第一村人遭遇
ルルーは、畑というものを初めて見た。
知識としては、まず麦というものがあって、それは植物で、こんな感じで実ってて、それが人工的に一ヶ所でまとめて育てられてるのが畑だ、とは知っていた。
だけど実物は初めてて、自分の知識が間違ってないと再確認できた経験は、滅多になかった。
そんな畑の間をオセロに続いて歩く。
道は一本道、先はオセロの背中でふさがれて見えない。
左右は、麦の穂が立っていて、ちょうどルルーと同じぐらいの背丈で、先は全く見えない。
そんな道のり、少し不安に感じるけど、オセロもいるし、まだ朝だし、本当に少しだけだった。
……麦は、麦だけだった。
根元には他の草も、苔も何もなくて、普通なら虫の一つも湧いてそうな感じだけど、それもなく、本当に麦だけが生え揃っていた。
ひょっとすると、麻薬だから虫も食べないってことなのかもしれない。
と、オセロが立ち止まった。
背を向けていて表情は見えないけれど、その手に持った鉄棒を構える動作から、敵が現れたのだとわかった。
それに、なんかもう、危機感がなかった。
オセロの圧倒的な戦闘能力、それにここにいるのは頭の悪い変態ばかり、それもこんな畑の真ん中で襲ってくるような相手だ、敵ではないだろう。
それでもルルーは好奇心に従い、オセロの腰越しに今朝の敵を見る。
…………ルルーの足で十五歩は離れた道の真ん中に、男が、磔にされていた。
筋肉質で大柄で、だけど傷だらけの体は未だに血が滲み垂れている。着てるのは最低限のボロ布の服に、頭からはボロ布の袋を被せられている。その首には奴隷の鉄の首輪はない。
そんな男が両腕を左右に広げられ、その巨体よりも大きな、汚れた白木の十字架に、錆びた釘を何本も手のひらや足の甲に打ち付けられて、磔にされていた。
一陣の風が麦畑を撫でると、それに乗って血と、何かの腐った臭いが漂ってきた。
それは、明確な死の臭いだった。
……声が出ない。
こんな朝っぱらからこんなホラーが、残酷な絵柄が、出くわしてくるなんて、ルルーは想像もしてなかった。
その驚愕と、遅れてやってきた恐怖とで、もっと重要な要素にたどり着くまで二呼吸かかった。
……こんな大きなもの、なかった。
ここまで来る前、丘から見下ろした時、見えたのは銀色の麦畑だけで、こんなもの見逃すわけがなかった。
それが、何故か目の前にいる。
どうして現れたのか、答えは自分から動いた。
……十字架の横の棒、両手が打ち付けられた両端が、揺れて、外れた。
それと、十字架の一番長い下の棒も左右に割れて、その両方が足に釘で固定されていて、男が一歩踏み出すと同時に前に出て、まるで竹馬のようだった。
十字架の棒で手足を延長した傷だらけの男、その巨体がより巨大として迫る敵は、一動作ごとに血を滴らせる。
その動きは緩慢ながら、延長した足の歩幅はあっという間に距離を潰し、同じく延長した右腕での突き下ろすような右ストレートがすぐさまオセロに届いた。
ガホン、と今までに聞いたことがないような衝突音、同時に踏ん張るオセロの体が後ろへ押し摺られる。
同時に、背後にいたルルーの顔に、冷たい血飛沫がかかった。
「下がれ!」
オセロの怒声にルルーは身を退げる。
来た道を足早に、でも後ろ向きで戻り、でも目線は外せなかった。
そのルルーの目の前で今度は十字架の左腕の丸太のような棒が横に振るわれる。
それをしゃがんでかわすオセロ、だが読まれていて、その顔面に今度は左足の前蹴りが迫っていた。
「うらぁ!」
オセロの一叫び、同時に鉄棒が下から上へ振り上げられ、十字架の足を足を掬い上げ、刎ねあげる。
元々、ただの丸太でしかない足の棒に踏ん張る力などなく、十字架の男はそのまま仰向けに転ばされた。
ガズン、という音は後頭部をぶつけた音らしい。
……男は、両手両足広げたまま動かなくなった。
▼
オセロにとってこの十字架の男は、一番嫌いな相手だった。
最低限の創意工夫と武器武装、技術も戦略もなくあとはただ身体能力でゴリ押すのみ、案外こういう相手が実力者だったりもするが、だからといって楽しいかどうかは別の話だった。
まぁそれでも、手早く倒せた、とオセロは見下ろす。
十字架、長いのは裂けて両足に、左右の短いのは左右の腕に、だが上の短いのもまだ背中に付いている。
どうなってるのか?
打ち付けてあるのか張り付いているのか、興味はあったが、それ以上にリスクは負いたくない、とオセロは無視して進むことにした。
念のためルルーを先に歩かせ、視界に収めておく。
十字架は音もなく麦の畑の中から立ち上り、立ち塞がった。
同じく潜む相手がいるかもしれない。
オセロは警戒を緩めず、張り巡らせつつ歩き続ける。
…………と、ルルーが立ち止まった。
そして振り返って、その表情が変わって、初めて背後の音に気が付いた。
振り向きざま、確認もせずに鉄棒を横に降る。
ガチ、と当たって弾き弾かれたのは、また十字架の右腕だった。
そして続く攻撃は、十字架の左足の方が早かった。
無造作な前蹴り、だが弾かれバランスの崩れたオセロは防御が間に合わず、僅かに背を反らし、回避に向かった。
掠める丸太、ざらついた底が胸の革の鎧を削り、かつ衝撃で身を押し退ける。
更に崩れたバランスを三歩用いて立て直した頃には、次なる、そしておそらく必殺になるであろう左腕の攻撃が振り下ろされていた。
せめてもの抵抗、食いしばり、首に力を込めて、額当てにまっすぐ当たるよう腰を落とす。
その目前、背後より飛来する何かが、十字架の胸に当たり、弾き飛ばした。
ドウ、と倒れる男、その胸に突き刺さっているのは、木の柄のフォーク、食事用のではなく、藁とか突き刺して運ぶやつだった。
「大丈夫ですかー!」
なんとも緊張感のない大声に振り返れば、丘の上に男が立っていた。
そいつは頭に麦わら帽子、首には手拭い、それにつなぎの長ズボンで上は裸という格好はもう完璧に、典型的な農家のおっちゃんの格好だった。
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