眠れる未完のアーチスト④

 翌日の朝、浩太郎がグラウンドへ行くと、そこには後瀬コーチと数名の部員が姿を見せていた。コーチの他にいるのは、同じ学年では岡崎康信、川端弘和、それと確か藤倉秀智という三人だ。他に上級生が数名おり、全員がバットを持って何やらコーチに一人一人素振りを見て貰っているようだった。

 浩太郎がグラウンドに少し慌てて現れると、全員が振り返った。


「遅いぞ森川。もう九時だぞ」

「す、すみません」


 笑いながら康信にいわれ、浩太郎は彼ではなくコーチに詫びる。それにコーチは微苦笑してから、手を叩く。


「よし。じゃあ、これから実際に球を打つぞ。岡崎、お前ちょっと打撃投手やってくれ」

「はい、分かりました」


 コーチの指示で康信はマウンドへ、その他のメンバーはグラブを持って適当に外野のグランドへ散らばっていく。浩太郎も、それに倣って外野へ向かおうとした。

 それを、コーチが呼び止める。


「待て森川。お前は先に打つ方だ。お前と藤倉は症状が重いからな。先に打たせてやる」


 そう言われ、浩太郎は外野へ向かうのをやめ、バットを持って打席近くへ向かう。しかし、症状が重いというのはどういうことか。別に自分は、何も問題など持っていないと思っているが。

 呼ばれた後、浩太郎は藤倉より先に打たせて貰うことになった。打席に入る。


「思い切って打て。ホームラン狙いでな」


 コーチにそう煽られ、浩太郎は言われずともと思って構える。長打を狙って思い切って振るのは、いつものことだ。

 そう考えて構えた浩太郎に、投手を務める康信はボールを放る。投げられる緩いボールに、浩太郎は全力でバットを振る。打った球は高々と上がり、外野近くの選手に捕球された。

 それが、数球続く。康信が投げる球はなかなか打ちやすく、浩太郎が弾き返した球は普段よりほんの少しだけ伸びて飛んで行った。

 それを見ていたコーチは、浩太郎が五球打ったところで康信を止めた。


「岡崎、ストップ。森川、ちょっとお前、ボールなしでそこで数回素振りしろ」


 その指示に、浩太郎は不審に思いながら従う。構えてから鋭くバットを数回、一回ずつしっかりと振る浩太郎。

 そこに歩み寄りながら、やがてコーチは手を掲げた。


「あ、もういいぞ。やっぱりか。なるほどなぁ」

「?」


 納得するコーチに、浩太郎は疑問符を浮かべる。何に得心ついているのか、浩太郎にはよく分からない。何か問題でもあったのだろうかと考えるが、思い当たる節がない。

 すると、コーチは言った。


「お前がいたところは、よほど指導者が無能だったんだろうな。いや、気づかない時点でお前も結構考えなしに野球をやっていたことになるが。どうしてこうなるかなぁ……」

「……どういう意味ですか?」


 顎を擦りながらぼそぼそと言われ、浩太郎は思わず聞いた。その声に、コーチは言う。


「気づいていないんだな。なら言ってやるが、お前、素振りをする時とボールを実際に打つ時のバッティングフォームがだいぶ違うよ」

「え?」


 指摘を受け、浩太郎は目を点にする。それは、これまで誰にも指摘されていないことだったからだ。


「素振りしている時のスイングは……まぁそっちも多少問題があるが悪くはない。けど、打つ時になると、いろいろ駄目だ。まず、バックステップ踏んだ時にヘッドが下がる。数センチな。しかもその状態から、『かべ』を作れずにボールを迎えにいってる。左足に重心が乗っていて、バットが意識よりも遅く出る。そのせいで、アッパー気味のスイングでボールに差し込まれながら打つから、加えてボールの下を捉えているから、全部フライ気味になる上に内野までしか飛ばないんだよ。ここまで分かる?」

「……えっと」


 つらつらと流れるように指摘され、しかし浩太郎はその情報量に混乱する。その様子に、コーチは微苦笑しながら何故か康信へ目を向けた。


「岡崎。同級生のお前からみて、こいつに分かるように説明するにはどうすればいい?」

「……ヘッドが下がって壁が作れていないとどうなるか、そこから説明するというのは?」

「そこからかぁ。面倒だなぁ」


 少しため息交じりに言うと、コーチは再び浩太郎を見る。そして、目を白黒させたままの浩太郎にバットを持って説明を開始する。


「まずな、お前は打つ時にバットを持つ両手が下方へ下がる。こうなると、スイングは大振りになるしボールの中心でなく下の部位を叩きやすい。そうなるとどうなるか、分かる?」

「……ボールがフライになりやすくなる、ですか?」


 これまでの情報から浩太郎が答えろと、コーチは頷く。


「そう。お前の打った球がことごとくフライ性になるのはそれが原因のひとつ。次に、ボールを迎えにいっていることについて。これは、要は踏み込んだ左足を軸に『壁』――あぁ、『壁』って言うのは簡単にいうと力の支点をつくる上での擬似的な表現な。この『壁』が作れていないから、ボールを迎えに、つまり上体が突っ込んで打ちにいっている。そうなるとどうなるか、分かる?」

