あらん限りの力をこめて

 ルルーには理解できなかった。


 緑の光を挟んで二人、オセロとコロン、両者の武器は絡み合い、膝と膝とを詰めた距離で、避けるも受けるもなく、ただ目いっぱいに殴り合う。


 瞬く間に二人の拳は血に染まり、それ以上の速度で二人の表情は見えなくなった。


 ただただ肉と骨とがぶつかる痛々しい音だけが響く中、戦う二人を前にして、何故二人がこうも傷つけあっているのか、理解できなかった。


 それでも今すぐ何をすべきかはちゃんとわかっていた。


 二人を止める、思い、ルルーは踏み出すも、背後から肩を掴まれ止められる。


 振り返ればヴォリンカさんだった。悲し気な目で、ただ首を横に振る。


 それでも、と振り払おうとしたルルーに、ヴォリンカさんは今度はガバリと抱き着き、体重をかけて完全に動きてきた。


「……これは、あなたのためなの」


 教えるような、諭すような、ねえ様を思わせる口ぶりで、ヴォリンカさんはルルーの耳元で説得した。


「確かに、あなたのオセロは、強い。王子をあそこまで追い詰めるなんて、ここでなくてもそうはいない。だけどそれだけじゃダメなの。王子一人に勝てないようじゃ……ううん、例え勝てたとしても、彼一人じゃあなたを守れない」


「そんな」


「聞いて。今までは確かに守れてたかもしれない。けど昨日は? 彼が村にたぶらかされて、その間誰があなたを守った?」


「それは……感謝してます」


「そうじゃない。そうじゃないの。どんなに強くったって、一人でできることには限界があるの。だから私たちは寄り添って生きているの。ここでは、実感できないことかもしれないけど、あなたは守られて良い年齢なの。だから、あなたはここにいちゃいけないの」


「だからってあんな」


「あれは、彼のためなのよ。彼に、一人じゃ限界があるって言っても、それを頭で理解しても、心で納得できない。だから教えてるの。限界がある。上には上がいるってね。それようやく納得する。……彼があなたの思うような人ならば、きっと正しい選択ができるようになるわ」


「それが、みなさんと一緒にいるということですか?」


 コクリと、ヴォリンカさんは頷いた。


「……なら、オセロも一緒ですか?」


「そのつもり……だったけど」


 …………続きをヴォリンカさんはなかなか答えなかった。考えているのか、その表情は髭で見えない。


 …………そして数回、二人が殴り合った後、静かに口を開いた。


「……額が、あぁじゃなかったら、よかったのに」


 その一言でわかってしまった。


 考えてみれば当然のことだった。


 彼らが、ルルーを連れて行こうとしているのは悪人のいないところだ。きっとそこは、想像もつかないような素敵な場所なんだろう。それはわかる。


 だけどそこがそうなのは、悪人がいないからで、悪人は入れないからだ。


 そしてオセロは、悪人、だと思われていた。。


 ……オセロは、アンドモアだった。それは事実だ。本人もそう言ってる。今は辞めたらしいけど、でも額には、まだ印が残って光ってる。


 ただそれを見ただけでここの悪人たちはみんな怯えて逃げだす。


 なら悪人じゃない人たちならもっと怯えて逃げ出す。


 何も、知らないのに、知ろうともしないで、だ。


 オセロは、なりたくてアンドモアになったんじゃない。そうなるしかなくて、そこで酷い目に、辛い目にあって、それで抜け出して……今のオセロがある。


 なのに今も昔も知らないで、好き勝手言って、悪人にして……仲間外れにしようとしている。


 彼らに悪意がないのはわかってる。だけど納得できない。それは何でなのか、どうして欲しいのか、ルルーは溢れる感情を抱えながらもそれを吐き出し表現するための言葉を必死に探していた。


