最低限文明的な人々の王国
第四の試練、久遠休憩室。
この部屋は試練と銘打っておきながら、入った人の大半が受ける第一印象は間違いなく平和だった。
柔らかく暖かな灯りに照らされるのはフカフカで寝そべりたくなるような芝生、大きな果実が実る木々、透き通った水の湧き出る泉に、反対側の壁には少し遠いがすぐにもたどり着けそうな一に出口がある。それ以外には何も、見渡す限り脅威となりそうなものなど何一つ見当たらない。
平和な、まるで地上の楽園のようなこの部屋は、しっかりと試練だった。
……ここの泉は麻薬に毒されているのだ。
効能はダウナー系、過剰に心を落ち着かせ、モチベーションを奪い、立ち上がるのもおっくうにさせる。眠気にも似た怠惰で身動きが取れなくなる。
当然、その水で育った木々もその果実も芝生さえもが毒されており、一口でも食べれば毒される。
そうしたらもう、自力でこの部屋から出ていけなくなるのだ。
それでも他人の力で無理やり連れ出すことは可能だが、そこは中毒者特有の暴力性と、連れ出した後のリハビリの期間を考えれば、大幅な戦力低下は免れない。
……前の試練で冷えて疲れ切った身を誘惑する試練、一見すれば所見殺しにも見える理不尽さだが、ヒントは部屋の中にちゃんとある。
それは先に中に入り、毒されて出れなくなった先の犠牲者たちの姿だ。
皮肉にも、水も食糧の豊富にあるこの部屋での死因はほぼ老衰に限られていた。なのでここから出れなくなり、怠惰なまま長々と暮らし続けている人たちが常に少なからず存在しているのだ。その大半は言葉も忘れ、ただ水と木の実を排せつ物に変えるだけの何かに成り下がっているが、賢い人ならそれだけで危険を察知し、何にも口を付けずに部屋を出ることができるだろう。
……この部屋の攻略法はただ一つ、黙って通り過ぎるだけなのだ。
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第四の試練を思い出すなら、あの銀麦畑が先なのが筋だとは思うも、ルルーはむしろこの王国での生活の方が甘美で、毒されそうだった。
特に、それは料理に顕著に出ていた。
突然の来訪者であるルルーにもてなされたのは、大きな木彫りのボールによそわれた、具沢山のスープだった。
色々と入ってる中で一番目立つのは薄茶色のお団子だった。もちもちして甘くて初めての味で、何かと訊ねたらなんとドングリだった。あの小さくて硬い実を一つ一つ石で叩いて殻を割って、取り出した中身を水に一晩さらして、そのあと灰を混ぜたお湯で煮て柔らかくなったものを丸めたのだそうだ。
スープの汁自体も美味しくて、これはキノコから出汁をとってるからだと教えてくれた。森には探せば沢山のキノコが生えていて取り放題だと、だけど中には毒キノコもあるから判別が難しいんだと、教えてくれた。
それらに負けずと入っているのは様々な山菜だった。見たことも聞いたこともないような、一見すればそこらの雑草のような葉や茎も味わい深くて、少し苦みもあるけど、嫌いじゃなかった。
最後に鶏肉が少しだけ、だけどそれも柔らかくて、臭みもなくて、味も良い。
全体の量こそ少なめだけど、その分手間暇かかってて、不満なんかなくて、正直に言えばオセロの料理よりもこっちの方が、好きだった。
……だけどそれはわがままだと、ルルーは理解していた。
このスープだって、ここの人たちが手分けして材料を集めて、それぞれを加工して、時間をかけて料理したから美味しいのだ。移動の片手間でのオセロと比べるのは酷というものだろう。
ここでの生活はここだからできるもので、旅をしながらでは味わえない。
頭で理解しながらも、それでもルルーはここの生活が、羨ましくて、同時に自分が恥ずかしくなっていた。
……自分は賢くて、そこらの蛮族よりも文明的だと思っていた。なのに、ここははるか高みの生活だった。
スープを煮る火だって、石で囲った炉が、囲炉裏というらしいけど、それが大きな部屋の真ん中にあって、暖房と灯りの両方をこなしていた。立ち込める煙もただ煙突で逃がすんじゃなくて、あえて天井に這わせて端から流すことで分散させて、外から発見されないよう、工夫されている。部屋の四隅には水瓶まで置かれていて、万が一火事になったらすぐ消せるようにと備えまでしている。
その生活、建物、全てが賢かった。
……デフォルトランドを支配する蛮族にはない理性、知性、文化、文明、真っ当な暮らしが、ここにはあった。
それでも、ここは最低限のものしかない、と謙遜する彼らに、これ以上何があるのか、訊ねる勇気はルルーには無かった。
恥と羨望とで、口数少ないままで食事が終わって、また小さな部屋に案内された。
そこで水の入った桶と布地を渡されてまた驚いた。体を洗う、という習慣がここでは当たり前だったのだ。
しかも、ルルーを一人にしてくれた。そこには邪な好奇心や、過剰な警戒心もない、一定の距離を保つということが、小さなルルーに対しても行われているのだ。
そういうことをわざわざ言葉にしないでも実行する風習こそ、高みと言える。
そうして一人、ルルーは考えながら湿らした布地で体を拭いていた。
考えるのは、漠然とした不安、今後について、自分の立ち位置について、彼らについてもまだ不安がある。
だけど、一番はやっぱりオセロのことだ。
思い返せば食事の時、何故ルルーがここに来たのか、話題になった。
そこでルルーはあらかたの経緯を、背中の地図のことは省いて伝えた。
出会いから順に話して、今日のこと、今朝のこと、畑でのこと、村でのこと、そして豹変したことを伝えると、彼らの表情がだんだんと変わっていったのがルルーにはわかった。
気づいてないふりをしながら、それでどうすればいいのか、どうしてああなってしまったのか、どうすればもとにもどせるのか、それとなく話を持っていくと、彼らはそれとなく話を別へと変えられた。
……つまりそれは、彼らでもオセロは救えない、と言ってるも同然だった。
ルルーよりも賢くて、あの村のこととかよく知ってる彼らでさえ、オセロは助けられない……嫌な考えから逃げるように黙々と体を拭いて、髪も洗って、最後によく絞ったタオルで体の水けを拭きとって、また服を着た。
体はさっぱりはした、けど心まではさっぱりしなかった。
……当面は、彼らの厄介になりながら、方法を考えていくしかない。
消極的な答えと共に服を着なおすと、なんだか表が騒がしくなっていた。
そっと、外に出て様子をうかがうと、また外への跳ね橋が下りてて、誰かが入ってきたところだった。
……その人はものすごく小柄だった。
多分、ルルーよりもオセロよりもずっと年上なんだろうけど、なのにルルーよりも小さくて、それは初めて見る小ささだった。
その存在にも驚いたけれど、同じぐらいに驚いたのは、その人が担いできた人の姿にだった。
見覚えのあるベレー帽、エージェントにして情報屋、ルルーが大っ嫌いな男、タクヤンが手足をまとめて縛られて丸められていた。
……正直、ここで出くわすこと自体に驚きはなかった。
ただ、そのタクヤンを囲っている彼らの殺気は、驚きだった。
無言で得物を持ち出し、ただじっと、動けないタクヤンを囲って、見下ろしている。
怒声も興奮もないその姿は、逆に何倍も、怖かった。
「あ! ルルーちゃん! 奇遇! これって運命! だから助けて! たっけて! たっけて! ねぇたっけて!」
…………しまった。隠れそびれた。
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