涙の力

 ……家族を殺し、あるいは殺させて、拉致した子供を洗脳し、兵力とするアンドモアの中で、パチンコの経緯は少々変わっていた。


 幼い頃のパチンコは、父親に捨てられ、母親に売られ、愛玩用の奴隷として育った。


 今からでは考えられないほど可愛らしい容姿に物静かな性格は、彼を買った変態たちを大いに喜ばせてきた。そして喜ばせる術を、パチンコは命がけで学び、提供し続けてきた。


 だがそれも、パチンコが成長し、体が大きくなるにつれて、その可愛らしさは失われ、術は失われ、人気はなくない、ついに声変りが始まると、もはや愛玩用の奴隷としての価値は地に落ちていた。


 細腕だったパチンコに、他に役立つスキルなどあろうはずもなく、ただ無価値となった奴隷として、どぶ底のような牢に詰め込まれて、それでも生き残るにはどう売ればよいか、ただただ考え続けていた。


 だが浮かぶのは闇の答え、どう転んでもパチンコに非はない、というものだった。


 全て世界が悪い。


 俺は悪くない。


 考えが闇に染まり、手段さえあれば今すぐにでも全てを破壊尽くしたい衝動に侵され、なのに何もできないパチンコに、運命はアンドモアを引き合わせた。


 新月の夜だった。


 何の前触れもなく始まった、奴隷も主人も選ばない公平な大虐殺、その流血の中で、偶然にも自由を手に入れたパチンコは、内なる闇を解放した。


 痩せた少年の腕で、何を用いたらそこまで細かにできるのか、何人混ざったかも定かでない肉の海に笑うパチンコを、当時のアンドモアのトップは気に入ったのだった。


 ……地獄へ堕ちることへ、パチンコには迷いはなかった。


 ▼


 ……まさか、この程度だったとは、な。


 涙を流すパチンコの胸にあるのは、この上ない失望だった。


 パチンコは五人の中で、いや過去を含めたアンドモア全員の中で最もオセロのことを評価していた。


 その、単純で、真っすぐで、小手先の技もなく、ただ純粋な力で相手を圧倒して叩き潰すスタイルは、尊敬を……いや崇拝に近い感情を持っていた。


 そして目標だった。


 ……あの日、パチンコが一人で中規模の村を全滅させた時、初めて勝ったと確証できた。


 意気揚々と戻った時、知らされたのは、オセロが村人ではなく試験官を粉砕し、脱走したという知らせだった。


 思うのは、また負けた、という敗北感だけだった。


 スケールを超えたオセロの行動、その勝利に、負けを認めざるを得なかった。その上で、いつか負かしてやると心に誓いながら、失敗した試験官の首を刎ねたのを今でも夢に見る。


 そしてアンドモアに残り、技を磨き、人を壊し、無能な上を切り捨てて、ようやくここまでたどり着いた。技も力も盤石に揃い、もはや残り四人も倒せると自負するに至ったそこにオセロが現れた。それも敵として、戦うことになって、これは運命だったはずだ。


 ……だが、今目の前にいるのは、ただの男だった。


 確かに能力は高い。そこから怪我を差し引けばかなりの強者だ。


 だがなんだ? 今の一言は?


 安い挑発、バレバレの精神攻撃、そんなので俺が動揺すると?


 それで何だ? この程度で同様だと?


 パチンコの隠し技、涙腺決壊、どこをどう、と尋ねられても答えられないが、顔のの筋肉を力むことで、無表情のまま好きなタイミングで涙が絞り出された。


 流れ出る雫に目の表面を洗い流す以上の効果はない。だがなぜだか、見せられた方は多かれ少なかれ、何故だか動揺する。


 それがまさか、オセロに通じるなどと、知りたくなかった。


 乱れる呼吸、踊る視線、わかりやすい動揺、落ちたかつての目標、見るに耐えない。


 理解できるものに、人は恐怖などしない。


 どんな猛獣でも、どんな大火でも、どうすれば安全か、どこまでが危険か、理解できれば、自ずと恐怖は消える。


 真の恐怖とは、理解できないものにこそ宿るのだ。


 例えば変幻自在な攻撃だったり、いくら戦っても底の見えない実力だったり、脈絡もなく擦り付けられるいちゃもんと暴力だったりする。


 ……パチンコにはオセロが手に取るようにわかる。故に恐怖など産まれない。


 隠す素振りすら見せない動揺、目的、力量、次に何をし、何を恐れ、何が怖いのか、こんなわかりやすい男に、パチンコは失望していた。


 これでは、今まで調教して来た奴隷と同じでしかない。


 その失望に比例するかのように、緩くなった鍔競り合い。一息で弾き、一瞬の隙と距離を産む。


 そこへ、両者合わせたように体を捻り合った。


 足は大きく開いて地を踏み重心を下げ、得物から放した左手を背後へ、引き絞る。


 発射は同時、狙いも同じ、相互の顔面だった。


 シンプルな殴り合い。バカでもできる。


 だが、これはなんだ?


