第4話 叛骨の鉄斧

 ユーライジは、サクスに斬れと命じた。その判断は間違っていないだろう。だが、サクスの中には多少の迷いがあったことは否めない。

 ユーライジは、そんな不安を感じ取り、サクスへと言葉を投げかける。


「何を恐れる。お前には能力もある。ましてや、格闘術でガモガスを圧倒したお前だ。いまさら」


 ユーライジの言葉はよくわかる。道理にも叶っているように、サクスは思う。しかし、そうではないのだ。サクスは首を横に振りたい気持ちを抑え、代わりにポツリと漏らすように口を開いた。


「以前にも言いましたが。俺の能力は、そんな便利なものじゃア無いんです。何も、失わずに使えるはずもない。あるいは命の危機にあって、初めて使え、もしくはそれは何の効力も発揮しないのかもしれない。そんなものなのです」


 ユーライジは、再び子供のような笑顔を含み、サクスに尋ねる。


「使い勝手が良くないということか? あるいは」

「いえ、あまりに弱々しい能力なのです。おそらく、俺が能力を使った時、使われた者はその存在にすら気がつかない……。それは、俺の弱さなのです」



-7-


 翌朝の戦も、先日と同様に厳しい戦いが続いていた。この日は雨が止み、視界は確保されている。だが、かえって敗戦が続くタスカス傭兵団にとっては、より一層事態を悪化させるだけであった。

 おそらく、作戦も戦術も、あるいは戦略すら筒抜けなのであろう。位置は読まれ、それぞれに適した装備で対抗され、傭兵たちはまたもや倒れていくのみである。


 ガモガス中隊長と行動を共にするように、サクス小隊には命令が下った。そのせいで、ユーライジがサクスに課した密命を、どうしても意識せざるを得ない。だがサクスは、未だガモガスの尾っぽを捕まえることもできず、ただ分厚い甲冑に覆われた連中を相手取りながら、必死に生き残る道を模索していた。

 ガモガスたちの部隊は、最早奇襲だとか遊撃だとかという話ではなく、ひたすらの転退であった。シュカの野原を抜け、トロス大河を越え、トロスを目前とする平野にまで引き下がっている。


「くそったれぇ! こいつら、何でこんなに、俺たちの位置を!」


 叫び声が上がり、サクスの視線が注がれる。倒れ込んだ傭兵に、2人の騎士が槍を煌めかせ迫っていた。追い縋ってきた甲冑の首を刎ねたサクスは、近くの傭兵を助けるべく、腰元の鎌を抜き、投げた。


 投擲された鎌は弧を描きながら、手前側にいた騎士にぶつかる。突然の衝撃に驚き、騎士は動きが鈍る。奥の騎士も巨大な盾を、胸元に引き寄せる。

 鎧に跳ね返された鎌は、空を舞う。


「剣技『太刀風たちかぜ』」


 2人の騎士がサクスに向き直った時、既に彼は投擲した鎌を回収していた。右手で鎌の柄を握りしめてたのである。そして、丁度その姿勢が、飛びかかりながら鎌を振り上げるものと一致している。上腕筋から前腕筋群へと力が伝播して、魔力が鎌に流し込まれる。


 瞬間的にサクスの右腕が掻き消えた。


 直後、重苦しい鋼の音とともに、騎士の左腕が両断された。サクスは鎌を地面につける様に、片膝をつく。全身運動による激しさを物語る様に、額からは汗が吹き出てくる。


「あ」


 間抜けな声を出して、手前の騎士は自らの腕の先を探した。落ちた腕は、まさしく肘の関節部で鎧の弱い箇所を狙ったのであろうが、しかし見事な腕前である。動揺が、2人の騎士に広がる。その間を逃すほど、傭兵たちは怠惰ではない。倒れ込んでいた男は、いつの間にやら握り直していた槍を、甲冑の隙間に差し込む。

