学び舎

 第二の試練、天秤飛び石。


 見下ろせば第一の試練が遥かそこに見える大穴、これを渡り向こう側へ行くには左右の壁から突き出た板を跳んで渡るしかない。


 板の面積は第一の試練の橋と同じぐらいで、それがまた同じぐらいの空間を隔てて並んでいる。


 その一つに跳び乗ると、板はゆっくりと沈んで行く。


 そしてそこから降りると今度はゆっくりと上がって、元の位置へと戻る。


 どうやら壁の向こうにもまだ板は伸びていて、天秤の要領でバランスを保っているらしい。


 それを沈み切る前に連続で跳んで向こう側へと到着できればクリアとなる。


 足腰の強さと、身軽さと速度が求められる試練だった。


 いやらしいことに、この板は段々と高さが下がっている。なので一度荷物を置いて取りに戻るということができなかった。


 迷宮は、ただ奥へと進むしかないのだ。


 ▼


『廊下を走るな』という壁に貼られた紙を見て、ルルーが思ったのは、次にオセロに話すお話のことだった。


 未開の地での冒険、試練をどう攻略するのか、想像する頭が必要だった。


 そういう意味では、ここは初心者レベルでの迷宮だった。


 少なくとも、ルルーにとってはそれぐらいなんだかよくわからない建物だった。


 やたらと広い廊下に階段、並ぶ部屋部屋はどれも大きく広く、なのに中にはやたらと小さな、まるで一人用のような机が並んで、それにセットで椅子もついてて、それが一方方向へと並べられている。


 机が向いているのは大きな机と緑の壁、それといくらかの壁に貼られた紙が見える。そこに書かれているのは何かの記号の表だったり、このデフォルトランドの地図だったり、あるいは様々な文体で書かれた『友情』という筆の文字だったりだった。


 これが、ルルーが初めて訪れた学校だった。


 物心つく前から奴隷だったルルーにとって義務教育など存在せず、そもそもこのデフォルトランドに教育機関など存在するはずもなく、だからルルーが知る学校の知識は書物か、蛮族どものスラングの中か、あるいはねえ様のお話の中か、そういった情報だけだった。