「……すみません、分かりません」

「上体が突っ込むと、バットは意識よりも遅れて出てしまうの。だから、ボールを自然と窮屈な体勢で捉えやすくなる。窮屈な状態で打てばボールは前に飛びにくい。だから、フライ性の打球でも内野にまでしか飛ばなくなるということ」


 かいつまんで、また大雑把なイメージを伝えられ、ようやく浩太郎も理解する。つまるところ、今の浩太郎が打つフォームは欠陥だらけだということだ。


「これらをなくせばな、打つ球は格段によくなる。ちょっと試しに見せてみようか」


 そう言って、コーチは康信に対しボールを投げる要求する。


「これが、今のお前のフォーム」


 そう言って放られた球を打つと、なるほど、確かにボールは高々と上がり、内野フライになった。


「んで、改良して完成した場合のフォーム」


 そう言って、康信が投げられた球を打つと――

 快音を響かせて、打球は凄まじい距離を見せた。ギュイーンと放物線を描いた球は、外野に陣取った部員たちの頭上を遥かに超え、外野ネットの上部ぎりぎりまで飛んで行った。この打球には、浩太郎のみならず他の部員もぎょっとする。純粋に、中年過ぎたコーチの打つ打球とは思えなかった。


「ね? 簡単でしょ?」

「いやいやいや……」


 浩太郎に笑いかけるコーチに、浩太郎と、マウンドの康信が手を振って否定する。どう考えても簡単じゃないし、完全に別物である。そんな容易に矯正してできるものでもないだろう。


「まぁ、半分は冗談だけど。でも、分かったでしょ?」


 そう言って、コーチは後ろへ引いた。


「フォームを直せば、お前はこれぐらい飛ばせるようになるよ。元々無茶な体勢で打って外野近くまで飛んでいたんだもん。正しい体勢で正しくボールに力を加えれば、これぐらいできる」


 そう言われ、浩太郎は黙り込み、全身をぶるっと震わせる。

 自分が、今のコーチみたいなボールを飛ばせるようになる……そういわれ、奮い立たない方がおかしいかもしれない。今の打球は、明らかにホームランバッターの打球だ。


「直すのは、主に三点。ヘッド、つまりバットを持つ両手を下げないようにすること。続いて踏み込んだ左足、これを力の支点にするために『壁』を作れるようにすること。最後に、その『壁』を保って、上体を突っ込まずにバットを振るようにすること。それが出来れば、まず打球は一気に向こう側へ飛ぶようになる」


 そう言われ、浩太郎は試しにバットを振らされる。その三点に、注意しながらバットを振ると、コーチは首を小さく傾げる。


「うん。ヘッドは下がらないけど、ステップ2の『壁』を作るのは難しいか。まぁしょうがない。この意識は、プロでも苦悩する人もいるぐらいだからな。少しずつ自分なりに感覚を掴むしかない」


 そう言うと、コーチは浩太郎へ歩み寄り、バットのスイングに合わせて身振り手振り、時に身体に触れながら感覚を伝えていく。それによって、浩太郎もまだ漠然ではあるが、左足から全身に作用する『壁』というものを認識する。

 それが出来たのをみると、コーチは少し距離を置き直して口を開く。


「今まで素振りは考えなしに振っていたんだろうけど、これからは考えて振る様にしろ。今言った理論に基づいてスイングを形作って習得し、それが実戦でも出来るようになれば、お前は実戦でホームランを量産できるバッターになれる」


 そう断言され、浩太郎はまたも身震いする。断言されるということは、よほどの例外を除いてそうなるという事実をいわれているということだ。ホームランバッターに憧れない高校球児ほぼはいないだろう。浩太郎も例外ではない。

 コーチからすれば、内野フライもあそこまで高く飛ぶのだから、前に飛んだ時の比距離が伸びるのも当然だということであったが。


「じゃあ、空振りしてでもいいから、今言った感じのスイングでバットを振ってみろ。空振りしてもいいからな。だが、前みたいな打ち方だけはしてはいけないよ」


 念を入れられて、浩太郎は打席に入る。そして、康信が投げる球を打ちに行く。

 コーチに言われた通り、慣れないフォームで数球は空振りしたものの、バットに当たった打球は前へ飛んだ。それもフライにならず、ライナー性の鋭い打球だった。

 それを見て、コーチは頷く。


「そうだな。加えて意識づけをするなら、二つあるな。バットを振る時は上体を上から下へ捻るようにすることと、インパクトの瞬間に腰を捻るようにすることだな。そうすれば、よりスイングは鋭く奔るようになる」


 そう言われ、浩太郎はそれも意識しながら打つ。いろいろ意識して振らなければいけないので、浩太郎としてはかなり難しい話だ。

 だが、心のどこかでそれも当然だと思うところがあった。

 なにせ、今はホームランバッターになるための理論を授けられているのだ。本塁打打者アーチストになるための理論が難しくないわけがなく、逆に難しいからこそ、それが実際に効果があることのように思えていた。

 それから、コーチの指導は十分近く続く。その間、浩太郎はコーチから指示を出来る限り体現しようと努め、フォーム改造の長い道のりを開始するのだった。

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