引っかかってた懸念

 静かな下水道をルルーとトラはセカセカと駆けるように歩く。


 ルルーがされるがまま、黙ってトラに従うのは、彼女の右手が強くルルーを引くからでも、彼女の左手がランタンと一緒に鋭いナイフを持ってるからでもなくて、彼女の目を見てしまったからだった。


 ルルーをゆり起し、ネズミがいないと訴える彼女の眼差しは、いつかのねえ様の、少しでも側から離れて、そこから戻ってきた時に迎えてくれると時の、あの心配してる時の眼差しだった。


 ……ルルーはトラとネズミがどんな関係なのかを知らない。でも、トラがネズミを思ってることは、いやでもわかった。


 その眼差しを、ねえ様を思い出させるその目を、これ以上に潤ませたくなかった


 オセロは、トラが心配するように戦うのが大好きだ。だけど楽しみにしてたコロシアムが不発で、その後の大騒ぎにも参加できなかった。


 一方ネズミは、トラが言うには強いらしい。こっそりと裏で暗殺みたいなことをして、あの夜に襲って帰れなくしたのもやったらしい。


 苛立ちは募り、爆発寸前、誰でもいいから強いやつと戦いたいオセロの前に、強くて因縁のあるネズミがいた。ならば邪魔が寝静まってる間にこっそりと抜け出して憂さ晴らしを……トラの心配を否定できるほどルルーはオセロを知らない。でもオセロは、相手がいくら強くても、やる気のない相手と戦うのを嫌って、いや面倒くさがってた。ならば戦う理由のないネズミ相手に、トラを人質にとるでもなく、戦えというのは合わない気がした。


 ならばなぜ二人がいないのか、訊かれると、ルルーにも答えはなかった。


 モヤモヤとしたものを抱えながら二人、すぐ先にはあの五つに分かれてる分岐点だった。


 来た道合わせて六本が集まる集合地点、そこへ一つの道から、コロシアムへの道から、灯りが伸びていた。


「ネズミ!」


 トラが声をあげ、ルルーを離して駆け出した。


 腕を引かれるルルーも駆け出す。


 ほんのわずかな全力疾走、軽く息を切らしてたどり着いた先に、ネズミがいた。それにオセロも、背中が見える。道の両端にランタンを置いて、額当てもずらして首にかけて、灯りを加えていた。


「来ちゃダメだ!」


 ルルーが初めて聞いたネズミの言葉に、トラはルルーを手放した。


「ネズミ、戻ろう」


「手遅れだ」


 応えたのはオセロ、それも重く、暗い声でだ。


「悪いがお前ら二人は決着がつくまでここにいてもらう。逃げることは、許さない」


 オセロの、怒気とも邪気とも取れる低い声に、ルルーはぞくりとした。


 思わず立ち止まるルルー、でもトラは止まらない。


「ネズミを、返して」


 トラの強い言葉、その手にナイフを構えて、重心を前に、今にも飛びかかろうとしてる。


 それを手を広げて止めようとするネズミ、また何かを話そうと口を開いた瞬間、ルルーには聞こえた。


 …………チリン。


 音に、二人は、恐怖の表情で固まった。


 ▼


 オセロは笑ってなかった。


 心にあるのは思い出された後悔、コボルトを忘れていた自分への怒りだ。


 コボルトは鼻がいい。靴越しの足跡でもその体臭を嗅ぎ分け、正確に追跡できる。そして臭いが壁の向こうに消えたのなら、隠し扉を疑えるほどにも頭がいい。


 かなり手強い追跡者たち、過去に何度もその実力を堪能させられた。だが対策はある。前はちゃんとしてた。


 あの隠し扉の前を一度通り過ぎて、ぐるりと一周大回りして、どこに隠し扉があるかを紛らわせるのだ。


 それで見つからない。今までは見つからなかった。


 だが今回の失敗で、見つかる。


 例えあの入り口を崩して塞いだとしても、方向がバレる。


 そうなれば地上を駆けての追跡ができる。


 弱ってる奴隷たちが平坦で障害物のない道を行くのと、元気な連中が凸凹な地上を行くのと、どちらが速いか、なかなかいい賭けになりそうだ。


 だからここが最終防衛ラインだ。


 後ろに分かれる五つの道、そのどれが正確かわからせないために、ここで止める。


 思いながらチラリとオセロは振り返る。


 ネズミ、取りこぼしを防ぐために連れてきた。最初はやたらと緊張してたが事情を話すとやる気を見せた。


 トラ、寝てたからほっといたのになぜか来た。今から戻れば足音と匂いで正解がバレる。この先の移動と回復魔法を考えて起こさなかったが、裏目に出た。


 そしてルルー、今この場において一番使えない。だがまぁ、目の届く位置にいるのは安心できる。


 こいつらを守り切って初めての勝利だ。ややこしく、めんどくさく、不自由で、やりにくく、だからこそ楽しそうだ


 色々と考えながらオセロが前を向けばまた、チリン、と音がした。


 そのわずかな後、コボルトたちが現れた。


 闇の向こうから、一糸乱れずに一段となって動くその様は、軍隊よりも野生の群れを思わせた。


 そうして現れた彼らは、かなり派手だった。


 先陣を切るインソールなど、目一杯だった。


 ……オセロの笑みは、それを嘲ったものではなかった。

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