眠れる未完のアーチスト②

 二十人以上の部員の中で、浩太郎にバッティングの機会が回ってきたのは、一番最後であった。何人かの部員が、森重に練習をしてこなかったことを見抜かれて消沈したのを見てきた後であって、内心彼は緊張していた。

 ボールを回収してケースに入れ直した森重は、打席に入った彼を見てサングラスの位置を整える。


「お、遅刻魔か。お前は冬もきちんと練習してきたんだろうな」


 先制パンチとばかりに揶揄され、浩太郎はむっとする。だが、この点には浩太郎は自信があった。龍城に入ると決めてから、彼は気合を入れて自主鍛練してきたからだ。


「してました」

「ほう。どれぐらい?」

「毎日素振り五百回、休まずやりきりました」


 そう宣言すると、森重は口角を持ち上げた。


「はったりとしたらいい度胸だな。はったりじゃなければいい根性だが」


 からかい半分で言われ、浩太郎はますますむっとする。いちいち癇に障る言い方をする人だと、今に見ていろと心理が熱くなる。

 そんな浩太郎に、「いくぞ」と部長はボールを放る。腰の辺りへトスされた球に、浩太郎はバットを振るう。


(見やがれっ!)


 そう奮い立って振られたバットは、甲高い金属音を鳴り響かせる。

 勢いよく、ボールは高々と打ちあがった。そのボールの勢いはすさまじく、ものすごい速さで上空へと浮上していく。

 守備の部員の皆が目で追う。森重部長も顔を上げた。ボールは天高く飛翔し、やがて弧を描いて落下してきた。

 パシンと、守備の部員がボールを取る。取った選手位置は……内野の位置ポジションだった。

 高く上がったフライは、結局三十メートル程度しか前へ飛んでいなかったのである。

 それを見て、浩太郎も森重も黙り込む。浩太郎はその結果に内心羞恥を覚え、「つ、次こそは」と構える。

 森重は無言であった。黙って、ボールをトスする。

 それから、二十球前後、ボールは放られた。だが、そのほとんどが高々と上がる内野フライだった。時折鋭い勢いで前へ弾かれる球もあったが、それも鋭い内野ゴロといった感じで、内野の部員たちにキャッチされた。


「おう。すごい打球だな。もっとも、全部内野にしか飛んでいないが」


 ボールケースが空になったところで、森重はそう口を開いた。それに、バットを手にした浩太郎はぐっと固まる。そこには、上手く結果が出なかったことへの悔しさがあった。


「お前、中学では何番打っていた?」

「……七番です」


 正直に、浩太郎は答えた。素直に打ち明ければ、浩太郎は弱小チームの外野手だった。時折デカい打球を打つこともあったが、あまり打率がよくなかったために下位打線を打たされていた、有体に言えば、中学時代はパッとしないバッターであった。

 その返答に、森重部長は「そうか」と頷く。


「なら、うちでそれ以上の打順を打ちたいんなら、もっと考えてバットを振らんとな。でなければ、試合に出るどころか控えにもなれんからな」


 そう言うと、森重は全員のトスバッティングが終わったということで、一度練習を切り上げる指示を出し、グラウンドから引き揚げていった。

 その背を、浩太郎はじっと見る。先の言葉に、少なからず自分を侮っている様な感じを覚えたからだ。

 事実とはいえ、自分を遅刻魔だとレッテルを貼るし、バッティングを見て馬鹿にされ、正直いい気はしない。そのことに、悔しいし腹立たしかった。

 今に見ていろよ、と思う。今にその高慢な鼻をへし折ってやると、浩太郎は密かに誓うのだった。


   *


 その日の夕方。一年生だけの合同練習が終わり、森重部長はグラウンドのクラブハウスで新入部員の資料を見ていた。入ってくる新入生たちの中学の経歴を確認していると、クラブハウスの扉が遠慮することなく開かれる。

 無遠慮でクラブハウスで入って来るのは、礼儀知らずの新入生を除けば、森重の知る限り二人しかいない。森重が振り向くと、入って来たのはその二人だった。龍城高校野球部の監督と、コーチの二人である。


「よう、お疲れ」


 監督が手を挙げると、森重は立ち上がり頭を下げる。


「お疲れ様です。試合はどうでしたか?」

「聞くな。ところで、新入生の様子はどうだった?」


 少し不機嫌そうな監督の反応に、あぁ負けたのか酷い試合をしたのだなと推測をつけつつ、森重は手元にあった新入生の史料を渡す。


「例年通りです。ただ、面白い奴は何人かいました」

「ほう誰だ?」

「実力という面では三人ですね。特に、一人は飛び抜けていましたね。打撃もいいし、守備もよく動けていました」

「岡崎か?」


 監督が資料も見ずに言うと、森重は驚くことなく頷く。


「そうです。あと、素材型という意味で面白い奴も何人かいました」

「たとえば?」


 聞かれ、森重は手元に目を落とす。


「えー、たとえばこいつです。スイングは新入生の中でもピカイチなんですが、打つ球がことごとく内野にしか飛ばないんです。初日であったという力みと、後は技術的な問題だと思うんですが」

