敵地

 …………ルルーは、見たくなかった。


 目を瞑りたかった。顔を背けたかった。


 だけど、それを全てを震わせる絶叫が、そうさせてくれなかった。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 絶え間ない雄たけび、それに重なって僅かに聞こえるは、拳がひたすら殴り潰す音だった。


 殴られ続けているのは、ポピーだった。


 必死に両腕で顔を守って、逃れようともがいて、ただただ暴力の嵐が過ぎ去るのをただただ耐え忍んでいる。あんなに自信に溢れて、偉そうだったのに、もう見る影もなくて、もうこのデフォルトランドの女性としては、普通の不幸だった。


 ……こんな場面、見たくなかった。


 ポピーがこうなったのは、ある意味では自業自得で、そもそも敵なのだから、仕方ないとも思える。だけどその姿は、いつかの姉さまや、他の嫌なことを嫌でも思い出させる。


 そして、一番嫌なのが、それをやっているのがオセロだということだった。


 獣のように牙をむき、今まで見せたことのない表情のオセロが馬乗りになって、一心不乱に拳を振り落とし続けている。


 ……こうなるまで、一瞬だった。


 あの会話のあと、向き合って、そしたら飛び掛かって、殴り倒し、のしかかり、あとはひたすら声の限りに叫びながら、ポピーの煌いていた顔や顔を庇う腕へ、ひたすら拳を降らしていた。


 それは元に、正気に戻ったのとは全然違う、かといって怒り狂ったのとも、薬に酩酊してるのとも違って見えた。


 例えるなら、体に火を点けられてもだえ苦しんでるようだった。


 そんなオセロの姿は、ルルーは見たことないのに、見覚えのある姿、このデフォルトランドのくそったれどもと重なって見えた。


 オセロが落ちていくのが、それも望んでもないのに、変わっていくのが、何よりもルルーには辛かった。


 ……声が途切れて、同時にオセロの拳も止まった。


 叫びながら殴ってたから、肩で息をしている。


 見るからに辛そうな体を無理やり動かして、オセロは立ち上がった。


 そして、ゆらりとこっちを向いたオセロは、泣いていた。


 真っ赤な顔で、涙を流して、食いしばって、ふらふらとこちらに来ると、黙って鉄棒を拾い上げて、またポピーへと振り返った。


 ……その目にはルルーたちは映ってなかった。


 そのオセロが向かう先で、ポピーが震える手を自らの王冠へ伸ばしていた。


 爪が剥がれ、骨も折れてて使えない指の代わりに両の手の掌で王冠を挟んで、掴んで、そして引き抜くように頭から取り外した。


「ぬぅへぇ~~~~~~~」


 途端、気の抜けた声と共に両手が崩れ、指から王冠が転がる。


 色々潰れてまっ平らになってるポピーの顔は、それでも気が抜けたように、何もかもがどうでもよくなってるかのように、だらしなく溶けていた。


 そんな顔へ向けて、オセロは、鉄棒を振り上げていた。


 何をするのか分かった。見たくなかった。させたくなかった。


 だからルルーは、飛び出した。


 オセロを止めるために、しがみついて説得しなきゃと思った。


 ……だけど次に見たのは、オセロの肘だった。


 ▼


 第六の試練、個人的な楽園。


 その部屋に入ったものは問答無用で幻術の魔法にかかる。


 幻術の中は夢のような夢で、そこでは夢だから、どんな夢でも叶えることができるのだ。


 欲しいものはどんなものでも手に入るし、どこへでも好きな場所へ行ける。


 どんな病気も怪我も治るし、どんどん賢く、どんどん強くもなれる。


 人だって、どんな人でも好きなようにできる。自分を尊敬させることも、屈服させることも、崇拝させることも、恋愛させることだって思いのままになるのだ。


 まるで夢のような夢の世界で、試練は、その夢を夢だと理解しながら一日分体験してから訪れる。


 試練は、誰から出されるのか人によって違うそうだ。だけど一目で、その人が試練を出す出題者だとわかるらしい。


 そして出題者が課す試練はたった一つ、出題者の問いかけに『はい』と答えるだけでよかった。


 ただしその問いかけとは『この夢から覚めたいのか?』というものだった。


 ……答える前に、出題者に対していくつか質問することができる。


『はい、と答えたらどうなのか?』という質問には『言った通り、その瞬間この夢から覚めて現実に戻り、二度とこの夢を見ることはできない』と答える。


『答えは今でなければならないのか?という質問には『そうだ。今を逃せば二度と答えられられない』と答える。


『もしも、はい、と答えなければどうなるのか?』という質問には『二度と目覚めることはできない。また誰にも目覚めさせることはできない。それどころか、本人はここが夢だということも忘れるだろう』と答える。


『目覚めなければどうなるのか?』という質問には『肉体は眠り続け、そのうち衰弱して死ぬだろう。だがこの夢の世界では時間を無限に引き延ばせるから、永遠に生きていられる』と答える。


