トラとネズミ

 トラとネズミは生粋の奴隷だった。


 二人とも母親は知らず、父親は知りたくもない。


 物心つく前から首に鉄の輪があり、奴隷として従い、働かされ、虐げられるのが日常だった。


 そんな中で二人は揃って育ってきた。育たれてしまった。育つことが、できた。


 ここでの奴隷の入れ替わりは激しい。転売、死亡、前触れもなく入れ替わる。


 なのにトラとネズミはずっと一緒にいた。いることができた。


 それは、ここでは奇跡だった。


 ▼


 トラにとって、人生で一番辛かったのは、ネズミの目が焼かれた時だ。


 それは突然で、説明も前触れもなく、ある日の昼に二人で呼び出され、これから目を潰すと言われて、ネズミが椅子に縛り付けられた。


 目を潰せば、集中力が上がって歌が上手くなる、脱走や反逆の恐れがなくなる、客の顔で態度を買えなくなる、あとは中央では同情とか、社会福祉制度とかで儲かる、そんな理由だった。


 そしてトラの役目は、暴れるネズミの頭を押さえて固定することだった。


 トラは全てを覚えていた。


 真っ赤に焼けたスプーン、押さえてる頭の感触、響くネズミの悲鳴、焼ける匂い、あざ笑う声、涙ぐむことしかできない自分、その全てにトラは無力だった。


 だからトラは、誓ったのだ。なんとしてでもその目を治すと、魂を賭けて誓った


 そして、なんでもした。


 ネズミの世話、足りなくなった分を補うために倍は働いた。


 同時にネズミの治療も諦めない。情報を集め、客の中に時々いるヒーラー、回復魔法の使い手で聖職者である彼らへ、こっそりとサービスし、媚びへつらって、魔法と医術を教わるようになった。


 だけどそれがバレて、お仕置きされて、それでも有益だと説得して、なんとか納得させて、ようやく正式 に学べるようになった。


 光への希望が見えてからも長かった。


 通常の奴隷としての仕事に勉強に、ネズミの世話も必要だった。加えて実践練習、自分の体にトラ模様をつけて治して見せるアイディアがどこからか出されて、実行するようになってからは、痛みに、眠った記憶がないぐらいだった。


 それでようやく、ネズミの治療ができるようになった。


 幸いにも、ネズミが焼かれたのは瞼だけで、張り付いたのを切開するだけの簡単な手術で視力は戻せた。


 それで、ネズミの目が光を取り戻したその瞬間、全てが報われた。


 サービスも傷も寝不足も全て吹き飛ぶぐらいに嬉しかったのを覚えている。


 それからずっと、ネズミが見えることを二人だけの秘密にして、こうして生きてきた。


 トラにとってネズミは、かけがえのない存在だった。


 ……だけど、この思いは愛ではない。これはただの独占だ。


 無力で、虐げられて、なのに愛想よくニコニコ媚びへつらって、そうやって生きてきた無力な自分でも、ネズミを助けることができた。それだけの価値は自分にはあるに立ちたい、ただ優越感に浸ってたかっただけなのだ。


