眠れる未完のアーチスト③
その日は休日ということで、午後二時から上級生と下級生に分かれて試合は始まった。
下級生チームは、康信の言葉通り浩太郎ら一年生四人がスタメンで、残り五人が二年生という組み分けをされている。その中で、浩太郎は八番レフトという打順のポジションを任された。
(八番か……。ならば、打席のチャンスは二回あるかどうかだな)
基本的に全員出すと言われたことから、控えにいる十名以上の一年生にも出場させるはずだ。ならば、スタメン全員の途中交代の可能性は高く、浩太郎も一試合通じてチャンスを与えられる可能性は極めて低い。
それでも、与えられたチャンスは必ず果たすと、浩太郎は奮い立っていた。
*
実際に浩太郎へ打席が回ってきたのは、先攻の下級生チームの攻撃、二回表の場面だ。
アウトカウントはツーアウトながら、二塁にランナーを置いた状態で、八番の浩太郎へ打順は巡って来た。抜群のチャンスである。
打席に立ち、闘志を内に秘めながら、浩太郎は構える。相手は三年生の投手であるが、真剣勝負の場面であるためか、浩太郎には怯みも気後れもなかった。
睨む浩太郎に、相手の投手も目をぎらつかせ、投球モーションへ。
一球目――いきなりど真ん中のストレート。
浩太郎は思い切って振り抜く。
甲高い音が響き、ボールは高く舞い上がった。
ボールはどんどん上昇――するが、遠くには飛ばなかった。やがて失速したボールは、外野グラウンドまで後退したセカンドのグラブに収まった。
結果は、セカンドフライ。
その内容を見て、浩太郎は奥歯をぎりっと噛みしめる。絶好球を打ち損じたことへの自噴と後悔が、彼の脳裏を焦がす。
(くそっ! 次は、絶対に――)
そう思いながら気持ちを切り替え、浩太郎はベンチに戻ってヘルメットをしまうと、グローブを持って守備位置へ向かうのだった。
二度目の打席は、五回の表に回ってきた。
先ほどは走者がいる状態であったが、今回はランナーのいない先頭打者として打順が巡る。ランナーが得点圏どころか一人もいないということは、打点を稼ぐことはできないものの、好きなようにバッティングできるシチュエーションであった。
(次こそは……次こそはデカいのをかましてやる)
そう念を入れて打席に入った彼の対戦相手は、先ほどの三年投手ではなく、二年生投手に代わったばかりであった。大きく息をついて気持ちを静めようとするピッチャーに、浩太郎は鋭利な眼光を向ける。
一球目。大きく変化したボールは外角を外れてボール。
二球目。同じ球種が今度は低めに来て、浩太郎は反応しかけるが見送る。地面すれすれでキャッチされた球は再びボール。
三球目。キャッチャーが構えたのは外角だったが、投手の投げたボールはそれよりも内側、真ん中高めに入る。今度は、浩太郎は見逃さなかった。鋭いフルスイングでボールを捉え、金属バットの悲鳴と共にボールを弾き返した。
高々と、高角度で上がる球――しかし伸びがない。センター寄りに舞い上がった打球は、そこまで後退していった遊撃手のミットに捕球された。
浩太郎の二打席目はショートフライ、という結果だった。
その結果に、浩太郎は下唇を噛みながらベンチに戻る。ナイスバッティングといえない内容と結果に、彼を褒めたり慰めたりする者はおらず、すぐに次の打者の打撃への応援へ気持ちを切り替えていた。
その回の攻撃の終了後、下級生チームを率いるコーチがメンバーを全員入れ替える。浩太郎も交代となった。
それにより、浩太郎にもう一度打席が巡ってくることはなくなり、アピールのチャンスも失われる。
その後試合は、六対二で、上級生チームの勝ちになった。
試合の全体内容としては、浩太郎が出ている間は、意外にも下級生チームが上級生たちを抑えていた。だが後半、メンバーがそう入れ替わりをした直後、上級生たちが猛攻して得点を重ねていった。
この試合が終わった後、一度監督の指示で全体ミーティングが行われ、その中で監督から、今後一年生の数人が上級生の練習にも参加するという旨が発表された。上級生は驚かないことから、それは毎年恒例の行事なのだということを一年生たちはそこで知ったが、あまり驚きはなかった。