 そして時間がないと急かし、答えを求めてくるのだ。


 ……この迷宮を攻略できればどんな願いも叶えることができる。だけどこのまま眠り続ければどんな夢でも叶えることができる。


 つまりは、多くの場合、この夢こそが願いなんだと言える。


 だからこの問いに『はい』と答えるには、つまり夢から目覚めるには何か、よっぽどの理由がなければならない。


 ……もしもルルーが、目覚めたいと思うとすれば、それは願いが、自分以外の誰かのためのものだからだろう、そう思った。


 ▼


 跳ね起きる。


 鼻に痛み、口の中に血の味、見渡せばルルーの知らない場所だった。


 石畳、朽ちた家々、遠くに見えるのが村の大火事だろう。ここは風下なのか、熱い空気が流れてきてるのがわかる。


 それとは別に小さな焚火がすぐそこに、温まるには小さいけれど明かりには十分な火が、揺らめいていた。


 そして、その火を囲うようにみんながいた。


 膝枕してくれてたのはヴォリンカさんだった。その背後から覗き込んでくるのはミノタウロスの双子たち、さらにその背後にはフルートも見える。


 それ以外にも、火の周りを囲んでるのは、みんな見覚えのある顔、あの

 だお城にいた人たちで、だけど無事な姿はほとんどいなかった。


「気が付きました」


 焚火の反対側でそう言ったのはあのタクヤンを運んできた小さな男だった。その姿は、あの大火事に巻き込まれたのかあちこち焦げていて、髪の毛なんかはチリチリになっていた。


 そして言われて立ち上がり、ルルーの前までやって来たのは、王子のコロンだった。


 その姿は静かで、冷静で、だけど、怖かった。


「レイディ、大丈夫かな?」


「はい」


 反射的に答える。実際は鼻とか、背中とか痛かったけど、そんなことは今はどうでもよかった。


「そうかレイディ、君が気を失ってからそんなに時間はたっていないが、まずは現状を話しておこう」


 そう言ってコロンは身をかがめ、目線をルルーに合わせた。


 その額にはあの、王冠が煌いていた。


「まず、城の方はレイディの奇策のお陰で何とかなった。流石に全員無事とはいかなかったが、それでも被害は最小限に抑えることができた。礼を言う」


「それは、はい」


「それから村長、あのポピーも捕らえることができた。ずっとこの王冠で正気を保っていたようだが、今では立派なジャンキーの仲間入りだ。その身柄は彼に、タクヤンに任せた。雑に大なべに閉じ込めていたが、ガスマスクを空気穴として蓋との間に差し込んでいたから、生かして連れて帰るようだった。これであの村を束ねるものはいなくなる。麦も燃え尽きて、再建は難しいだろう」


 そんなことより、とルルーは言いたかった。そしてそれは顔に出ていたらしく、コロンはわかってる、と頷いた。


「……オセロ君はあそのにいるよ」


 そう言ってコロンが見た先、みんなより離れていて、火の明かりも届かないような薄い闇の中に、オセロは座っていた。


 あの鉄棒を前に置いて、暗くてよく見えないけれど、疲れたような、悲しいような顔で、こっちを見ていた。


 ……そしてルルーは気が付いた。そんなオセロを見る、他の人たちの目線が、敵を見ているのとおんなじだった。


 この反応が当然なのはわかってる。銀麦で正気を亡くし、一時的とはいえあのポピーとかの傍らにいたのだ。それを快く受け入れろという方が無茶だ。


 だけど、それでもオセロは、ルルーにとっては味方だった。


 だからと立ち上がろうとするルルーより先に、コロンが立ち上がった。


「……実は、もう彼とは話が付いているんだ」


 そう言いながらコロンが向かうのは、オセロと同じ明かりの届かない薄い闇の中、言葉なく入ってゆく。


 それに応じてオセロも、鉄棒を持って立ち上がり、移動する。


 そして二人、ルルーの右にコロンが、左にオセロが、距離を置いて立って向かい合った。


「レイディ! 君には立会人になってもらう!」


 心に刺さるようなコロンの声は、本当に王様のように立派だった。


「改めての確認だ! これはここにいるオセロと! この私コロン・クリムポ・ハウメアとの一対一での決闘である! 敗者は勝者に対し! その任務を譲渡すること! その任務とは! レイディことルルー・マップバックの身柄を守護すること! つまり! 勝った方が今後レイディを守ることになる!」


 何、勝手なこと言ってるんだこのコロンは。


「オセロ! 異論はないな!」


「あぁ、それでいい」


 応えるオセロの声は、小さくて、聞き逃しそうなのに、だけどルルーの耳にははっきりと、聞こえてしまった。


 オセロは、見られてるのに気が付いてか、ルルーに向かって弱弱しく笑った。


「どうせ守るなら、強いやつがやった方がいい」


 そのオセロの諦めたような表情、ルルーは見たくなかった。


「行くぞ!」


 ルルーの意思を置いて、二人の決闘が始まった。

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