 だからこういった状況とはいっても、学校というものに強い興味はあった。


 が、人もいないただの建物などは、結局情報と同程度の価値しか見出せず、それ以上の想像力はルルーには備わっていなかった。


「ちょっとここで座って待っててもらえますか」


 そう言われてモメに案内された部屋も、そんな感じで、別段ルルーに響くものはなかった。


 中に入って、モメは立ち去り、オセロは窓際に立ち外を見下ろす。


 となりにルルーも並んで見ると、ここはまだ二階なのに、なかなか見晴らしが良かった。


 殺風景な庭の向こうに連なる家々、その向こう側にはこの建物と同じぐらいの高さの教会らしき建物が見える。そしてさらにその向こうは、銀色の畑だった。


「……いい景色ですね」


「まぁな」


 なんとなく口に出してしまったルルーの一言に、オセロは律儀に反応した。


「ま、こうも見晴らしが良いと授業どころじゃないな」


 この一言に思わずルルーはオセロの顔を見上げた。


「……なんだよ」


「いえ、その、あの、知ってるんですか? 授業というか、学校を」


 それは純粋な好奇心から出たルルーの疑問だった。そしてこういうのに応えてもらうのはいつものことで、深く考えての発言ではなかった。


 ……だけど、その時、たぶん初めてオセロは、聞かれたくなさそうな表情を見せた。


「失礼しやす」


 ルルーのフォロー前に声をかけて入って来たのは、丸々と太った大男だった。


 潰れた鼻に飛び出た牙、おそらくはオークの種族だろう。短パンしか履いてない体は毛だらけで、傷だらけだった。


 そして太く短い両手で前に持つのはお盆と、その上に置かれた二つの木のカップだった。


「村長は野暮用で少し遅れやす。それまでこれでも飲んでて待っててくだせぇ」


 そう言って男はオセロにカップの一つを渡し、もう一つをルルーへ差し出した。


 それをルルーが受け取る前に、鉄棒を脇に挟んだオセロが素早く奪いとった。


「悪いが、返す」


 そう言ってオセロは両方を男に突き返す。


「毒じゃねぇです。ただのウィートティーです」


「だからだ」


 オセロの語調は強い。


「先に言っておくが、俺たちはただ通りがかっただけだ。それだけで、お前らにちょっかいを出すつもりも、麻薬を嗜むつもりも、ない」


「へぇ。ですからこれは」


「麦のお茶だろ? 外の銀麦の」


 言葉に、ルルーは凍りつく。


 当たり前のように出される麻薬、出す男も当たり前といった表情だった。


「へぇ。ですから麻薬じゃねぇです」


「あ?」


「皆さんおんなじ誤解なさってんですがね。ここの麦は麻薬なんかじゃねぇです。むしろ体にいいぐらいでして。それに美味い。そんな麦を食えねぇで腹ぁすかしたらそりゃ不機嫌にもなりますって」


 噛み合わない感じ、それにオセロが苛立ってるのが伝わってくる。


「それでもだ。これは飲めない」


 オセロに突っかい返され、しぶしぶといった感じで男はカップをお盆に戻した。


「……なら、少しこの校舎を見て回ったらいかかですか? 村長戻るのは夕暮れ以降になると思いやすんで、それまでの間、建物から出なけりゃ問題ないです」


 そう言って男は、麦のお茶をクィ、クィ、と飲み干してから、部屋を出て行った。


 変な男が立ち去り、残されたこの提案に、オセロはルルーを見て、ルルーは頷いて見せた。


 ▼


 学校、校舎というものにはオセロは何度か訪れたことがあったが、そのどこもこことは違っていた。


 大抵は燃えて崩れていた。そうでなくても打ち壊され、資材や薪として奪い尽くされた後だった。そうでない、建物として機能している場合でも、出入り口に机を並べてバリケードにして、中も外も落書きだらけで、そこここにゴミが放置されて、蛮族の山砦と魔改造されてるのが大半だった。


 だがここは改造されていない、素のままだった。


 木の板を貼った廊下にゴミはなく、壁に落書きもない。ガラスの窓がはめられて、そのどれもが汚れもヒビも、それどころか曇りすらなかった。


 そう、まるでここは作ったばかりのように綺麗だった。


 義務教育は国やその地域の貴族が管理していた。


 当然建物である校舎も公的な機関が建設、運用、補修しており、頑丈で広くて立派なものだった。


 それは都心だけでなく、ここのような地方の農村地域も例外ではない。例えそこに通う生徒が一人しかいなくとも、各学年ごとの教室を作り、各専門教室を作り、下駄箱も複数作る。これは校舎というものが非常時における避難場所に指定されていることや、地方に対する教育の平等化の一端であるとか、綺麗事は沢山あるも、実際は地方の土建ギルドが談合でウハウハするための負の遺産なのだ。


 ……こんな話をオセロにしたのは誰だったか思い出せなかったが、タクヤンでなかったのは確かだった。


 あいつは国から派遣されたエージェント、それが正体がバレている状態で国の悪口を言えるはずもない。ならば誰かと思い出そうとしても、一向に思い出せなかった。


 と、隣を歩いていたルルーが立ち止まった。


 そして見上げる先の文字は、文字に暗いオセロでも辛うじて読むことができた。


 図書室、本がたくさんある部屋のことだ。


 視線を向けてくるルルー、その意図を汲み取ってオセロが頷き返すと、ルルーは図書室へと入っていった。


 続いてオセロも入る。


 紙の、独特の香り、壁の棚にはびっしりと本が敷き詰められ、その間の部屋の中心には大きな机といくつもの椅子が並べてあり、火の消えたランプもいくつも置かれていた。


 この空間を前に、ルルー見せた表情は輝いていた。


 そして何を望むのかオセロにも伝わった。



 そしてそれは、オセロが望むことでもあった。


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