 そのためならなんでもできるし、なんでもしてきた。


 それは、自由を前にしても同じだった。


 ▼


 ルルーが強く揺さぶられ、瞼を開けて目にしたのは、トラだった。


 その目つきは真剣で、手にはあのナイフが握られている。


 ただならぬ空気に、ルルーは飛び起きる。


「ネズミがいないの」


 小さく、でも強い言葉だった。


「オセロも、二人一緒に。どこに行ったかわかる?」


 それは泣きそうな声だった。


 ▼


 ネズミにとって、人生で一番辛かったのは、その目が治った瞬間だった。


 焼かれた瞬間、確かに地獄だった。それからも三日三晩を痛みと高熱で苦しんで、光の奪われた生活に怯え、苦しんだ。


 でも、ネズミにはトラがいた。


 トラは、見えない生活の世話も一切をしてくれた。苦しい時には手を握ってくれて、怖い時には優しく声をかけてくれた。


 それに、見えなくなってからの生活も悪くはなかった。


 不便ではあったけど、逆に仕事もさぼれたし、何かあっても見えないからと応えれば殴られる回数はぐっと減った。


 それに他の奴隷たちからも、感謝されるようになった。


 ……目の見えない奴隷はできることが極端に少ない。自分の世話もできない。なのに同情も社会福祉制度もない。儲けがでない。


 それを実践してくれてるからみんな焼かれないのだと、感謝された。


 見えない期間、ネズミは心の奥底ではバカンスだと捉えていた。


 そんなある日、トラからまた見えるようになるかも知れないと言われた。


 正直、このままの方が良かったけど、トラに説得され、見えても秘密にしようと言われて、治療することとなった。


 それで、光を取り戻して、最初に見たのはトラだった。


 その姿に激しく後悔した。


 元々細かった手足はより細く、血色はなお悪く、それに傷だらけで、やつれて、ボロボロで、なのに変わらない微笑みに、ネズミは悟った。


 これが今まで甘えてきた代償なのだ。


 ネズミが楽してきた分を、トラが苦しんできた。


 泣きながら抱きしめてくるトラに、抱きしめ返すネズミが思うのはただひたすらの後悔だった。


 それから、ネズミは変わった。


 甘えることをやめて、自分のことは自分で、それに歌も磨いてより人気が出るように努力した。


 そして、トラには秘密にして、暗殺もするようになった。


 長い間の見えない暮らしから、どういうわけか光に敏感になって、逆に夜目がすこぶる見えるになった。それに隠し槍と毒とを合わせての汚れ仕事、汚れた自分にはぴったりの仕事だった。


 どんなことをしてもトラをこれ以上苦しめたくない。そう願いながら生きてきた。


 ネズミにとってトラはかけがえのない存在だった。


 だけど、この思いは愛ではない。これは、ただの罪悪感だ。


 奴隷を利用するあいつらとは違う、そう思ってた自分が最も身近なトラにしてきた仕打ち、それが許せなくて、そのためだけに、自分への罰として、側にいるのだ。これを話せば、トラは笑って許してくれるだろう。だけど、ネズミ自身が自分を絶対に許せないのだ。ただ、それだけだ。


 トラためならなんでもできるし、なんでもしてきた。


 それは、自由を前にしても同じだった。


 ▼


 ネズミは黙って、ランタン二つのオセロに続いた。


 先を歩くオセロの表情は見えない。


 だけどネズミは、あの夜と同じだろうと思った。


 夜襲、先制攻撃外し、額の灯りで照らし出し、それでも毒を受けてふらつきながら見せた、あの狂人の笑顔だ。


 それと同じ笑顔を以前見たことがある。


 そいつは戦うのが大好きで大好きで、コロシアムで戦うだけで飽き足らずに、カジノやホテルにまで喧嘩を売って、最後はネズミの毒で死んだ。


 死んでもそいつは笑顔のままで、そいつは最後まで戦いを楽しんでいた。


 バトルマニア、この野蛮なデフォルトランドであまり見かけない人種だ。なにせすぐ死ぬ。


 だけど、オセロは、その中でもすぐに死なないバトルマニアだった。


 そんな男は、みんなが寝静まったころに揺り起こして、遊びに行こう、と言われた。


 客の願望を汲み取る奴隷でなくても、それが何を意味してるかは、明白だろう。


 オセロは戦いたがってる。


 コロシアムでは飽き足らず、この騒ぎにじっとしてなくてはならず、不満で不満で、我慢できなくなって、最後の最後で、ネズミで発散することにしたのだろう。


 そして戦えば、ネズミは死ぬだろう。死ぬと、殺されるという確信があった。


 ……一度目の夜襲だけなら、 まだ希望があった。


 だけど二度目の、あの攻防、簡単に槍を弾いて無力化する手腕は、希望を打ち砕くのに十分だった。


 戦っても、間違いなく勝てない。逃げることも、命乞いも、無駄だろう。


 そんな男とコロシアムへと戻るのは自殺行為だ。


 それでも、黙ってついて行くのは、トラのためだった。


 あそこで断れば、トラを人質にされるかもしれない。傷つけられるかもしれない。本気を出せと、もっと頑張れと、酷いことをするかもしれない。


 そう思ったら、黙ってついて行くしかなかった。


 ……これが済んだら、きっとトラは、自由になれるだろう。


 この男は、そういうことに興味は薄いはずだ。それあのルルーという少女もいる。あの関係は、謎だけど、それでもルルーの目の前で無茶はしないはずだ。


 間違いなくトラは自由になれる。


 自由になれたら、幸せになって欲しい、と思った。


 思ってる間に、あの五つに分かれたところまで来てしまった。


 ……先は、どれも闇ばかりだった。

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