矛先の先

 モメは、まったくと言っていいほどつまらない人生を歩んできた。


 片田舎の麦農家の次男に産まれ、ごく普通に学校に通い、ごく普通に家業を手伝い、育ち、育て、あとは川で泳いでいて足の裏を切ったとか、大切な鍬を失くしたと思ったらすぐに出てきて安心したとか、そんなようなイベントしかない人生だった。


 贅沢はできないがだからといってひもじいわけでもなく、家族にも友人にも健康にも恵まれて、悩みも不満もなく、野心も願望も、あるとしたらお嫁さんをもらうだけだなーなんていう、本当にありふれた、どこにでもある、幸福で、普通な、つまらない人生だった。


 そんな人生を変えるかもしれない歴史的大イベント、戦争も、あまり関係あるとは言えなかった。


 モメの住む田舎は田舎すぎて戦場には遠く、少なくとも顔を見知っている身内の中で被害にあったものはいなかった。ただ遠くで行われている、あずかり知れない他人事でしかなった。


 だが、それでも一切の関係がなかったというわけではなかった。


 村の近くを通る形で、奥から前線へと補給線を引くための大規模道路工事が開始されたのだ。そしてそのための作業員の募集が、モメの村にも届いた。


 ちょうど収穫が終わったころで、やることもなく、ギャラも良かったので村の働き手はこぞって参加した。


 人生で初めての遠出、一日かけてたどり着いた工事現場は、見たこともないような世界だった。


 支持するのは当然、中央から派遣された偉い軍人さんで、集められた作業員もここらのものだけでなく、他の村や、疎開してきたものや、見たことのない種族も混ざっていた。そして作業員用の宿舎を中心に行商人が集まり、屋台が開かれ、まるでお祭りのような賑わいとなっていた。


 その都会と異国とお祭りの空気に心踊るモメだったが、元来酒も飲まないまじめな性格だったため、散財はせず、休みもサボりもせずに働き続けた。


 木を伐採し、根を取り除き、土を馴らし、石を並べて、柵で挟む、そんな作業をしている作業員たちの汚れた服を洗濯するのが主な仕事だった。


 ただ臭い服を集めて周り、鍋に放り込んでは煮込んで汚れを煮出し、冷めたら濯いで絞って干して、それを畳んで仕分けしてまた配る。この仕分けのところがモメの仕事だった。


 作業場と宿舎との往復、同じことの繰り返し、変わらぬ食事メニュー、変化の乏しい仕事場だった。


 他の村人たちはだんだんと抜け落ち、辞めよう帰ろうと言われても耳を貸さず、ひたすら単調に働いた。


 そこに特筆すべきイベントなど起こるはずもなく、そしてほどなくして、道路は完成した。


 もうすでに戦争は終結し、ただ頂いた予算を使い潰すだけの、利用価値のない道路だったが、ギャラはちゃんと貰えた。


 完成の祝賀会と村へと帰る前のお別れ会が盛大に開かれた。


 この時ばかりはモメも祝杯を挙げ、ごちそうに舌鼓を打った。


 仕事仲間とは思い出すような思いでもなく、また会おうというほど深い中でもなく、ただお疲れといってわかれるだけだった。


 だがそんな中の一人、顔は覚えているが名前までは、という程度の関係の男から、白い錠剤を一粒、勧められた。


 とっておきのやつで、一粒でハァイになれると言われ、特別サービスと渡された。


 何となくだが、それが麻薬だと察しながらも、高揚した気分に任せて酒で流し込んだ。


 そしたらもう、どうでもよくなった。


 前後の脈略などお構いなしで、ただその時の幸福感をもう一度、もっと長く、もっと強く、もっともっともっともっともっともっと……それだけの人生に切り替わった。


 具体的に何をやって来たかまでは覚えてないが、それでも何でもやって来たのは確かだった。


 そして流れて、この奇跡の村にたどり着いた。


 銀麦畑は故郷の村の色違いで、思い起こすこともあったがそれよりもハァイになることをモメは優先した。


 そのための掟、そのための労働、そのための農作業だった。


 昔やってたことをここでもう一度、それもずっと育てやすい銀麦でやるだけで、モメには天職だった。


 そして、働いてきた。


 明日の麦のため、来年の麦のため、ハァイになるため、たった一度の服用で切り替わった、それだけの人生だった。


 ▼


 ……そんな銀麦畑が焼かれて、モメが最初に感じたのは、業火に勝る憤怒だった。


 声にも言葉にも表現しきれない怒りの感情は、フォークを掴むモメの手を白くプルプルと震わせた。


 誰が、やった?


