第3話 敗戦の理由

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 雨は未だ降り続いて居た。

 地面は緩み、溜まった水は流れを生み出している。即席の川が、何本もの白い筋となっていた。

 サクスたちは困窮していた。


「小隊長ォ! もう、限界です!」


 一人の傭兵が叫ぶ、悲痛な声がサクスに聞こえていなかったわけではない。だが、作戦遂行の為には今暫くこの地を守ることが要求されていた。いや、そもそもはと言えば、彼らの役割は奇襲であったはずなのだ。予想だにしない一撃を与える役割は、だが強固な敵の陣によって防がれてしまった。

 サクスは、稀代の戦士といっても差し支えがない技量を持っている。そんな彼が選んだ少数精鋭の奇襲部隊もまた、屈強な傭兵たちで構成されている。だが、それでも戦況の行く末を左右するものは、純粋たる数の力である。


 サクスたちを待ち受けていた部隊は、明らかに過剰な兵数で、防衛に当たっていた。そう、表現としてはまさしく、待ち構えていたのである。


「うぉぉおお!」


 怪しく頭を働かせていたサクスに迫る影は、怒声とともに剣撃を振るう。徹底された騎士甲冑の大男が、大剣を叩きつけてきたのだ。サクスは恐る様子も見せず、身体を僅かにそらすことで斬撃を回避した。鋼の塊は大地に突き刺ささる。大きな隙が出来た甲冑男に、両鎌を煌めかして飛びかかる。と、それを遮って鋭い槍が現れた。


 気がつくと、サクスの周りには四人もの騎士が詰めかけている。彼等は皆一様に、全身を覆う鋼鉄の甲冑で完全に防御を固めている。槍の一撃を鎌で弾き落として、そのまま背後に跳んだ。槍も追撃は避け、大剣を持った騎士を庇うような動きを見せる。


 思えば、この甲冑どもがまた奇妙であった。サクスたちが狙う予定であったのは、移動中の軽装備の連中だ。だが、茂みを抜けて姿を現したのは、準備万端にこちらを向いた甲冑ども。罠であることは、疑う余地もなかった。

 サクスたちは機動力と攻撃力を活かすべく、鎌や短刀、曲刀といった斬撃に特化している。ましてや、鋼鉄の鎧を突き破ることなど。


「随分な、歓迎ぶりだな……」


 四人に囲まれた中で、サクスは逃げ道を探す。仲間の傭兵たちは、同じように他の騎士に囲まれている。助けは見込めそうにないな。心の内で呟いて、サクスは武器を持つ手に力を込める。


「傭兵風情にしては、粘るじゃあないか」

「だが、これで終わりだ」

「我ら四人を前に帰れると思うな」


 どこかで聞いたようなことを、演劇的に、騎士甲冑どもが口を聞く。このまま放置していれば、何時ぞやのように叙情詩の一つでも吟じられてしまいそうだ。真面目な彼らを挑発するべく、サクスはあえて小憎たらしい笑顔を見せた。


「前に、そんな戯言をほざいた騎士様は、綺麗に首を飛ばして死に晒したぜ」


 途端に、殺気が吹き荒れる。

 サクスは待っていましたと鎌をふりかざす、が、彼等は統率された騎士としての自制心を見せた。間も無く殺気は漏れ出ることなく、静かに各々の身体の内へと収まった。だが、怒りの残滓だけが空気に漂っている。

 沈黙を破って、大剣の騎士がポツリとこぼした。


「知っているとも」


 その一言が合図であった。

 彼等は一斉に動き出した。まるで四人の騎士が一個の生物かのように、見事なコンビネーションで向かってくる。槍を突き刺し、大剣を振りかぶり、メイスを構え、鎖鉄球は振り回し……。それぞれの武具は怪しく光り、殺戮の準備を終えた。

 そこに隙はない。サクスが受け止めることも、回避することも、それをカバーするような位置どりがなされている。だがサクスは、怯むことなく前に歩を進める。二本の凶鎌が、うっすらと魔力を纏い、その力を漲らせる。


「剣技『車座くるまざ飛翔ひしょう』」


 最も手前にいる大剣使いへと、サクスは一気に距離を詰める。すると、両鎌を胸の前で交差させ捻った。懐に潜り込まれた大剣の騎士は、咄嗟に退がる様な動作を見せる。隙ありと、サクスは捻った双方の鎌を、螺旋を描くように広げながら、円に連なる斬撃を放つ!


