とあるバッテリーの約束②

 それから何度か、木元とは会う機会があった。

 愛知へ遠征に行った時に、その話を聞きつけてやってきたようだ。何度か面識を深めていると、その人となりも分かっていった。一目見たところ好々爺に見える老人だったが、どうも野球には人並み以上の情熱を持っているようで、語りだすと真面目に、また厳しく話す人だった。


 ある時、一回だけ一緒に食事をする機会があった。親も一緒にいた時に、試合後親を口説かれ、近くの中華料理屋に食べに行った。

 その時、思い切って訊ねた。どうして、自分を熱心にスカウトするのかということを。

 普通は皆、自分ではなく日村栄治に声をかける。この時点ではすでに、康信の方にも声を掛ける人間も出始めていたが、それでも大抵は栄治とセットであった。中には、自分を抱え込むことで栄治を口説きやすくしようと考える大人もいた。単体で康信を欲しがるのは、木元ぐらいであった。


「あぁ。それは、君が魔法のようなキャッチング技術を持っているからだよ。君の齢で、あれだけ見事なキャッチングをする捕手は初めて見た」


 木元はそう答えると、食事が来るまでの間に語り始めた。


 まずは構え。投手と投げる球を示し合せるサインの交換が終わると、康信は投手に対してミットを構える。この時、彼は投手が投げやすいように、ミットを最大まで広げて出す。同時に、康信はミットがさらに大きく見えるように、手首を意識的に立てて、ミットを上へ傾けている。こうすることで、投手に的を大きく見せていた。


 次に捕球までの間。多くの捕手はこの時、投手がモーションに入ると、一瞬ミットを下げて閉じ、またミットを広げて持ち上げるという動作を取る。プロでもよくそうやる。しかし康信はそうはしない。投手がモーションに入って投げ終えるまで、彼のミットは不動だ。こうするだけで、ボールがミットから逸れたコースに来た時の反応が早まるだけでなく、投げる投手側からすると的が動かないために投げやすさがまるで違うのだという。


 最後に捕球。これが、康信は抜群に良いのだと木元は熱弁する。康信は、試合でボールを後ろに逸らしたことはほとんどない。それだけ、手の届く範囲ならボールを上手く取る。また、ストライクかボールかというきわどいコースのキャッチングが絶妙なのだ。普通の捕手は、そのコースのボールを受けた後にミットを内に動かす。そうすることでボールをストライクに見せるのだ。康信は違う。彼は、ボールを受ける直前でミットを動かし、捕球の直後はピタリとミットを動かさない。これだけで、球審のジャッジは大きく違う。前者の場合は、球審が「だまされるものか」と意地になってボールにすることが多いが、康信の取り方だと思わずストライクと手を挙げてしまうのだ。これは高等技術で、やれる捕手はプロでも稀有であった。


 これらのキャッチングの技術に、木元は惚れ込んだと言った。曰く、栄治の投球が活きているのは、七割が彼の実力であるが、残りは康信の技術だとも説明する。キャッチャーがもし下手くそだったならば、きっと栄治は全国一の投手とは言われなかっただろう、と。


 そしてその魔法のキャッチングは、すべて天性というわけでなく、康信が意識的に計算し、努力した結果身に着けたものなのだろうとも言った。これに、康信は正直驚いた。完全に見抜かれていたからだ。自分の捕手としての技術は、半分は現シニアの監督の熱心な指導あってのものだが、半分は独学で学んだからであった。

 それを認めると、不意に木元は訊ねてくる。


「じゃあどうして、君はそんな技術を身に着けられたんじゃ? 自発的にそこまでやれるのは、とても稀有じゃよ?」

「それは……僕が小学校の時は投手をやっていたからだと思います」


 そう言うと、木元は興味深そうに話を聞いてくれた。

 康信は、根っからの捕手ではない。意外なことだが、ジュニアリーグの時――つまり小学生までは。自分が投手をやり、栄治はキャッチャーをやっていたのだ。そのバッテリーで大会にも参加していたのだが、その時の二人は県大会さえ突破できなかった。

 それがジュニアからシニアへ上がる前、今のシニアの監督に出会い、バッテリーごとコンバートを勧められたのだ。それを受けて実際にポジションを入れ替えたところ、これがはまった。二人は半年のうちに全国まで行き、優勝まで駆け上がってしまったのである。


 何故こんなことが出来たのか。それは、互いに相手のポジションの習性を理解する頭脳を持っていたことが大きいのだと康信は自己分析していた。栄治は元捕手ということで配球を理解していたし、康信は元投手ということでどうすれば投手が投げやすいかを知っていた。

 また、シニアに入る前から、二人は素直にシニアの監督に信頼を置いていたのも大きい。シニアの現監督は投手や捕手の育成が上手いことが近隣では有名で、その指導に二人は熱心に耳を傾けて練習した。一方で監督の勧めで、二人は互いのポジションの自己研究・追求学習も行なうようにしていたため、独学に近いもので様々な技術を習得していた。具体的に言えば、栄治の使う変化球や康信のキャッチング技術は、ほぼ自己研究での賜物だった。

 それを聞き、木元は納得する。


「なるほど。それで今の地位を手に入れたというわけか。儂が監督でも、自分でそれだけ考えて野球に取り組んでいる子がおれば、優先的に試合に出させたくもなるな」


 そう讃えられ、康信は少し照れた。自分の勤勉さが褒められるのは、嬉しいし素直に気恥ずかしさもあった。

 だが、事実そうだろう。練習熱心・研究熱心な子供がおれば、大人は贔屓目にみたがるものだ。それに実力が伴っていればなおさらだ。だから栄治や康信は、一年からレギュラーで、シニアリーグで活躍できたのだ。

