドメニューのポテトフライを、付属されていたケチャップを付けて口に入れた所だった。細いポテトフライを口に入れた澄輿は、少し上目遣い気味の視線を昼間寝へ送る。
「ん〜? なーに」
「さっきネット見てたんだけどさ、仮面をつけた殺人鬼がこの辺にいるらしいよ。ネットじゃあ『
「へぇ。ジェイソンみたいな感じなのかなぁ? 何かそういうのって、普通にマスクにサングラス着けてるよりも怖く感じるよね。気味が悪いっていうか『狂気』を感じるっていうか」
意外だ、と昼間寝は思った。澄輿はいつもならこの類の話は軽く流すか強引に別の話題へとすり替えていたからだ。それが今日はやけに食いつきが良い。ポテトフライを食べる手を止め、昼間寝を見る。
「いまいち現実味に欠ける話ではあるけどな。けど、てことはその『
昼間寝は尋ねた。別に『
「確かにそれらも理由の一つだろうけど......。私はそれ以外にも理由があると推測しますっ!」
そう言いながら澄輿は手に取ったポテトフライを一本昼間寝の方へ向けると、そのまま彼の口へ押し込んだ。唐突に入れられたポテトフライをむぐむぐと頬張ると、わざとらしく顎を親指と人差し指ではさみ、擦るような仕草をした。
「ほうほう。実に面白い。キミの意見を聞かせてくれたまえ」
売り言葉に買い言葉というわけではないが、昼間寝の芝居に澄輿は小さく笑った。
「多分、その人は他人の目から隠したい顔以外の何か......があったんじゃないかなぁ。あるいは別の誰かを演じたかった、とかね」
「顔以外の何か......って何だ?顔にパソコンのパスワードが書いてあるわけじゃあるまいし」
昼間寝の答えに、澄輿は思わず吹き出していた。手で口元を隠して肩を震わせている。何故か分からず恥ずかしくなった昼間寝は、黙って先を催促した。
「ふふふ......っ、別にそういう物理的な隠し事だけじゃないってことだよ。例えばコンプレックスとかね。何かしら隠したいものがあって仮面をつけている。もう一つの推測として、別の誰かを演じたい。これもさっきの隠したいモノがあるっていうのと似たような意味があってね、何かしら自分にコンプレックスがあって、その
昼間寝はあっけにとられていた。あまりに
ファミレスから出た二人は帰路についていた。車の走行音やクラクション、人々の喧騒から抜け出した住宅街を歩く。駅前や人が絶え間なく動き続けるビル街とは違い、住宅街は街灯がまばらに設置されてあるだけ。灯りと呼ぶには心許ない弱い光が二人を照らしていた。
やがて、澄輿の自宅前に差し掛かった。クリーム色の一軒家。観音開きの門に手をかけた所で澄輿は振り返った。昼間寝と目が合う。
「......じゃあね華。送ってくれてありがと」
「あぁ」
そう言って昼間寝は軽く手を振った。澄輿も同じように手を振って返すと、そのまま家の中へ消えていった。その様子を確認すると、昼間寝は
随分とファミレスで時間を消費したようだった。普通ならば家にいる親に「こんな時間までどこをほっつき歩いてたの!」と咎められそうなものだが、昼間寝の両親は共働きに加え、母親は仕事が忙しく、一週間に一度程度しか帰宅せず、父親は少々特殊な職業でその仕事柄、週末はおろか年末、年始にすら帰宅するかも不明となっている。そんな特殊な環境におかれた昼間寝は、帰宅時間もまちまちなのである。
部屋の明かりがついている一軒家に目をやる。その窓ガラスの向こう側で一家が団欒していると想像するとやるせない、よりどころのない劣等感に苛まれてしまう。昼間寝は何も言わず、ただ唇を噛んだだけだった。
歩くこと数分。昼間寝の自宅は住宅街のはずれにあるため、澄輿の自宅からは多少の距離があるのだが......。
「ん......?」
違和感。
周囲の景色におかしな部分は無い。何度も見慣れた景色だ。誰か人がいたわけでもない。おおよそ違和感と呼べる心当たりが存在していなかった。昼間寝は首をかしげるも、そのまま歩き出した。
と、その時。
カラン、という乾いた金属音が聞こえた。昼間寝は音のした方向......足下へと視線を送る。見ると、見慣れた自宅の鍵が落ちていた。何かの拍子でポケットから滑り落ちたのだろう。ほっと安堵の息を漏らす昼間寝。ゆっくりと腰を屈め、街灯の光を反射し鈍く光る銀色の鍵を拾い上げようとして......。
鍵に、影が指した。眉をひそめる昼間寝。自分の影が重なっただけかと思ったが、そうではない。何故なら彼の影ははるか後方......つまり昼間寝の進行方向にある。
なら、つまり。
今現在昼間寝の鍵を覆っている影は、進行方向とは真逆の位置から生まれたもので。人工物が突然出現するなどあり得ない。つまり自然物で、生きて行動する何か。
そして尚且つこんな住宅街に存在して不自然でないもの。