 刃の先から圧縮された魔力が、飛ぶ斬撃となって大剣使いの鎧を撫でる。刃より解き放たれた飛翔する斬撃は、螺旋の半径を広げ、四方を取り囲む騎士たちにも命中した。硬い金属同士がぶつかる、甲高い連続音が響く。騎士たちは一瞬動きが止まり、斬撃に眼を見張った。そして、火花が散る。

 しかし、磨き上げられた甲冑の表面を多少削った程度で、斬撃は直ぐに収まってしまう。どの騎士も、多少の衝撃を除けば、全くの無傷であった。


「……ふっ! その程度か、能力者!」


 その様子に勝機を見たのか、騎士は大剣を振りかざす。先程よりも素早く隙のない一撃が、サクスに襲い掛かる。避ければ槍に串刺し、退けば鎖鉄球と鋼鉄のメイスが。その場に止まってしまうと、まさしく大剣の一撃を受けざるを得ない。

 筈だった。


 その時、突風が吹いた。巻き込むように回転する強風は、丁度サクスが放った先ほどの鎌の軌道をなぞる位置で、螺旋を描く。唐突な渦に飲み込まれ、騎士の大剣は大きくぶれた。いや、大剣の騎士だけではない。すり寄ってきた連中の身体が歪み、重心がずれ、そして隙が生まれる。

 騎士甲冑における隙とはすなわち、関節の隙間であった。


「剣技、『こがらし四連しれん』」


 言葉とともに、サクスは独楽のように回り始めた。そしてまばたきの間も無く、黒い一塊の風と化したサクスは、ジグザグに4人の騎士たちの隙間を通り過ぎる。あっという間の出来事であった。独楽は回転をやめ、双方の鎌を振るう。鮮血が飛び散る。


 騎士たちは一歩も動かない。

 やがて、1人の騎士が仰向けに倒れたかと思うと、連鎖するようにそれぞれの騎士たちが思い思いに寝転んで行く。彼等はみな事切れていた。首元から先は、身体に繋がっておらず、捻り切られた跡が残っている。


 戦場の、どこにでも溢れた光景ではあるが、この瞬間にサクスは虚しさを覚える。冷たくなっていく骸と、生者であるはずの自分にどれほどの違いがあると言うのであろうか。


 また、無常の感慨と同時に、騎士が述べた言葉に不穏を感じていた。


 能力者。

 ごく限られた、と言うには余りに多くの人物に知れ渡ってしまっている。だが、然りとて敵軍の戦士に知られるほどであろうか。サクスは辺りを見回す。傭兵どもは散り散りとなり、堅く守られた鋼鉄の鎧に為すすべもなく、屠られている。

 サクスは退避を決意した。これ以上の戦闘は、いたずらに兵力を下げるだけであると判断したのである。


「撤退! 総員、即時撤退!!」


 上の命令なく部隊を動かす責任は、取らねばなるまい。それでも、サクスは撤退を指示した。這々の体で逃げ出す傭兵連中を確認すると、友軍がいると思われる背後の山に向き直った。振り返ると山の中腹から狼煙が上がっていた。断続的に立ち上る特殊なあの煙信号は、偶然にも撤退を示していた。


「逃すか!」


 追撃をする騎士を、サクスは遇らいながら、敗戦の理由について思考をめぐらしていた。



-6-


 サクスたちが安全圏まで避難したのは、陽光が山々に遮られ始めた頃であった。辺りはシュカの野草が生い茂り、傭兵たちの足跡を隠してくれている。

 その先の、現在でいうタリスの街あたりにてサクスたちは友軍と合流した。当時は、シュカしか無い唯の小高い丘であったため、見晴らしが良く敵襲に備えることができるのであろう。


 狼煙を見つけ、真っ先にこの地へ急いだサクスの炯眼と言わざるを得ない。


 だが、友軍はどこも疲弊しきっていた。数は減り、装備は失い、青ざめた表情から戦闘の激しさが想像できる。

 やはり、何かある。サクスは眉間にしわを寄せて悩んだ。


 この敗北がサクスたちのみであるならば、運の悪い戦というのは、年に数度なくも無い。だが、あちらこちらの部隊がみな、完膚なきまでに敗北するというのは、妙である。疲れ切っている部下たちに、休息の令を出した後、サクスは辺りの傭兵どもの顔を眺めた。弱々しい男どもの中に、優男のユーライジを探していたのである。

 すると、不振に周りを気にするサクスへと声をかける者が現れた。


「サクス殿。ご無事であったか」


 振り返ると、傭兵にしては綺麗に磨かれた鎧を身につけた、洒脱な中年の男が立っている。その男、名をコースと言った。


「コース殿も、ご無事で何より」

「どなたか探しておられる様に見受けられたが」


 コースは気を遣ったのか、爽やかに微笑み、サクスの不審を尋ねた。

 この男にはそういうところがあった。


 サクスは、それこそ夢見がちな若い傭兵達には人気があったが、古株と呼ばれる昔からの古兵にはハッキリ言って疎まれていた。そんな中で、この洒脱な男だけが妙にサクスを可愛がっていたのである。サクスもまた、話す速度が噛み合うというのか、歳も性格も大きく離れたこの男が、しかし嫌いにはなれなかった。

 ともすれば、団の上役どもの中で浮きがちなサクスを、いつも心配し目にかけていてくれたのである。例によって、サクスは軽く頭を下げ、だがユーライジを探していたことは飲み込むことにした。

 代わりに、こんな言葉を口にしてしまう。


「ガモガス殿は、どちらにおられるかな」


 言い終わる前に、サクスは自らの失態を理解した。怪しく思うのは、ガモガスが戦前に誰某と密談をしていたからである。だからと言って、彼を疑っているとあからさまに示す必要はなかった。

