奇跡の村

「初めまして。僕の名前はモメ、よろしく」


 巻き込むように力強く差し出された右手は、握手を求めてのものだと、オセロは理解した。


 握手は契約が成立した時にするものでもあるが、こうした初対面で敵ではないと確認し合う時にもすると、どっかの誰かが言ってた覚えがある。


 その手を掴むか、悩む一瞬でオセロは男を、モメを観察した。


 モメは、恰幅のいい男だった。


 背も高く、体は太い。それも、ただ単純に太ってるわけでなく、かといって筋肉だけではない。盛り上がった筋肉の上に薄っすらと脂肪を乗せた体つきは、目的を持って鍛え上げたものではなく、過酷な農作業を繰り返してきた結果だろう、とオセロは品定めした。


 その肌はよく日に焼けているが、傷はなく、その顔も丸々として大きな口で全力の笑顔を作っている。


 ……少なくとも、このデフォルトランドでは見かけないタイプの人種だった。


 そんなのがここにいる、というのは考えにくい、珍しいことではあるが、それがイコールで敵だとは、オセロは考えず、なのでその手を掴み返した。


 ざらついた、やたらと熱い手だった。


「オセロだ。それでこっちが」


「ルルーです」


 ペコりと頭を下げるルルー、そちらにもこのモメという男は、オセロからは放した手を差し出す。


「よろしく。モメです」


 ……ルルーは、一瞬躊躇ってから、その手を掴みかえした。


 がっつりと掴み返すモメ、そしてブンブンと力強く握手する。


「いや、旅人はここらでは滅多にいないんです。よかったらこの先に村がありますんで、そこでゆっくりと外の様子を聞かせてください」


 握手を終えたモメは人懐っこそうな笑みで、先を行く。


 その無防備な背中は、敵意も悪意も殺意も感じられない。


 なら、まぁ、どうせ通り道だし、いいか、とオセロは判断してその後に続いた。


 ▼


 やばい、というのがルルーの頭の中いっぱいだった。


 この、モメという男は、やばい。


 ルルーは経験と本能から、やばいと感じていた。


 確かに、一見すれば良い人に見える。


 こんな無法地帯のデフォルトランドでも、ルルーはねえ様や、その他多くの善人と出会ってきた。その大半は奴隷で、ルルーと同じ金属の首輪をさせられていたが、それのない人の中にも若干、マシな人間はいないわけでもなかった。


 このモメという男もまた、彼らと同じ雰囲気ではある。


 しかし、その前に、この男は今し方、十字架の男を突き刺したのだ。


 それはルルーたちを助けるための行為ではあるかもしれないが、その直後にこの笑顔は、異常だ。


 底知れぬ恐怖が、ある。


 それは暗闇の中、何も見えない恐怖に似ていた。


 わからないこと、理解しがたいことはそれだけで恐怖となる。


 それでもついていけるのは、オセロがいるからだった。


 暗闇でもねじ伏せるその圧倒的な強さは、ルルーに少なからずの勇気を与えていた。


 そのオセロの横にいれば安全だろう、とルルーは思い、ついて行き、そして観察した。


 ……男の髪や肌は綺麗だ。それだけ綺麗な水や栄養が取れているのだろう。


 服装はボロボロに見える。けれども必要な部分は補修され、破れやすそうな部分は補強されている。実用主義、そしてメンテもできる意識の高さが見える。


 時折、手拭いで顔を拭く動作で見える首には奴隷の首輪は見られない。そもそも一人で出歩いているのだから奴隷ではないだろうが、それでも、奴隷の首輪のある少女に躊躇いなく握手を求めてきたのは驚きだった。


 そんな男、オセロ以外では初めてだった。


 …………そう考えれば、この男はオセロと同種の人間なのかも知れない。


 実力も、隔てのない感じも、こうして無防備に背中を見せていることも、似ている。


 逆に言えば、オセロでも出会いが悪ければこんな感じに感じてたのかも知れない、とルルーが考えをまとめていると、村が見えてきた。


 それはまるで、銀の海に浮かぶ島のようだった。


 ルルーの背丈ほどの石垣に囲まれた村の中はどの家も立派で大きく、石畳の上にはゴミも死体も吐瀉物も排泄物もない、清潔だった。


 ……ただ、イチャモンつけているようで嫌だけど、センスは良くなかった。


 建物一つ一つ良く見れば、綺麗な壁、立派な屋根には手の込んだ彫刻、表札なんかまでかけてある。


 だがしかし、出入り口や窓ガラスといったよく使う場所は、今まで見てきた建物とほぼ同じだった。


 彫刻もなく、使い古されて、ボロボロで、汚れてはないけれど生活感はにじみ出ている。それにそこらに立てかけてある農具、泥まみれで大事なよく使う物だとは理解しているが、その現実的な物が世界観を台無しにしていた。