 迫るオセロの拳に、パチンコは怒りをこめて顎を引いた。


 代わりに突き出される額、皮下の頭蓋骨は束なった指の骨より断然硬い。


 ましてや人差し指の欠けた拳など、さしたる痛みも与えられずに砕けた。


 まるで殴り飛ばされた小鳥のように、無残に弾かれた左の拳は、花弁を地指すかのように指を広げている。その内、少なくとも薬指と小指は、間違いなく折れていた。


 一方のオセロも、パチンコの拳に同じく顎を引いていた。


 突き出された額、だがそれを叩き抜いたのはパチンコの拳ではなくパチンコの掌底だった。指を開き手の平の手首の関節部分での突き出しは、受けた衝撃を腕の骨へと逃がす。だから頭蓋骨と当たっても砕け負けない。


 体重も勢いも乗り切ってない一打だったが、衝撃は十分、オセロの首が弾かれ目に見えて弾き負けていた。


 二重のミス、二重のダメージ、何とか倒れまいと踏ん張る姿に、覆す奇策も暴力も微塵もない。


 ギリリと聞こえてきたのはオセロの歯ぎしり、敗北を語るようにはっきりと聞こえた。


 ……もう、いい。


 これ以上失望する前に、美しい思い出のまま、殺す。


 パチンコは夜風のように冷たい殺意を伴って、右手の刀を引き、必殺の突きを放つ。


 狙いは左胸、心臓、だが反応された。


 右手のナイフが救い上げ、軌道を上へと弾く。


 できた隙は大きい。オセロなら余裕で安全圏まで後退できるだろう。


 だが逃げられない。


 その理由へ、足手まといへ、パチンコが視線を落とす必要もない。オセロは足元に転がるルルーを守るため、死地に留まった。


 両者の足のすぐ近く、冷たい石畳に叩き落とされた、哀れなガキ、そいつを庇う姿、理解に苦しむ。


 それでも理由を見つけるなら、それに名を付けるとすれば、それは『愛』というやつだろう。


 パチンコはそれがどのような気持ちかは知らない。が、愛を持つものがどう行動しがちになるかは知っていた。


 ……そもそも、このメスガキを助けに来たのが始まりだ。


 肉もなくスキルもない、ただのメスガキ、価値の全てが地図の奴隷、その価値だって、オセロのことだから調べもしてないだろう。


 それでも可愛げがあるならまだしも、こいつはあの時オセロを刺した。なのに平然と笑って助けに気やがった。


 愛がオセロの眼を曇らせている。


 その目は何も見えていない。


 なら、その目から灯りを消すが友の役目だろう。


 心の中で静かに別れを告げ、パチンコは刀を振り上げる。


 最上段より、天井をかすめて落とされる切っ先が狙うはオセロ、ではなくその足元に転がる愛の対称へだった。


 暗い地下室にこれまで最大の火花が煌く。


 全力をもって落とされたパチンコの黒刀、その狙いを読み取り滑り込み迎え撃ったオセロの黒ナイフ、二つの刃は火花を最後に重なり止まる。


 無理な距離から飛び込み受ける身体能力、しかし、それでも、やはり、オセロは負けていた。


 パチンコの戦力を受けるために、オセロは片手に持ったナイフを右の肩に担いでいた。


 柄を左手に持ち、刃の峰を肩に当て、切っ先を首に向けながらも二点で固定し、落ちる刀に対抗したのだ。


 この器用なようで不器用な防御は、正確に黒刀を読み切り、その刃を受けながらも、しかしその斬撃の全てを受けきれなかった。


 一呼吸の間を置いて、オセロの肩からじっとりと赤い血が滲み出る。


 峰越しでさえも威力が残った一撃が、峰越しに肉へと食い込んだ証だった。


 変則の受け、結果は失敗、そこまでしてそこまでする理由、パチンコには足元の愛を守る以上が見え見えだった。


 刹那、パシリ、とヘソの高さでパチンコの左手が捉えたのは、オセロの左手の手首だった。


 チラリと見れば、その左手にはナイフが挟まれていた。


 その直線的な刃には見覚えがある。ロトの投げナイフだ。


 逃したか盗まれたか奪われたか、それを挟むのは親指と中指だけだった。


 人差し指はすでに失くし、先ほど小指薬指を折られ、残る二本で挟んだだけの握り、例え見逃したとしても、肉に突き立てることすら無理だろう。


 上からの刀を受けつつがら空きの腹を狙う、見え見えを通り越して常識レベルのカウンター、それすら完璧に粉性ほどに弱った姿は、見るに耐えない。


 それでも気を抜かないのがパチンコだった。


 狙うは完封、右手は受けに全力、残る左手もこう掴んでおけば何もできない。あとはこのまま押し潰せば、肩に切り込める。


 そうなれば、指のない右手、肩のない左手、殺すは容易い。


 いわゆる詰みの状態、それでもオセロはあきらめずに踏ん張っている。


 諦めない精神力、それだけは褒めておこう。


 だが、これは別だとなお力をこめて押しつぶそうとするパチンコ、食い込むナイフ、滲む血にオセロの表情が曇る。


 ……だが、弾けるように手を緩めたのはパチンコだった。


 そうさせたのは、突如襲った、右目の焼け付くような痛みにだった。

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