刃の檻

 アンドモアが支配する奴隷の中で、仮面の奴隷は綺麗だった。


 素顔を含め体のどこを見てもアンドモアのあの印はなく、それどころか一切の拷問の跡がなかった。


 その理由は、彼らは裏切り者だったからだ。


 経緯は様々ながら、彼らは、アンドモアへ入るための試験を自主的に行い、その資質を証明している。すなわち、属する集団を早々に裏切り、アンドモアの代わりに拷問し、楽しませたものたちだった。


 保身のために仲間を売り、絶対の忠義を誓う彼らに、アンドモアは仮面を与え、元仲間の頭陀袋の管理を任される。それは徹底したもので、とても元の仲間にする仕打ちとは思えない、と外の連中には口々に言われる。


 裏切り者の中間管理職、埃も名誉も強さもない、ただ自分を守るためだけに何でもやる彼らの口を割るのに、面倒な拷問など必要なかった。


 ▼


 正しい道、正しい方向を見据えながらオセロは髪を切る。


 銀色の一閃でかなりの長さがスパリと落ちて、絡まった鎖もろともガチャリと石畳に落ちた。


 ……時間と余裕があれば、こいつを持ち帰って髪を焼いて、使ってみたいと欲望が疼くも、それに従えるほどの余裕はオセロに残されてはいなかった。


 のろしが上がった、と仮面の一人が言った。


 あの垣根を突破された時点で登る白い煙は緊急収集の合図、直ちに集まれとの意味だった。


 これまで三人、何とかした。だがこれから後二人、何とかしなければならない。


 ……そして、そのうちの一人でもルルーにたどり着いたら、最悪だ。


 指を失くした手で短くなった髪を束ねて、リボンできつく結びなおし、オセロは呼吸を整える間も惜しんで歩き出した。


 残された時間は限られていた。


 ▼


 そうしてオセロがたどり着いた建物は、まさにアンドモアが好きそうな建物だった。たどり着いて目の当たりにしたらもう、他の建物は考えられないというほど完璧にあいつらの好みの物件だった。


 その理由は色々あるが、一番のポイントは高い壁だろう。こいつが日陰を作り、死肉が腐るのを遅くする。


 セキュリティーの観点はない。入ってきたものは全員殺すだけだし、逃げ出しそうなものはその前に足を潰している。鉄の扉はあったのをそのまま利用しているだけだろう。


 警戒しながら庭を除く。


 遮蔽物の無い土の庭、死肉の悪臭に蠅とカビ、壁際に死体が山と積まれているのが目に入る。


 地面に草はなく、穴に窪みに、踏み荒らされた足跡、ここで修練していることが窺い知れる。


 つまり罠はないだろう。


 なら時間もないとオセロは思い切って中へと飛び込む。


 こんなところ、飛び道具の良い的、止まって良いことなどない。と急ぐ足が、止まった。


 ……止めざるを得なかった。


 視界の端に入ったのは、見慣れた色の抜けた金髪の髪、それが一塊、無造作に落ちていた。


 そこにその下に生首がないと、髪だけだと確証するまで数瞬、完全に足が止まったのは一瞬、その刹那が


 かすめてから音が聞こえる。


 オセロの動体視力をもってしてでも、ナイフとはわかってもそれが片刃か両刃か、確証の持てない一投は、危うくオセロの喉を刺し貫くところだった。


「やはりオセロ、お前ついてないよ」


 独特の口調、死体の山から右腕だけ出しているのはロトだった。


「まぐれ、偶然、虫の知らせ、それ無ければ今ので死ねたよ」


 細切れにされた死体を積み重ねて築かれた死肉の山を押し崩し立ち上がるロト、そちらへオセロは迷わず走り出していた。


 ▼


 ロトは奇襲を受けている気分だった。


 いつもなら、知ってるオセロなら、も少しおしゃべりしてから始まるものを、まさか返事も省略してくるとは、予想していなかった。


 その足は速く、迷いはない。


 投げナイフ使いのロトにとってそれは唯一敗北につながる一手、間合いを潰されるに他ならない。


 それも残る距離を数える余裕さえ与えないほどに、オセロは速かった。


 ならばいつも通りと、死肉ブロックを跳ね除け立ち上がり、コートよりいつもの直剣ナイフを抜き出し、一投する。


 ストレート、真っすぐ正面から右目を抉る軌道、だがオセロは足を緩めぬまま、振るった黒い刃がそれを弾いた。


 当然、ならばと次はと曲刀ナイフを二本、左右で抜いて左右に投げる。風の抵抗、独特の形状、ロトの技量、合わさり軌道はカーブを描く。


 そして挟み込むように左右同時にオセロを襲う。


 だがオセロ、やはり足を緩めず、代わりに銀色のナイフを正面に構えた。そして左右に一度、刃をずらす。


 それで確認するか、と内心で驚愕するロトの前で、それを証明するがのごとくオセロは左右を黒と銀とで同時に弾いた。


 それに感情を呼び起こす間も惜しい。間合いはもうない。ならばとロトはとっておきを狙う。


 左右にて、親指人差し指間、薬指小指間に曲刀ナイフを、人差し指中指間、および中指薬指間に直剣ナイフを挟む。


 刀剣八独殺、奥義の名を脳内に閃かせ、放った。


 ▼


 ロトは、アンドモアに入った当時、細身で体が小さかった。


 生き残るために進んで親兄弟を殺す才覚はあったものの、体格差は容易に覆せるものではなく、弱肉強食のアンドモア内において、生き残るには相応の創意工夫が必要だった。


 それが、ナイフ投げだった。


 容易に隠せて射程が長く、一撃必殺が狙えるこの得物は、手先が器用で眼が良く、瞬発力に優れたロトにはおあつらえ向きだった。


 そうして暗殺特化に能力を強化していったロトだったが、そこに才能でもあったのか、その暗殺は虐殺に、さらには正面切っての戦闘でも無類の強さを誇った。


 そうして勝ち得たのが、この奥義だった。


 ……投げナイフを使っていれば、盾を用いなくともそれを弾く強敵と出くわすこともある。だがそいつらには共通する弱点があった。


 すなわちそれは直線だった。


 飛来するナイフに対して、とれる動作は少ない。


 一番多いのは到達予想地点に前もって得物を置く防御、だがこれは『点』でしかない。防げても急所の一ナイフのみだ。


 次に多く、そして強いと呼ばれる相手は得物を振るう。そうしてまとめて弾き飛ばすが、これも所詮は『線』カーブを描いて『曲線』にしてもたかが知れている。


 そして最も強いとロトが記憶する相手ですらその『曲線』を両手で行うが限界だった。


 すなわち四つ、うまくなぞれば五つは弾けるだろうが、それが限界だ。


 だからロトは八つ投げることにした。


 それもただ同時に投げつけるだけでは威力が堕ちる。だから創意工夫を重ねて奥義となった。


 最初に曲刀ナイフを四つ、両腕を外へ開くように投げてカーブさせる。軌道が曲がっている分だけ直線よりも到達するまで時間がかかる。その差の間に腕を内側に畳んで直剣ナイフを四つ、放って加える。


 曲刀、直剣、八つが一人に集まり、殺す。


 刀剣八独殺が、オセロを襲った。

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