 サクスは手前の騎士にトドメを刺した。刃が脊椎をえぐり、騎士は仰向けに倒れた。


「小隊長、ありがとうございます……」

「ああ。あらかた遇らったら、ガモガス中隊長の元にまで引き退ろう」


 傭兵は頭を下げると、そのまま槍を肩に担ぎ戦場の奥に姿を消した。敵はもう、情報漏洩を隠すつもりもないらしい。過剰なまでに充実した装備の兵を、サクスたちにぶつけてくる。


 随分と優秀な占星術師がいるらしい。

 サクスは胸の内で、皮肉げに呟いた。


 当時、魔法だと考えられていた現象のおよそ半分近くは、今で言う科学と呼ばれる領域に含まれるものである。その中でも占星術や幾つかの未来予知に関するものは、俗にインチキと呼ばれる領域であったと現代では判断されている。だが、トロス戦役時代においては、占星術はメジャーな予測法であり、実際よく用いられていた。彼らは戦場の機微を、星占いで解決しようとしていたのである。


 それでも、私見を述べるならば、占星術等を頼りにしていたのは、一部の貴族や王族といった、やんごとなき方々のみであった筈だ。市井に生きるものたちは日々の生活で実際的な考え方をしたと思われる。同じ様に、傭兵たちの様な戦場で日々命をかける連中が、あやふやな占星術を信じていたかと言われると、疑問を呈さざるを得ないだろう。


 いずれにせよ、サクスは占星術等を信じてはいなかった。それよりは、誰かが密告していると考える方が合理的だと、彼は判断した。そしてその対象こそ、ガモガス中隊長であった。

 サクスたちの小隊はガモガス中隊と共に、再び戦場を移した。追っては逃げ、追っては逃げ。その数は、既に半数近くにまで減っている。


 だが、ガモガスの表情に変化はない。話しかけ、揺さぶろうかとサクスは考えたが、常にガモガスの懐刀が周りを詰め、1人になる様子はなかった。しかし、なればこそ密談を進める隙間もない事となる。ガモガスが1人で部隊を離れるならば、それが合図となる。サクスは常に、視界の端にガモガスを意識して行軍していた。

 すると、そんなサクスの元に部隊の古兵が顔を寄せてきた。


「小隊長。ガモガス殿に、何かご用事で」

「わかるか。しまったな、そんなに顔に出ていたか」


 流石といえば古兵ではあるが、サクスとしては気分の良い話ではない。だが、彼は何も言うなとばかりに頷いて、言葉を切り出した。


「深くは聞きません。しかし、何かお話があるのであれば、間も無く機会が訪れます」


 それは、サクスにとって願っても無い言葉であったが、同時に幾つかの疑問を彼に与えた。


「どう言う意味だ。いや、何故そのようなことを申す」

「いえ。この先の森は、私の生まれ故郷なのです。そして、この地は夕刻になるとーーちょうど今頃ですがーー深い霧が生まれます。その時に、2人きりにすることが出来るように、と」


 古い部下は、言葉尻を濁した。

 彼が、誰よりかサクスへの協力を頼まれたことは明らかであった。


「ユーライジ殿か」

「ユーライジ大隊長ですか? いえ、私はコース中隊長に」


 その言葉で合点がいった。

 なるほど、彼ならばこの作戦に無理はないであろう。もしやすると、昨日のユーライジからの文は、このことを指示していたのかもしれない。サクスは1人頷き、それからコースの魔術、「霧隠きりがくれ」ならばそれも可能だろうと、改めて安心した。


 その時、まさしく抜群のタイミングで霧が生まれ始めていた。サクスはほくそ笑み古兵と別れた。念のため、ガモガスの近くへ寄るが、予想通り霧はますます濃くなり、次第に目の前を行く味方の背中すら、白い波に飲まれて消えてしまった。


