鉄拳防御

 両手にそれぞれ槍を一本ずつもち、角から出て歩くオセロの前から奴隷は退いて行く。


 どいつもこいつも怯えた目で、やる気がない。


 オセロは戦うのは好きだが負けるのは嫌いで、わざわざ不利に飛び込むほどのバカでもない、と自分を見ていた。


 だがしかし、せっかく百人を相手にできるのに、それを共食いで減らすのは賢いことではない、との考えていた。


 だからの一投、挨拶がわりのつもりだった。相手は散々持ち上げられてるチャンピオン、ならば避けるか防ぐか、あるいは耐えるか、まさか当たって倒れて動かなくなるとは、思ってもなかった。


 ……ひょっとすると、こいつらは、大したことないかも、という疑念を振り払いながら、コロシアムの中央までやってきた。


 奴隷は逃げ去り、できた空間に、一人のチャンピオンが進み出た。


 やっと遊べる。オセロは笑った。


 ▼


 ザーレは人を殴るのが大好きだった。


 恵まれた体格にソコソコの才能、何より人を殴れる喜びから熱心にトレーニングを重ねて、実力をつけた。


 だがリングに上がって初めて、ボクシングとは殴り合うスポーツだと思い知らされた。


 ザーレは殴られるのが大嫌いだった。


 それでも殴る欲望が強めたパンチ力でソコソコの成績を残し、早々に引退した。


 引退後も、それでも殴りたいザーレは、それなりに名前が知れ渡ってたのもあって、セレブのボディーガードとなった。


 セレブの影のように付き従い、睨みを利かせ、近寄る危険と思われる相手を一方的に殴るのは、高い給料もあってかなり良い職場だった。


 このデフォルトランドに来たのも、雇い主に連れられてだった。


 招待したホテルの警備が優秀すぎて拳を弄んでいたザーレに、雇い主のセレブは余興として、コロシアムに出るように命じた。


 初めは渋ってたザーレだったが、相手が基本もできてない素人と知るや快諾した。


 引退してから数年は経過していたが、それでも殴る練習を欠かしてなかった。


 結果は、一方的に殴ることができた。それに観客は湧き、賞金を手にし、ボクシングでは巻くことのできなかったチャンピオンベルトを腰に光らせることができた。


 ザーレは、ここを大いに気に入った。


 雇い主だったセレブに拳で別れを告げて以来、ずっとここでチャンピオンとして君臨していた。


 ここは人を殴るのにはパラダイスだった。


 酔って気の大きくなってる挑戦者をボコボコにし、スパーリングとして奴隷をボコボコにし、目があったと言っては通行人をボコボコにした。


 充実したボコボコライフ、しかしここにも、殴られる恐怖がつきまとった。


 それは大きな試合ほど増して、その心を蝕んだ。


 それを払拭するためにいくら殴っても殴られる恐怖は消えず、それでも殴ることを辞められないパンチドランカーとなったザーレは、鎧に逃げた。


 今まで手にした全てのチャンピオンベルトと、記念品、ボクサーパンツを材料に、優勝賞品と借金で作り上げた鎧は、完璧だった。


 外見は黄金色のフルプレートアーマーだ。しかし関節などの隙間にチェーンを溶接し、中は布でクッションに、唯一外に露出している覗き穴も網目状にして最低限の視界を確保しながら穴は最小に、小指も通らないサイズに抑えた。当然、この穴を通れる武器は、コロシアムに認められる物の中にはなかった。当然、身につけて試合に出られるよう、審判は買収済みだ。金属なので重く、口も覆っているので若干息苦しいが、筋肉もスタミナも肺活量も十二分に鍛えてある。それに、妥協で穴を作るつもりはなかった。


 鎧に比べ、武器は拳のみだ。それは格闘チャンピオンだからではない。相手が強い武器を持つ確率を下げるためだった。それでも、ガントレッドで守られた拳は、鉄拳だ。


 全ての装備を防御力に割り振って、パーフェクトガード・ザーレは完成した。


 ▼


 ザーレが今回参加を了承したのは、相手が素手だと聞いていたからだ。


 しかし今は、武器を、槍を持っている。


 安物で、木製で、鈍い刃先とは、知っているが、殴られる可能性が上がった。それに、槍は木製、何かがきっかけで割れて裂けて鋭くなって、顔の網目を抜けるようになるかもしれない。そう考えたらいてもたってもいられなかった。


 砂を踏みしめ、前に出る。


 相手の男は、オセロと言ったか、無駄なく引き締まった体は、そのままボクサーでもやっていけそうに見えた。


 そして槍、端っこを持って長い剣みたいに持つ二本は、振り回したらかなりの威力だろう。


 殴られる、と一瞬ザーレは身構えた。


 と、男はまだ距離があるうちに立ち止まった。


 そして、気でも狂ったのか、その槍を砂地に突き立て、残して、また歩き始めた。


 愚か者め、とザーレはほくそ笑んだ。


 専門家を名乗るベレー帽の情報屋から聞いた話では、このオセロはかなり自信家らしい。自分が負けるとはこれっぽっちも考えてない、と。そんなやつならこちらに合わせて武器を捨てるぐらいは、やってもおかしくないのだろう。