 ユーライジの言葉を隠そうと思ったあまり、つい口から漏れたのである。


 はて、なぜ俺はユーライジの名を隠そうとしたのか。降って湧いた疑問の答えを遮ったのは、コースの言葉であった。


「おや、もう耳にされていましたか。流石ですな。噂通り、彼は兵の半分以上を失ってしまい、半ば自我を忘失しております。とてもまともとは、言えますまい」


 それは、まさしく初耳であった。と同時に、サクスが抱いた不審を、否定する材料の様に思えた。果たして、何らかの裏で敵方と繋がっているとして、自らの部下の命を悪戯に減らすものであろうか。

 ガモガスの、普段の言葉を思い出し、会話の流れを意識して、彼と交えた武具の重みから、しかしサクスはあり得るのでは無いかと、思い直した。


 あの卑しい豚男は、自らの保身によっては平然と他者を斬れる類の者である。それこそが、彼が長年生き残ってきた秘訣では無いかと、サクスは疑っていた。


「出来れば、ガモガス殿にお会いしたい。案内していただけないでしょうか」

「それは、やめたほうが良いでしょう。どの様なご用件かまでは詮索いたしませぬが、しかし貴方様にあっては先日の決闘が御座います」

「さればこそ」

「いや、人はそう思いますまい。或いは、ガモガス殿も、また」


 コースは、彼にして意外ではあったが、どうにも言葉を曲げるつもりはない様であった。その音色には純粋に、サクスへの心配が溢れていたし、何より彼の真っ直ぐな瞳を見てしまえば、御免と向かうわけにはいかなかった。


「どうした、何かあったか」


 そんな2人に、またもや声をかける者が現れた。2人はすかさずこうべを垂れ、声の主に礼を尽くした。そこには、例の優男が敗戦の場に相応しくない笑みを携えて立っていた。


「ユーライジ殿。ご無事でしたか」

「うん。コースも無事で何よりだ。……そうだ、すまないがこの文を第五中隊に届けてもらえないか。その場で開いてもらえれば、分かってもらえると思う」


 それは、明らかにコースをこの場より立ち去らせる方便であったが、コースは何も尋ねることなく頭を下げて、兵達の間に分け入って言った。背中を見届けたユーライジは、目線だけをサクスに送った。


「話があるのだろう。場所を変えよう」


 サクスとしては、依存はなかった。


 2人は、仮拠点を避けシュカの群生地を抜けると、裏手に林があった。すでに辺りは暗くなり始め、空には星々が輝き始めている。数日前に、焚き火を囲んでユーライジと会話したことを、サクスは思い出していた。或いは、その翌日に、密談をするガモガスのことを。


「この辺りならもう十分だろう。随分と、ガモガスを気にしていたな」


 もしやユーライジは、コースとの会話をどこからか聞いていたのかもしれない。あるいは、ユーライジは人相見の達人として有名であったから、不穏の陰を見抜いたのやもしれぬ。いずれにせよ、彼はサクスの悩みを知っていた。勿論、サクスもそれを報告するつもりで探していたのだ。不服はない。


「先の戦の前日に、ガモガスどのに叛骨の相が見えました。故に後を追うと、黒い衣装の男と密談を。そして、今日の敗戦です」


 あとは言うべくもなく。と、サクスは言葉を濁した。ハッキリと疑ってはいるが、しかしあくまでも疑いである。口に出すことは本来憚られる。

 だが、ユーライジは毅然と言葉を放った。


「ガモガスに反逆の意思あり、か」

「決まったわけでは」

「それは本心からか」


 間髪入れず、ユーライジは質問を投げかけた。当然本心ではない。サクスは少し考える振りをして、代わりに表現を変えた。


「その直後の対戦が、見事な敗北ですから」


 ユーライジも再び質問はしなかった。ただ、数回無言のまま頷くと、目を閉じて何やら思考している様であった。


「ガモガスが……。しかし」


 しばらくユーライジのつぶやきを聞いていたサクスは、不意に彼の瞳へ光が灯るのを確認した。それは、何時ぞや、巨大な獣として幻視した、野望の炎の煌めきであった。


「サクス。君に頼みがある」

「可能な範囲であれば、と予防線を張るくらいは許してもらいたいものですが」

「大したことではない。だが、君にしか頼めないことでもある」

「それは」

「明日の戦を控え、再びガモガスが密談をしないとも限らない。或いは奴が何か尻尾を出すかも知れない。確証は要らぬ」


 そこで一呼吸、ユーライジは間を開けた。その先の剣呑さを、より深く示している。


「怪しく思うなら、斬れ」


 その言葉は、湖面の水のように穏やかな一言であった。疑問は出ず、サクスはただ頭を下げた。ガモガスを斬る。刃を交えた経験から、それほど難しくはないだろうと判断する。


 だが、生命の危機にあるとわかった畜生は、思いもよらぬ力を発揮する。身に染みて理解していたサクスであるからこそ、この戦いの結末に、一抹の不安を覚えざるを得なかった。

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