 魔術「霧隠」は自然の霧を前提とするが、霧の中では無類の強さを発揮する。どれほど密着していようとも、一度霧に飲まれると人々は方向を失い、目印を失い、ただ術者の望む通りの地へと歩みを進める。サクスはコースの魔術を信用し、ただ足元の草木に気を張りながら、目の前を行く人影を追った。始め複数の蠢いていた影は、少しずつ減っていく。1人、また1人と影が消えて、最後に大柄な1人分だけを残したかと思うと、すっと霧も晴れてしまった。


「む。これは、どうしたことだ」


 それまで、懐刀に守られて歩いていたと錯覚していたガモガスは、突如晴れた霧に束の間喜んだが、すぐ1人である違和感に気がついた。


「やぁ、ガモガス殿。我々だけ逸れてしまったようですな」


 サクスは勤めて朗らかに、戸惑う大男へと話しかける。ガモガスは振り返り、その視界にサクスを収めた途端、跳び上がって距離をとった。周りに人はおらず、サクスと二人きりになってしまったと、すぐ理解したらしい。


「貴様か。なるほど、コースの魔術であったか。小賢しい野郎だ」


 ひとしきり、呪詛の言葉をつぶやいて、それからガモガスは背中の鉄斧を構えた。


「俺に何用だ」


 その対応が既に全てを物語っていたが、しかし、サクスは言葉を返す。


「それはガモガス、お前が一番よく知っているだろう。敵軍に寝返るとは、古株の名が泣くぞ」


 サクスとしては、もう一度か二度、言葉でのやり取りが続くと見ていた。だが、予想を裏切り、ガモガスは即刻武器を振り上げ、飛びかかってきたのである。

 咄嗟にサクスは対応を迷った。斬っても良いと、言質は頂いたが然りとて単純に斬れる程、サクスはユーライジを信用していなかったのである。


 だが、斬らねば斬られる。間も無く取り出したる二本の鎌を、サクスは腕ごと捻りながら胸元で交差させた。

 剣技「車座」である。


 様子を見たガモガスは、空中で手の鉄斧を放り投げた。サクスにとって、まさかの対応だ。相棒とも言える武器をみずから捨てたのである。いやしかし、すぐさまガモガスは腰元より2本目の鉄斧を取り出した。一本目に比べれば、はるかに小さな手斧である。それを水平に寝かして、真横より斬りつける。

 二連の斬撃がサクスへと迫っていた。


「俺のォ! 前に、沈め! 剣技『咬叉こうさ』!」


 縦と横の二連撃は、見た目ほど容易な技術ではない。それをまた、ガモガスの巨体で行うから、その一撃は必死である。縦の巨体斧の一撃を左右に避ければ、横の一撃が構えている。退がる事も考えたが、腰に下げた直刀が睨みをきかせていた。

 しかし、サクスの剣技もまた、ある種の超越者と呼べるレベルに達している。彼の技巧によって繰り出される斬撃は、鉄斧を弾き返すまではいかなかったが、逸らすことに成功した。

 その時、サクスは鉄斧の向かって右側に身体を滑らせた。ガモガスの二撃目は、利き腕である右から発せられていたからである。


「剣技、『こがら……」


 その場で回転を始め、新たなる剣技を披露しようとしたサクスに対し、ガモガスは笑みを浮かべた。その笑みに只ならぬ気配を感じたサクスは、回転を止め剣技を中断する。と、その背後に鋭い風切り音が。


「?!……ごふっ、なっ……!」


 寸前で回避すべく身体を捻ったが、脇腹を鋭く手斧がすり抜ける。サクスの薄皮を削り取り、血が吹き出る。激痛に悶え、声が漏れる。背後より飛び込んできた手斧は、見事にガモガスの手の中に収まった。横の二撃目は、見せかけの囮であったのである。いや、囮というのであれば、先に投げた大斧もまた見せかけであったということだ。おそらく、普段の戦場から、常々それを使っていると印象付けた行動も、このただ一度のだまし討ちのため。