 そして、それらの家々には統一感がない。


 隣り合っている家同士ですら、何というか、文化が違うのだ。


 個々では立派でもチグハグで、それが全体的にみっともない。これが成金の田舎者のセンス、というものなのだろう。ルルーは田舎の風景というものを知った。


 ……加えて、この村の人々は不気味だった。


 人の往来は多い。だけど喧騒も騒音も悲鳴も絶叫も聞こえない。外の麦が風になびかれ擦れ合う音が聞こえるなんて、はっきり言ってこのデフォルトランドでは異常だった。


 それだけ静かなのは死人だけだろう。なのにここの村人たちは、死人ではなく生きて動いているのだ。信じられない。


 その村人も、このモメという人と同じような農家な人が大半だったけど、中にはメガネをかけた初老の人とか、下半身が馬のケンタウロスな人とか、それに女性までいた。みんな強そうには見えないのに、全員が首輪のない、奴隷でない人たちだった。


 そんな彼らはみんな笑顔で、見ず知らずの、しかも奴隷で子供でもあるルルーにさえもすれ違いざまに挨拶をしてくるのだ。


 彼らに会釈を返しながら、ルルーは内心、この、何というか、完璧すぎる世界が、怖かった。


 これがこうなるだけの何か、原因があって、その反動がいつかぶり返してくるんじゃないかという、漠然とした不安が、胸の奥底でざわついていた。


 きっと、デフォルトランドの外から見ても、ここは不気味に見えるに違いなかった。


「いい所でしょ? ここは昔からこうなんですよ。といっても僕はここの出身じゃないんですけどね」


 ハハハと白い歯を見せて笑うモメ、その毒気の無さも不気味さの一つだった。


「武装してるやつはいないんだな」


 オセロがぼそりと呟くと、メモは笑顔で返した。


「いやいや、そんな必要ないですよ。ここらで危険なのは森の動物ぐらいで、それもこちらから手を出さなければ襲って来ませんし、治安は良いんですよ」


「そうか?」


「そうなんです。まぁ、たまに迷い込んできた他所の人が暴れたりはしますがね。そういう人たちもよくよく話し合ってみれば、案外言葉が通じたりするんですよ」


「そうか?」


「そうなんですって。人って元来、善人として産まれてくるんです。でも悪いことするのは、ただどうしたら良いのかわからなくて、それでとりあえずやってみよう、ってなっちゃうんです。ですからこうすれば良いんだよって、丁寧に教えてあげるとみんな素直になるんです。ですからこの村の住人の大半はそうやって仲間になったんですよ。僕なんかが偉そうにいってますがね。実際は村長お一人の功績なんですがね」


「村長?」


「はい。僕たちにここでの生活を教えてくださった賢人です。一応、この村に来た方々は一度挨拶をする決まりになっているので、向かってるところなのですが、不味かったですか?」


「いや、大丈夫だ」


 オセロはこう答えているが、これもう絶対、大丈夫じゃないやつだ。


 ルルーは背中に汗が吹き出てるのを感じる。


 なんかこう、お腹が痛いとか適当な理由作ってここから抜け出そう。でないとオセロは鈍いから察するとかできないだろうし、察したところでだからなんだとか言い出すだろう。そこをなんとか、お話を餌に釣るのは、フェアじゃないけど、それでもここに居続けるよりかはずっと良いはずだ。


 一人考えを巡らす中でルルーは犬を見つけた。


 白い、毛の長い、モッフモフの、大きな犬が通りの端っこで寝そべっていた。


 このデフォルトランドでは、犬なんて家畜は、食肉か毛皮でしかみれない。というかルルーも、生きた犬がこうものんびりと、短い前足で長い鼻先を掻いているのを見るのは初めてだった。そんな犬がいられるなら、ここは安全なんじゃないかな、なんて思えてしまう。


 だけどそんなはずないとルルーは思い直す。


「こちらです」


「ぁ」


「……どうかしましたか?」


「いえ、なんでも」


 ……巡らしている間に逃げるタイミングを失い、結果たどり着いたのは、やたらと広い殺風景な庭の向こうにそびえる、やたらと大きなお屋敷だった。


 縦にも横にも広く大きく、なのに外観は同じような窓が並んで、同じような壁で、見える屋根の傾斜だけが違っていて、そのせいか縮尺がよくわからなくてイマイチ大きさが感じにくい創りだった。


「ここは元々は学校だったんですが、今は子供なんていませんし、だったらと借りてるんです。まぁ、代わりに僕たちの学び舎になってるんですけどね」


 ハハハと笑い、モメは入っていく。


 それに続くしかない、と踏み込もうとしたルルーの肩をオセロが叩いた。


 ルルーは期待を持って振り返る。


「なぁ、まなびやって、なんだ?」


 オセロは、変わらずオセロだった。



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