 ただ、


「しかし、中学でここまでの技術を持っている捕手はそうはいないじゃろうな。儂も元捕手で、指導者としても長くいろいろな子を見てきたが、君ほどの捕手は見たことがない」

「……恐縮です」

「じゃから、なおさらウチに来てほしい。ウチの学校は、恥ずかしながらまだ甲子園どころか県の決勝さえ勝ったことがない。その壁を突破するために、いい捕手がいてくれんといかん。投手は何人かよいのを連れてこれそうじゃが、それを牽引するおうぎかなめが必要なんじゃ」


 そう言ってまた口説き始めたところで、料理がやって来た。


「どうか、親御さん共々検討してくれ。もし来てくれれば、預かる以上儂は実の息子だと思って指導させてもらう。時には厳しく当たるかもしれないが、それは選手として、また人として成長を願ってのものだと理解してほしい。では、いただきますかの」


 そう言って食事にありつくまでの姿を、康信は何故か鮮明に記憶している。それは論理ではなく、本能的にこの人ならば信頼できると思ったからなのだろう。

 それだけ、相手の言葉は真摯であった。



   *



 その後、康信は二年の夏の大会も栄治と共に出場し、見事優勝を飾った。

 ただ、三年の大会は日村が酷い成長痛を起こしてしまい、ほとんど試合に投げられなかった。それもあって、全国大会に出場することはできたが、結果は二回戦負けということで、三連覇ということは出来なかった。

 だが、その中でも康信のキャッチャーとしての能力はいかんなく発揮され、よく投手を牽引していると評判になった。

 それを受け、ようやくその才能に多くの人間が気づき始める。凄いのは日村栄治だけではなかったと、単独のスカウトの声もかかるようになっていったのだ。

 ただ、すでに康信の心は、充分に決まっていた。



   *



「――そういうわけで、俺はそこに行くと決めているんだ」


 康信が過去の話をそう締めくくる。

 話を聞いていた栄治は、それを聞いてひどく納得した様子だった。


「なるほどね。確かにそんな監督のいるチームなら、行ってみたいと思うかもしれないね」


 ボールを片手でお手玉する康信を見ながら、栄治は頷く。それを見て、康信はふと思うところあって口角を持ち上げる。


「なんなら、お前も龍城に来るか? お前なら、どこに行っても歓迎されると思うぞ?」


 悪戯心も働いてそう訊ねると、日村は少し考えたところで首を振る。


「いや、やめておくよ。おれはやっぱり、帝大三高に行く」

「へぇ、どうして?」

「俺も、一年の時から声を掛けてくれていた所を考えた時、そこが真っ先に思い浮かんだんだ。それに、いつまでも康信の世話になるわけにはいかないからね」


 そう笑う相手に、康信は「そうか」と頷いた。

 ただバッテリーというわけでなく、二人は友人としての関係でもあった。小学校から一緒に野球をしてきたが、ただ互いに依存していた部分がなかったわけではない。康信が評価されるきっかけには当然栄治の存在があったし、栄治が評価された陰には康信の献身があった。

 その事を二人は自覚していた。また、互いの夢の高さも理解している。


「そろそろ、道を分かれて、互いに一人前にならないといけない時期だと思う」

「お前、案外大人っぽいこと言うな」


 栄治の言葉に、康信は咄嗟とっさに茶々を入れる。「うるさいな」と栄治は照れ隠しで文句を言うと、康信は謝った。

 それを見てから、栄治は微笑む。


「何せ、康信の夢は全日本代表の正捕手になって、四十五まで現役の最前線で活躍することだもんね」


 その揶揄に、康信は肩を揺らして笑う。


「お前が俺の夢をからかえるもんか。お前なんか、日本人最初の国内高校出身のメジャーリーガーになって、メジャー四百勝を挙げることが夢なくせに」


 互いに、お互いの夢を指摘し合うと、康信と栄治は笑い合う。

 その夢を聞いたものは、大抵のものが笑うだろう。その世界を知っている者が聞いたら、失笑するかもしれない。

 ただ、別に今は笑われたところで二人は気にしない。今の自分たちでは、確かにそれは夢物語であろう。夢を現実に変えるには力がいる。その力を得るために、努力することを二人は強く意識していた。


「まぁだが、目下の目標はあれだな」

「ん? なんだい?」

「ひとまず、高校時代のうちに、お前が率いてくるだろう帝大三高に、甲子園で勝つことだ」


 そう言って、康信はニッと笑う。

 一方で、栄治もにこやかに笑う。


「そうだね。でも、俺は負けないよ?」

「俺もさ。そう簡単に、負けてやるつもりはねぇ」


 互いに、互いの力量を認めつつも、二人は誓い合う。

 必ず、全国最高の舞台でぶつかり合おうと、ひどくあっさりと、しかし力強く確認したのであった。




 それから年が明け、数カ月が経った。

 二人は道を別れた。

 日村栄治は東京の学生寮へ旅立ち、岡崎康信は愛知にある親戚・叔父の家へと厄介になることになった。

 そんな二人の胸には、誓いがある。

 必ずもう一度、全国の舞台で会い、そして戦い合う事。

 そこで一緒に野球の試合を行なうことが二人の夢――否、目標であった。

 それがたとえ、今度は敵としてのものだとしても。

 二人の約束は強く、遠く離れた地でも繋がり続けるのだった。

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