 それも思い浮かばなくて、それでも何かを吐き出そうとして、口を開いた瞬間、静かな歓声が沸き上がった。


 ……見れば、コロンの拳がオセロの顔面にクリーンヒットしていた。


 大きくのけぞり、倒れそうになって、それでも踏みとどまって、だけど、オセロの手から、ずっと掴んでいた鉄の棒が、するりと滑り落ちた。


 地面に落ちて転がっても、悲しいほどに音はしなかった。


 ▼


 焼けるように顔が熱い。


 頭の芯が響くように痛む。


 腫れあがって右目はほとんど見えない。


 吐き気もある。気持ち悪くもある。


 左の拳も、感覚などすでになく、指を開くことすらできない。


 ……それでも、勝利は私の方がはるかに近い。


 コロンは口の中の血液と一緒に、安堵の息を吐き捨てた。


 安堵するのはまだ早い。やることをやって、終わらせてからだ。


 またも開いた間合いを保ちながら、今まだ己のできることを確認する。


 左目だけでも十分見れる。左手は動く。ヌンチャクも無事だ。足腰はきつい。呼吸も乱れてる。流石に奥義は無理だが、それでも止めの一撃を放つ程度には余力がある。


 一方の彼は、オセロは、ダメージは同程度だと思いたい。呼吸は読み取れないが、疲れは来ているはずだ。そうでなければ鉄棒を手放したりはしないだろう。


 このヌンチャク、素手で捌けるほど容易くはない。


 それはこの戦いで思い知ってるはずだ。


 ならばこの状況、詰みというやつだ。


 鉄棒のほかに目ぼしい得物もなく、ましてや拾い上げる隙など与えてやるつもりもない。


 こうなっては、勝ち目などない。私でも思いつかない。普通ならあきらめる。


 素手でヌンチャクに勝てるはずがないのだ。


 こう考えれば卑怯者、普段の私なら、すっきりとした終わりのために、自らヌンチャクを手放して、素手での決着を申し出てることだろう。


 だが今回はだめだ。卑怯でもいい。絶対に勝つ。レイディを彼から引き離す。そのために徹底的に叩き潰す。


 左手に束ねたヌンチャクをほどいて片方を揺らし、軽く素振りする。


 聞きなれた風切り音は戦意の証、手放す気はないという意思表示。


 受けたオセロは血反吐を吐き捨て、天を仰ぎ、そしてまたこちらを向いてから、ゆっくりと腰からナイフを引き抜いた。


 矮小、としか言いようがない小さな刃、軽作業か自害にしか使えそうにないそれで、オセロはまだ戦うらしい。


 ならば戦おう。そして叩き潰す。


 命を奪わないのは変わらない。だが置いては行く。


 何人か信用できる部下を残して、最低限の治療はして、追ってこれないように偽の足跡を残して……いや、今はまだ早い。まずは勝利してからだ。


 まとまらない思考、ダメージは思ってたよりも深いか、さっさと終わらせた方が良さそうだ。


 もう一度口の中の血を吐き捨てる。


 奥歯がぐらついているが、それも後だ。


 左手のヌンチャクを構える。背中に背負うように、肩越しに後ろへ、狙いは一撃、垂直に打ち下ろす脳天割りだ。


 対するオセロはナイフを右順手で構える。握る手はこちらにまっすぐと向け、刃は地面に平行に、内側に向けている。


 戦意はまばらなのか、その目は虚ろに刃を見つめている。


 それでもやる。もはや合図など必要ない。


 ぐらつく奥歯を噛みしめ、踏み込んだ。


 ▼


 ルルーは、認めたくなかった。それにまだ決着がついたわけでもない。


 だけど、これは、決定的で、致命的だと、ルルーにもわかった。


 一瞬前の出来事、踏み込んできたコロンにオセロの反応は一瞬だけど明らかに遅れた。


 それで降った、オセロのナイフは、コロンにもヌンチャクにも触れられず、それどこか手から、スポ抜けて、どこか上へと飛んで行った。


 その行き先を目で追うより先に、ヌンチャクが、オセロの肩を叩いていた。


 響く音だけで、そのダメージがわかった。


 その音は、敗北の音だった。


 オセロが、崩れるように、膝をついた。

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