 本命は、糸であった。細くしなやかに磨き上げられた糸が、手斧と手斧を結んでいた。第一投の大斧を投げる時、すでに手斧を放っていたのであろう。それが旋回し、糸によって調整され、サクスを背後から襲ったのである。


「ふ、ふふ。ははは! 流石の能力者といえど、我が秘技ばかりは受けきれねぇか!」


 ガモガスは、勝機を見たとばかりに吠える。


「剣技『咬叉』は、縦と横の咬み合わせではない。前後による斬撃なのだ」


 それは確かに恐るべき剣技であった。見た目に似合わぬ細やかな技術が要求され、そしてこの粗野な雰囲気を持つガモガスならばおそらく百発百中であろう。実際、サクスの腹は裂かれ、血が滴り、致命傷とは言えないが、伸びやかな戦闘は難しそうに見える。


「……剣技『車座・飛翔』」


 だが、サクスは諦めない。

 手を交差し、回転する螺旋の斬撃を射出する。放たれた斬撃は飛翔し、すぐさまガモガスに到達する。突き刺しっぱなしの大斧を掴み、向かってくる斬撃とサクスとを巻き込むように振り払った。斬撃は消える。が、そこにサクスの姿はない。彼は背後に退がり、息を整えていた。


 サクスは思考する。

 先ほどの「はめ技」は、確かに考えられた秘技であるが、それ以上にサクス個人に向けられた技であると、彼は感じていた。咄嗟の判断において、サクスは攻めに転じることが多い。その特性を知らなければ打てない手であったのだ。


「逃げるか、腰抜けめ!」


 鼻息を荒くして、ガモガスは距離を詰めてくる。大斧を振り回し、すきあらば、手斧を絡めて無数の手数を表現する。サクスはただ、受け続けることしかしない。


「ほれ、ほれほれ、ほれっ! どうだ、これが本来の実力だ! 俺を馬鹿にしたことを後悔しながら死ぬがいい!!」


 右、右、斜め上から下に、返す刀で左、上下にふって、そして右。大小の斧が、鋼の風となってサクスに襲いかかる。

 一撃一撃、サクスは後ろへ追い込まれ、連続する轟音とともに弾き飛ばされた。


 2人の立ち位置は、また少し離れる。

 2、3歩タタラを踏み、それから疲れたようにサクスはうな垂れた。両腕をだらりとさげ、その手に握られた鎌もどこか頼りない。


「ふっ! なすすべも無く、といったところか。全く、こんな奴の、何を一体恐れていたのか……」

「……もう、いい」


 ようやく、サクスは言葉を発した。

 それは、聞こえによっては諦観の念である。


「もういい、か。なるほど、貴様もまあ戦った方だ。塵のくせして、手こずらせてくれたよ。だが、それこそここでもう、終わりだ」


 ガモガスは、この時勝利を確信した。

 その言葉を、しかしサクスは一言、


「もう、底は見えた」

「は?」


 ガモガスの言葉と同時に、サクスは軽く跳んだ。わずか3フラ(*約20センチ)ほどではあるが、両足が地より離れたのである。


 当然ガモガスはこの時を狙って、手斧か何かを放つべきであったのだろう。だが、まさしく虚を突かれた形で、ガモガスは何もできない。サクスの足が再び地面に触れた時、その身体が一気に縮こまり、小さな肉の塊となった様に見えた。収縮した筋肉は、間も無く解き放たれる。


 ズン。

 軽い地響きがした。


 すると、サクスの姿はかき消えた。ガモガスは、立ち尽くし、間抜けに目を見開くのみ。そして、その左腕に鋭い痛みを感じた。棘をチクリと刺された様な、痛みである。ふと、左腕を見ると、その肘より先に腕はなかった。背後に、何かが走り寄る音が聞こえる。

 ガモガスが振り返ると、そこにはサクスが背を向けて立っていた。


「剣技『太刀風』」


 サクスの言葉が、静まり返った空気に響いた。

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