 愚か者め、とザーレはほくそ笑んで、ふと思い出した。


 ボディーガードとして駆け出しだった頃の話だ。危害を加えようとするやつはみな、わかりやすくないと、先輩風吹かしてたアフロ頭の男が話してた。この世には自慢のパンチを当てる下準備として口に含んだ針を飛ばすやつがいる、と。


 …………こいつがそいつとは限らない。だがしかし、口の中に針があるかも知れない。


 思い立ったらザーレの頭はそれでいっぱいになった。


 隠し武器、奇襲、目潰し、それは殴られるのと同じぐらいに痛い。


 ……殴ろう。とにかく殴ろう。殴れば、殴られない。


 恐怖がザーレの思考を単純にし、単純な思考はボクサーとしての本望を呼び覚ました。


 腰を握り、肩の高さに上げ、脇を締めてガードを固めて突進していた。一歩ごとに体を左右に振り、狙いを定めさせずに間合いを詰める。


 五歩を駆けたころには、ザーレの思考は空っぽになっていた。


 だから相手のオセロが同じような構えで突っ込んできていても、思うことはなかった。


 グングンと両者トップスピードで迫る、迫る。


 誰もが息飲む刹那の間、あとわずかで激突する距離で、オセロはコケやがった。


 滑ったか、足が絡まったか、無様に手をつきながらも勢い殺せず横向きに転がるように転んだ。


 それに空っぽなザーレの反応は遅れた。寝ている相手への攻撃を想定内してないボクシングに、このオセロへの正しい対応は用意されてなかった。それでも辛うじて立ち止まろうと踏ん張るも、全力の加速に鎧の重量が乗って、勢い殺せず止まれるわけもなかった。


 横に倒れてたオセロにザーレは突っ込み蹴っつまずいて、両腕を広げて胸からダイブするみたいに、派手にコケた。


 まさかの接触、捲き上る砂埃、期待してたのと違う状況に、観客は一瞬静まりかえった。


 その間に、ザーレは体を起そうとうつ伏せから仰向けに体を回し、上体を起そうと手をついた。


 だが背中が砂から離れる前に、胸を黒い手に押されて起き上がれなかった。


 見上げた上にオセロがいた。


 体に砂を付け、膝を折ってザーレの体に覆い被さろうとしていた。


 これでザーレは、殴られるわけではない、と安心した。


 転ばされたのは偶然か必然かは知らないが、これからの狙いはわかる。つまりは寝技、絞め技、関節技狙いだ。


 この鎧抜ける打撃など滅多にあるわけでもない。ならば殴り合いを避けて、こすい技に逃げるのが人の弱さだ。


 しかしこの鎧にその隙はない。駆動関節はボクシングに必要な分だけ動くように設計させている。それに中には若干の遊びがあって、鎧を捻られても中のザーレにはそこまで影響はない。首回り胸回りも金属のわで丈夫に作られている。紐や鎖で縛って吊るしても中のザーレは苦しくない。


 この完璧すぎる鎧に、せいぜいこすい技を試すがいい。


 あざ笑うザーレの目の前に、オセロは右の拳を、突きつけた。


 殴るそぶりすら見せない拳をさらに笑うザーレの目の前で、拳が開いた。


 ……拳の中から溢れでたのは、砂だった。


 コロシアムの地面いっぱいに広がる砂の一掴み、溢れて流れて入り込んだのは、ザーレの最小限の覗き穴だった。


 突如として目に入った異物に瞼を閉じて首を振るザーレに、オセロはしつこく砂を流し込んだ。


 ふざけるな! そう怒鳴ろうと開いた口の中にも砂がくる。それを吐き出すも、口まで覆った鎧がそれを阻んだ。


 息苦しくなる。


 汗を、唾を、呼気に含まれる水分を、吸って固まった砂が、肌と鎧との間にへばりつく。


 息苦しい恐怖にザーレは暴れる。が、寝てる体に馬乗りとなったオセロを退かすことは叶わない。


 そうこうしてる間にも追加の砂が、今度は両手で注がれる。


 埋まる苦しさ沈む恐怖に、ザーレは死にものぐるいで暴れまわった。


 それでようやく、オセロは上から退いた。


 自由になり、立ち上がったザーレは、砂から逃げられてなかった。


 湿って固まった砂は落ちず離れず、空気を遮断する。


 ザーレは、殴られる以上の恐怖を胸に、必死に鎧の外し方を思い出しながら、砂に溺れて倒れた。


 ▼


 二本の槍を回収するオセロはがっかりしていた。


 こういう重たい鎧のやつは軽く痛めつければ鎧を脱いで身軽になって、本気の第二形態があると勝手に思っていた。


 なのにあんな攻撃にあんな苦しんであのまま変わらずあのまま倒れた。


 これで四人のうち半分倒してしまった。


 最初のやつは最弱、というのがお決まりだが、これは酷すぎだろう。


 がっかりしながら向き直ったオセロはしかしすぐに笑顔に戻った、


 ……次の攻撃はすでに始まっていた。










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