昼間寝はゆっくりと視線を上げた。
そこには人がいた。一人でまるで仁王立ちをするような姿勢で、何を言うことも無く、俯きがちにただただ昼間寝の事を見ていた。服装は、夜闇に紛れるような黒いジャンパーに、同系色のジーンズ、スニーカー。ジャンパーの大きさから、かなり体格の良い人物だということが推測出来る。
そして、極めつけは、顔をずっぽりと覆う大きな......能面。白塗りでうっすらと浮かんだ笑みで昼間寝を覗き込んでいた。
その一瞬で、昼間寝の頭は真っ白になった。白い絵の具をまき散らしたかのように、初期化されたデータのように、頭の中が真っさらになっていく。何も考えられずに数秒の間硬直し、硬直が解けた途端に思い切りコンクリートの地面に尻もちをついてしまった。そして、今まで空白になっていた脳に記憶と知識が堰を切ったように一度に流れ出した。伴って、ある一つの『事件』が昼間寝の頭をよぎる。
「か、め............ん⁉︎ あ、あ、あ、あ、あ⁉︎ もしかしてッ、もしかしてッ、もしかしてッ、もしかしてッ............⁉︎」
舌が麻痺したように回らず、言葉にならない言葉しか発せていない。音のない住宅街に、昼間寝のヒュー、ヒューという過呼吸を連想させる音だけが響く。対して『仮面』の人物は、まるで生きていないかのように音を立てない。冷酷に、感情のない『仮面』で昼間寝を見据えている。
「あ......ッ、に......逃げ............ッ」
尻もちをついた状態から動けずにいる昼間寝。必死に体勢を立て直そうとするも、足が脳からの指令を拒否するように震え続けていた。ただずるずると下半身を引きずり、匍匐前進のような格好で這いずってその場から逃げようとする。
すると『仮面』の人物は、おもむろに自らの腰のあたりを探るように触り始めた。やがて、何かを掴み、それを勢いよく引き出した。
それは、鈍い光を帯びていた。銀色には至らないものの、鉛色の本体が光を吸収したように輝く。そして、それは細く、かつ長く、世間一般の概念として、包丁と呼ばれる物だった。
加えて、昼間寝の前に立つ『仮面』の人物が持つ包丁は、一般的な家庭にある出刃包丁や牛刀などではなく、『筋引き』と言われる包丁だった。
筋引きはその名の通り、ヒレ肉にある筋を切り落とすための包丁で、細く、長い形状をしている。出刃包丁や中華包丁などと違い、人間が本能的に、生理的に恐怖感を覚える危うさを持ち合わせている。
「あっ............あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎」
その刀身を見た昼間寝は、絶叫した。しかし、本人は絶叫したように感じた、もとい実際そうだったのだろうが、絶叫が声として成立していたのはほんの最初だけで、残りは全てただの息となって放出された。声帯が潰れたか、あるいは精神的なショックで一時的に声が出なくなったのだろう。
腰が抜けた状態で後ずさる昼間寝に、『仮面』の人物は極めて普通に近づいた。そして、筋引きの柄を逆手に持つと、その尖った先端を昼間寝の足に一寸の容赦もなく突き刺した。
「ッッッッ............‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
激痛、なんて表現が甘く感じる程の痛みが昼間寝を襲った。筋引きの先端は、足のふくらはぎの部分に刺さった。赤い血が溢れ出した。しかし筋肉に阻まれたか、あまり深々とは刺さらず、すぐに弾かれてしまった。
その一瞬『仮面』の人物が怯んだような様子を見せたので昼間寝は痛みを利用して下半身に鞭を打ち立ち上がると、刺された足をかばいながら走り出した。
「がはッ............」
しかし、刺された足が言うことを聞かず、すぐに昼間寝は倒れてしまった。前方に倒れ、受け身も取れていなかったため、顎と胸を地面に強く打ちつけてしまった。
「げホッ! げホッ......‼︎ げホッ! げホッ‼︎‼︎......」
激しくむせ、苦しそうにもがく昼間寝。その様子を嘲るように一歩一歩近づく『仮面』の人物。
二人の距離はわずか一メートルにも満たない。昼間寝は振り返り、目の前に自分を殺すかもしれない人物がいることと、自分が死ぬかもしれないということに、死ぬ程恐怖した。体の
やがて残った僅かな距離も詰められてしまった。確実に『刺し殺せる』間合いに入った『仮面』の人物は、持っていた筋切りを大きく振りかぶった。そして..............................。
昼間寝の腹部を思い切り引き裂いた。
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