「スイングがいいのに、内野までしか飛ばないの?」


 コーチが資料を覗きながら訊くと、森重は頷く。


「はい。見ている分には面白いですが、本人はきっと悔しがっているでしょうね。一応、発破をかけてはおきましたが」

「練習熱心な子ならば、面白いね」


 森重が半笑いで言うと、監督も微笑む。


「えぇ。性格まではまだ分かっていませんが、真面目か負けず嫌いな奴であるならば、指導次第でかなり化けるんじゃないでしょうか?」


 そう期待を込めて言うと、「それは楽しみだね」と監督は笑う。

 おそらく本人は、自分がそんな評価をされているとは露ほども思っていないはずだ。


「で、他にはどんな子がいたの?」

「そうですね。例えば、この川端って奴は――」


 監督やコーチの質問に対し、森重部長は出来る限り詳細に答えていく。現状の評価と期待、将来性を語る部長の言葉を、二人は熱心に耳を傾けて聞いていた。


   *


 新一年生たちが集まっての初めての合同練習から、時間は瞬く間に経過していった。

 その間には、入学式や野球部入部に際して改めての入部の挨拶などもあり、最初の一週間は殊更早く、慌ただしく過ぎていった。

 野球部の練習は非常に厳しい。入部したての一年生は、当然いきなりはボールを触らせてもらえず、しばらくは走り込みや筋肉・体幹トレーニングといった基礎練習ばかりであった。そのことに、不満を述べる部員もいたが、中には「最初はこんなもんだ」と言う者もいた。

 とはいえ、いつになればボールを触って、野球部らしい練習ができるようになるのか――そういう思いが新入生たちの間には広がっていく。

 その好機が到来したのは、入部から半月が経った、四月半ばのことであった。


   *


「紅白戦?」

 グラウンド整理のためにいち早く部室へ集まっていた一年生組の間で、疑問符混じりにそんな声が漏れる。その声に、部室内の一年生が皆振り向く中、すでに着替えを終えていたある一年生は顎を引いた。


「あぁ。一年生と二年生のチーム、それと二年生と三年生のチームに分かれて、紅白戦をやるらしい。下級生チームはコーチが、上級生チームは部長がそれぞれ采配を振るうそうだ。さっき監督から、その事を伝えるように言われた」


 そんなことを告げたのは、岡崎康信おかざきやすのぶという名の部員だ。浩太郎たちと同じ一年生ながら、入部から僅か半月にもかかわらず、すでに学年のまとめ役に近い役割を監督から任されていて、監督や上級生との折衝役も務めている部員だった。

 その部員から伝えられた情報に、一年生の間で様々な反応が漏れる。そのほとんどが喜びの表情だ。入部してからこれまで、ほとんどボールを触った練習すらもさせてもらえなかった彼らからすれば、久々の練習、それも実戦を行なえることに、少なからず歓喜と興奮を覚えるのは当然だった。

 これまでの基礎練習ばかりからの鬱憤を晴らす機会が来た、その好機が予期せず訪れたことに、部員たちは目の色を変える。


「二年生と組むのか。で、俺たちからは誰が出られるんだ?」


 部員の一人が訊く。

 一年生の部員は十五・六人――入部当初から少し減ったが、それでも全員が試合に出られるわけではない。二年生の一部と組むならなおさらだ。野球は一試合で九人までしか同時に出場できないスポーツなので、当然出られない人間も出てくる。

 当たり前ともいえる疑問に、康信は全員の顔に目を巡らせてから、口を開く。


「一年生のメンバーでスタメンなのは、俺と川端かわばた、それから真田さなだと森川の四人だ。部長がそうメンバーを選定したらしい」


 その返答に、部員たちの中でざわめきが起こる。

 それを見て、康信は先んじて言う。


「スタメンは、入部前の冬から自主練習をしっかり行なっていただろうメンバーから選び出したらしい。あと、ここ半月の練習への態度や積極性も考慮したとのことだ」

「……じゃあ、部長の目からそう映らなかった奴は、試合に出させてもらえないってことか?」

「いや。そこまで理不尽ではないらしい。出来れば全員試合に出させてくれるそうだ。スタメンに選ばれた奴は部長の目にかかった奴というだけで、そうじゃない奴を干すわけではない。スタメンとベンチスタートの奴に、現時点では明確な線引きをしているわけでもないそうだ」


 不満を口にする部員に、康信はそう説明する。

 スタメンとそうでない選手たちの違いはそうはっきりとあるわけでなく、単純に練習態度が真面目な人間から使っていくというだけだそうである。

 それを聞き、多くの部員は安堵する。自分たちにもチャンスがあると聞き、安心すると共にやる気を持ち直したようであった。

 ただその中で、一人は熱く燃えていた。


(チャンスだ。これは、あの野郎を見返すチャンスだ)


 そう考えていたのは、浩太郎である。

 入部前の練習で、森重部長に馬鹿にされて矜持に傷をつけられた彼にとって、今回の紅白戦は好機であった。彼の前で自分の華々しい活躍を見せれば、あの偉そうで見下した彼からの評価を覆すことが出来るかもしれないと考えたのである。

 実際には、それは彼の先入観であって、まずスタメンに選ばれた時点で部長は浩太郎を買っているのだが、本人はその事に気づいていない。


(上級生相手で緊張はあるけど……絶対俺の実力を見せつけてやる)


 紅白戦の試合が始まるまで、浩太郎はそのような思考ばかりを巡らせていくのだった。

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