そして、数名が一年生の中から選出され、上級生たちとの練習に合流する。その中に、浩太郎は含まれていなかった。
*
(はぁ……。終わった……)
練習終了後、部室で着替えを終えた浩太郎は意気消沈していた。
張り切って出場した紅白戦において、彼は思い通りの活躍が出来なかった。いずれも内野への凡フライ――デカい当たりは元より、安打すら打てなかったことへの後悔や自分への失望が、彼の胸中を埋め尽くしている。部長を見返すどころか結果を出せなかったことに、彼は大きく凹んでいた。
荷物をまとめた浩太郎は、部室を出る。そして、そのまま帰路へ就こうとした。自責の念だけでなく、今彼の身体は大きく疲労しているために重い。早く帰って今日は休もうと、彼はとっとと学校の敷地から出たかった。
「おい森川」
呼び止められたのは、部室を出てすぐの場所だ。声の出元へ振り向くと、部室の陰で背をもたれかけながらこっちを見ている中年の男性の姿があった。
目が合い、浩太郎は反射的に頭を下げる。
「あ、コーチ。お疲れ様です」
丁寧に挨拶をすると、男・野球部のコーチであるその人物――名は
「あぁお疲れ。ちょっと来い」
そう言って手招きし、後瀬コーチは部室の陰深くへとついてくるように進む。その誘いに、浩太郎は少し緊張する。何故そんな人目のない所へ呼ばれるのか、もしかして今から恫喝でもされるのではないか、と不安が煽られる。紅白戦で二度凡打した自分を責められるのではと、それしか心当たりがない浩太郎は、少し惑う足取りで、コーチに続く。
呼ばれたのは、部室の裏だ。そこで、後瀬は浩太郎に命令する。
「ちょっと、手を見せてみろ」
言われ、浩太郎は掌を出す。それを見て、コーチは目を細めながら、浩太郎の掌底と指の付け根の間を指で触った。
「……お前、毎日素振りをやっているそうだな。一日何本やっている?」
聞かれると、浩太郎は少し不審に思いながら、答える。
「えっと、一日五百本ぐらいです」
「……シゲから聞いたが、冬から継続して振っているんだな?」
「はい」
頷くと、コーチは真顔のまま指を離す。
「どうしてそんなに振っているの?」
「……え? いや、それくらい振らないと、高校ではレギュラー取れないんじゃないかなって思って」
「ほーう。殊勝だな」
そう言って、コーチは感心したように小刻みに数回頷く。褒められているのだろうか、いまいち読めずに浩太郎は口を噤む。
「なかなかの努力家だ。結構だな。努力は嘘をつかないっていうし、継続は力なりともいう。やらないよりも、やる方が幾分マシだ。ただひとつ、いいことを教えてやろうか」
そういって、コーチは浩太郎に笑いかける。笑みを向けられ、しかし浩太郎は嫌な予感を覚える。
「よく、努力や練習は嘘をつかないっていうけどな……あれは嘘だ。どんなに努力を続けても、それが報われるということはない。考えなしに練習を続けている奴は、いつまで経っても成功は出来ないよ」
穏やかに笑いながら、後瀬はそういう。その言葉に、浩太郎の胸は深く抉られる。まるで、自分のこれまでの半年近い努力が、全て無駄だったとでも言われているように思えた。だから紅白戦でも結果が出せなかったのだ、と。
「分かるか?」
「……はい」
浩太郎は、悔しさを噛みしめて頷く。頷いているが、納得したわけではない。目の前の人間は、自分のこれまでの努力を否定した人間だ。そんな人間に、立場があるとはいえ頷くのは屈辱的だった。
頷いた浩太郎を見て、後瀬は顎を引く。
「よろしい。ならば、まだ見込みがある」
その相手の言葉に、浩太郎は眉根を寄せる。自分の自主練習を否定した癖に、何が見込みがあるというのか、分からなかった。
不審がる彼に、コーチは言う。
「明日、練習は午後からだったな。だがお前、明日は朝からグラウンドへ来い」
命令のように告げるコーチに、浩太郎は目を瞬かせる。自分だけ何故そんなに速く呼ばれるのか、浩太郎には理解が追い付かない。
ますます訝しむ彼に、後瀬コーチはこう告げた。
「お前に、本当の努力の仕方を教えてやる。本当の努力をすれば、魔法のように上手くなれるってことをな」
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