 辛うじて形となった疑問の思考に応えるように、そらからレイザーイが降ってきた。


 彼女を助けたのは、まだ銀麦がどこかに隠してあるかも、という期待からだった。


 だが目覚めた彼女は隠した麦など知らず、誰が敵かだけを教えた。


 そして村長を助け、敵を捕捉し、現状を打破するため、彼女の足に捕まり、共に空へと飛んだ。


 初めての飛行、感想は怒りに塗りつぶされた。


 …………最初にやつらを見つけたのはモメではなく、レイザーイの方だったが言われるまでもなく、モメもすぐに続いた。


 遠くへ範囲を広げ、外れに灯る明かりを見つけ、一縷の望みをかけて飛んでいけば、下に蠢くのは異形たち、前世の罪を今生で償い続ける罪人たちだった。


 その中にあの裸の姿があった。頭には見覚えのある王冠、どうやら村長は打ち取られたらしい。


 そして裸と殴り合ってるのは、黒髪の男、裏切り者だった。


 彼らがなぜ戦っているのか、疑問に思うより先に、より重要な相手を二人の奥より、モメは見つけた。


 諸悪の根源、恩知らず、ペチャパイ、畑に火を放ったらしいクソガキが、そこにいた。


 平然と、二人の殴りあいを傍観するその間抜け面、怒りしか感じない。


 モメが息を吸い込む。


 何故このガキが燃やしたかなんかどうだっていい。


 こいつがやったって証拠も必要ない。


 ただやりそうなやつにアリバイがなかったから、それだけで殺すに十分だ。


 一瞬の理論武装、その隙は大きかった。


「ぐふぅ」


 息が抜けるような声、見上げれば捕まっていたレイザーイの羽ばたく右肩に、ナイフが刺さっていた。


 同時に下より歓声が上がる。


 見つかってたか!


 反射的に下を見るモメが見たのは、崩れ落ちる裏切りの黒髪、膝をつきながら、それでもその目はモメに向いていた。


 見つかった、落ちる、だが殺す。


 同時に起こったイベントに、それでもモメは速やかに行動した。


「死ねぃ!」


 最後の絶叫は余計だった。


 ▼


 歓声とは違う、それも空からの絶叫に、ルルーが見上げれば、夜空の闇の中に浮かぶ影があった。


 上は、あの鳥女、レイザーイとかいうやつだ。コロンは倒したと言ってたが嘘つきだったらしい。


 その下にぶら下がっている人のシルエット、これまでの経験からタクヤンかと思ったが、シルエットでもわかる太い腕が先端が四つ又の槍を構えて何者かやっとわかった。


 モメ、あの投げやりで十字架を仕留めた男、そこまでわかっていながら、ルルーの体は固まって動けなかった。


 槍が、投擲される。


 世界がゆっくりになる。


 最初に動いたのは、コロンだった。


 両手を広げ壁のように、ルルーと槍との間に滑り込み立ち塞がった。


 次に動いたのはヴォリンカさんだった。


 棒立ちのルルーに正面から抱き着いて、庇うようにして髭を首筋に押し付けてきた。


 他の道化集も思い思いに動いているようだった。


 自分への防御、あるいは回避、ただ立ち上がろうとしてるものもいるし、他のものを庇っているものもいる。


 ……その中で、最後に動いたのがオセロだった。


 ふらりと立ち上がって、よろめいて、何かに捕まろうとするかのように手を伸ばして、そしてその手が、槍を捕まえた。


 捕まえていた。


 まるで初めからそこに槍があったかのような、あるいは手から生えたかのような、一瞬の、なのに無造作な動きは、ルルーの目に残像として強く残った。


 槍の勢いに負けて引っ張られた、かのように見えたのはただ投擲し返す体制に持っていっただけ、かのように見えたかと思ったらもう槍をぶん投げていた。


 戻る軌道は相手の落下に合わせてやや下気味に、真っすぐではなく縦に回転しながら飛んで行った槍は、発射地点の下、落ちる途中のレイザーイとモメ、二人そろって叩いた。


 声も上げずに落ちた二人、受け身が取れたかどうか見る前に、道化集が殺到した。


 ……やっつけるのはあっという間だった。

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